炙(しゃ、人肉の焼肉)、脯(ほじし、人肉の乾し肉)、醢(ししびしお、人肉の塩漬け肉)が人肉の三大料理法として中国の正史に記録されている。

殷本記によると、紂王を諌めた翼侯は炙、鄂侯は脯、九侯は醢にされた。
春秋時代に、桓公が「赤ん坊の蒸し焼きを食べたことがない」というと、料理人の易牙が自分の息子を蒸し焼きにして食べさせた。
知事が訪ねてきたので、料理をしていると娘が油鍋の中に飛び込んだ。父親が娘の丸揚げを知事に出したところ、知事は大感激、父親を役人に取り立てた。
三国志演義では、漁師の劉安が愛妻を殺して料理し、劉備一行に出した。
国共内戦のころ、共産党軍の捕虜になった国民党軍の食糧袋から人肉が出てきた。
文化大革命のころ、飢えた人々が人肉を食べていた。