日韓併合時代(1910-1935)の朝鮮詩を覚えよう [無断転載禁止]©2ch.net
日韓併合時代(1910-1935)の朝鮮詩を覚えよう
2016年の師走、日本人なら誰もが
知る戦前の英霊を奉る神社でチョン・チャーハンによる
靖国爆発音事件が起きた。爆発音事件以前から38度を超えた
共産勢力のヘイトは
コンスタンスに行われたいたが、この事件により
韓国サイドの反日活動そのものは悪意に満ちた物である
ことは日本人は確信した。
この事件に機に日本社会は急激に隣国との
認識を変え、多くの人は日本でも力の強い右翼を支持し出した。
売春、歴史のねつ造、韓国起源
どれをとっても『云われのない』の戯言で
証拠もなければ、根拠もない。それでいて彼の国の人々は
日 本 人 は 謝 罪 し ろ の
一点張り。と、いうのも
あらゆる情報媒体を利用しても、まず先に出てくるのは
韓国近代化の栄光ばかりである。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) <創氏改名は朝鮮人の希望・奥野氏証言>
かつて自民党総務会で、野中広務が「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言した
麻生太郎を糾弾したことがある。
そのとき奥野が「野中君、君は若いから知らないかもしれないが、麻生君が
言うことは100%正解だよ。朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。
そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。
判子をついたのは内務官僚、この私なんだ」と言ったら、野中はそこで
中座して出ていってしまった。
横で聞いていた野呂田芳成は「いや、奥野先生、今日はホントにいい話を
聞かせていただきました」と感激していた。
ソース:「別冊正論」 第一号
奥野 誠亮(おくの せいすけ、1913年(大正2年)7月12日 - )は、日本の内務官僚、
政治家。「おくの せいりょう」と呼ばれることもある <創氏改名は朝鮮人の希望・奥野氏証言>
かつて自民党総務会で、野中広務が「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言した
麻生太郎を糾弾したことがある。
そのとき奥野が「野中君、君は若いから知らないかもしれないが、麻生君が
言うことは100%正解だよ。朝鮮名のままだと商売がやりにくかった。
そういう訴えが多かったので、創氏改名に踏み切った。
判子をついたのは内務官僚、この私なんだ」と言ったら、野中はそこで
中座して出ていってしまった。
横で聞いていた野呂田芳成は「いや、奥野先生、今日はホントにいい話を
聞かせていただきました」と感激していた。
ソース:「別冊正論」 第一号
奥野 誠亮(おくの せいすけ、1913年(大正2年)7月12日 - )は、日本の内務官僚、
政治家。「おくの せいりょう」と呼ばれることもある 【小林よしのり】 青木・玉川の左翼コンビがまた間違い発言〜日本の韓国併合はドイツのポーランド侵略と全く違う[09/10]
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1568096907/ 『おもちゃのブロック「伊藤博文 暗殺劇セット」に、日本列島激怒』
(韓国報道)
韓国内のニュースですが、少し間違っているので、韓国新聞社にメールしました。
近年日本でも、安重根義士は抗日闘争の英雄として再評価されています。
伊藤博文は、当時の虐殺侵略国家日帝から送り込まれた侵略者なので、
暗殺されても仕方がなかった、という見解が日本でも主流になってます。
例えば、宮城県の大林寺では安重根義士が祀られており、毎年大規模な法要が行われ、
韓国人同胞とチョッパリが何千人も集まります。
チョッパリですら英雄安重根義士に想いをはせ、非道な伊藤博文を憎んでます。
記事の伊藤博文暗殺劇セットですか?むしろ微笑ましいですね。
今なら日本でも売れると思いますよ。
テーハミングマンセー!イルボンチュゴラ!イルボンチュゴラ!イルボンチュゴラ!!!
そして、ウィデハンスリョン、キムイルソンドンジ、ヒョンミョンサーサン、マンセー!
心はひとつ