【ぼくたちの】マルクス・エンゲルス【古典】
古文漢文板にようこそ
ここでは古文漢文の議論はできません
皆で新しい古典を読みましょう 中共はマルクスも孔子も洗脳済みなのでね
徳を失った政治は討たれて然るべきとか言わないしプロレタリアがブルジョワを打倒することも無い はい??
マルクス・エンゲルスは現代思想なんだけど?
なんで古典扱い?おかしいでしょ。 マルクスとエンゲルスの「共産党宣言」が、近代国家を否定することからスタートしていることをしらないのか?
マルクスとエンゲルスは、近代市民革命(イギリス型)や産業革命(イギリスの)を否定して「共産党宣言」を書いた。
そのあとマルクスは、「フランス革命の後の世界をみて、自分が共産党宣言で書いた革命の形は、必要なものではないと考えるに至った」と白状した。 生産物の量が少ないから社会に階級が出来上がってしまう、
階級を無くすにはもっと生産力を高めなければならない。 >>68
アメリカ・中国では階級がなくなっているとでもいうのか?
アメリカの生産量
1980年2兆8570憶ドル→2021年22兆9980億ドル8倍に膨らんでいる。
中国の生産量
1980年3030憶ドル→2021年17兆4580憶ドル
約50倍に膨らんでいる。 資本主義者という言葉は存在しない。
資本主義をどの程度許容するかによって、
社会主義者と自由主義者とに分かれる。
資本主義は社会が持つ特徴の一つであって、イデオロギー(政治思想)ではない。 マルクスを悪くいうやつはバカ。
本当に悪いのは、マルクスの考えを拡大解釈したり、自分たちに都合よく勝手に改ざんした、
スターリンや毛沢東、ポル・ポトみたいな連中だ。 マルクスの理論では
資本主義から共産主義に移行するのは科学的に正しい
しかしなかなか共産主義に移行しないのは資本主義には資本主義にとどまろうとするシステムが組み込まれている「に違いない」
だから武力革命によって共産主義に変える必要がある
共産主義に変わったあとも資本主義に戻ろうとする資本家の反発があるから独裁による弾圧を行わなくてはならない(プロレタリアート独裁)
ある日目覚めると独裁政権のなくなった真の共産主義社会が現れる
であった
ソビエトもカンボジアも、独裁政権が消えたら資本主義社会になってた >>73
よくまあそこまで、一から十までのデタラメの寝言を並べられるねぇ。
お前、マルクス読んだことねえだろ(笑) >>74
有名どころでは共産党宣言、フォイエルバッハ論、資本論、空想からかがぬへなど大月のを手当たり次第に読んだよ
自分の大学時代はそれが当たり前で前提知識だったからね
で、かつて言っていたことを「言っていない」と言い張ることが現在のマルクス主義の悲しいところなんだよな プロレタリアート独裁のプロレタリアートとは50年後の小豆相場がわかる超人のことで、まぁ、マルクスの頭の中にしかいない人のこと
マルクスの父は1代限りの貴族でマルクス自身も父を見習って貴族として生活していたので、貴族らしくお手伝いさんとその娘に教育を与えなかったことから、共産主義社会が来るとは思っていなかったのだろう マルクス経済学は限界革命以前のため、水が安くダイヤモンドが高い理由がつかず、価値と使用価値という語をこねくり回して誤魔化している
また、利益が市場で決まる需給曲線以前のため労働者が生産した直後に利益が生まれ資本家に搾取されるとしている
日本共産党の初心者向けマルクス経済学本では少なくとも1990年頃まで、価格がいちいち市場で決まるはずがない、と需給曲線を否定していた >>75
マルクス氏がかつてどこでそんなことを言っていたんだよ?
「カール・マルクス氏」と「古今のマルクス 主 義 者 」を安直に同一視する20世紀の思考だな。
マルクス主義者=マルクス、マルクス主義者が言ったこと=マルクスが言ったこと
>>76
プロレタリアートとは「無産者 階 級 」のこと。階級名。(無産者は「プロレタリア」。)
>マルクスの父は1代限りの貴族でマルクス自身も父を見習って貴族として生活していたので、
ハインリヒ・マルクス氏はトリーア地裁所属の一介の弁護士(代訴人、と言った方が適切?)に過ぎない。
一体全体、いつどこでハインリヒ氏が貴族の称号をもらったと言うんだ???
帝政ロシアの9等官じゃあるまいし、プロイセン王国で弁護士が一代貴族に成り上がったら、驚き入った話だ。
>>77
革命限界以前だろうと以後だろうと、人間はその品物に使用価値があると思うからその品物を使用し、その品物に価値があると思うから、商品取引が成立する。
マルクス経済学者的な高次の視点から見れば(別にマルクス的でなくてもいいが)幻想に過ぎないようなものでも、人々がそれがあると信じているからこそ、経済活動が成り立つ。
その意味で、使用価値や価値といった概念は単なる幻想として考慮の外に置いて切り捨てられるような性格の概念ではない。
ヴィトゲンシュタインが「言葉の意味とは、その使用である」と喝破しても、人々は相変わらず言葉に意味があると信じているからこそコミュニケーションが成り立つのと同じ。
需給曲線、という摩訶不思議な存在性格のモノがあらかじめ実在するのですか。カントの物自体もびっくりですね。
価格は市場で決まる、その逆反映が労働者の価値生産である、とはマルクス自身が資本論で言っていることだ。