「神への誠実」というキリスト教の倫理が、
まず神学体系としての中世スコラ哲学を発達させ、
それが科学や近代合理主義を産み落として
キリスト教自らを批判してゆくというのが、歴史の流れだね。

ガリレオにしても、自分の考えが異端やだとはさらさら思っていない。
教皇庁の見解を否定することが信仰の否定だとも思っていない。
「教皇庁よりも神の意思を正しく理解している」と思っている。
神の意思を正しく理解すること、それが初期科学の動機。