理系が古文・漢文をやる意味は何だろう
東工大:センター比率0%、二次でも国語なし、国語自体が害悪というスタンス
マーチ文系:文学部でも古文・漢文やらない試験形態がある
慶應文系:小論文で古文・漢文の力もはかれるというスタンスからやらないところが多い
一橋:漢文の記述問題は必要ないから出さないというスタンス
東大理系:理系でもなぜか古文・漢文が重要だから二次試験に出すというスタンス
国を挙げて反日政策を取る敵国=支那 の文字,言語などクソと同じ。
漢文などの教師は,日本人の恥部だ。
さっさと,猛反省した方が良い。 >>63
おまえ、なにカンジなんかつかってんだよ
カンジはシナのモジだぞ。このバイコクドが。 >>64
ひらがな、カタカナって漢字の書き崩しや部分を取った文字なんですけど 俺は理系だから古文、漢文など不要だと思っていた。
その俺が今は論語を読んでいる。
なぜなら政治家になったから。
大局感を養うのには長い期間生き残っている考え方を
学ぶのが一番良い。
東大は政治家になる奴が多いから古文、漢文を
二次試験にも課しているのであろう。 日本に碌な政治家がいないのは論語を読むからかも知れない。 小沢一郎や安倍晋三など、日本の政治家に論語の愛読者は多い。
まあ政治家に限らず論語好きのご老人なんて珍しくもないが。
関連書籍はいつでも書店に平積み、司馬遼太郎と並ぶ高齢者のバイブルだろう。
むしろ共産主義の中国では徹底的に孔子の批判をしたせいで
日本ほど論語に親しんではいない。
最近は孔子の見直しが進んでいるとはいえ、
今の中国の指導者の儒教批判の最高潮のときに大人になった世代。
中国の政治家が一般に無能なのに対し、
日本の政治家が大局感(観?)を持ち優れた政策センスを発揮しているのは、
ひとえに日本人の論語愛読に由来するものではなかろうか。
『長い期間生き残っている考え』を国家指導者が熱心に学んだ国といえば、
前近代の朝鮮王朝や中華帝国だよな。
確かにこれらの国の政治家が近代において鋭い大局観を持って
見事に国難を収拾したことは、歴史が証明している。
同じように国難に直面する今の日本にとっても、
論語を熟読することで、
李朝や清朝の政治家のような大局観を養うことが、
切に求められていると思う。 前掲のレス中、「確かにこれらの国」以下の部分については勿論反語と言うものであります。
実際には李朝や清朝の政治家を見習わなくとも宜しい。 論語か。
民衆に論語の精神・建前がないから、
向こうの知識人は、特権的な感覚でよむんだなよ。
多民族国家を治める感覚で、
古典を学ぶのも一理ある。 漢文を読む前に日本語の文章力を鍛えた方が良さそうだな。 >>77
君にはそんなコンプレックスがあるのか。 どうでもいいが。 >日本語の文章力
なんてゆう抽象的な批判をするからつっこまれるんだろ。
自分も昔は論文の書き方なんていう本を読んだりしてみてたw
文体も、立花隆や柄谷行人の方が吉本隆明や加藤典明より好きだったが、最近はどうでもよくなった。
加藤典明の行きつ戻りつ同じ所をまわるような文章もまた良い。例えば「敗戦後論」
まどろっこしくて難解でも「300万の日本人の死者をまず弔え」ということは確かに伝わった。 >>81
文体以前に、明らかに舌足らずなレスってあるよな。
自分の思考を、筋道を立てて他者に伝える能力は
読書も含めて一定の訓練を積んでいないと身につかない。
>>76のたどたどしいレスには確かにそういう文章力の不足が伺える。
ま、いずれにせよコンプレックス認定はツッコミですらないけどな。w
理系であれ,文系であれ古文を学習する目的は
己を知ることである。
遠く過去の日本人の考え方・感じ方と比較することにより
時代に知らず知らずに染まっている自分を知ることができ、
また普遍的な変わらない部分も知ることができる。
これは一般化できることではなく、一人一人異なる個人的な問題である。
従って個人個人が古典に触れることによって個人的に解決していく問題なのである。
>>85
賛成。
アイデンティティというか
自分探しの役に立つ。
俺は、伊勢物語というナンパ古典にはまったが。 ヨーロッパは当然のことながらアメリカの大学でもラテン語を選択科目としてよく教えてる
自分の住んでる社会の文化の奥深さを知ることが大事だからだ >>87
それもあるが、
英語って、メッチャ不規則な言葉だ。
これは、多言語、つまり、フランス語・ラテン語などを知って、
やっと分かる。
漢文が理解できなきゃ、
「お前はもう死んでいる。」
状態だ。
アチャー。 特許とるときに自分である程度法律の書類読めないと大損こくぞ。
法律はある程度漢文の知識があると案外読める。 近代文学がいらなくね?
明治以降の小説家ってなんであんなゴミ屑みたいなのしかいねえの? 理系がセンター国語で点を取るためにある
古文・漢文がなくなって
評論50点随筆50点小説50点詩歌50点
こうなったらどうするよ
地獄だぞw 若いうちにどれだけ努力できたかを測るのが大学入試だろjk 漢文 教えてほしいです。
瑞氣集門 てありますが、
この前か後に、 天意 を付けたいのですが意味は通じるでしょうか。
前なのか後ろなのかどちらがいいでしょうか。
ご指導よろしくお願いいたします。 http://www.google.com.tw/search?q=%E6%A9%AB%E6%89%B9&hl=zh-TW&lr=lang_zh-TW&tbo=u&tbs=lr:lang_1zh-TW&tbm=isch&source=univ&sa=X&ei=Ws_RUPnMK-32mAWmgIHgCA&ved=0CD4QsAQ&biw=799&bih=410 東大は他の大学と役割が違うだろうな。
理系でも役人になるやつがいるし、公的機関に勤める人間も多いだろう。
古文漢文の素養がなければ、上流階級相手に会話なんぞ出来ない。
上層の連中は、ちょっとしたことを知らないだけで馬鹿扱いして見下すからな。
最低限のことはやっておかないと行き詰るよ。 小林秀雄やスピンスピンに足をすくわれても大丈夫なように
センターレベルの古文・漢文はしっかりと勉強するべきだ 何考えてるんだろう
小林秀雄のまねした、意味のわからない文章を日本中の大学生に書かせたいのかね 在日カルト宗教団体は、信者や敵対者に対して組織的な威圧、監視、嫌がらせを行い
マインドコントロールしなければ組織を維持、拡張することができません
そのため証拠を残さず、訴えられないように、集団で威圧、監視、嫌がらせを行う「ガスライティング」という手法が必要なのです
在日カルト教団がどのように信者のマインドをコントロールしているのか知って下さい
[ガスライティング 集団ストーカー カルト]などで検索を!
外国人工作員が隠れ蓑にしているのはカルト宗教団体
10人に一人はカルトか外国人.. >>94
地獄だよね
評論だけなら良いけど、小説が鬼門
センターで得点するために、むしろ漢文とか古文あった方が良いと思う 精読というのがある。
表面をよんだだけではわからないことがあるとわかる。
読解力のレベルがあがる。
どの分野も真剣に取り組むのは大変だなと実感する。 小林秀雄の文章は精読しないとまずわからない。
精読してもまだ自信がないが精読は必須。
その他の思想や古典や文学の知識も必須。 平安時代の貴族の暮らしを知ったりとか、昔の中国の人の優れた考え方や教訓を学ぶという意義があると思う。
ただ、言葉の意味や文法事項を暗記しても、大学以降全く役に立たないので、芸術科目のように受験科目からは外すべきだと思う。 医師ですが、漢方の勉強のために医古文を読むとき、「高校生の時にちゃんと漢文の勉強をしておけばよかった」と思う。 役に立たないとか言い出したら、全ての科目が不要だ。
特に文系なら、理科と数学。
いや数学は必要だろ、と言うかも知れないが、論理学で十分。
三角関数やら微積やら、放物線と直線の交点求めるやら、何の意味があるんだか。 かつてケンブリッジ大学の入試科目は数学とラテン語だけだったという。
それにセンター漢文は楽勝だよね 楽勝だし、しかも結構楽しいし。
語順にさえ注意を払っておけば、漢字は知ってるわけだし、それなりに読めちゃう。
しかも訓読すれば、それがそのまま日本語になるって言う驚異のシステム。
なんで理系が興味持たないのかも不思議なくらいだ。 漢文すら読むこと能わざれば、
トップたらん理系の資質なしと言わざるを得ず。
PS
「は」を「わ」と変換した。 俺も古文・漢文の文章を読むのは楽しいし、感受性を豊かにするのに役立つと思う。だから授業では扱うべき。
しかし単語や文法を覚えるのは苦痛だし、英語と違ってそれらの知識は受験終了後、「文系でも」全く使う機会は無い。だから少なくとも、それらを覚えていなければ解けない設問を出すべきではない。 理系なんて国から金沢山もらってるんだから
入試で変な問題出すくらいのことはやって問題ない
むしろ文系こそが可能な限り古文漢文有機化学といったやらなくてもいいものを極力削って
競争力を高める入試、講義に選択と集中すべきなのだ 本業の片手間に「中国説話文学とその背景」を書いた
志村五郎を見ると、漢文すらできないバカが数学を
やっても一流にはなれないんだなあと思う。 あほかと思う。
イギリスじゃ理系でも高校でギリシャ語とラテン語叩き込むんだっつーの。 そもそも知らなければ価値はわからない。
理系には古文漢文が必要ないという前提に立つのは無知無学のなせることだろう。
理系の学問が近代化以前の日本に無かったとでもいうのか。 >123
理系でも、源氏物語や論語を知っていれば、(感受性が豊かになるという意味も含めて)役に立つ機会はあると思う。
だが、あの文法事項や句法は、覚えても全く役に立たない。時間の無駄。
授業では現代語訳してある文章を扱うべきだし、入試もそうするべき。もしくは入試科目から外すべき。 自然史の資料を読むのには古文漢文の知識は必要だよ。
たとえば地震の研究に宝永大噴火や安政大地震の資料は必読だけど
現代語訳どころか活字化もされていない資料だったらどうするの? >127
そういう文章・資料を現代人が読めるように、解読し、現代語訳するのは文学者・研究者の仕事。
じゃあ気象について知識の無い素人が、前線や等圧線の書かれた天気予測図を、明日の天気が知りたいからと言って解読する能力が無ければならないのか?それと同じ。 >>127
あなたは自分の研究分野の英文資料の翻訳を文学者や言語学者に依頼
しているの?
素人に能力はいらないけど、プロなら必要になる場面はある。
医療裁判では弁護士に理系の学歴が無くても、最低限の医学を勉強し
なきゃいけない。僕文系だからダメですは通じない。 古文献記録の解読に関して専門家に任せるのは別に非難されるようなことではないと思うが。
弁護士でも裁判で利用する医学の専門的な判断を自己の責任のもとで下せるわけじゃない。
医者に諮問して判断を仰ぐことが必要。
自主的に医学を勉強した弁護士に自分の病気を診てもらおうと思う人間はいない。
自分の領分をわきまえ、プロとして自分が提示できる知識と、
アマチュアとしての立場しか主張し得ない知識とをきちんと峻別するのがプロ。 知識や規則(古典文法や訓点)を踏まえてそれを応用する(解釈する)能力は
分野に関係なく重要
文系に進むヤツでも基礎的な数学や物理をやるべきなのと同じ
ただし一生下積み階級に甘んじるつもりの人間にとってはどっちも無駄 「知識や規則を踏まえて応用する能力」という風に目的を一般化してしまうと、
それをつちかうための手段として特に漢文を選択すべき理由がなくなってしまう。
フランス語でも簿記でも囲碁でもそうした能力の要請には間接的に資するだろう。 それなりの伝統(寺子屋など)があるので、
教材が吟味されているとか、効率的な教授法が確立している
というのも利点ではないか。 >129
理系だろうが、英語が読めなければならないってのはその通りだと思う。
だが、昔の日本の文章を解読できなければならない理系分野は少ない。物理も化学も数学も医学も、外国人による功績が大きいし。
それなら古文なんかより、第二・第三外国語のが重要だと思うが。
日本の古代語が必要な道に進むのなら、その時覚えればいい。 だな。>>127みたいな主張だと
フランス語ドイツ語ロシア語なんかも
漢文以上に勉強する必要が出てくるぞ
場合によっては英語以外の言語で書かれた
(古い)論文読まなきゃいけないことがあるからな 古典っていうのは、そんな文献を読む必要があるから勉強するものではないのにね >137
分かってる。平安時代の人々の暮らしや文化、古代中国人の、今に通ずる優れた教訓・訓話など、大いに勉強するべきだと思う。
このスレの本旨とは異なるかもしれないが、理系でも、学ぶ必要がある、と思う。
俺が言いたいのは、文法・語彙を勉強する意味の無さ。情操教育に全く役立たない。 「何の役に立つのか」と知識の利得を問う人間は孟子梁恵王の時代から常にいるものだな。 音楽や体育や美術は理系にとって、いや文系にとっても何の役に立つのか 音楽→人々の生活に普通に必要とされているもの
体育→健康維持や緊急時に避難行動をとれるようになど基本的な運動能力を身に着けることは普通に大切。あと体を動かすことはストレス発散になるから運動方法を身に着けることは大切。
美術→絵を書く能力や物を作る能力は普通に人生においても社会人としても必要。 古文漢文を学ぶ目的は、結局のところ日本語能力の養成にある。
和語と漢語からなる日本語の語彙に対するセンスを磨くにも、
和文と訓読文を融合させて作られた日本語文の呼吸やリズムを掴むにも、
古文漢文を読むことは極めて重要。
ただ、日本語を使って人に意見を伝えたり、知っていることを教えたり、説得したり交渉したりすることを
求められる予定のない人にとっては、文系でも理系でも必要ないスキルではある。
理系であれ,文系であれ古文を学習する目的は
己を知ることである。
遠く過去の日本人の考え方・感じ方と比較することにより
時代に知らず知らずに染まっている自分を知ることができ、
また普遍的な変わらない部分も知ることができる。
これは一般化できることではなく、一人一人異なる個人的な問題である。
従って個人個人が古典に触れることによって個人的に解決していく問題なのである。 それなら現代語でも良いんだよ。
のみならず英文学や仏文学でも
「イギリス人の考え方・感じ方と比較することにより
時代や民族に染まっている自分を知ることができ云々」
などと言える。
むしろ自己を相対化し自己を客観的に認識する視点を獲得するためには、
自文化の古典より異文化の思考を知ることの方が有用だろう。 理系でも、欧米の大学で研究して発表も論文も講義も英語オンリー、
日本語の文章力のスキルは一切必要ありません!
という研究者になる予定の子は古文漢文は必要ない…と言いたいところだが
自分の個人的な経験を言えば、半年ほど前に米独の研究者と一緒に飲んだときに
「源氏物語」の話題が出て、当然のごとく日本人である俺に話を振られて冷や汗をかいた。
数学者や生物学者で、しかも外国人なのに、奴らは普通に読んでる。むろん翻訳でだが。
実際のところ、あっちの研究者は教養主義的な気質が根強いので
文学論哲学論が普通に科学者同士の雑談のネタになるし
そういう時に座に日本人がいれば源氏物語や俳句や正法眼蔵についてこれ幸いと話を振ってくるし、
そこで何も答えられないと結構恥ずかしい思いをする。 >>138
>文法・語彙を勉強する意味の無さ。情操教育に全く役立たない。
あのさあ、情操って、言語によって成り立つものなんだよ。
君の言い方は、「コメってマズすぎ。腹一杯にならない」って言ってるのと同じなんだけど。
147と似た話なんだけど、
俺はドイツ人の工学部生の集まる寮で「ラテン語は美しい!」「そうだそうだ」ってのを見てるんだよね。
だから、日本の理系の学生が古典を軽視する感覚は異常に思える。 ヨーロッパではラテン語が今でも学術語で使われてるからじゃねえの。 >>146
馬鹿が(プッ
現代語で読むということは、翻訳者の解釈が入ることになり、
自分の視点で読む事にはならないということすら
理解できない知恵遅れ(嘲笑)
しかも、現在の自己と連続性のある自国の古典であるからこそ、非本質的な要素に
邪魔をされずに相対化できるし、特に他民族からの征服がなかった日本は、純粋に
古典を読む真価を得られる貴重な環境であることすら理解していない死んだほうがいいクズ(爆笑)
これだから、古典を読まないお前は
チョンやチャンコロ並に馬鹿なんだよ(爆笑)
あはははははははははははははははははははははははははは >>148
>そこで何も答えられないと結構恥ずかしい思いをする。
恥ずかしい馬鹿のお前が恥ずかしい思いをするのは当然だろうが(爆笑)
あははははははははははははははははははははははははははははは >142
古文や漢文の、「内容」を勉強する意義はあると思う。でも文の規則や語彙は覚えても無駄だと思う。
>143
理系は理数系科目が大変だから古典なんか勉強したくないって気持ちはよく分かるが、高校を卒業すると古典を勉強する時間なんか無いんだよね。
思春期にああいった文学作品の、「現代語訳」に触れておくのは一興かと。 思えばなんでこういう高校や中学で習う科目の必要、不必要がもっと議論されないんだろ。 >>153
理由は簡単なこと。
不必要をとなえる奴は馬鹿しかおらず、議論になっても即論破されるから。 >>153
学習することに意義はあるのだから
議論されないのだろう?ではなく
なぜ、中学・高校の教師は学習することの意義を、
個人の経験を踏まえて語らないのだろうと問うべき。 古文漢文が必要だと思う人は
偏差値や研究力が下がっても必要だと思うの?
入試に古文漢文いれて
入れてないところと競争したら
偏差値や研究力が下がるのは自明だけど >144
それなら現代語を使って自分の意見を論述したり、発表する訓練を積む方がよほど実用的。文法など無駄な要素にエネルギーを割く必要も無い。
>147
有名な文学作品の「現代語訳」を読んで内容を理解しておけば良い。原文が読めないからといって恥をかく事はまず無い。 >>156
>古文漢文が必要だと思う人は
>偏差値や研究力が下がっても必要だと思うの?
>入試に古文漢文いれて
>入れてないところと競争したら
>偏差値や研究力が下がるのは自明だけど
------------------------------------------
朝鮮人丸出しの日本語(爆笑)
しかも発想が、馬鹿。
古典の無い支那・韓国が劣等国であることが
自覚できていないのか?
この知恵遅れ(プッ
あはははははははははははははははははははははは >>152
>>157
古典を読む意義が全く理解できていない
朝鮮人・支那人並みの知恵遅れ(爆笑)
これほどの馬鹿も珍しい(大爆笑)
あははははははははははははははははははははははは >>157
現代語だけだと、日本語に対する理解にもおのずと限界があるだろうね。
そもそも言語は語意にせよ文法にせよ、一定の決まりの上に成り立つ記号体系だけど、
その決まりは自然言語においては歴史的に蓄積された用例によって定まる。
現代日本語の書き言葉は、江戸の口語に古文、漢文、欧語の翻訳文を融合させて
百年ほど前に人工的に作り上げられた言語で、まだその歴史は浅いから
多くの語彙は古文漢文のそれを継承しているし、その用法は和漢の膨大な古典籍に支えられてる。
歴史的にどのように使われてきたかという視点なしに、語の質感をかぎ分ける繊細な感覚は養えないよ。 正直文系も古文漢文とかやめたほうがいいよ
一般の受験生や教員にはは英語などに集中させて
大学のコンピテンシー自体を高めたほうが
国内生え抜きの古典研究のレベルもあがるし
漢文の場合中国からの留学生や中国語に長じた人間も育成効率がよくなるので漢籍研究の水準は更に向上する