さいご。あ、晋代てのは東晋ね。

『荘子』雑篇・盗跖篇の主人公・盗跖は極悪人でありながらも深い教養と高いカリスマ性を持ち、
諌めるべく訪れた孔子をコテンパンに言い負かすのだが、彼の極悪人のサインとして
「人間の肝を膾斬りにして食べていた」(膾人肝而餔之)り、「とっとと帰らねえとお前(孔子)の
肝を昼餉のおかずにするぞ」と脅す(疾走歸! 不然,我將以子肝益晝餔之膳)描写がある。

これらの記述は人肉食が必ずしも中国で普遍的な文化でなかったことの証拠でもある。
でなくてはこれらの描写が全く意味をなさなくなるからね。

翻って盗跖が、子路が塩漬けにされた件に触れたときには「衛君を殺そうとして返り討ちに遭い、
死体を東門に晒される羽目になったのは、子路の乱暴狼藉を押し止めたはずのセンセイの教育が
結局は至らなかったせいだ」(子路欲殺衛君而事不成,身菹於衛東門之上,是子教之不至也)
と指摘するのみで、塩漬け肉については全くのスルー。

もしも孔子が塩漬け肉を好んでいたという言い伝えがあったのなら、その真偽は別にしても
盗跖、いやさ人肉食タブーの時代の『荘子』雑篇の作者たちが見逃すはずがない。
直接的に書く事はできなくても、『礼記』程度に触れることは可能だったはずだが、それすらも無い。

ならば「孔子の人肉食など疑いすら無かった」と考えるべきだろう。以上、長文失礼。