古文漢文板の質問スレ4 [転載禁止]©2ch.net
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>>350
間違っています
語順が変です
それに「呼」という漢字にそういう意味がありません https://goo.gl/YdPog5
この記事本当なの?
普通にショックなんだけど。。 正宗白鳥がウェイリー訳の源氏物語を読んで原文より面白かったという逸話を
小林秀雄が話していて興味をもったのですが、最初に読むならサイデンステッカー訳
の方がよいとも聞きました。どちらがよいと思いますか? ウェイリーの英訳は、源氏物語の平安朝的風土をヨーロッパの宮廷に移しかえていたり、
省略が多かったり、逆に心理描写の説明の付加などがなされたりと、英語文化圏の人々が
理解しやすいようにかなり改変されています。
原文に忠実なのはサイデンステッカーのほうです。
どちらが良いかは、英訳を読む目的次第でしょう。 「ある男が流鏑馬を習おうと思い立ち、まず弓を習い始め、次に乗馬を習ううちに老人となり、流鏑馬を習うのに十分な時間も体力もなくなってしまった」
というような故事を子供のころに聞いた覚えがあるのですが、調べてみてもこの様な話が見つからず歯がゆい思いをしています
ご存知の方がいましたら詳細を教えてください >>358
徒然草188段に、同工異曲のエピソードがある。
ただしこちらは流鏑馬じゃなくて、法師だが。
(法師になるために、まず説教してまわる移動手段として馬を習うことから始め、
仏事の後の余興に必要だろうと謡曲を練習し、この二つにハマってるうちに年取って
肝心の経典の勉強をするひまなく終わった男の話)
思うに、この徒然草の一節を間違って教わったか、あるいは記憶違いして覚えているか、ではなかろうか。
というのは、あなたのおっしゃる内容だと、単なる
「どんくさい人が、習い事をして、結局ものにできなかった話」
でしかないわけで(弓も乗馬も、流鏑馬には直接必要ななスキルである)
格別な教訓も面白みもないように思われるから。わざわざ書き残すような話には思えないんだ。
とか言って、私などよりずっと学識ある人がさらりと出典を示してくれるかも知れず、
そのときは、間違い呼ばわりしたことを正直にお詫びする所存。 >>359
回答ありがとうございます。そのお話がまさに探していたものです。
ご指摘の通り、私の記憶違いでした。確かに>>358の筋書きでは教訓も面白味もないですね。
長年のモヤモヤが貴方のお陰ですっきりしました。本当にありがとうございます。 「他に比べて劣っている、欠陥している」という意味の古語をできるだけ多く教えてください
そういう意味を持つ漢字でもいいです >>361
おくる おろか くだる けおとる さがる たちおくる
たちくだる たぢろく つたなし はづ みぢかし ここにいる人は漢文を知っているようで知らないのだね。
卑弥呼の回答を読んでよくわかった。
聞くだけ無駄だった。 古文の形容詞で早いを意味する
「とし」
「はやし」
の意味の違いとか用法の違いとかニュアンスの違いとかを教えて下さい。 >>364
ほとんど同じように使われる気がするが、ニュアンスとしては
・「とし」の対義語…「にぶし」
・「はやし」の対義語…「おそし」
あと、「はやし」は「時間的に前の時点」を表すことができる。
現代語で言うなら「早く起きる」みたいな使い方。
例「朝がらす早くな鳴きそ(万葉集3095)」…朝がらすよ、こんな早い時間に鳴くな
一方「とし」は、こういう使い方はできないようだ。あくまでも動的。 >>363
というか2ちゃんで聞くなよ・・・
2ちゃんは頭動いてない人の為の
掲示板だから
w 質問です
豈非大愚乎。
みたいな文は
あらずや
あらざるや
で迷うんですけど何か基準ありますか
今の訓読の基準みたいな本が
あればいいのですがありますか? >>369
上の語が終止形の時は「や」、連体形の時は「か」と一般に言われています。
ただ、「豈〜乎」は「アニ〜ンヤ」と読むのが普通。
漢文の基本的な訓読法は国語便覧にも載っています。 すみません、論語のような漢文だったと記憶してるのですが、習いごとが上達する者としない者の違いとして、恥ずかしがらずに皆に言った方が良いというような趣旨の話の出典は何でしょうか?
探してもなかなか見つからず困っています。
よろしくお願いします! 軍師 「北朝鮮で戦争がおこった場合の対策を考える!」
◎「80パーセントの確率」で、「北朝鮮軍」は、
「地下にトンネル」を掘り、ソウルを襲撃すると予測しました!
「韓国軍」は、トンネルに「大量の水」を、流し込んで、
「北朝鮮軍兵士」を溺死(できし)させて下さい!(水ぜめの計)
〇都市部や村に、「防空壕(ぼうくうごう)」や「核シェルター」を
大急ぎでつくって下さい!(人海戦術作戦)
北朝鮮が、ミサイルを全部発射したら、「156万人の韓国市民」が
死亡すると、「軍事専門家たちが予測しています!
〇リュックに食料を「3日分」入れて、
備蓄(びちく)しておきましょう!
(カンヅメ・おやつ・カンパン・水・ビニール袋・タオル・軍手)
◎「日本の原子力発電所」に、ミサイルが飛んでくる確率が高いです!
2基の原発(センダイ・ゲンカイ原発)をはやく停止して下さい!
お願いします!!お願いします!お願いします!
〇「韓国軍」と「アメリカ軍」は、話し合いをして下さい!
「コンビネーション攻撃」のシュミレーションをして下さい!!
◎韓国と「日本」で食料が不足する恐れがあります!
(戦争は、「大量の食糧」を消費します!)
「ゴルフ場」や「空き地」や「公園」に「畑」をつくり
「ジャガイモ」を植えましょう!
軍師 質問があります
私は友人のいらぬ手出しで仕事を一つパーにされてしまったのですが
その責任を取らせようとすると
『成事は説かず、遂事は諌めず、既往は咎めず』と孔子の言葉を持ち出して
責任を取ろうとしません、挙句今回は残念だったが古の賢人に学ぶことはキミの今後にもプラスにもなるとまで言い出す始末
同じ論語で言い返してやりたいのですが、どんな言葉が妥当でしょう? 孔子は弟子は多かったが、結局世に用いられず、無職で生涯を終えた。 俺は教えを求めて漢文は読まない
何じゃその理屈とか唐突感を味わう。
孝婦が冤罪で死刑になったかと思ったら
力点はおまえんところの門のサイズかよ!とか 質問です。
大日本帝国憲法第三条は
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
とあります。
これを平仮名で読みを書くと、
天皇は神聖にして侵すべからず
となります。
ヘ → べ
ス → ず
と読みますが、これらの規則性を勉強したいのですが、どこかに書いてありますか?
いままでは何となく読んでいました。 規則性も何も、濁点を記載する習慣がなかっただけ
法令に濁点が付されるようになったのは昭和2年
昭和20年の終戦の詔書にも濁点は書かれていなかった 地元の人の業績を調べているのですが、なにぶん漢文でさっぱり分かりません。
以下の文章はどのような意味なのでしょうか?
年十六初仕為大番遭於国家興学為国学諸生
ちなみに、下級武士として内政に活躍した人です。
予想では「十六歳にして初めて藩に仕えて、領地を警護の為に回った。また、多くの学生の為に国学を盛んにした」
という所でしょうか? 国家をめぐりて、国学諸生の為に学を興す
と読んだのかな?冒頭の16歳を考えると、いささか唐突ですね
後続の文章があるなら、
国家興学(の気運)に遭い、国学諸生(の一員)と為る
もありかも… >>380
なるほど…どうもその方が妥当な読み方ですね。
別の書籍を見つけて読んでみた所、「大番(士)」になり、与力の上の200石程度の官僚になっていたようです。 之に因って来る所の人って「所因之来之人」でいいのですか? 因之所来之人?
所来因之之人?
この2つは少し意味が違うよね? 行為の名詞化は、名詞化する動詞を所に直結させる例が多い
所因之来で、来る所、と読ませるのはイレギュラーだと思う
因之而所来之人がいいのでは?
>>384
所来因之は所由来之
同じく「之によって来る所」と読め、意味も違う >>338
送り仮名に対して「迎え仮名」と呼ばれています。 群の異体字が気持ち悪い
ヘンとツクリを上下に分ける書き方は、結構多いんじゃない? 「す・さす・しむ」の下に尊敬語がなければ絶対使役だと書いてある参考書がいくつかあるのですか、これは正しいですか?
手元の辞書には尊敬語と共に用いられることが多いとしか書いていなかったり、
「(帝が)ひそかに右方の歌を詠ぜしむ。」のしむを尊敬と解釈している本があります。 >>390
> 「す・さす・しむ」の下に尊敬語がなければ絶対使役だと書いてある参考書がいくつかあるのですか、これは正しいですか?
基本的に正しいと考えてください。単独の「す・さす・しむ」が出てきたら、迷わず使役と解釈し、進んでいきましよう。
> 手元の辞書には尊敬語と共に用いられることが多いとしか書いていなかったり、
ことばは生き物です。時代と使う人によって、その姿形を変えます。
いつの時代も「言葉の乱れ」はあるし、「破格の言い方がクセになってる人」も存在します。
生き物として揺れ動く「ことば」の法則たる文法に「100%」はあり得ないのです。
あり得ない以上、いささか腰の引けた書き方になるのも、やむをえないことでしょう。
ただ、100%はあり得ぬものの、「でも普通は、こうでしょ」という最大公約数的「正しさ」は存在します。
(それが存在しなかつたら、そもそも「ことば」が社会で通用しません)
「す・さす・しむ」は、単独なら使役……というのは、これらの助動詞がネイテイブで使用されていた時代の
最大公約数的(しかもかなり絶対の)「正しさ」です。ですから、それを信じればよいのです。例外に振り回されるのは時間と労力のムダ。
> 「(帝が)ひそかに右方の歌を詠ぜしむ。」のしむを尊敬と解釈している本があります。
出典のテキスト批判が今できないので、何とも言えませんが、
天徳歌合の評か何かですかね? >>391
詳しくありがとうございます。
最後のものは駿台文庫の古文読解教則本にのっていて、天徳内裏歌二十番とありました。 >>390
正確に言うと、正しくありません。
ただ、高校生の学習や大学受験レベルでは、そういう言い方も教育的配慮としてありだと思います。
そもそも、「す・さす・しむ」の原義は「使役」で、身分の高い人は何かをするとき、自分でしないで誰かにやらせることが多く、
それを言い表すのに「す・さす・しむ」(使役)を用いていたところ、次第に自分でする場合にでも「す・さす・しむ」を用いるようになり、その結果、「す・さす・しむ」に「尊敬」の意味が生じたなどと言われています。
だから、もと「使役+尊敬」(せたまふ・させたまふ・しめたまふ)という形の尊敬語が接続する用法が多いのです。
しかし、いっぽうで、ごく少数ながら「す・さす・しむ」が単独で尊敬の用法を示す例も見受けられます。以下に例を挙げます。 (つづき)
〇御門、おほきにおどろかせ給て、かんぜ【しめ】、きこしめすことかぎりなし。(『宇津保物語』俊蔭)
〇前の右馬頭参り給うて、「長き夜のつれづれをこそ思ひやり給ふれ」とて、何となき世の中の物語をせ【させ】けるに、(『松陰中納言物語』)
〇三朝浄土の大師等、哀愍摂受したまひて、真実信心勧め【しめ】、定聚の位に入れ【しめよ】。(親鸞、正像末和讃)
これらは、ごく少数で珍しいものです。ご提示の天徳歌合せの用例もその一つでしょう。
高校生の学習に頻出の平安和文などでは、「す・さす・しむ」が「尊敬」を表すのは、やはり尊敬語が接続する場合です。
大学受験の参考書は実用性を重んじるので、厳密な言い方をしていないのでしょう。
むしろ、お持ちの辞書の表現のほうが学問的には良心的といえるのではないでしょうか。 上代における「誰がどういう理由で裁かれ、判決はこうだった」ということが分かりやすくまとめられている参考文献等どなたかご存知無いでしょうか?
よろしくお願いいたしますm(__)m http://www.toshin.com/center/2013/kokugo_mondai_3.html
解答番号28の@です。
赤本の解答です。
@不適 「蓬」は比喩であって「自然の描写」ではない。また、本文は、すでに
二人が心を通わせた後の場面から始まっているので、「女君に心をひかれるいきさつ」
は明らかでない。
↑
いきさつなんて、本文に過去形で、筆者が書けば成り立つ話じゃないんですか?
逆に、
「本文は、すでに二人が心を通わせた後の場面から始まっているので」がなければ
納得なのですが。
これ1つに2時間40分かけました。教えていただけないでしょうか?お願いします。
これを知ることで他もわかるような気もしますので。
完全にミスでマルチポストですいません。 >>399
> いきさつなんて、本文に過去形で、筆者が書けば成り立つ話じゃないんですか?
で、この「本文」のどこに、心ひかれた「いきさつ」が「過去形」で書いてあるというのさ? >>400
この「本文」のどこにも、心ひかれた「いきさつ」が「過去形」で書いてあるわけではないので、
「女君に心をひかれるいきさつ」 は明らかでない。
と、赤本に説明してあればよろしかったのですけれど。 >>402
うーん、だから。
> この「本文」のどこにも、心ひかれた「いきさつ」が「過去形」で書いてあるわけではないので、
> 「女君に心をひかれるいきさつ」 は明らかでない。
と
>本文は、すでに二人が心を通わせた後の場面から始まっているので、
>「女君に心をひかれるいきさつ」は明らかでない。
って、言ってること、そうも違うか? >>403
ああ、何か、>>399の言いたいことが分かってきた気が。
赤本の解説
「また、本文は、すでに二人が心を通わせた後の場面から始まっているので、
「女君に心をひかれるいきさつ」は明らかでない。」
は、正しくは、こうあるべきだ、と言いたいんじゃないか。
「また、本文は、すでに二人が心を通わせた後の場面から始まっており、かつ、
それ以前の出来事についての回想描写も見当たらないので、「女君に心をひかれるいきさつ」は明らかでない。」
「心を通わせた後の場面から始まっている」≠「心を通わせたころの記述が存在しない」ってことか。 「男であれず、女になれない」という表現を目にしたのですが、
あれず、は一般的な言い回しですか?
ある、の可能動詞、あれるを想定していると思うのですが、個人的には違和感を覚えます
そもそも、ある・ありを助動詞れる・るで活用する例はありますか?
あられる、という尊敬表現も普通は、あらせられる、とすると思うのですが… >>405
あら・れる 【有られる】
( 連語 )
〔「れる」は尊敬の助動詞。「いらっしゃる」より少し改まった言い方〕
「ある」「いる」の尊敬語。 「お子さまが二人−・れる」 「生物学者で−・れる」
(三省堂『大辞林』) >>405
「男でありえず」は、あまり目にしないように思います。
同じ意味としては「男たりえず」のほうがよく見ます。 歴史的仮名遣いの読みの質問です。
「逢坂(あふさか)」は「オーサカ」と読むのに、
「葵(あふひ)」は なぜ「オーイ」と読まないんでしょうか。
よろしくお願いします。 あふぐ→あおぐ(仰ぐ・扇ぐ)
あふる→あおる(煽る)
あふ→あう(会う)
かふ→かう(買う)
‥とかあるからなぁ 昔の音韻なんてホントはわからん。
なにしろデータがないんだから。
それでも、なんとかして音韻に迫りたいやつらが研究はしている。
だが、いくらそれらしいことを主張しても、それは仮説でしかない。
ルールには例外がある。
例外の理由はわからないものがある。
そんな時には覚えておくしかない。
それだけのこと(プフ風 まあそうだよなあ
現代日本語アクセントの権威が講演で
似たこと言ってた 川端康成の山の音に、
おずれ、と、をずれ、の発音の違いの話が出て来るけど、
いずれはこんなのも、おそらくわからなくなるわけだ。
タイムマシンが欲しいな(笑 >>410
元が「あふひ」、今は「あおい」とデータが揃っているのに、昔の音韻はわからんとは見当違いなレスだ >>414
そもそも、文字を今のように読んでいるかどうかはわからん、って話だよ。
言葉があった。
支那の漢字を借りて万葉仮名をつくった。
万葉仮名から、カタカナ、ひらがなをつくった。
…
と言う歴史を考えてみろ。
音韻と文字の齟齬は言語の永遠の課題と言ってもいいだろう。 平安かな文学華やかなりし頃は、発音をかなに写しただけだろ
あふひはafufiみたいな‥
齟齬はその後出てくんでやんしょ
ima waを、いま「は」と書く現代のように >>408
そもそも、奈良時代では、
「は・ひ・ふ・へ・ほ」は、「fa・fi・fu・fe・fo」でした。
ですから、「あふひ」は、そのころ、おそらく「afufi」と発音されていた。
ところが、平安時代になって、語頭以外のハ行音がワ行音に変わるという現象が起こります。
これをハ行転呼音といいます。
そこで、「あふひ」は「auwi」となったらしい。(平安時代のワ行音は「wa・wi・u・we・wo」でした。)
つぎに鎌倉時代ごろになるとワ行の「wi」とア行の「i」が混同統合されア行の「i」になります。(すでに奈良時代にヤ行のイはありませんでした。)
この地点で「あふひ」は「aui」と発音されていたはずです。 (つづき)
そうこうしているうちに、中世、室町時代になると日本語に長音が現れます。
平安時代に「au(アウ)」と発音されていたものが「ǒ(オー)」という長音に変化したのです。
これは、「 au → ao → ǒ 」と変化したと考えられています。「u」が「a」と「u」の中間の調音位置の「o」になり、その後「a」「o」が融合して、普通の「o」より口を大きめに開いて発音する「ǒ」になりました。
以上の変化を「逢坂」に当てはめると次のようになります。
「あふさか(逢坂)」:「afusaka」→「ausaka」→「aosaka」→「ǒsaka」
しかし、「葵」は、
「あふひ(葵)」:「afufi」→「auwi」→「aui」→「aoi」→ ×
と「aoi」で変化をやめてしまった。
つまり、葵は途中までで音韻変化をやめ、「ǒi」とならず、「aoi(アオイ)」で定着し現在に至ったというわけです。
それで、現代では「オーイ」と読まず「アオイ」と発音するのです。
さて、ではなぜ葵は音韻変化を途中でやめてしまったのでしょうか?
この続きは気が向いたら書きます。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000061/files/510_46839.html
古代国語の音韻に就いて
日本の場合、文字ができる以前から、言葉はあった、と推測できる。それを原始日本語と仮に呼ぼう。
次のステップとして、原始日本語が話されながら、支那語を読み書きする期間もあった、と推測できる。
次に、萬葉假名の発明。これは完全な表音文字とは考えられない。たとえば、
○ひんがしののにかぎろいのたつみえてかえりみすればつきかたぶきぬ、
と言う柿本人麻呂の和歌を、一例として、
△東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡
のように書き記す。
例えば、助詞「の」は文字づらとしては現れていないだろう。全くの漢文でもない。
そして我々に残されていたのは△である。△と、解析された時代にも残る和歌の特性を考慮して、○を構成したわけだ。
なぜ●つきかたぶきぬ、であって、▲つきにしわたる、ではないのか?
これは調べていないけれど、多くの人が●のほうがいいと思ったから、レベルの話ではないかと思う。
同じような表現を探して比較検討し、結論を出すこと、も無論あるだろう。
次に、カタカナとひらがなが発明される。これらは表音文字だから、このへんでやっと、音韻と文字を対応させられる
ようになったわけだ。
この時点から、原始日本語になんらかの影響が出て、原始日本語が変質する可能性もあるかも知れない。
ただし、現代では、ゐやゑの表音文字は使われなくなったことを考えると、はたして、すべての音を、カタカナとひらがなで
表記できるようになっていたか、は定かではないと思う。
例えば現在の日本語でも、鼻濁音を表現する表音文字は存在しない。
また、カ音を幾通りかの文字を使って書き分けているのだけれど、それらは本当にカ音なのか。
ゐやゑを考えると断定は迷う。
偶然に残っていた文献しか、てがかりがないのだから、データとしてはそれだけで推理し、仮説を立てるしかない。
あとは様々な知識を、推理の補強に使うくらいか。
以上、したがって、音韻に関して、真摯な態度でのぞむならば、断定は非常に困難であることがわかるだろう。
橋本さんは、かなり断定している。自説に自信を持っているからだと思うけれど、
それはあくまでも仮説であることを、我々は忘れてはならない。 日本語は比較言語学の手法の多くが
利用できないので苦しい
昔ほど一致していたっていう原理の根拠も薄弱 濁音符ないのに表音で書いていた
とかアホですかw
やってないやん 萬葉集と比較研究できる可能性があるのは、半島の郷歌なのだが、
萬葉集が4500首であるのに対し、郷歌は数十首しか発見されていないので比較検討は難しい。 >>408の「あふひ」の質問には平安期のかな書き時代から始めれば十分なのに、奈良とかのカナ以前を持ってきて蘊蓄を傾けようとするのは過剰反応だろ >>424
ご気分を害したのなら謝ります。
ただ、現代語のハ行は「ha・hi・fu・he・ho」であり、
平安時代にハ行点呼が起こったことを説明するために、
当時のハ行音が現代と違っているということを説明する
必要があると思い、当時のハ行は「 fa・fi・fu・fe・fo 」
であると考えられていることを述べました。
いきなり「fa・fi・fu・fe・fo」が「wa・wi・u・we・wo」
になったといっても、ハ行が「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」
ということを知らないと分かりにくいと思いましたので。 それから、今考えてみますに、上のほうでデータがないとか、
ファンタジーだとか、日本語学の存在を不当に軽視する書き
込みが見受けられましたので、きちんとした学問的手続きを
経たうえで、各時代の音韻がどこまで分かっているのかを示
そうという気持ちがあったことは否定しません。
かつて、国語学を学んでいたこともあり、そう安易に音韻や
音価を推測しているわけではないということを言いたかった
のです。
ただ、そのためには、上に述べたことにいちいち出典や資料
の証拠を挙げねばならず、それこそ衒学的自己満足に陥る虞
があるので、それは控えたのですが、それがかえって知識の
ひけらかしや、決めつけのように取られてしまったようですね。
反省します。 >>426,427
418,419の書き込みはちゃんと質問に答えているんでいいのです
410や412,415なんかが、昔のことはわからんとだけ乱暴に言い捨てるのがよくないと思っただけです 誰も学問の成果を否定してなんていない。
まず日本語をよく読む事。
過去の音韻はデータがないからわからない。
これは単なる事実。
事実は事実として受け取らなければならない。
その上で過去の延長線上にある現代の音韻と、残された文献から、
過去の音韻に肉薄するしかない、
ってのも単なる事実。
学問以前にこれは常識の問題。
そして過去の音韻についての、すべての学説は、仮説だ。
仮説と言うことは、状況が変われば、つまり、新たな文献が発見されたりすれば。
その仮説は否定されることもありうる。
当たり前のことを言っているにすぎない。 出発点の質問は「あふひ」のその後の変化
その質問と関係ないことを嬉しそうに言っているだけじゃないか >>429
あなたのいうデータとはどういうものですか。
データ(date)
物事の推論の基礎となる事実。また、参考となる資料・情報。
「データを集める」「確実なデータ」
『デジタル大辞泉』
日本語史には、自国の言語を内省した悉曇学の資料や音韻を
アルファベットで記したキリシタン資料、さらに方言学から
実際の発音を推測する音韻データが得られます。
あてずっぽうで推測しているのではありません。
それから、科学が仮説とその検証によって発展するのは、
あなたのいうとおり当たり前のことです。
ですが、ここは質問スレッドです。
資料を分析し、仮説を重ね構築した理論で、現象を矛盾なく
説明しようとしているところへ、わざわざ「データがないか
らわからない」「すべて仮説にすぎない」書き込む意図はな
んなのですか?
「その答えには意味がない」といっていると解釈されても
おかしくはありませんか?
わたくしが上で「日本語学を不当に軽視する書き込みがみられる」
と書いたのはそのことです。 >>431
言われなきゃわからんのか?
音韻のデータとは、音韻そのものだよ。
だから、お前さんが説明?している内容も、仮説なだけ。
矛盾なく?
視野狭窄で自分のフィールドにだけしか興味を持たなければ、
無矛盾なんてことが言えないのは、ゲーデルを持ち出すまでもなく明白だろう。
まあ、自分が正しい、なんて広言するやつにロクなのがいないのはどの世界でも同じだ。 俺は日葡辞書以前は定説と呼べるような
ことは何も言えないと思うな〜
これすら標準かどうかわからんし
ポルトガル語側の資料でもあるから
理屈が循環するきらいがある >>432
人に日本語をよく読めとおっしゃるまえに、あなたこそ他人の書き込みを
よくお読みになったほうがよいですよ。
感情的にならず、建設的な議論をしましょう。
私の書き込みとあなたのおっしゃることは、食い違っていませんよ。
私の書き込みが仮説であるのは>>431で私も自身が認めているでしょう。
私は一度も自分の書き込みが事実であるなどとは申し上げておりません。
>>418-419 で述べたことが、決めつけのように受け取られたのなら申し訳
なかったと>>427で反省しています。
あなたが、仮説にこだわるのは、>>418-419で私が述べたことがあたかも
事実であるように書いているからでしょうか。
それならば、訂正します。現在の日本語史における音韻および音価の推定
は、文献資料から推定した仮説です。
ただ、>>431で書いた通り、仮説で現象をなるべく矛盾なく説明しようとする
のが学問の営みでしょう。
私はゲーデルとか難しいことはわかりませんが、常識的な範囲で判断している
だけです。 >>433
わたしもそう思います。
日葡辞書でさえ異説はありますから。
たとえば、キリシタン資料のオ段長音の音価はいまだに[ǒ]か
[oo]かで意見が分かれています。
ですから、音韻の推定はかなりできるのですが、音価の推定は
難しいですね。
平安時代のサ行子音も、[t∫] か[∫] かで説が分かれていますし。 「にほひ」の話をしているときに、[ǒ]や[oo]、[t∫] や[∫]の話を持ち出して、何もはっきりしたことはわからないんだから話をしてもムダと決めつけるのはどうかと思う 大学時代に確か中国古典(漢文)の授業で以下のような漢文があったような気がするのですが、どうにもそれが何であったか思い出せません。心当たりがあればご教示ください。
それ(よのなか)に三才あり、天文、地文、人文なり。天文は云々(以下それぞれの説明)・・・
ものすごくうろ覚えなので全然ちがったかもしれませんが、「三才」と「天文地文人文」が同時に出てきていたことが印象に残っています。 《孝經・三才》
子曰:「夫孝,天之經也,地之義也,民之行也。天地之經,而民是則之。則天之明,因地之利,以順天下。…… これからお話することは秘密ですので他人には言わないでください‥
おぉ、おぉ、クリックして1時間半みっちり聞いちゃったよ
これで金持ちの仲間入りだ、フフフ >>440,441
お礼遅くなりました、ありがとうございます。
ただ、どうもそれではないようで、「天文地文人文」というワードがあったように記憶しています。
学生時代のノートも処分してしまったし、手がかりが何もなくて途方にくれております。。。 西方有人焉不飲不食被髮東走已往復來其婦恒追掔錄之不肯聽止婦頭亦被髮名曰狂此人夫妻與天地俱生狂走東西以投晝夜
この文を訳したいのですが意味がちっとも解りません
何と書いているのでしょうか? 西方有人焉不飲不食被髮東走已往復來其婦恒追掔錄之不肯聽止婦頭亦被髮名曰狂此人夫妻與天地俱生狂走東西以投晝夜
句点もないから分かりにくいけど、だいたいこんな感じだと思う。
西の方に人が住んでい、その人が飲まず食わずで髪も振り乱して東に向かって走った。
で、とうとう行って戻ってきてその奥さんの恒さんが追求してこのことを記録し、
聞くだけでは終わらず、彼女もまた髪を振り乱した。
名前は狂というが、別名に顛、また別の名が覆。
この夫婦は世界(自然)とともに生きて、東へ西へと狂ったように走り回り、昼も夜もそれをつづけた。 >>447
どこでその文章をみつけてきたの?
句読点はついていなかったの?
どういう文脈のなかで出てきたの? >>449
ググったら普通に出てきた。「太平御覧」巻三七三に、「神異経」からの引用?として出てくる。
URL貼っておくので、漢籍に造詣の深い方、ヒマだったらよろしく。(ちなみに私は>>447ではない)
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E5%BE%A1%E8%A6%BD_(%E5%9B%9B%E5%BA%AB%E5%85%A8%E6%9B%B8%E6%9C%AC)/%E5%8D%B70373 >>450
それ、面白かった?
私はあまり読書家じゃないので、よっぽど面白いものじゃないと無理。
ちなみに私は国学や古代史・近代史が好きで、漢文では兵法家が好きです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています