漢字の異体字について語るスレ
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>>52
それらしい字が書籍に使われているのを見た事がある。
大正末期に出版された本に、一画少ない「玄」の字が通常の字と
混ざって使われていた。目立たない最後の一画だから気付かない人
も多いと思う。大正末期になっても康煕字典の影響があったと
いう事か。
巻頭に、震災によって出版が遅れた事に対するおわびが書かれていた。
どうやら複数のメーカーの活字が混ざって使われたようだ。
よく見ると、「玄」以外の字もわずかに形の違う字が混ざっている。 テレビで安部晋三総理の自筆署名を見た。
「安」の字が五画の字形だった。一画目と四画目がつながって
減画された字形だ。これは明治頃までは当たり前に使われていた
字形だ。
http://sf.zdic.net/sf/ks/1225/c47df9dc769a6132dc3a4ea7e99f276a.html
安部総理本人はこの字についてどう思っているのだろうか。
これは「安」とは違う特別な字だと思っているのか、それとも
「安」という字にはこういう書き方もあると思っているのか。
後者である事を強く願う。総理大臣ともあろう方はそういう
教養を持っていて欲しい。そして、マニフェストあるいは
政権公約の類でこの字を書いてほしい。「安全保障」とか。 >>54
普通に後者でしょ
ちょっと書に興味のある人なら誰でも知ってるわな
>>54-55
ほぼ間違いなく後者だろう。総理本人に直接訊いたわけじゃないから確証は無いが。
だが世間一般はどう捉えるだろうか。
残念ながら書に興味の無い人が圧倒的に多い。
殆どの人は違いに気付かない。ごく一部の人が気付いて騒ぐ。
小学校教師:「総理大臣が誤字を書くとはけしからん」
客商売の業者:「総理大臣の苗字はパソコンで出ない特別な文字だ。
失礼に当たってはならないから作字せねば」
勝手に勘違いして一人で恥をかくだけならいいが、周りを巻き込む場合が
あるから面倒だ。小学校教師などは○ネッセあたりの学習参考書に書いてある事が
絶対に正しいと思い込んでいる。 筆という漢字は竹と棒があり、さらに、七八九画目の部分が手を表しているらしい。
一方、雪と言う漢字がある。この字はもと、ヨの真ん中の横棒が突き抜けていたらしい。つまり、筆と同じ、手を
意味する形だったとか。
雨は手でうまくすくえないけれど、寒いときに降ってくる雨のようなものは、なんと手ですくえるではないか。
こりゃすごい、と言うわけで、雨と手で雪になりましたとさ。
とか言う話は面白い。
当用漢字とは当面用いて良い漢字と言うことで、GHQの占領下で決められたもの。
本来の漢字は戦前までさかのぼって教えられることが、日本を取り戻すことにつながるのだろう。 >雨は手でうまくすくえないけれど、寒いときに降ってくる雨のようなものは、なんと手ですくえるではないか。
>こりゃすごい、と言うわけで、雨と手で雪になりましたとさ。
これは大嘘だけどな 本来の漢字って何?
もしかして、旧字体(いわゆる康熙字典体)のことか?
んなもん、明治33年に国語ができたときから当用漢字制定までの短い間で教育漢字に採用されただけだよ
本来の伝統は異体字にあるんだよ
たとえば、新字体の弁
辨、辯とかをひとまとめに弁にしやがって、けしからん!って康熙字典体厨いいおるけど、
当用漢字のときに作った略し方ではなく、江戸時代には通用していた使い方
新字体のほとんどは、そういうのを採用している
そういう意味では、康熙字典体よりも伝統的で一般的によく使われていた生きた漢字と言えよう
ttp://i.imgur.com/1jHER2X.jpg
もちろん、そういう見方したとしても難有りな新字体もあるけどね(芸とか) >>61
ttp://i.imgur.com/E00IUks.jpg
画像こっち(笑)
>>60
正しい?解説はまだ?
で、
字体の話なんてしてないんだが。
国語って明治33年までなかったのか…知らなかった(笑
国語よりは國語が好きだけどな。 >>63
おれは>>58ではないが、横から言わせてもらうと、俗説の域はでんな
甲骨文字では、雨の下に羽の形だからね
64さんでもないが、説文解字の篆書は64の言うとおり、雨+彗だったと思う
そこから真ん中の部分が略されて、今の「雪」になった
ちなみに、手を表すヨの部分は、唐代楷書から手書きでは殆ど突き出ないで書かれてるよ(書道字典とかで調べてみるとよい)
康熙字典体が特殊なだけ
正式に國語という形になったのは明治33年8月からで、教育に康熙字典体を多く採用した漢字教育が行われるようになった
清の皇帝の勅命で作ったってだけで、やたら漢字学者に重宝されてる康熙字典(笑)
それまでの教育を受けた夏目漱石は略字や異体字だらけで書いているが(それが一般的)、国語ができてからの教育を受けた太宰治は康熙字典体だらけで執筆してる
両方とも『直筆で読む「ぼっちゃん」』『直筆で読む「人間失格」』って本が出版されてるので確認してみるとよい
んで、字体の話でなければ、本来の漢字って何のことなのかね?
一応、(康煕)字典体=旧字体=正字=繁体字<=>簡体字、と言うわけだが、康煕字典の抱える多くの矛盾解消を図って、
康煕字典⇒説文解字⇒甲骨文、とさかのぼったところで、楷書においても正俗の区分はどうせいい加減になるしかない。
字体の正誤の話は不毛だし、字体の話はしてないだろう?
過去に使われたすべての漢字は尊重し、使いやすいものを使っていけばいい。そのときに、六書は漢字に親しむ上で重要。
歴史と似たようなもので、所詮漢字の成り立ちは仮説でしかない。だからどんな会意だって面白ければ受容すればいい。
一本に絞るのは馬鹿らしい、と言うか、科学的に考えれば、すべての仮説に可能性がある。
大辞典もよし、藤堂さんもよし、白川さんもよし。康煕字典の矛盾は矛盾で一向かまわない。一画少ない漢字も同じ漢字と考えるのが
、当時のしきたりを考えれば、尊重されてもいいだろう。
と言う話。 他人にまぎれる形で俺に敵対的レスは出来るけど、
ここみたく俺にレスしてるのがお前だと確定する形で俺に向かってくる事は出来ないとWWW
そーいう事かw
俺が怖いし勝てないてことだよね
そりゃ今までお前が複数で向かってきても俺を圧倒した事はないからねw
何か勘違いしてるがお前が俺を見失ってからこの板にずっといる訳でもないからな 異体字は杉本つとむ氏の本がおもしろいね
漢字の歴史は異体字の歴史といっても過言じゃない
長い漢字の歴史で、一番多く書かれているのは異体字だろう
康熙字典体は基準であって伝統ではないわな
>>71
誰と何を争ってんだ(笑)
鉛筆やボールペンではしご高を書いてみた。するとこっちの方が口高よりも
形が整いやすく、慣れると早く書ける。先人の智慧とはこういう事か。
はしご高は特別な人名を書く為にしか使ってはいけない特別な文字、という認識
が今では一般的だ。玄という字は玄Y帝の御名を記す以外には決して使っては
ならない、というのに似ている。
これでははしご高が哀れだ。みんな、積極的にはしご高を書くようにして
はしご高の市民権を取り戻そう。
はしご高以外の異体字も。 「使ってはいけない」じゃなくて「使う必要のない」だろ 手書き字体と印刷字体は別という概念がなくなっちゃったからね
受験漢字の弊害だね
辞書に載ってる字体、康熙字典体こそ正しくて、他は誤字とすら思ってる
国語の先生ですら思ってるからね
漢字テストのふしぎ
ttps://youtu.be/FvdIbH0qtu4
事故などで脳に損傷を受けたり、何らかの発達障碍などで文字を読む事が
苦手な人で困っている人がいるらしい。
何かで読んだのだが、ゴシック体なら読めるが明朝体は苦手、といった
傾向があるらしい。それだと手書きの字はほとんど読めないだろう。
我々は電卓の7セグメント数字すら当たり前に読める。実はこれは素晴らしい
事なのかもしれない。
異体字の迷宮とまったく無関係では無いと思われる。 うんこと言えば、トンスル。トンスル知らない人はググレ。朝鮮人にはうんこ食い文化の伝統がある。
中国人は、朝鮮人を 高麗棒子 という。 意訳すると 日本の犬 となる。
日本人は 朝鮮人を トンスル民 という。 意訳すると うんこ文化の人 となる。
中国人は、日本人を 日本鬼子 という。意訳すると、
「鬼」は霊魂などを表わすが、一方で畏怖の対象となる。「鬼神」で
一つの単語になっているように「鬼」は「神」と同じ性質をもつ語となる。
「神」はGODの意味だけでなく、異能・力を示す。
「子」は孔子、孟子のように敬称を表わす語、尊称としてある。
つまり、意訳すると、
日本鬼子=日本鬼神(日本、ああ恐れ多き者よ、かしこみ かしこみ 申す)
となる。中共は、文革で知識人殺しまくり、今の中国は字義を知らぬ劣化教育を受けた字盲で、そこで何が言われているのか分からなくなっている。(民族劣化現象が確認されている)
ちなみに朝鮮人は 日本人を 倭猿 という。
朝鮮人は、そもそも語彙も使える漢字も、その発達段階において制限されているので、貧困な発想しかなくて憐みのみを感じる。すべてにおいてセンスがない。
ちなみに現在韓国人女性の25人に1人は売春婦の計算となり、韓国国内だけでなく世界中に売春婦を送り込んでいる。今世紀の朝鮮人の新たな称号は、世界のビッチか?
ちなみに朝鮮という語は、「朝」で「向かう」 「鮮」で「あざやか」
の意味があり、「あざやかなものへ向かう」の意味であり、「中華」に向けての
事大思想がそのまま国名、民族名、地名に表われたもので、万年属国主義を表に表わしたものだ。
中国に向かったり、日本に向かったり、アメリカに向かったり、忙しいことで。w >>77
このコピペ作ったやつ、こんなんで人を騙せると思ってんのか? アジア投資銀行
「お客様の中にバスを運転出来る人いませんかーー」 オグラと読む人名に小椋・小掠という非常に紛らわしい変種がある。
おそらく、歴史的にはどちらかが正統表記でもう片方は後から派生した誤記ではないかと。
サイトウさんもそうかも知れん。 >>80
手ヘンと木ヘンはよく入れ替わって異体字になるよ
行書で書くと非常によく似るから
禾ヘンと示ヘンも(秘がそうだね)
「斉(齊)」の音読みは「セイ」
「斎(齋)」の音読みは「サイ」
つまり、後者の方が「サイトウ」の元になっている。
「斎」は鎌倉初期に「齋(サイ)」の略字として書かれ始め、江戸時代にはさらに略されて「斉」となる。
つまり、江戸時代で、「齊」の略字としての「斉」が生まれるわけ。
一方、「齊(セイ)」も、鎌倉時代、江戸時代と略されて「斉」になり、「齋(サイ)」の略字と字体が衝突する。
ということは、江戸時代では、「齋藤」の略字として「斉藤」と書いていた可能性がある。
その子孫が「斉」を「齊(セイ)」の略字と勘違いして正字意識により「齊藤」と名乗るものが出てきた。
こうして、「齋藤」「斎藤」、「齊藤」「斉藤」と現在4種類の名前が存在するようになったというわけ。
三越の「○越」と共に書いてある文字は「三 赱戊」にだが、
決して、島屋のようなことにはならなかったよな。
>>80
手偏のほう、盗人みたいで嫌だとは思わなかったのだろうか。
>>81
「小」の有無は、地域分布がある感じがする。
明治時代に平民が氏を名乗るときにどれをとったか、なんだろうかね。
齋齊は、5画目からの「Y」を「了」のようにする異体(戸籍用文字にある)があるが、
齋斎齊斉のいずれでも手書きの場合にみられる最後の縦棒をはねた活字はみたことない。 >>82
三越の例は気付かなかった。書道、タイポグラフィーの世界は奥が深いね。
ロゴと文字の違いをわきまえているという事だろう。
第一パンのロゴの「第」は略字だ。だがそれが正式な表記だとは主張していない。
企業名がJIS第1、第2水準で表記できないと企業活動に著しく支障をきたす。
タカシマヤとヨシノヤは例外。
セッケンやタンスを商売にしている企業は正字で表記するのに第3水準が必要で気の毒。
鹸、箪の俗字と正字をフォントの違いとしておけば丸く収まったのに、正字を
第3水準に追いやってしまった。 康煕字典体と楷書体を同じ字と認めない莫迦。
市役所の莫迦が字が違うから火葬許可が出せないと言っている。
文字の読み書きのできない文盲の癖に全く……。
それに対して言い返せない葬儀社も莫迦だ。 84の続き。最近の具体例の一つ。
廣という字のマダレの中身が黄か黃かの違いを字種の違いと信じている。
同じ字だと絶対に認めようとしない。で、「パソコンで出ない方の旧漢字のヒロ」などと
言っている。黃という字について知らないから、「中がキイロのやつ」、「中がトラのやつ」
という言い方をする場合もある。黃が寅と似ているからそう思うのだろう。 廣の楷書体は本来14画である事が望ましい。
だが、windowsの楷書体フォントでは15画の康煕字典体の字形になっている。
もっとも、何かのアプリのおまけで付いてきている楷書体フォントしか知らないのだが。
もし14画の楷書体字形になっている楷書体フォントがあったら教えてほしい。
簡体字フォントSimSunでは14画の楷書体字形になっている。 印刷の世界では、大昔から正字体(ここでは康熙字典体に準ずるもの)で印刷されてきたのだよ
その流れを汲んで、常用漢字・人名用漢字など以外は、現代でも康熙字典体を採用するのが基本
印刷字体と手書きの字体は別という意識が昔はあったので、本来なら今もそうあるべきだがね
>>85
手書きの楷書では「黄」が普通だがそんなこたあどうでもええのにね
バカすぎる >>92
簡体字の中には歴史的に使用された異体字ですらない略字も多い そもそも異体字が正式な公用字として採用された例は、
中華人民共和国建国以前あるいは1948年以前の日本においては一度たりとも無い そもそも正式な公用字を定めたのがそれ以前にないでしょ >>94
大正12年の常用漢字表には、略字表というものがある
昭和6年の常用漢字表にも発とか尽とか略字が採用されているで
しかも「『注意』本表ニオイテハ()ヲ附シタ原字ヲ捨テ、コレニ對スル簡易字体ヲ一般ニ採用スル積デアル」と書いてある
つまり積極的に簡易字体を使うことを推奨してる
澁→渋なんか略し方がテキトー過ぎんだろw
あと壘→塁とかも >>97
行書の略し方だよ
行書では漢字内の繰り返しも記号化するが、それを楷書にも及ぼした略し方
罐と缶の関係って
・舊字體と新字体の違い
・同音の漢字による書きかえの結果
どっち? >>99
一部分を取るように略したら音も意味も別の字とかぶっちゃったってやつ
藝→芸みたいな
英語のcanに音を当てた罐を略した缶が、別の音と意味を持つ缶(フ)と衝突した
結論
漢字の簡略化は単なる愚行
楷書繁体字と草書で充分 >>99
罐(フ)は液体を入れる容器だったためcanの意訳にあてたもの
(ただし罐は金属製ではなく陶製)
罐をカンと読んだり、缶と略すのは日本人だけ おっと>>105は間違えた‥
>>99
罐はカンだし、液体をいれる容器でもあったのでcanの訳語にあてられた
(ただし罐は金属製ではなく陶製)
罐を缶と略してカンと読むのは日本人だけ >>104
新字體しか讀めん中二の君の爲に配慮してやったのだが不服かね >>106
やっぱ、明治の文豪たちが充てて使い始めたのが定着したのかなあ
>>109
罐の字を訳語に当てたのは支那人だろうし、
缶と略してカンと読んだのは漢字の音符にもひとつ詳しくない日本人ならではだろう 常用漢字制定時から、缶が新字体で採用されたのだが、元別字だから、採用に躊躇はあった
ただ、パブリックコメントをもとめたところ、罐よりも缶を使用する人が八割を超えたため、缶の方を常用漢字に採用したそうな
当時すでに定着していたんだろね
いつから定着し始めたのかはわからんが、調べてみるかな
略字が別字とぶつかると言えば‥
齋藤さんの齋の字も斎と略されてきたが、斉と略すのもある
しかし斉は、別字の斉(セイ)とぶつかってしまっている
戸籍簿にも斉藤さんは多いが、戸籍にはふりがながあるわけではないから世の人がサイトウと読んでも、戸籍係としては文句を言わない
(戸籍名が林檎の子供を親がアップルと呼んでも役所は文句を言えない。キラキラネームの所以である。)
大体、漢字の読み方は法令で定められているわけじゃないのだから、役所は云々言えない
ただし、結婚により新夫婦の戸籍が作られる際に、それまで親の戸籍が齋藤でも今度は常用漢字である斎藤に変えることはできるが、斉藤には変えられない(別字だから) 「斉(齊)」の音読みは「セイ」
「斎(齋)」の音読みは「サイ」
つまり、後者の方が「サイトウ」の元になっている。
「斎」は鎌倉初期に「齋(サイ)」の略字として書かれ始め、江戸時代にはさらに略されて「斉」となる。
つまり、江戸時代で、「齊」の略字としての「斉」が生まれるわけ。
一方、「齊(セイ)」も、鎌倉時代、江戸時代と略されて「斉」になり、「齋(サイ)」の略字と字体が衝突する。
ということは、江戸時代では、「齋藤」の略字として「斉藤」と書いていた可能性がある。
その子孫が「斉」を「齊(セイ)」の略字と勘違いして正字意識により「齊藤」と名乗るものが出てきた。
こうして、「齋藤」「斎藤」、「齊藤」「斉藤」と現在4種類の名前が存在するようになったというわけ。
手は分かる、象形文字の元の時の又を見ても又にならんだろ?
?までは分かるが、又←なんでくっつんだよ
1画目の「フ」が手で、「?」が手首? 手は分かる、象形文字の元の時の又を見ても又にならんだろ?
屮までは分かるが、又←なんでくっつんだよ
1画目の「フ」が手で、「\」が手首? 点画をはっきり書く楷書とはそういうものだからとしかいいようがない
星座に比べるとマシだろ
なんで二つの星を繋いだだけで子犬座になるんだよ、みたいな
手書きで書きまくって面倒くさくて省略した結果、あの形になったんじゃ無いのか・・・
20回くらい手書きしてなんとか納得したのに >>120
篆書から隷書になるとき、隷書って木簡とか竹簡に書くやん
当時紙じゃなかったから
木目や筋が縦にあって、紙に書くようにサラッと書きにくいので扁平で横に大きく払ったりする、波磔が特徴になる
狭いところに速記も求められるので、大きく点画が省略されるようになる
この変化を隷変という
そこから、もっと崩したのが草書や行書
読みにくくなったのを反省したのか、点画をはっきり書く楷書が生まれた
つまり、手の篆書フォークみたいな形は木の木目に逆らって速く書くため又に変化した
舊字軆を遍く网邏したATOKのフリー辭書てなゐもんか 今朝の朝日新聞。
スキージャンプ高梨沙羅選手に関する記事で、はしご高ではなく通常の
印刷標準字体のくち高が使われていた。以前ははしご高だったのに。
何らかの苦情に対応してそうしたのではないかと推測。
個人的には、はしご高もくち高も同じ字だと認めたいので、これは歓迎する。 今度の指針案見てみると、土吉と士吉の区別がなくなった同字
はしご高も許容して欲しいんだけどねえ(今回の案では異体字)
http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/shoiinkai/iinkai_22/pdf/shiryo_2.pdf
吉についてPDFのページで98ページ135ページ
高についてPDFのページで89ページ145ページ
漢字文化のよくわからなかった外資系のIBMの人がはしご高を別字と勘違いしたのが元凶。
立崎もそうだ。 筆で書かれた小さな字を見ると高・、奇・竒の区別はつかないものだ
見間違いから異体字が生まれたのだろう >>133
奇
上が大なのは、説文解字の篆書のみで、唐篆(篆書)、前漢の馬王堆帛書(隷書)以下ほぼすべて立の形になっている
明の時代の『字彙』が説文篆文を根拠として大を正字として採用
それを継ぐ形で清の『康煕字典』も大の方を正字とした
日本もそれを継ぐ形で大の方を採用した
しかし、支那も日本も歴史的に書かれてきたのは断然、立の方
高
これも、説文解字の篆書のみ口の形で、甲骨文字の時代からずーーっとハシゴの形
奇と同様に『康煕字典』が説文篆文を根拠に高を正字として採用、それを受けて日本の常用漢字に採用
説文解字の篆書体は、著者の許慎が思想や考えを元に勝手に作った字体が多く、その当時に存在しなかったものも多い
甲骨文字が当時発見されていなかったので、一番古いちゃんとした字典は説文解字しかなく、康煕字典などは説文解字の篆文を根拠にするしかなかった ベネッセのCMが酷い。
「雨」の右下端はハネなければならない。
「正」の第3画は縦棒に接触していなければならない。
「男」の下側は刀ではなく力でなければならない。
こういう考え方が無用な異体字を作り出すのだ。 受験とか公文書とか考えるとある程度の規範は必要なのだよ
正字が生まれたきっかけもそのような理由だ
それでも、先日ある程度の許容が示されたので、その許容は遵守されるべきだね
その許容さえ無視した教育をするようじゃ終わってるけどな
>>137
これね
これには俺も反感あった
でも、受験に際して、どの学校がユルいかどうかわからんから厳しくした方が無難で仕方がないのでは? ベネッセがあらゆる全てのフォントベンダの全ての教科書体を調査してあれを作ったのだとしたら、それはそれで立派な物だ。
だがそこまで完璧を目指してはおるまい。
たった一つでも例外があったらアウトだ。 「なぜ漢字のハネ・トメ・ハライを正しく書く必要があるか」と小学生に質問したとしよう。
かなりの割合で「漢字テストで減点されない為」という答えが返ってくると思われる。
ついでに、「テスト以外では好き勝手に書いている」と言う奴もいるだろう。
小学生だって莫迦ではない。
しかし、ごく一部に訳のわからん規範を疑わずに本気で信じる奴がいる。 この前文化庁が示した許容の指針を教育現場でも徹底して欲しいね
>>9
ほんそれ
しかもハングルとは仮名以下の発音記号だから変なリエゾンとか起こすし
ラ行がナ行やア行になったり
わかりにくいったらありゃしない 这样不是更好吗?
這樣不是更好嗎?
それは良いことではないでしょうか? ちんおもーにわがこーそこーそーくにおはじむることこーえんにとくおたつることしんこーなり 民間企業が勝手に作っている学習参考書をあえて肯定してみるのも面白いかも。
A社の参考書ではトメと書かれているがB社の参考書ではハライと書かれている。これはどういう事か、と問い詰める
どこの参考書にも交わるか交わらないかという記述がない、という事はこれは自由だ、と主張する。
という事で、興味のある方は様々な参考書を買いまくる事をお勧めする。 文化庁の指針案をどうとらえるのか、各参考書・教科書出版社の見解が知りたい
佛說摩訶般若波羅蜜多心經
觀自在菩薩行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空度一切苦厄舍利子
色不異空空不異色色即是空空即是色
受想行識亦復如是舍利子是諸法空相
不生不滅不垢不淨不摯s減是故空中
無色無受想行識無眼耳鼻舌身意
無色聲香味觸法無眼界乃至無意識界
無無明亦無無明盡乃至無老死
亦無老死盡無苦集滅道無智亦無得
以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故
心無罣礙無罣礙故無有恐怖
遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸佛
依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多是大神咒是大明咒
是無上咒是無等等咒能除一切苦真實不虛
故說般若波羅蜜多咒即說咒曰
揭諦揭諦波羅揭諦波羅僧揭諦菩提薩婆訶
般若心經