古文漢文板の質問スレ4 [転載禁止]©2ch.net
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もうすぐ初めてのセンター模試
今回古典は捨てていいですかね?
とりあえず国立の医学部医学科志望です。 >>520
好きにすればいいと思うよ。しょせん模試。本番じゃないんだから。
本番で「捨てる」ことは(国立医学部志望である以上)不可能なので
それまでにきちんと対策とっとけば、いいんじゃないの。 >>519
省略されてるのは分かってるんですけど、初めてその和歌を見たときに、ただの係り結びの強調だけではなく、逆接の意が加わり(つい長居してしまった)の部分が省略されてるって判断することはできないんですか?
「こそ 立ちどまりつれ(立ち止まったのだ)」のようなただの強調ではないというのがどうやったらこの和歌から読み取れるか?ってことです >>522
ほんのちょっとの間だけと思って、を受けたからじゃないかな。 『丘傑字偉跱,吳興烏程人也。十四遭母喪,以熟菜有味,不嘗於口。
歳餘忽夢見母曰:「死止是分別耳,何事乃爾荼苦。汝噉生菜,遇蝦蟇毒,靈牀前有三丸藥可取服之。」
傑驚起,果得甌,甌中有藥,服之下科斗子數升。丘氏世保此甌。大明七年,災火焚失之。』
yahoo知恵袋で↑を訳してくれと言ってる人がいて、それで訳されたのが↓ですがどう思いますか? 解釈がちょっとおかしい気がするんですが
丘傑は字を偉跱といい,吳興群の烏程の人である。十四歳で母の死に逢い,加熱した食品は味が有るといって(嫌い)口にしなかった。
1年余りして、突然夢に母を見、母は言った「死んでも、あなたの分別を止めさせるだけです。お前は(体に良いはずの)茶が苦いとは何事でしょう。お前は生の食品を食べたので,蝦蟇の毒に当たりました。
靈前に三つの丸藥がありますから、取ってこれを服用なさい」傑が驚いて起きると,果たして甌(容器)があった,その中に藥があり,それを服用するとオタマジャクシを數升も下した。
丘氏は代々、この薬入れを保存した。大明の七年,火災に在って失ってしまった。 死止是分別耳。何事乃爾荼苦の部分はかなり怪しいですね
死して止まるはこれ分別のみ
人は死んでも分別は残るものなのですね(母の気持ち)
何事乃爾荼苦は訓読が難しいのですが、
どうしても、そのように、苦い葉っぱを食べたりするのですか(母が息子を気づかう気持ち)
的な意味になると思います。荼は茶ではなくニガナです
何事、なんぞ事とせん
乃爾、すなはちかくのごとく
荼苦、名詞でトクと読みました >>526
死んだのは母でしょう?
分別は「好き嫌い」です。
「死するもこの分別を止めんとするのみ」
「(私は)死んだとしても、ただ、(おまえの)この好き嫌いだけはやめさせたいのです。」 また、「止まる(とどまる)」は、「終わる、休む、働くのをやめる」という意味で
「留(とどまる)」とは意味が違うと思います。
結果、「死して止まる」は「死んで無くなる(働きをやめる)」になってしまう。
「死するも(世に)留まる」とは違う。 分別、フンベツ、思慮・知覚・意識の意味で読みました。
母親は霊魂の存在を聴いてはいたけれど、半信半疑だったのでしょう。
ところが実際に死んでみると、霊魂は存在し、生前と同じように知覚があり、
息子と交信さえできる。その衝撃に対する感想ですね。
死止是分別耳。:死してとどまるは、これ、分別のみ
死んで肉体は朽ち果てたのに、意識だけは残っているのね。
死者への追悼文に「魂而有霊:死者に知覚があるのならば」という常套句がありますが、
それと同系統の文章だと思いました。 >>529
つづき
分別(ブンベツ?)好き嫌いについては、あまり賛同できません。
そもそも、私の解釈では、息子は「好き嫌い」で偏食をしているのではなく、服喪の行動
として、意図的に食を減んじているのです。
上では、「どうしても、そのように、苦い葉っぱを食べたりするのですか」と便宜的に訳しましたが、
母親も当然、息子が自分の為に度外れた粗食を敢行していることは、理解しています。
母親としては、一刻も早く普通の食事に戻して欲しいのですが、服喪の中断は中華思想では、
これ以上ない不孝となるので、母も制止はしませんし、強情な息子が勧告を受け入れないこと
くらい、母は承知しているでしょう。だからこそ、薬の紹介へと文章が繋がっていくのでは
ありませんか? >>530
つづき
止まる=留まるはイレギュラーだとの指摘は確かかもしれません。
とはいうものの、
「死するもこの分別を止めんとするのみ」においても、是を指示代名詞として扱うのはどうでしょう?
普通は此でしょうし、もっと言えば、人称代名詞の汝あたりの方がいいとさえ思えます。
「死するも止めんとするは、これ、分別のみ」なら、「あり」かも知れませんが・・・
少々、想像力が逞しすぎますが、私の解釈はこんなところですね。 まとめ
新字バカAKIのマヌケ発言その1
>白川静…漢文学者、中国史家
>つまり中華思想の持主。日本を中国の属国にしたくてそう言ってるんでしょ。
>結局、繁体字大好きなのは、中華思想にとりつかれて、日本を見下している連中。
新字バカAKIのマヌケ発言その2
>世界中の傲慢な華人(漢民族)や、香港等でも使われている「中国国語」の文字が繁体字。
新字バカAKIのマヌケ発言その3
>繁体字というのはシナ文字のこと。
>朝鮮でも日本でも、繁体字はあくまで「古代文字」に過ぎない。
新字バカAKIのマヌケ發言その4
>語法や文法を効率よく説明するためには、既存の文章を探してくるのではなく、ピンポイントで説明できる文を自分で作ってあげるのが一般的です。
新字バカAKIのマヌケ發言その5
>"以"に他動詞の意味はありませんよ。前置詞と副詞の意味です。
新字バカAKIのマヌケ發言その6
>支那国語表記における正しい書体が、日本国語表記における正しい書体とは言えないことは>両国言語の構造の差異を解するものであればまず否定しえぬ事実ではないか。 >>507に回答を下さった方、ありがとうございました
また訳し難い文があったのでご意見お聞かせください
有山名曰去痓南極果北不成去痓果
この文にはどんな訳が考えられるでしょうか? 山があり、その(山の)名前は去痓。
南の最果てにあり、その山を北に移すことは叶わず、結局去痓のままだった。
天帝様が山の位置を決めようとでもした創世記みたいな神話的な話なのかな。 山有り、名づけて去?という
(病気を治すために)南より極めて北を果たす(地球を一周した)も、
病を去ること成らず、(山は発見できず)、果つ(死んだ)
私ならこう解釈しますね。
地球が丸いことを知っているとしたので、新しい文章でないと困ります。 漢文で果の字が「(地の)果て」や「死ぬ」の意味で使われることはあるんでしょうか?
ちなみにその文は、世界は平らな大地で中華がその中心に位置しているという考えが常識だった時代に書かれたものなので、
地球一周の観念が著者にあった可能性は低いと思われます >>538
「果」のそういう使い方は日本独自の用法(いわゆる国訓) >>538
>>539
地球一周はさすがに言い過ぎました。
果たすは「とげる」の字義で読んでいるつもりです。極=果で「きわめる、つくす、とげる」かな・・・
果=死は国訓でしたか・・・
となると、私的には、痓(病?)を去るの果を成さず、ですね。
(どんな病をも治してしまう)去痓という山がある(らしい)
南から北へと(あらゆる手段を)尽くしてみたが、
(去痓山は発見できず)病を去るという成果は達成できなかった。
こんな感じでどうでしょう? あと、確認ですけど、この文章はホントに中国人の手によるものですか?
初見の時から、どうにも和臭を感じているのですが・・・ 少し調べたら、全く頓珍漢でした
山海経の中の一節ですね。
大荒之中,有山名曰去痓。南極果,北不成,去痓果。
さまざまな注釈の中でも難解とされているそうです。
結論は、読めません、です。 >>536-542
ありがとうございました
参考にさせていただきます
またご意見をいただきたいのですが
有神人面無臂両足反属于頭上
この両足反属于頭上の意味がいまいちわかりません
神がいて、人面で腕がなく、両足は反っていて頭上に属する
つまりこういうことでしょうか?
じゃなくて、
有神人面無臂両足反属于頭上
人の顔をした神がいて、
腕と両足が(あるべき場所に)なくて、かわりに頭の上に、腕と両足がついていた、
ってことだと思います。
新字バカAKIのマヌケ発言その1
>白川静…漢文学者、中国史家
>つまり中華思想の持主。日本を中国の属国にしたくてそう言ってるんでしょ。
>結局、繁体字大好きなのは、中華思想にとりつかれて、日本を見下している連中。
新字バカAKIのマヌケ発言その2
>世界中の傲慢な華人(漢民族)や、香港等でも使われている「中国国語」の文字が繁体字。
新字バカAKIのマヌケ発言その3
>繁体字というのはシナ文字のこと。
>朝鮮でも日本でも、繁体字はあくまで「古代文字」に過ぎない。
新字バカAKIのマヌケ發言その4
>語法や文法を効率よく説明するためには、既存の文章を探してくるのではなく、ピンポイントで説明できる文を自分で作ってあげるのが一般的です。
新字バカAKIのマヌケ發言その5
>"以"に他動詞の意味はありませんよ。前置詞と副詞の意味です。
新字バカAKIのマヌケ發言その6
>支那国語表記における正しい書体が、日本国語表記における正しい書体とは言えないことは>両国言語の構造の差異を解するものであればまず否定しえぬ事実ではないか。
これらのマヌケ發言についての言ひわけまだ?? 無が臂と両足の両方に掛かっているという発想はありませんでした
ご意見ありがとうございます 無ABという文で無がAB両方に掛かっている例が同じ書の中で他にあるのかを調べてみたら1ヶ所だけ状如牛〜無角一足というよく似た記述がありましたが
これは角と足1本がない(3本足)ではなく、角がなく1本足と解釈されてるようですね
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a1/Wu-Renchen-Shanhai-jing-guangzhu-Kui.jpg
無臂両足もやはり無は臂だけに掛かっているのでしょうか >>535
山海經には譯本が存在しますので、ご自分でお探しになつては。 実は訳本は持っているので、それを使ってここで遊びたいのが本心でござる。 >>551
では、訳本では「有神人面無臂両足反属于頭上」がどう訳されているのか教えてください。 >>547
無目鼻(目も鼻もない)
無吏民(役人も民もいない)
無禮信(礼も信もない)
無服食(着るものも食べるものもない)
みたいなかんじかな。 今年から大学のゼミで古文書を読み始めたものです。ゼミで読んでいるのは主に鎌倉時代の漢文なのですが、日本の漢文は中国のものとは勝手が違ってなかなか読むのが難しいのが現状です。こういった日本の漢文書を解説している書籍などありましたら教えていただけないでしょうか >>556
そういう書籍がみつかるまでは、原文を紹介して、この板で解説を求めてはいかがです?
古文に詳しい人なら、日本人の書いた漢文のほうがむしろ読みやすいかもしれませんよ。 候文は擬古文に含まれるのか否か果たしてどちらでせう哉? >>525
二ケ月近く前なので、もう見てないかもしれないけれど。
儒教では親の死に際しては喪に服して食事を減らし、
杖にすがるくらい痩せ衰えるのが孝行として賛美されました。
これも、母親の喪に服して調理された美味い料理を食べなかったという話です。
好き嫌いで偏食の話ではありません。
「止」は助辞で「ただ」
「乃爾」は「乃如此」と同じ意味です。
「荼苦」は「荼」も「苦」も「くるしむ」です。
だから「荼苦」で「くるしむ」です。
「分別」は「住む世界がわかれる」ということです。
死止是分別耳 死はただ是れ分別のみ
何事乃爾荼苦 何事か乃ち爾(しかく)荼苦せん
汝噉生菜 汝 生菜を噉(くらい)
遇蝦蟇毒 蝦蟇の毒に遇えり
靈牀前有三丸藥 靈牀前に三丸の薬あり
可取服之 取りて之を服すべし
死は、ただ住む世界がわかれただけです。
このように苦しまなければならないことは何もないのです。
(死とは、ただ住む場所が別れただけで、
服喪で美味いものを断ち生ものばかりを食べて
痩せ衰えなければならないような悲しいことではない。)
お前は生ものを食べて蝦蟇の毒にあたってしまいました。
靈牀の前に丸薬が三つありますから、
これを飲みなさい。 >>547
おそらく、角と一足では一字と二字で対にならず、
無角と一足が二字同士で対になるからではないでしょうか。
もし「無角足」なら、角と足が一時同士で対になるので
「角も足も無い」という意味になると思います。
これが正しければ、「無臂両足」も「無臂」と「両足」が対で、
「腕がなく二本足」という意味になります。 ご意見ありがとうございます
新たな質問なのですが
有獸焉其狀如菟而鳥喙鴟目蛇尾見人則眠名曰犰狳其鳴自䚯見則螽蝗為敗
この文の其鳴自䚯見則螽蝗為敗はどう訳すべきでしょうか? >>562
後半部分
敗は「わざわい」です。螽蝗は「いなご」です。
見則螽蝗為敗
見(あらわ)るれば則ち螽蝗敗(わざわい)を為す
犰狳が現れると、その地域に蝗害が起きる。
前半部分の「其?自?」はわからなかったので、
現代中国語訳をみたら、
「?出的叫声便是它自身名称的?音」
「鳴き声がそれ自身の名前の音になっている」
ということでした。
ワンワンと鳴くからワンワンという名前になったみたいなことです。
?は叫と通用し、叫は現代中国語で、
我 叫 名前
のように名のるときの動詞ですので、
理屈は通っていると思いますが、
この解釈が本当に正しいかどうかはわかりません。
また、鳴と?を動詞・名詞のどちらに解釈しているのかわからないので
訓読法も判然としません。 >>563は文字化けしてましたので再投稿
前半部分の「其鳴自䚯」はわからなかったので、
現代中国語訳をみたら、
「発出的叫声便是它自身名称的読音」
「鳴き声がそれ自身の名前の音になっている」
ということでした。
ワンワンと鳴くからワンワンという名前になったみたいなことです。
䚯は叫と通用し、叫は現代中国語で、
我 叫 名前
のように名のるときの動詞ですので、
理屈は通っていると思いますが、
この解釈が本当に正しいかどうかはわかりません。
また、鳴と䚯を動詞・名詞のどちらに解釈しているのかわからないので
訓読法も判然としません。
https://baike.baidu.com/item/%E7%8A%B0%E7%8B%B3/18060820 >>563
回答ありがとうございます
質問ですが、敗をわざわいとする理由はなんでしょう?
敗をわざわいの意味で使うことは漢文にはよくあるのでしょうか? >>565
大漢和辞典に「わざわい」とあり、
礼記の仲尼閑居の例文を引いています。
「四方有敗 (注)敗、謂禍サイ也。」
サイの字は裁の衣を火に変えたものです。
敗を「わざわい」とする用法は、
腐敗の敗の字と近縁の用法でしょう。
腐っても負けてるわけではないので。
?文解字では「敗は毀である」とありますので、
そこから「まける」という意味も「くさる」という意味も
「わざわい」という意味も出てくるのだと思います。 >>565
史書などで天文や予言を引いた文章でよく登場します
ここでは螽ですが、干魃、雨、霜、雹などが農作物に
害を成すことを表現することが多いようです 礼記を訳しているサイトがあったので見てみると、そこでは四方有敗を「世の片隅にでも手落ちがあれば〜」と訳していましたが、これは正確ではない駄目な訳でしょうか? >>569
結構意訳しているけど、ちゃんと知識のある人が、
予備知識のない人にもわかりやすいように意訳した
よい訳だとおもいます。
四方というのは世界中ということです。
四方有敗は、世界中のどこかで禍があれば、
ということですから、これを世界の片隅にでも、
と訳すのは逐語訳ではないけれど間違っていません。
古代中国の天子は民の父母として
世界を治めていることになっていますので、
世界の片隅の出来事にも責任を負っています。
このことを強調した訳になっています。
また、儒教の天人相関説によれば、
禍がおこるのは君主の徳が至らないせいですから、
禍があったということは君主に
手落ちがあったということになります。
たとえ世界の片隅であっても禍があれば、
それは君主の手落ちということになります。
ということで、
「世界中のどこかで禍があれば〜」
という逐語訳は、天人相関説を踏まえて意訳すれば、
「世の片隅にでも手落ちがあれば〜」
になります。
意訳なだけに予備知識がなくて原文と比べると、
なんで敗が手落ちなのかよくわからないと思います。 >>569
「世界中のどこかで禍があれば」という逐語訳は間違っていませんが、
仲尼閑居で、孔子が民の父母である君主に要求している責任感が
ぜんぜん伝わりませんよね。
ですから、そういうところまで伝えようとすれば
「世の片隅にでも手落ちがあれば〜」
という意訳の方がいいということになります。
逐語訳で良しとするのか、どこまで意訳してよいのか、
翻訳するときの難しさですね。 母がたの家の写真ですが何とかいてあるか分かりませんか? >573
○○おじいさん
だけ分かった。おじいさんの名前だとおもう そうですよねえ。二文字目が佑かなあぐらいにしかわからない。
因みに私の祖父にそんな名前の人はいない
祖父様の友達だと思う >>575
人に聞いてみたところ、
「直治おじいさん」ではないかということでした。
そういうお祖父さんは、おられませんか。 大荒之東極至鬼府山臂沃椒山腳巨洋海中升載海日蓋扶桑山有玉雞王雞鳴則金雞鳴金雞鳴則石雞鳴石雞鳴則天下之雞鳴悉鳴則潮水應之矣
この文を訳したいのですが「大荒の東極は鬼府山」で詰まってしまいます(鬼府山に至る? 鬼府山の臂と沃椒山の腳に至る?)
鬼府山の先はどう訳すのが自然でしょうか >>577
中国語のサイトを見たら、以下のように句読を切っていました。
https://zh.wikisource.org/zh/%E7%A5%9E%E7%95%B0%E7%B6%93
大荒之東極,至鬼府山、臂沃椒山,腳巨洋海中,升載海日。盖扶桑山有玉鷄,玉鷄鳴則金鷄鳴,金鷄鳴則石鷄鳴,石鷄鳴則天下之鷄悉鳴,潮水應之矣。
「臂」は「一個較大地區的狹長地帶。如:銀河的旋臂 」という説明をしているサイトがありました。
「細長い形状の広い地域」というような意味ですので、
「腳」も似たようなことかと思います。
「升載」は他に用例が見つからず、具体的にどのような意味かは解りませんでしたが、
文脈から推測すれば、海の上の太陽に向かってそびえているというような感じでしょうか。
大荒の東の極みは,鬼府山に至り、沃椒山に腕を伸ばし,
巨洋海中に腳を浸し,海上の太陽に向かってそびえている。
扶桑山に玉鷄がいる。玉鷄が鳴けば則ち金鷄が鳴き,
金鷄が鳴けば則ち石鷄が鳴き,石鷄が鳴けば則ち天下の鷄が悉く鳴き,
潮水が之に應ずる。 >>578
潮水が応ずるとは何を指しているのでしょうか
潮の満ち引きでしょうか 延慶本平家物語での敦盛の最期の場面、敦盛の容姿を描いた部分でどうしても読解できない
箇所がありましたので、どなたか教えてください。
【原文】
熊谷こしがたなをぬいて、うちかぶとをかかむとてみたれば、十五六ばかりなるわかうどのいろしろく
みめうつくしくして、うすげしやうして、かねぐろなり。
せんけんたるりやうはつは秋のせみのはねをならべ、ゑんてんたるさうがはゑんざんの色にまがへりなむ
ど云も、かくやとおぼえてあはれなり。
【自分なりに分かる部分に漢字を当てはめるなどしてみました。】
熊谷腰刀を抜いて、内兜を掻かむとて見たれば、十五六ばかりなる若人の色白く
見目美しくして、 薄化粧して、鉄漿黒なり。
嬋娟たるりやうはつは秋の蝉の羽を並べ、 宛転たる双蛾は遠山の色にまがへりなむ
ど云も、かくやとおぼえてあはれなり。
・嬋娟たる ⇒ あでやかで美しいさま
・宛転たる ⇒ @言葉・声などがよどみなく、なめらかに発せられるさま
A緩やかな曲線を描くさま。特に、眉がゆるく弧を描いているさま
・双蛾 ⇒ 美人の眉
・遠山の色 ⇒ 遠山の眉:遠山の色のようにうっすらと青い眉。美人の眉をたとえていう。
【不明箇所】
“嬋娟たるりやうはつは”の部分の“りやうはつ”の意味が分かりません。
りやうはつ⇒りゅうはつ⇒柳髪
とも考えましたが、柳髪の意味が「女性の髪の美しさを柳の枝にたとえた語」とのことなので、
男性の敦盛に使用するのは違うのではと思います。
一方で、“双蛾”も本来女性に対して使う語だということを考えれば、“りやうはつ”はやはり“柳髪”で、
文章の意味は
「あでやかで美しい女性の髪は、まるで秋の蝉の羽を並べたかのようだといい、
美人の眉はまるで遠山のように薄っすらと青みがかっているというが、
まさにこの少年のようなことをいうのか、と思い、かわいそうになった」
という解釈となるのでしょうか。 嬋娟両髪秋蝉翼は白楽天が出典だと記憶しています
意味は知りません 原典では嬋娟両鬢秋蝉翼宛轉雙蛾遠山色で髪ではなく鬢
恐らく平家物語書いた人が鬢を髪と見間違えて両髪という謎の言葉を作ってしまっただけだからいくら考えても意味はわからないと思う こんばんはですよ
>>581さん
>>582さんがおっしゃる通り、白楽天の『井底引銀?』という詩の中に
「嬋娟両鬢秋蝉翼(嬋娟たる両鬢は秋の蝉の翼(はね)、宛転双蛾遠山色(宛転たる双蛾は遠き山の色)」
という言葉が出て来ます
この前半部の意味は「透き通った秋のセミの羽の如く艶やかな両の鬢」
後半の意味は『なだらかな弧を描く双つの眉は遠き山を写したかのように美しい」と言うことです
なので、>>581さんのお尋ねの「嬋娟たるりやうはつ」とは、「嬋娟たる両鬢」と言う言葉を言い換えて
「嬋娟たる両髪」としているのではないかと思うのですが >>582、>>583、>>584
ありがとうございました!
すっきりしました。 漢文だと色の説明で青と書かれている場合、青色ではなく黒色を意味していることもあるようですが、どうやって青か黒かを判断すればいいのでしょうか 平家物語の、扇ノ的 のところで最後に射殺される、
歳五十ばかりなる男の黒革をどしの鎧着けて白柄の薙刀持ったるがあふぎたてたりけるところに立ちて舞しめたり
のこの五十歳位の鎧武者の地位とか役職とかは、当時の事情を知ってる人なら
大体判るものなの?
それとも、地位とか立場とかいうものはあんまり意味は無くて、
白柄と黒革、薙刀と矢、若武者(那須与一)と老兵の対句的な対比という修辞のために出てるだけ? 「年ごろもあればこそあれ、(長年こうしてきたのに、)」【徒然草】
「あれば」は「未然形ば」で順接、
「こそあれ、」は「こそ〜已然形」で逆接ですが、
どうして上のような訳になるのか教えてください。 受け身のとこで質問というか漢文全般について質問です
この場合の受け身形だと ーる らルと書き下す時に描くと思うんですが例文を見ると れ と訳してあって る の活用させたものだと思うのですが活用させる時って漢文のどこをみて考えればいいのでしょうか?
初歩的な質問で申し訳ない
https://i.imgur.com/K22V2Jq.jpg >>591
、があるから連用中止法ということで連用形の「れ」、でしょうか? ああよかった、もし間違ったことを答えていたらどうしようって思っておりました 無料で独自ドメインを多数取得&運用する方法
https://ryoma.space 信賞必罰の「信」って文法的にどういう役割を果たしてるんですか? >>597
英語でいうと副詞的な感じになるのじゃないかしら。
(公平公正に額面通りに)賞め、(見逃しなどないよう確実に)罰す。 「何事かを始めるのに遅すぎることはない」という意味の漢文はありませんか?
先ず自分で調べてみると、近い意味で「見兎放犬」という四字熟語を見つけました。
他に何かご存知の方いたらご教示ください。 質問です。古文か漢文かは覚えてません
現代語訳すると「100年先も咲いています」と訳せる本文のタイトルを教えて欲しいです。
恋愛物で百合の花が出てきた気がします。
調べてもでてきませんでした 読み下し文を教えて下さい。
豈能尽如人意
但求无愧于心 >>604
あによくことごとくじんいのごとくならんや
ただこころにはづるなきをもとむ(もとめん)
テキトーです。 ここで聞いても良いのか、わからないけど、
文献ってどうやって整理してますか?
歴史や文学関係の論文、単行本。
ゼミや小さな研究会などで配られたレジュメ。
江戸時代の版木本。
そして古文書。
PDFだったり、jpgだったり、形式はいろいろ。
自然科学系だったら
mendeley、jabref、Zotero、refworks、redcubeなどのソフトを使うと
国会図書館などの書誌情報を簡単に取り込めて、手元のPDFと関連づけられるのですが、日本語、特に古文書は扱いにくいです。
ExcelやEvernoteでまとめているのですが、自然科学系に比べたら効率が悪すぎます。
何か良いアイデアがあれば教えてください。
京大式カード、最強?? 戸籍謄本に載っている漢字がiOSで表示されないのですが、旧字体の他に「今は存在しない漢字」ってあるのでしょうか?
設定で簡体字の手入力で試しても出ませんでした ちなみに、アジアの亜の一番下の横棒を取り、右下に「、」を付けた漢字です
そんな漢字、今ありますか? >>607
ある。
人名用漢字が制限される以前は、戸籍は「届け出された書類の漢字をそのまま記載」が原則だった。
よって、「書き間違えた漢字」なども、そのまま受理されるケースが多く、
結果として「その人の名前でしか用いられない異体字」が相当数発生してしまった。
また、「特定の地方で造語され、そこでしか使用されない漢字」というのもあった。
(いわば「国字」のローカル版ね)
大部分が廃れてしまったので??「今は存在しない漢字」となる。
>>607
ご質問の字は「卯」の異字体とのこと。(「超漢字検索」による) >>609補足
ちなみに、「日本漢字(国字)」とのことなので、
609で述べたような事情で生まれた漢字と思われる。
「今は使用されない漢字」とみなして問題ないかと。 >>610の訂正。
> ちなみに、「日本漢字(国字)」とのことなので、
→ちなみに、「日本漢字(日本で用いられている字体)」にしか見られない形なので
国字の可能性が高く
使い始めたばかりのソフトだもので、記載の読み取りを誤った。申し訳なし。 中将が山里の娘の母を見舞う時に娘と中将が一夜を共にする話分かりますか? >>607
朝日漢字は比較的最近に作られて
もう誰も使わない漢字だね やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ 【警察による国民監視衛星の悪用】
◎電磁波を使った国民に対する人体実験・虐待・拷問・性犯罪
『未分類 電磁波による拷問と性犯罪 Archive. is』の記事を御覧ください。
http://archive.fo/sFWAh
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【告発者】色川高志(葛飾区青戸6)
◎日本全国にたくさんの被害者がいます。
@私、色川高志はこのような犯罪を絶対に認めないし絶対に許さない!!
A私、色川高志はこの犯罪の撲滅のために最後まで闘い抜くことを誓います!!
B私、色川高志は邪悪な警察権力に対して敢然と立ち向かうことを皆様にお約束します!!
C私、色川高志は被害者に代わり自らが電磁波による人体への攻撃を受ける覚悟でいます!! 家電の事ならGood Price 2018にお任せください!
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Rock54: Caution(BBR-MD5:fc5433912aa55592f73f2dda4d43bdf8) ★▲★★This world is at the entrance of second medieval period. First, Europe was stagnated by Catholic rule and now the world, by Communist rule.★★▲★
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