>>223
ただまぁ、言葉は生き物なので、平安時代と鎌倉時代とでは、ずいぶん変化してしまっていることも確か。
いわゆる「古文」として私たちが学ぶ文法・語彙は、平安時代中期(枕や源氏の時代)の文章語を基準にしており
それは鎌倉時代の「文語文」でも事情は同じだった。
要は兼好も阿仏尼も後深草院二条も、「古文」のネイティヴではないわけだ。
我々同様、文語文として学んで、書いているわけ。
(だから兼好あたりでも、当時の口語に引きずられたか、平安時代基準ではありえない助動詞の使い方とかやっている)

そのへんの事情が「読みやすさ」に繋がっていることは否定できないと思う。