古文漢文板の質問スレ4 [転載禁止]©2ch.net
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>>408
そもそも、奈良時代では、
「は・ひ・ふ・へ・ほ」は、「fa・fi・fu・fe・fo」でした。
ですから、「あふひ」は、そのころ、おそらく「afufi」と発音されていた。
ところが、平安時代になって、語頭以外のハ行音がワ行音に変わるという現象が起こります。
これをハ行転呼音といいます。
そこで、「あふひ」は「auwi」となったらしい。(平安時代のワ行音は「wa・wi・u・we・wo」でした。)
つぎに鎌倉時代ごろになるとワ行の「wi」とア行の「i」が混同統合されア行の「i」になります。(すでに奈良時代にヤ行のイはありませんでした。)
この地点で「あふひ」は「aui」と発音されていたはずです。 (つづき)
そうこうしているうちに、中世、室町時代になると日本語に長音が現れます。
平安時代に「au(アウ)」と発音されていたものが「ǒ(オー)」という長音に変化したのです。
これは、「 au → ao → ǒ 」と変化したと考えられています。「u」が「a」と「u」の中間の調音位置の「o」になり、その後「a」「o」が融合して、普通の「o」より口を大きめに開いて発音する「ǒ」になりました。
以上の変化を「逢坂」に当てはめると次のようになります。
「あふさか(逢坂)」:「afusaka」→「ausaka」→「aosaka」→「ǒsaka」
しかし、「葵」は、
「あふひ(葵)」:「afufi」→「auwi」→「aui」→「aoi」→ ×
と「aoi」で変化をやめてしまった。
つまり、葵は途中までで音韻変化をやめ、「ǒi」とならず、「aoi(アオイ)」で定着し現在に至ったというわけです。
それで、現代では「オーイ」と読まず「アオイ」と発音するのです。
さて、ではなぜ葵は音韻変化を途中でやめてしまったのでしょうか?
この続きは気が向いたら書きます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています