日本語の漢字やカタカナ、ひらがなは、情報伝達の手段であると同時に、芸術でもある。

ことばや文字は、どれでも程度の差こそあれ、そのような属性を持つものだ。
ハングルは知らんけどな。

支那の簡体字を見ると、一画一画の意味をおろそかにして、情報伝達のためのスピードアップを図っているだけ
に思える。
まあ、支那人の社会人留学生を受け入れたとき、連中のメモを見ると当然ながら漢字ばかり。
ああ、これは簡体字に走るのもしょうがないとは思ったな。
ただ、台湾を見ればわかるように、改悪せずともやっていける事例もあるわけだ。

いずれにしても、日本人のように、表意文字から簡素化された表音文字を作って、表意表音を組み合わせる、
って発想までには至らなかったわけだ。