漢文学における食人について語るスレ
平安末の飢饉の時に鴨川の河原で人食ってた話は当時の貴族の日記に出てるぜ >>12
ほぼ同じ時代の資治通鑑に人肉相場の記述があるぞw
平時でも食ってる中国の場合
薬ですらないw いや、中国でも人肉が食われるのは飢饉とか戦争とか例外的な状況だけだよん >>14
両脚羊とかって平時でも食ってるよ
甘いよ
日本の古典ばっかしよんでんのか
資治通鑑の人肉相場はガチ
宋の時代食用人間が飼われてた 食用人間?資治通鑑にそんな記述はないよ。
ネットの嘘情報を鵜呑みにしちゃう前にちょっとソース調べてみようぜ。 中国で史料上確認できる記録として残ってるのは
・罪人や敵を極刑に処した例
・戦時や飢饉時に食った例
・普通食えないものとしての美食の例
など、明らかに日常食ではない例のみ。
非日常的な状況での人肉食は日本でも見られる。
反論があるならソースの提示をどうぞ >>15
資治通鑑って北宋の成立だけど記載されてる歴史は五代までなのを知らないのね
「宋の時代に」の時点で読んでないことがバレバレだお。微苦笑 両脚羊の話が出るのも、飢饉で米が一斗数万銭という記述の後だしねぇ。
ちなみにその記述があるのは資治通鑑ではないけど。w >>6のリンク先の文章は嘘だらけの酷い内容だが、
>>15君はその中のこの記述を鵜呑みにしたのだと思われる。
”人肉が「両脚羊(ヤンシャオロウ)」、すなわち「両脚で歩く羊」として、
かなりの頻度で人肉が食されていたという記述が残されているものがあります。
何と、その肉は、飢饉でもない、普通の市場でも売られていたと言いますから、
その「文化」の広まり具合が分かりそうです。”
飢饉でもない?本当に? では両脚羊の出典を見てみよう。
「高宗紹興三年、開始吃人、江淮之間人相食、一斗米要數十千錢、人肉比豬肉還便宜。
肉質還分等級、男女老幼不等、自靖康丙午歲、金狄亂華、六七年間、山東・京西・
淮南等路・荊擦千里、斗米至數十千、且不可得。盜賊、官兵以至居民、更互相食。
人肉之價、賤於犬豕、肥壯者一枚不過十五千、全軀暴以為臘。 老瘦男子之‘饒把火’、
婦人少艾者、名為“不送r”、小兒呼為“和骨爛”、又通目為‘兩腳羊’」(荘綽《雞肋編》)
…さて、これのどこが「平時」なのかな? >>20で引用されてるのは史料の原文だぞ。
原文改竄を主張するのでもない限り何の反論にもなってない。
「資治通鑑に宋代の人肉相場の記述がある」
「平時にも両脚羊と呼んで人肉を食べていた」
という主張はさっくり論破されたってことで良いのかな。 このスレは文学上の食人だから実際どうだったかは直接関係ないはずなんだがな >>22
飢饉とか戦争でもないのに食ってるよ?
両脚羊とか人肉相場はガチ
お前がネットからの引用で勝利宣言とかチョンみたいだな ●武宣県の中学校校庭で開催された『人肉宴会』
武宣中学校の教師は学生によって殺され
学生たちは学校の炊事場と宿舎と31組前の廊下で
その教師の人肉を煮て食べ宴会を開催した。
・・・などなど 鄭義/著 「食人宴席」 より 中国の最古の食人記録は紂王が九公を醢にした話だろうな。
良い話扱いされているのも多い。
晋の文公に介子推が自分の肉を裂いて食べさせる話とか。
事実ではないが、三国志演義で劉安が妻の肉を劉備に食べさせた話も美談として書かれている。
現代なら美談になるか怪しいところだが、当時(三国時代ではなく元末明初)はそれが美談になるという感覚だったのだろう。
実際、元代には妻や子が、夫や親に自分の肉を与えて、政府に褒章を与えられる記録が残っている。
犯罪関係や戦争食としての食人ならそれこそ幾らでもある話。
後唐、後晋に仕えた萇從簡は子供を浚っては食べていたと言うし、
食料は倒した敵の肉を食えば良いと食料を携帯してない軍隊も、
前秦の苻登、隋の朱粲、唐末の秦宗權と色々出てくる。
日本では最古の食人記録は伝説の範囲になるが、綏靖天皇が朝夕に7人の人間を食べたので
綏靖天皇を騙して岩屋に閉じ込めた話が、南北朝時代になって書かれている。
飢饉や包囲された城での話を除くと余り例はなくなるのだが、山田浅右衛門はこのスレで知らない者は居ないだろう。
戊辰戦争では幕府側総指揮官の松平正質が敵の肉を炙って酒の肴にしたという話もある。
第2次大戦中も食人記録はあるが、飢餓の緊急避難としてほとんどは連合国からも見逃されているが、
小笠原の父島では酒に酔って殺害し食べたとして死刑になっている。
葬式で故人の骨を食べる風習も一部である。著名人としては勝新太郎が父親の骨を食べたと言っている。
まあ日本も中国もそれ程決定的な違いは無い。
ヨーロッパも似たような物なので別に現代的感覚で西欧に引け目を感じる必要も無い。
十字軍の主食はムスリムだし、ラム酒をネルソンの血と呼ぶ理由を調べてみれば良い。 『呪われた中国人―“中国食人史”の重大な意味』
著:黄文雄
出版社:(株) 光文社
http://books.livedoor.com/item/939814
http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4334004997/ref=dp_toc/375-3587639-1733737?ie=UTF8&n=465392
日本では、魯迅の『狂人日記』については、学者や知識人の誤った解釈等によって、周囲の人間が
自分を食べようとしているという妄想に取りつかれた狂人を描いたもの、と捉え、「食人」は何か別の
ものを象徴しているのだろう、という風に読まれているが、実はそれは間違いで、この男こそが正常で、
文化的にカニバリズムが常習化していて、「食人」を異常と感じなくなっている中国人一般の方こそが
狂人であるとするものらしい。
中野美代子の『カニバリズム論』を引用し、中国人はイメージよりも事実に感応する民族なので、
「食人」という中国人にとってごくありふれた事実をイメージにした『狂人日記』は、中国人にも
あまり理解されなかったそうだ。 >お前がネットからの引用で勝利宣言とかチョンみたいだな
その言葉熨斗つけて返すわ
連投とかみっともないよ? チョンとか他国民への蔑称使うような人格の腐った奴の相手をしたくないな。 桑原隲蔵「支那人の食人肉風習」「支那人間に於ける食人肉の風習」 西晋の話
石崇は客を招いて宴会するたびに、いつも美女に酒をすすめさせた。
酒を飲み干さない客があると、宦者に命じて次々と美女を斬り殺させた。
武帝司馬炎が王済の家を訪れた時、王済は全て瑠璃の器を用いて食事を出した。
また、百人を超える侍女全てがあや絹や薄絹の衣装を身につけていた。
更に蒸した豚はよく肥えておいしく、普通の味と違っていた。
武帝が不思議に思って尋ねると、「人間の乳を豚に飲ませて育てたものです」
と答えた。武帝はひどく不愉快に思って、食事も終わらぬうちに立ち去った。
※人の母乳で、豚肉を蒸したという話もあります。
以下略 では五胡十六国時代、胡人が立てた後趙国の二代目王、石虎の話。
石虎は若いころから残酷で、従わない部下は必ず殺した。
城を攻略するや、たとえ降伏したとしても女子供にいたるまで皆殺しにした。
しかし武勇に優れていたため、叔父は彼を高く買っていた。のちに叔父が後趙国を興せたのも、
彼の働きゆえである。
さて叔父が没するや、叔父の子や孫を皆殺しにして二代目皇帝に即位した。しかし即位の儀式の最中に
巨大な灯明台から油が漏れて20人が焼死した。石虎は責任者を腰斬に処した。
石虎の太子、石邃は武勇に優れ、石虎は深く愛していたが彼は残虐無道であった。
彼の趣味は美女に盛装をさせてから首を刎ね、それを盆に載せて客に見せること。
そのあとで遺体を煮込み、客に振舞った。
石邃は国政を父から任されていたため父石虎に重要事項を奏上すれば
「そんなつまらぬことをいちいち言うな!」と鞭打たれ、逆に何も言わなければ
「何故なにも報告せぬ!」と鞭打たれた。このようなことが毎月繰り返され、彼は父を恨んだ。
ついに反乱をたくらむものの露見し、妻子26人ともども父に皆殺しにされた。 北宋の末期、女真族の侵入で飢饉に陥った人々は官民問わず人肉を食べ始めた。
范温は義軍を組織して戦ったものの破れ、舟で臨安に逃れた。彼に付き従う兵士達は
人肉の乾し肉を携帯していた。彼らはそれを両脚羊(二本足の羊)と隠語で呼び、
そのうちで若い女の肉は「不羨羊」(羊より美味い)、子供の肉は「和骨爛」
(煮れば骨まで食べられる)と呼ばれた。
元王朝の末期、各地で叛乱が勃発し、食糧難に陥った官軍は人肉食に走った。
最上品は子供の肉、次に女。男の肉は最下層だった。
料理法は様々にあり、大瓶に放り込んで炙り焼きにしたり、網で焼いたり、
さらに趣向を凝らして熱湯をかけてから竹箒で皮をこそげ落とし、肉を切り取って
油炒めにして食べたりなどもした。
特に男の両腿と女の房は「想肉」(懐かしの肉)と呼ばれて珍重されていた。
あまりの旨さにまた食べたくなるからである。 明の正徳五(1510)年、悪宦官として名高い劉瑾は謀反のかどで
凌遅の刑に処された。以下はそれを見聞した張文麟の記録である。
劉瑾はすでに肉を削がれ始めていた。執刀回数は3357刀、10刀ごとに
息を入れ、一喝して正気に戻す。第1日目は親指から手の甲、胸の左右へと
357刀肉を削ぎ取った。最初の一刀には多少の出血があったが、二刀目からは
出血が無い。恐怖で血が下腹部や脹ら脛に溜まり、削ぎ終わってから胸を開けば
一挙に噴き出すという。夜になり、劉瑾は監獄に護送され、そこでなお二椀の粥を
食べたという。賊のしぶとさ、かくのごとし。
翌日は城内の東に場所が移された。昨日劉が宮中の秘密を暴露したため、今日は
口に胡桃の殻が押し込まれている。劉瑾は十数刀肉を削がれたところで気絶した。
やがて日が昇り、監督官が屍を解体する、と宣言した。劉瑾の被害者たちが
削がれた肉の山に殺到した。その肉で殺された者の冥福を祈るためである。
屍の胸に斧が振り下ろされ、血や肉が数丈も飛び散った・・・
被害者やその遺族たちは劉の肉片を生で食べ、恨みを晴らした、という。 明の末期の崇禎15(1642)年四月、かつて北宋の都として栄えた開封の街が、李自成率いる
反乱軍に包囲された、以後城内の百万もの人間は、貴賎問わず飢餓地獄に叩き落されていくのである。
包囲されて数ヶ月のちの八月下旬にはついに穀物の備蓄が尽き、人々はドブの糸ミミズを掬い上げ、
葱とともに炒めて食った。味は魚に似ていたという。一斤800銭で売られ、のちには三千銭に高騰した。
屋根の上のれんげ草も食料として売られ、最初200銭、後に1100銭。溝の水草も食った。
肥やし用の人糞に湧いた蛆も食い、それが尽きると粘土や馬糞を炒め、無理やり水で飲み下した。
これらが尽きるとついに人間に手を出す。大人数で哀れな一人を追い込んで捕まえて喰らう。
敵の捕虜を切り刻んで城壁からばら撒くと、兵士も民も競って肉片を拾った。
九月はじめになると、身内同士でも喰らいあった。父は子を、夫は妻を、兄は弟を喰らう畜生道。
金持ちは守備兵に財産をすべて没収された挙句、皆殺しにされていた。このころには人肉以外の食料は
完全に尽き、肉をそぎ落とされた白骨が城内に散乱している。ボロをまとい垢まみれ、幽鬼の如く瘠せた
生き残りが、白骨を打ち割り、骨髄までもすすって生きながらえていた。
9月18日、ついに開封の街は陥落した。かつての人口は100万人。戦が始まると新たに城外から2万人逃げ込んできて、
やがて城壁の内部のほとんどが餓死戦死、そして食われた。生きて城外に出られたのは1万人のみだった。
街の中心には明王室の宗室の宮殿があり、兵士や女官が1万人いたが、このうち生き残れたのは200人のみだった。
数ヶ月の篭城戦で、100万人が死に絶えたのである。 清の順治9(1652)年、南に逃げた明の残兵が新会の県城を包囲し、場内が飢餓に見舞われた際、
清の官軍は住民を殺して食糧に当てた。
ある将軍が老婆を食べるために殺そうとしたところが、
莫という婦人が老婆の命乞いをした。
将軍は老婆を解放し、かわりに莫婦人を煮て食べた。
李婦人は夫を兵士に連れ去られた。婦人が泣いて懇願することには
「夫にはまだ子供がありません。このままでは血筋が絶えてしまいます。
かわりに私を食べて下さい。」
兵士は李婦人を煮て食べ、骨をその夫に与えて埋葬させた。
またある時、周辺数百人の農民が保護を求めて城内へ立ち入ろうとした。
県令は許さなかったが、例の将軍は
「城内に入れろ!いざというときは我々の十日分の食糧となる。」と、
彼らを城内に避難させた。
城は八ヶ月に渡って包囲され、一万人もの住人が清の官軍に食べられた。
戦乱が収まった後、将軍が道を歩いていると一人の男が彼を跪いて拝んだ。
訝しがって訊ねる将軍に彼は答えた。
「私の両親も妻も皆あなた様の腹の中で眠っております。
彼らには墓がありませぬ.
もうじき寒水節だというのに
あなた様の腹を拝まなければ他の何を拝めば良いのでありましょうか」
さすがに将軍は恥じ、逃げるようにその場を去ったという。 恨みを晴らす手段の究極的なものは、その相手を食う、というところに落ち着く。
……大抵の敵討ちは、相手の肝を食うことでその恨みをはらしたこととなる。
しかし中には変わり種もいて、かの有名な伍子胥でさえ、白骨相手には
鞭打つしか術がなかったというのに、隋初の王頌は、父が陳の武帝に殺されたことを恨み、
陵を暴いてその骨を焼いて粉にし、水に混ぜて飲んだ。
これがまた『隋書』の孝義伝に載せられている話というのがなかなか中国的でいい。
親孝行の見せ所が病気治療食人。たいていは股の肉を食べさせる形である(脇の肉もOK)。
有名どころでは、晋の文公が放浪中食に困り、従臣の介子推が股の肉を裂いてこれを救ったというものがある。
この股の肉というのは万病に効くという迷信もあり、親のため主君のために自分の肉を裂いた、という例は数限りない。
田中香涯によると、唐中期以降の習慣だとのことで、儒教が普及して「身体髪膚は之を父母より受く。
えて毀傷せざるは孝の始めなり」という価値観がひろまったことで、逆に重視されるようになったものかと思われる。
犯罪に走らなかっただけ立派ということにしておこう。 「人肉カプセル」4000錠押収=朝鮮族の中国人摘発―韓国
【ソウル時事】死産の胎児や乳児の遺体の人肉でつくった粉末入りカプセルが中国から韓国に持ち込まれたとの疑惑で、韓国関税庁は22日、韓国在住の朝鮮族の中国人を摘発し、問題のカプセル約4000錠を押収したことを明らかにした。
同庁は8月、7回にわたりカプセル計3954錠を押収。韓国国立科学捜査研究院がDNA分析した結果、人間の遺伝子と塩基配列が99.7%一致したという。
うち3回は国際郵便で、4回は中国人らが直接持ち込んだ。中国人らは調べに対し、自分や親戚が飲むために持ち込んだと供述しているという。(2011/09/22-14:45)
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011092200514 日本だと最近では杉並のライブハウスで人体の一部を食べる集イベントが開かれて騒ぎになってたな 中国で史料上確認できる記録として残ってるのは
・罪人や敵を極刑に処した例
・戦時や飢饉時に食った例
・普通食えないものとしての美食の例
など、明らかに日常食ではない例のみ。
杉並のケースは三番目に相当 基地外のトランスジェンダーイベントだろw
左翼らしい行いじゃw
日本の伝統ではない >>49
なわけないw
唐代以降常食になってる面もある >>51
興味がわいてくる意見だ。
ぜひ原文を見せてくれ。 桑原隲蔵「支那人間に於ける食人肉の風習」の考証が詳しい
飢饉や戦時にやむを得ず食べるのはよくあることだけど
一部の人の嗜好品としても流通したらしいね 杉並の一件のように、異常嗜好者はいつの世にもどこの国にもいるからなぁ 支那人間に於ける食人肉の風習
桑原隲藏
但 Ab※(サーカムフレックスアクセント付きU小文字) Zayd が支那人の法律は
人肉を食することを認可すといへる一節は、多少の説明を要する。
既に孟子も「獸相食。且人惡レ之」(梁惠王上)と申して居る位で、
支那人とて人肉の相食むのを尋常の出來事として看過する筈がない。
現に唐の張巡が忠義の爲とはいへ、人肉を食したことに對してすら、
一部の非難があつた(『新唐書』卷百九十二、張巡傳)。
支那人の法律が主義として人肉食用を公認する筈がない。されど… つまり「常食」のソースに桑原の文章を挙げる奴は
そもそも桑原の文章を読んでいなかった、というオチか じゃなんて喫人なんて言葉があるんだよw
されど、以降の文章出してみろチャンコロ この兩脚羊とは兩脚を有する羊の意味で、人間を羊同樣に食用するから起つた名稱である。
和骨爛とは骨と肉を併せて火食する、下羮羊は『輟耕録』卷九に引けるものは不美羹となつて居る。
これは羹の料に供するより起つた名稱で、饒把火とは肉硬くして燃料を多く要するより起つた名稱かと想ふ。
元朝の末期に出た陶宗儀の『輟耕録』卷九にも、その當時の事實として、『※(「奚+隹」、第3水準1-93-66)肋編』に劣らざる、否遙にそれ以上と認むべき悲慘な記事を傳へて居る。 「両脚羊」の記事は靖康の金の侵入に伴って起こった飢饉によるもの、
と既にこのスレで指摘済み。日常食の例にならない。いい加減に理解しよう。 >>61
しかし唐代以降は人肉食へのハードルが下がったという議論があり、例として引かれるのは『資治通鑑』の人肉の市場価格が二十年で数十分の一に暴落した記録である。 また自らの肉を病気の夫などに食べさせることが美談として称賛され、元代の『事林廣記』には、
その行いに政府が絹や羊や田を与えて報いたという記述がある。 >>57を踏まえた差別意識の無い真面目なレスなら
各国のタブーの違いと閾値の高低の差など議論になるかもしれないが
もう差別用語をつかったレイシスト達のくだらないレス
とわかるから誰も学問板では相手にしないんだろう。
壁に向かって喋ってろというところ。 史料をソースにするなら原文か少なくとも当該記述が存在する箇所を挙げろ
話はそれからだ 両脚羊の記事ですら「資治通鑑」がソースだと言っちゃうような子が
原文なんか参照できるわけないのに、酷すぎますね 飢饉や戦争等の非常時に人肉を食糧にするという風習が長く残ったのは
古くからの文明地域にしては特異な現象だ
というのが桑原さんの見解だよね 戦前のシナ文化論は脱亜論以来の中国蔑視の時代精神を背景に書かれているから
鵜呑みにせずに批判的に読む姿勢が必要。
先の戦争では日本軍でも食糧が不足した前線では人肉食に手を染めるものがいた。
非日常的な状況下での人肉食は中国に限った現象ではない。 桑原さんの論考からそれほど「中国蔑視」は感じられない。
中国以外でも人肉食は多かれ少なかれあっただろうけど、
生きたまま臼ですりつぶしたり、袋に入れて熱湯に投げ込んだりと、
その方法や嗜好にはやはり中国の独自色があるんじゃないかね。 【シリア内戦】「人肉食べる者を支援するな」露大統領、欧米に警告
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1371442732/
>>69
>生きたまま臼ですりつぶしたり、袋に入れて熱湯に投げ込んだり
そういうほんとかうそかわからない情報を熱心に収集して記録した中国人に感心する。
第二次大戦で日本軍の残虐行為として千人斬りなどというのがあったが
山本七平は日本刀で千人は切れないとか伝聞証拠は証拠ではないと否定した。
日本軍が行軍の途中赤ん坊を投げ上げ銃剣で刺して遊んでいた
などという話も考証して否定した人がいるらしい。
昔の中国で広い大陸の噂話を採録せず隠すこともできたのにきちんと
記録していたのは反面教師として記録したのかそういう話題は”お約束”
のネタとして書き込む習慣だったのかはたまたといろいろ
感想が浮かび話が尽きなくなりそうだがレイシストが曲解しそうなのでやめとく。 きっとアメリカの独自色や日本の独自色もあるんだろうな
http://www.youtube.com/watch?v=FGcN9_Gd5zQ
ヴァージニア州ジェームズタウンを発掘していた考古学者が、
17世紀に食人が行われていたという記録を裏付けるはじめての
物理的な証拠を発見した。 この発見の中には、頭蓋骨に刻まれた
切り傷や、肉や脳を取り除かれた14歳の少女の遺骨が含まれている。
「飢えの時期」と呼ばれる1609年から1610年にかけて、当時の
英国植民地ジェームズタウンの長ジョージ・パーシーは、開拓者は
馬を食い、続いて犬や猫を、さらにブーツや皮製品を食い、最期に
お互いを食い始めたと記録している。
研究者は、少女の遺体はジェームズタウンで確かに食人が
行われたことを証明する最初の法医学的な証拠だとしている。 >>70
中国はだから人肉市場があっただろ
中華工作員が必死の火消してるけどw >>72
「人肉市場」とは何?
市場で人肉が売られるのと人肉の市場では全く違う。 漢文学における人肉食スレだから
ガチの人肉食はすれ違いでは >>73
小説だけど
井上靖の敦煌でも開封で西夏人を肉として売るシーンがあるよw
主人公が助けて西夏に向かう。
映画じゃぼかされてたけどね。 井上靖の小説なんて孔子の架空の弟子が主人公だったりするだろ
かなりの部分フィクションだよ __
| ● |
 ̄ |
__ 〆 ⌒ ヽ
| ● | サッ i. ^、,^ i
 ̄ | (6- (III)(III)
c~~⌒ ) ノ⌒ヽ、 '◇〉 此処で一旦、駒ー斜瑠でぇーす
 ̄| | ,____/ \ \⌒\)
i ゝ_/ i i \ノ`\丿 新スレッドが建ちましたぁ〜♪
ヽ__| ヽ ヽ ノ 坐禅と見性第93章鮟鱇吊るし切り公案無分別っきり
ゝ _\ 二ノ http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1380703946/
\ . ヽ
) )
/ /
( く
\ ο
 ̄ >>80
毎日新聞の文化部化どっかにいたから中国通だよw
マジだろ言い訳すんな >>83
中国通だろうが何だろうが近代(というかほぼ現代)に書かれた小説なんか何の資料にもなんねえよw >>87
人肉市場のあった国はいうことが違いますね このスレの上の方で平時の人肉市場の話はソース不詳で却下されてるよ
飢饉や戦争のように非常時での食人は日本も中国も例がある。 実際、分からないな。
黄文雄やそも元ネタである柏楊の話は昔から読んでいて、ナルホドと思った。
それ以前から読んでいた、阿Q正伝の内容がはっきりとその意味が分かるから納得したのだけど…。
ウサギがお釈迦様に自分の肉を食べさせる話もこれで納得できるんだよな。
でも、本当なのかなって気持ちは今でもある。 >>93
この文学理解度を全く提示しない書き方!
吉川ちんぽの香り ○○を読んでなるほど、と思った
これが吉川のインチキ感想文で
東北大の実力 ルーシャンはトンペー批判なのに
有名だって理由だけで銅像まで飾る
東北大学
馬鹿な大学だよね(笑) 否定派はなんで否定してるんだ?1じゃないけど
水滸伝とか普通に食べてる
一般庶民の普通の食材だったんだろ? >>104
まぁあれだ中国からの書き込みも制限するわけにいかんからな ドッカーン! / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(⌒⌒⌒)... | あなたも分からない人ですね。
|||. | 近世儒学のような世間的に広く認知されている専門分野を
_____ | 好きな人が『創価』な訳ありません。
/::常勝 :\〜プーン. | 『創価』とは鎌倉仏教とか日蓮大聖人とか、
/:::::::::::人間革命::: \〜プーン | そういうのが好きな人のことを指すのです。
|:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜プーン.. | 私は断じて『創価』ではありません!
|;;;;;;;;;;ノ∪ \,) ,,/ ヽ〜 | 単なる日本思想好きな 佐藤弘夫 のイエスマンです!
|::( 6∪ ー─◎─◎ )〜 | あなたのように何でもかんでも『創価』呼ばわりしたら
|ノ (∵∴ ( o o)∴)〜 .| 世の中は『創価』だらけになってしまいますよ!
| ∪< ∵∵ 3 ∵> ムッキー! < 道学やキリスト教が好きな人を『創価』なんて言わないでしょう?
\ ⌒ ノ______ | それと同じです。私は断じて『創価』ではありません。
\_____/ | | ̄ ̄\ \ | そもそも私は漫画・アニメ趣味が高じて、日本思想に
___/ \ | | | ̄ ̄|....| 興味を持ったわけですから『創価』ではありません。
|:::::::/ \吉川裕_ \| | |__|....| 近世儒学以外の思想にも触れたことありません。
|:::::::| \____|⊃⊂|__|__/ / | ユニクロドンキ大好きなあなたと一緒にしないでください!
|:::::/ |未来創造| 〔 ̄ ̄〕 \________________________
/♪私なんばわーん〜♪\ いつから人を食べるのが良くない行為とされるようになったのか
支那人にはいまだよく理解できないらしい。
今でも当たり前のことだと思っている節、これあり。 ドッカーン! / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(⌒⌒⌒)... | あなたも分からない人ですね。
|||. | 近世儒学のような世間的に広く認知されている専門分野を
_____ | 好きな人が『創価』な訳ありません。
/::常勝 :\〜プーン. | 『創価』とは鎌倉仏教とか日蓮大聖人とか、
/:::::::::::人間革命::: \〜プーン | そういうのが好きな人のことを指すのです。
|:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_|〜プーン.. | 私は断じて『創価』ではありません!
|;;;;;;;;;;ノ∪ \,) ,,/ ヽ〜 | 単なる日本思想好きな 佐藤弘夫 のイエスマンです!
|::( 6∪ ー─◎─◎ )〜 | あなたのように何でもかんでも『創価』呼ばわりしたら
|ノ (∵∴ ( o o)∴)〜 .| 世の中は『創価』だらけになってしまいますよ!
| ∪< ∵∵ 3 ∵> ムッキー! < 道学やキリスト教が好きな人を『創価』なんて言わないでしょう?
\ ⌒ ノ______ | それと同じです。私は断じて『創価』ではありません。
\_____/ | | ̄ ̄\ \ | そもそも私は漫画・アニメ趣味が高じて、日本思想に
___/ \ | | | ̄ ̄|....| 興味を持ったわけですから『創価』ではありません。
|:::::::/ \吉川裕_ \| | |__|....| 近世儒学以外の思想にも触れたことありません。
|:::::::| \____|⊃⊂|__|__/ / | ユニクロドンキ大好きなあなたと一緒にしないでください!
|:::::/ |未来創造| 〔 ̄ ̄〕 \________________________
/♪私なんばわーん〜♪\ 魯迅か…あれ小学生の時よんだけど意味が分からなかったが
ガチで中国人が人食い人種だと知った時の衝撃 中国共産党の人に話すと
魯迅は愛国主義で中国を守ったって言う
多分自分が日本帝国のブラックな部分に媚びて下手に出る事で
守った何かがあるんだと思う
外国人に圧力をかけたり
留学生を戦地に送り出した東北大は本当に酷いことをしたよね
日本人として謝罪したい まあ東北大が自分達の変わりに血を流すように要請したのは
韓国人や台湾人なんだけど
時代もずっと後だしね
これは東北大の統計でも明らか
東北大(法)
東北大(文)
これらは軍に奴隷を送ることによって
なんとか存在できた学科 工学部を吸収合併して
そこからも生贄を沢山出しているけど
教員はアインシュタインより先に原爆の原理を作った
フリをしてたらしいね 伍長という言葉、システムが仙台藩のものだったって事についてもね
いろいろ考える所はあると思うよ 考えるための思想体系がなかったんだっけな
自由主義者、共産主義者に
「頭脳を諦めよ」と万葉集や葉隠、ハイデッガーやキルケゴール
とにかく死と失恋と権威主義を植え付けまくって
殺す
そのやり方がまだ東北大の文学部に生きているのを
この目で見た時はびっくりしたね >>117
専門学校を吸収合併して工学部にしたって話ね
そこからばんばん出てるんでしょね
特攻隊員が
もう恐ろしくて恐ろしくて 嘘だと思うなら
英霊の遺書読んでみるといいと思うよ
あ、英霊とか言うと創価が国粋主義だとか言ってファビョるんだっけな。
普通の学生だよ・・・
人文学科の学生を
奴隷にしていく「やり方」を客観的に読んでみるとね・・・
現代の東北大学に通ずるものがあるよ。
まああまり関わりたくないんだけどね。 11 名前:名無氏物語[] 投稿日:2014/03/01(土) 19:15:01.05 ID:gyxab2bj
大国に囲まれたほぼ無勝、千敗の超〜賎な民は馬や船に乗って悪さしに来たヒャッハーなお兄さん達に
(少年誌だから描かれないが当然)go韓され続けたため、その末裔こそが気性の激しい◇△魔となってし
まったのは無慈悲な地政学的宿命。リアル性器待つ覇者○○○○ハーンと同一のYを継ぐ者が現在全世
界で1600万人もいるが貢献大。恨の文化や歴史捏造癖は(ドラマと異なり)惨めな歴史故だがお陰で若干
体格は良くアドレナリン豊富となり氷上を速くすべれるようになりましたとさ。 あ〜キムい、キムい。
14 自分:名無氏物語[] 投稿日:2014/03/01(土) 23:07:37.07 ID:dhogQhd5 [3/3]
http://www.geocities.jp/myudash/new.html
>>11は例の吉川ブログの文章だよね 炙(しゃ、人肉の焼肉)、脯(ほじし、人肉の乾し肉)、醢(ししびしお、人肉の塩漬け肉)が人肉の三大料理法として中国の正史に記録されている。
殷本記によると、紂王を諌めた翼侯は炙、鄂侯は脯、九侯は醢にされた。
春秋時代に、桓公が「赤ん坊の蒸し焼きを食べたことがない」というと、料理人の易牙が自分の息子を蒸し焼きにして食べさせた。
知事が訪ねてきたので、料理をしていると娘が油鍋の中に飛び込んだ。父親が娘の丸揚げを知事に出したところ、知事は大感激、父親を役人に取り立てた。
三国志演義では、漁師の劉安が愛妻を殺して料理し、劉備一行に出した。
国共内戦のころ、共産党軍の捕虜になった国民党軍の食糧袋から人肉が出てきた。
文化大革命のころ、飢えた人々が人肉を食べていた。 中国の食人文化は次のように分類される。
刑罰としての食人
復讐の儀式としての食人
忠義の表現としての食人
薬用としての食人
孝行としての食人
文学としての食人
天文学としての食人
飢餓時の食糧としての食人
戦争時の食糧としての食人
美食としての食人 そんな事より東北大学大学院の吉川裕チャンの話なんだけど
2011年に勃起したチンチンを見せておきながら
完全に拒絶されたから
口封じに創価学会員の教員に相談して
被害者女性を折伏するように仕向けたんだ
最低だよね >>93
>>ウサギがお釈迦様に自分の肉を食べさせる話
インドでなく中国で創作された話なの? /;;;;;;;;;;;;;\
/;;:::::::::::::::::::::::\
∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
L::;;,__ ..:::ゝ
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
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/j/三三三三三三三三三三ヾ、
l:::::::::. / 有熹 \ |
|:::::::::: (●) (●) | <おじいちゃん、一番おいしいのは人肉だよ。
|::::::::::::::::: \___/ |
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ チャンコロは人肉を喰らう生き物なんだゼッ!!!
わかったナッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!11 大陸中国人と台湾人の区別がまるで付かないナッ爺様にそう言われましても 支那の食人は有名ですが、
漢籍に記された支那以外の国々の食人に就いて
いろいろと教えて下さい。
よしなに ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆議院と参議院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ 日本国憲法改正の国民投票を実施しましょう。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ プレミア見れない
ブンデス見れない
CLEL見れない
週刊誌でヌケねえちきしょう
同和のクズ共死ねクソ共がざまあみろ気違い共
ほれ気違い共もっともっとドア閉めろ通れ
それしか能のない能無し共がざまあみろ地獄に落ちろ https://goo.gl/YdPog5
この記事本当なの?
普通にショックなんだけど。。 >親の職業や社会的地位で生徒を差別していた
元大阪府立高校の国語教師・村井正三は
もう地獄へ落ちただろな
そうかw 人間の肉醤(ししびしお)だよな
孔子の弟子とか殺害後に肉醤にされて返送されてきた