古文書を楽しむスレ [無断転載禁止]©2ch.net
面白い古文書、真面目な古文書等を貼って楽しむスレです
番付漢籍浮世絵なんでもありです 無形文化財でちまちま残すより犬HKやらが大特集組めばいいのにと思ってる
そして当時は500〜4000人レベルで、もっと完璧な所作装束だろうと思ったらゾクゾクする
シーンとした中錫杖、掛声、足音だけが響いてたらしいけど、さぞかし壮観だったろうと
九州やら金沢や萩から江戸まで遅れずに250年近く參勤するヿ自体偉業とも思う
近代化軍隊への移行で行進に手間取ったとかの記録が皆無なのも頷けるね まぁこういう動画なんかも上げてくれる人いたら嬉しいね
誰も興味示さない動画に凄い価値があったりする http://i.imgur.com/wblZFQR.jpg
http://i.imgur.com/2Bcdqun.jpg
http://i.imgur.com/tsQb9CF.jpg
両手拡げてる所作の謎や起源を調べてたけど埴輪眺めて終わってしまった
相当前から類似したような所作があったんだろうと思ってる
奴や奴婢の定義は古代から何ら変わってないしそんなもんなんだろうね >>164
> 遅レス失礼、大名行列はこんなんよ
ちくちゃん こんな 気なんかぜんぜん使わないでよ
おれなんか いろんな都合で、何週間でも まったくカキコできないよ(書き込まなくても
見てるから 読んでるから)
大名行列というのは、もしこれにぶち当たって、土下座とかしないで 無視してたらどうなんの?
あ、次の絵を見ると みんな確かに土下座してるな ガキンチョまでしてる。。。
> 驛毎に武家は特殊なゆっくりとした特殊な歩き方をしだす、裏で馬の荷の積み替えをしてる
> ペリーも日記に書いてた特殊な歩き方、司馬遼太郎は死ぬまでわからなかった謎の歩き方も今ではつべで容易に見れる
その「ゆっくりとした特殊な歩き方」をつべで容易に見れるって ユーアーエルは?
> 誰も興味を示さないけど
いや興味ある、そういう行儀こそ、文字で表現できない、そこに日本人のプロトタイプが
見て取れるはず
あ、ごめん、これか
> https://www.youtube.com/watch?v=6VZEc7cbz1c&list=PLQdrydf9HXjB6aTZ2_fsY5UWPjXhb9qHN
> こんなのが300藩から江戸に集うし、毎日の登上でも当然伴揃の所作は変わらない、武鑑が売れるのもよくわかるね
-----------
文書によらず、祭りとか こういった形で 古式が伝えられていくのだな
これからじっくり見てみる まだ数分しか見てないが こんな異常な動作で、しかも全然前へ進まないじゃん、これ! わたくしごとだが
この部屋のみんなは日本中色んなところに住んでると思うが(当たり前過ぎてごめん)
おれは文化伝統とまったく隔絶した地域に育った
祭りなどない。。。あるのはドラえもん音頭と、東京音頭だけだ
かるがゆえに 鴎外が諏訪野だっけ?文化伝統が濃い地域から出現してると読み、つらいもの感じる >>173
先触れって言って村人や伴揃が先に走って「来るぞ」って呼びかけてる
話しながら見たい人は離れたところから見てる、近くにわざわざ行くのは武鑑片手に「見に」行ってる
殿様の籠が通るとき以外は顔あげてていいんだよ
http://i.imgur.com/EdDMZJA.jpg
浮世絵師の名誉や武家の名誉の為に言っとくが、時代劇のせいで洗脳されすぎてる
先触れの祭だけが残ってたりもするよ
https://www.youtube.com/watch?v=xATpDmRCOuc&index=2&t=580s&list=PLQdrydf9HXjB6aTZ2_fsY5UWPjXhb9qHN
ここはかなり風化してるね
「奴振」って名前で祭が残ってるけど、これ奴さんの所作を真似してるだけだから許可されてる
だから1700年代くらいから続いてるし、他の祭、いわゆる田舎の祭ってのもその時期あたりで出来てるのが多い
つまり先触れが形骸化して神輿なんかで残ってたりする所も多々ある
虐げるだけの「支配者」側の所作なんかを真似するはずもない
武家の本質は誰に命令されるわけでもなく、勝手に祭としてひっそり残ってる所に現れてる気がする
戦後はいわゆる扇腹やら極極極一部の極めて稀な例を上げて武家をコケにして来た所が大きいが、武家の小サ刀は己の腹掻っ捌く為にある事も忘れた人が多くて悲しくなるね
伴揃の奴さん、あの折り紙の奴さん、奴さんは庶民の側の呼び名、武家語ではあくまでも中間
商人や武家や中農の二男三男が礼儀見習いで「奴さん」になるんだけど、子供女にはとことん優しくて、敵であれば幾万の敵にも怯まない気概を持った「奴さん」
和漢三才図会では、奴、奴婢は名指しで賤民
教科書でも習うが古代から奴、奴婢は賤民
現代でも未だに「賤民」のポーズでたまに出没してるけど、日本人の賤民感はそんなもんのような気がしてると一昨年くらいに悟った 奴さんって存在が大好きでね
今でも奴凧、冷奴、折り紙でも愛されてるけど、江戸時代の人気者は歌舞伎役者と奴さんなんだよ
古代から賤民認定してる奴さんが今だに愛されて、かたや一職業として普通に生活してた方はいまだに差別だののたまってるのも一興だね >>174
わざとだからね
駅(宿)毎にやってたと思っていい、裏で馬の荷物入れ替えてる
蹄鉄が無かったけど日本馬の蹄は硬い、それでも萩や南部地方から江戸まで通して荷を負うことは出来ないしさせない、だから一駅(4キロ〜9キロ)間や一駅二駅飛ばしたくらいで必ず荷を積み替える
その間の所作と思っていい
江戸時代の旅人は皆手ぶらに近い姿で旅行してるけどそれくらい宿(駅)は機能してたんだよ 鎌髭と撥鬢、そして殆ど「一本差」が奴さんの特徴
浮世絵なんかにもよく出てくるからチェックしといてね
今でもお菓子なんかにも書かれてたり
http://i.imgur.com/hAsxnvI.jpg
両手を広げた所作は今でも見かけることが多い
http://i.imgur.com/z3RZ1ho.jpg
>>164の掛川、これ薩摩藩の奴なんだけど、江戸時代の断トツ一番人気は薩摩奴
髷含めたシルエットはまんま折り紙の奴さんだね
司馬遼太郎は伴揃、つまり中間、奴さんがなんで歌舞伎役者並に人気があったかもわからないまま死んだ
近所でこういう祭があるところの人は常識レベルでしってるんだろうけど、大阪は天領のせいもあって祭として殆ど残ってない
住吉大社で結婚式したら奴振りもお願いできるみたいだけどどこの藩の奴振が残ってるのか気になるね
https://www.youtube.com/watch?v=spaeHjOfmIs&list=PLQdrydf9HXjB6aTZ2_fsY5UWPjXhb9qHN&index=45 奴さんってのは戦国時代の遺風を遺してる、つまり侠気があるらしい姿みたいでね
江戸時代の人も何だかんだで戦国時代の武将が好きみたいで
http://i.imgur.com/zC5hey8.jpg
歌舞伎の演目でもあるし歌舞伎役者の所作は彼等の真似って彼らは知ってるだろうに、何か言ったら差別差別で何も言わなくなってるね http://i.imgur.com/hpMEw9A.jpg
http://i.imgur.com/i5WVhBh.jpg
http://i.imgur.com/LvVTJZe.jpg
しかし奴さんも凄いが武士はヤバイね
絵で気持ち悪いくらい足揃ってるけど動画や実地で見ない
とこの謎は解けるはずないよね
浮世絵師は見たまましか書いてないと彼らの名誉の為にも言っとく
もう少し言えば、1604年以降の武家の姿は描くなと何回言われても書き続けてきた浮世絵師の根性もなかなかだ
風景です〜とかで誤魔化してきたんだろうが、庶民の武士好きは異常 奴振りってのも普通に受け渡してただけだったのにとある奴さんが投げ渡して評判になってどこの藩も許したそうで
http://i.imgur.com/5WRjHN0.jpg
こんな殿様が見てる前で、殿様の物を投げ渡す根性も半端ない
そこがまたウケたんだろうね ごめんね、史学会で論文書いても一笑されて終わるのがオチで
ただ何か伝えたいけどそんな時に2ちゃんは便利だよね http://i.imgur.com/EUdSL7E.jpg
しかし両手を広げるのがこんなに好きな日本人も今では歌舞伎か能か奴振くらいでしかお目にかかれないのがすごいね
ちな町奴の天敵旗本奴の水野殿(2000石)
2000石も半端無いけどそれを顧みないつっぱり方もやっぱヒーロー臭がするね
http://i.imgur.com/f9gnfUa.jpg
勝成以来の水野家の破天荒ぶりも面白い
花の慶次より花の水野家描けばいいのにね >>175
東京かな?
東京でも奴振りやってるよ
https://www.youtube.com/watch?v=XNmhYzmHbMc&list=PLQdrydf9HXjB6aTZ2_fsY5UWPjXhb9qHN&index=43&spfreload=10
野次にほんのかすかに江戸兵衛根性感じる https://www.youtube.com/watch?v=bF42xzkPf6M&list=PLQdrydf9HXjB6aTZ2_fsY5UWPjXhb9qHN&index=61
個人的にはここと萩と掛川が色濃く残してると思う
ここの奴さんの「おっとっと」は歌舞伎のあれそのままだね
おっとっとしながら江戸まで行ってる根性はなかなか http://i.imgur.com/nnsAvsp.jpg
http://i.imgur.com/ZFVCurT.jpg
動画を見たうえでこういう絵を見るとなんとなく動きの予想がついてより面白くなるね
そもそも挟箱を持つ中間がなんかおかしいけど
ちなみに挟箱の中身は着替えです
ペリーの言った武家は「横に横に歩く」
文章で想像できるもんじゃないわな
月代は「抜きあげる」
小サ刀で腹を「掻っ捌く」
武家(足軽でない)は別人種レベル
外人が今でもサムライに拘るのもなんとなくわかる気がする だめだ大名行列が好きすぎてレスが止まらん
矢掛なんか見てもわかるように舊街道はとても狭い
狭いから変に広報してもキャパオーバーになるんだろうが残ってる地域は大切にして欲しい
東京やらで道路封鎖して全国奴振大会したらそれはそれは最高の見ものになりそうだよね
数キロに渡って完璧な所作の、各藩毎に変わっていく大名行列を見てみたい
大金持ちになったら企画しよう 僕の知ってる限りじゃ各都道府県で最低五ヶ所以上でやってる、何の広報もせずにやってるとこもある
動画にうpされてないところも多い、うpの仕方もわからない僻地のとこもあるだろう
そしてほとんど春か秋、參覲の出発帰郷にあわせてあってる
案外となり町でやってたりするから知ってる情報あれば教えてほしいね >>191
このえは何の場面でしょうか? 天目山?、武田勝頼と
武将は、今なにを思っているのでしょうか?
諸外国でも、武将は人気あるときく 日本人も武士や戦国武将が好きです
町民や農民、あきんどは、現代人の憧れの対象にならず、ひとを殺す武士に
日本精神を映し出す
書くのは もちろん 考えることも いまできないが 庶民や商工人にも偉人は恐ろしいほどいる、後世の「お偉い様」が見てみぬふりをしてきただけ
僕は郷土史を蔑ろにしてきたお偉いさんを否定してるし、郷土史や国学漢学がアマチュア主導にならざるを得ない現状が悲しいね
ヒストリカル・インフォマティクスのような新しい学科等が必要と思ってる
庶民や商人の偉人には面白い人が多い、案外身の回りに偉人がいたりするよ
http://www5b.biglobe.ne.jp/~ms-koga/126yashirou.html
この人なんか糞貧乏だけどとても優しい「よか男」
良き為政者は庶民であろうがきちんと称える
夜須の朝日の弥四郎は 親に孝行尽くしつつ 牛馬に鞭をあてざれば 寿持の田は作りどり(黒田斉清作) 人ヲ殺スハ國家ノ大禁ニシテ人ヲ殺ス者ヲ罰スルハ政府ノ公權ニ候處古來ヨリ父兄ノ爲ニ讐ヲ復スルヲ以テ子弟ノ義務トナスノ風習アリ
右ハ至情不得止ニ出ルト雖トモ畢竟私憤ヲ以テ大禁ヲ破リ私義ヲ以テ公權ヲ犯ス者ニシテ固擅殺ノ罪ヲ免レス加之甚シキニ至リテハ、
其事ノ故誤ヲ問ハス其理ノ當否ヲ顧ミス復讐ノ名義ヲ挾ミ濫リニ相搆害スルノ弊往々有之甚以相濟事ニ候依之復讐嚴禁被
仰出候條今後不幸至親ヲ害セラルヽ者於有之ハ事實ヲ詳ニシ速ニ其筋ヘ可訴出候若無其儀舊習ニ泥ミ擅殺スルニ於テハ相當ノ罪料ニ可處候條心得違無之樣可致事 人を殺すは国家の大禁にして、人を殺す者を罰するは政府の公権に
候ふところ、古来より、父兄の為に讐(あだ)を復するを以て子弟の
義務となすの風習あり。
右は至情止むを得ざるに出づると雖も、畢竟私憤を以て大禁を破り、私義を以て公権を犯す者にして、固(もと)より擅殺(せんさつ)の罪を免れず。
加之(しかのみならず)、甚しきに至りては、其の事の故誤を問はず、其の理の当否
を顧みず、復讐の名義を挾(さしはさ)み、濫(みだ)りに相(あひ)搆
害(こうがい)するの弊 往々之れ有り。甚だ以て相 済まざる事に候。之に依りて、復讐厳禁仰せ出だされ候ふ条、今後不幸至親を害せらるる者之れ有るに於ては、事実を詳(つまびら)かにし、速やかに其の筋へ訴へ出づべく候。
若し其の儀無く旧習に泥(なづ)み擅殺するに於ては、相当の罪料に
処すべく候ふ条、心得違ひ之れ無きやう致すべき事。 語注
-------------------
擅殺(せんさつ)=ほしいままに殺す。勝手気儘に殺す。
搆害=こうがい。いいがかりを作って害する。
至親(ししん)=親・兄弟など、いちばん自分に近い親族。肉親。
泥ミ=なずみ。「なずむ」は、こだわる意。
---------
明治になると司法卿の江藤新平らによる司法制度の整備が行われ、1873年(明治6年)2月7日、明治政府は第37号布告で「復讐ヲ嚴禁ス(敵討禁止令)」を発布 ダメだとても面倒
宗教熱心な人は聖書の文体の変遷や古い宗教書を見れば面白いかなと思う
キリスト関連の宗教家が文体や日本語に及ぼした影響はかなり大きい
ほとんど読んだことないし推測だらけだけど ちく
たくさんの懐かしくも美しい画像と文を ありがとう
それらから豊饒なイメージを得て 自分で満足のいく詩をかけたさ
基督の信仰をしてるわけでないが 子供時代の温かみを懐かしく思い出した 「脱亜入欧」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E5%85%A5%E6%AC%A7
丸山眞男の調査によれば、脱亜入欧という成句が使用された最も古い史料は1887年(明治20年)4月14日に『山陽新報』に掲載された社説「欧化主義ヲ貫カサル可ラス」である
執筆したのは山陽新報の主筆であった鈴木券太郎である。この社説の中で「脱亜入欧」という成句が4回使用されている 劈頭からして
「脱亜入欧ハ我国開国以来ノ大主義ニシテ、今後益々此主義ヲ拡充セザルベカラズ。偶々腐儒アリテ亜細亜連衡ノ利ヲ説キ、又興亜ノ要領ヲ主張スト雖モ、斯ノ如キハ即チ固ヨリ取ルニ足ラザルノ迂論ニシテ……云々」
とある。
「脱亜」というのは、髪を切ったり、洋服を着たり、文を横に書いたり、肉食をしたりという、そんなことではないんだ。
「苟モ文明ノ器文明ノ道トアレバ、政経文物、之ヲ容赦ナク中ニ入レ、文明ノ風潮ニ従ヒ、文明ノ浮沈ヲ購ヒ得ル丈ノ入欧策ニ汲々タル事、是レ正ニ物ノ順序ニテ」という。 そうじゃないと日本の独立が「文明東漸ノ勢」に面して危険である。「脱亜入欧ノ鋭意ヲ鈍ラスコソ」非常に危ないと。学問芸術から軍備にわたり、みんなヨーロッパ式にしなけりゃいけない。
そして文章の末尾にも、
「夫ノ興亜策ナドト称シテ隣国ノ開明ヲ俟ツガ如キハ、不利此レヨリ大ナルナシ。我ハ只自カラ進ミテ西洋文明ト伍ヲ為シ、従来ノ輿地図〔世界地図〕中ヨリ亜細亜ノ彩色ヲ塗抹セシムベキノミ。此以上日本ノ志願アルベカラズ」。
― 丸山眞男、『山陽新報』社説の「脱亜入欧」論[1] ジョン・インヨル「脱亜と興亜〜福澤諭吉の残した「脱亜入欧」の亡霊がまだ日本を覆っている」 半髪頭をたたいてみれば、因循姑息な音がする。総髪頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする
https://www.youtube.com/watch?v=PzY_vMTnFLY&app=desktop
権利幸福嫌いな人に 自由湯をば飲ましたい
オツペケペ オツペケペツポー ペツポーポー
堅い上下角とれて「マンテル」「ヅボン」に人力車
意気な束髪ポン子ツト
貴女に伸士のいでたちで 外部の飾りはよいけれど、政治の思想が欠乏だ、天地の真理が解らない。心に自由の種を撒け オツペケペオツペケペツポペッポーポー
米價騰貴の今日に 細民困窮省らす目深に被ふた高帽子
金の指輪に金時計
権門貴顕に膝を曲け、藝者たいこに金を蒔き、内には米を倉に積み、同胞兄弟見殺し
幾等慈悲なき慾心も、餘り非道な薄情(はくじやう)な但し冥土の御土産か
地獄でゑんまに面會し、かわいろ遣ふて極楽へ
行けるかへゆけないよ
オツペケペ オツペケペツポーペツポーポー
亭主の職業は知らないが おつむは当世のそくはつで ことばは開化のかんごにて みそかのことわりカメだいて 不似合だ。およしなさい。なんにも知らずに知た顔。むやみに西洋を鼻にかけ、日本酒なんぞはのまれない
ビールにブランデーベルモツト、腹にもなれない洋食を、やたらに喰ふのもまけおしみ
ないしよでこうかでへどついて、ましめな顔してコーヒ飲む。おかしいね
ヱラペケペツポ ペツポーポー 散切り頭や廃刀令や地租と同じかそれ以上に強烈に「開化の漢語」に戸惑ってる人が多い
むしろ戸惑ってないのは公家と武家なんだよね
福澤は漢、国語どころか蘭仏英語で外人と意思疎通できる会話してるのがヤバイ 開化に反応して熱くなった
川上や添田唖蝉坊もキャッチーさとアイロニーと韻が一体化してて…オリコンチャートなんかは戦後の馬鹿の産物と改めて思い知らされる
余談だが世界のEDMアーティストの歌詞にはとても良いものがある
世界を席巻して当然、日本が取り残されて当然とも思ってる >>213
ま、まじか...... すげぇ
諭吉なんか 何もしらんから ニュー速で否定して否定しまくった
朝鮮中国を軽侮する、ちっぽけな境涯が大嫌いだからだ >>217
ウの濁音、ヴを作ったことだけでも偉大だ
きちんと当時の人々を認識すればそれが安易な軽侮では決してないと気付くと思うよ 大名行列や行幸の特殊な歩き方は禹歩あたりが由来なんだろうけど誰か研究してる人いねえのかなぁ 研究いっても
絵しか情報がないからどうしようもないのだと思う
身体とか音楽とかみんなそうで
結局全然わからない 無形文化財まとめるだけでかなりのものになるとおもうけど
みんな知らないだけで各都道府県無名含めてかなり残ってる
学者が軽視、見逃してる致命的なとことも思ってる >>179
ちくの未読の部分を拝読
やっこ とは、こう言うものを さすのか
トルストイもドストも 民衆こそロシアだと 述べた
歴史そして国語 いろいろの切り口で 日本について記述してくれ
シェークスピアは王侯の精神を書く
もっとも卑しきものから王までの すべての日本人の精神の
片鱗を見て取れる 古文書の断片を出してくれ 教師で言文一致を正しく理解できてる人いるのだろうか >>226
まず最初の画像は、読み取れなかった
「祝賀 コングラチュレーション」の賀状だが
すごい上流階級のひとの賀状なんだろうなぁ、とおもった
これの文を真似して書きたい所だが、さすがに気が引ける
さて、最後の「ひと文字だけ草」の賀状であるが、
バカみたいな感想だが あまりにも達筆で
あああ、こんな字が書けたらなぁ!のひとこと しかない
シンプルで美しい >新年(しんねん)之(の)御慶(ぎよけい)目出度(めでたく)申納候
の画像は大変視認しやすかった
>私事も無事馬齡を加へ候 御安心下され度
この表現に強い印象を受けた
末尾において
>いずれ 永日(以下については)
鎌倉時代の消息と、何ら変化無く、日本語表現の強い連続性を感じた >ただし、話した通りそのままに文章として書くという意味ではない。
??どういう意味か わからん。引き続き理解せんと努める >若松賤子が「小公子」の翻訳で試みた「ありませんかった」
はぁ??「ありませんかった」気になる 非常に気になる いったんスレから離れる いつもありがとうございます 言文の文は「候文」の文じゃん
>>202なんて吾輩は猫より前の本
wiki見てもいいけど戦後の本をソースにしてたら話半分で真偽を確かめるべき
敗戦で学術学芸にも多分にイデオロギーが入ってくる
そして戦後の本は大体明治期に出版した本をソースにしめる
偉そうにしてる戦後生まれの学者が古文書読めないとかザラ
僕以下、江戸時代の最下層民以下の言語能力で語られてもねと もっと端的に
言(開化漢語)と文の一致をはかろうとしてただけ
例に挙げられる画像見つからなくて参考にならんが、昔から普通に「」をつけて会話してるしね
http://i.imgur.com/3mK9yGv.jpg
関係ないけど江戸の力持ち
一俵=60キロ
http://i.imgur.com/nIoL8Am.jpg おまんま、おしめ、おじゃる
「お」がつく言葉は公家言葉
スマップ中居の〜べは奴衆が使ってた六方詞「べい」の方言化したもの
右手は馬手メテ、左手は弓手ユンデ、特殊なのが候文、武家言葉
何と何、誰が使ってる言葉と文章を一致させようとしてたのかを教えないから全く中身のない形骸化した教育に成り下がる http://i.imgur.com/85I9SaD.jpg
養蚕のwikipeチラッと見てたけど江戸の幕府が出島で阿蘭陀と貿易したのは生糸の為なんだよね
当時生糸の輸入額トップ、wikiはとても便利だけど鵜呑みにしすぎてもいけない
最初の頃よりはだいぶ充実したし重宝してるけど気をつけて >>221
> ウの濁音、ヴを作ったことだけでも偉大だ
ウ゛は、どういう場合に使うものなのか?ふと、疑問 ヴは大したことないように思えるけど微妙な発音差を表現しようとしたくらい発音を大事にしてるのが凄いと思う
そもそも平仄を意識したり昔の人の発音に対する意識は高い気がする
幕末に英語の発音に戸惑ってるけど彼らはオランダ語訛りが消えなかった
そこもなかなか意識の高さを感じる
発音軽視して所謂陳腐なカタカナ英語になっていくのも情けない話 >>244
> ヴは大したことないように思えるけど微妙な発音差を表現しようとしたくらい発音を大事にしてるのが凄いと思う
なるほど
> そもそも平仄を意識したり昔の人の発音に対する意識は高い気がする
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BB%84
>漢詩で重視される発音上のルール。
>7世紀までの梵字と漢字の対音資料をもとに平声は音節の長さが比較的長く、仄声は比較的短かったためと結論づけている。漢詩においては平声字と仄声字を交互に置くことによってリズムや音の調和を作り出した。
>日本では一般に「平仄を整える」と言う使われ方をし、この場合はほぼ「てにをはを整える」の意味である。
ちくの書くことは、知らないことが多すぎ、逐一 検索しないといけない
この場合の「平仄を意識したり」とは、「てにをはを整える」の意味なのか? >>246
西郷隆盛や木戸孝允やらが少なからず中国の漢詩家から覚えられるのは発音が問題ないからだね
中国語の四声は日本語で発音しないから当然わからないけど昔の人の人は辞典引きながら平仄整えてた つまり平仄が完璧なら向こうの人も当然意味が伝わるし発音上も問題ないってことだね 平仄を意識しないものや軽視したものは必然的に和臭まみれのものになるね
内容的に和臭がするレベルなら漢詩として問題ないと個人的には思ってる
日本の漢詩協会の爺さん達ははそういう幕末の和臭をほぼ完全に否定してるけども 武者かがみもかなり女の人出てくるけど男女「差別」なんてものもここ140年でそう定義されただけでとてもくだらないもんだなと改めて思う >>247
> 西郷隆盛や木戸孝允やらが少なからず中国の漢詩家から覚えられるのは発音が問題ないからだね
ちくの文しか見てないから(勉強してないから)ちょっとわからかったが
西郷隆盛や木戸孝允は、「発音が問題ない」とは、彼らは
中国語で発音してたのかい?
> 辞典引きながら平仄整えてた
こういうことを まさに 我もすればよいのだが、その緻密さの情熱が薄らいだ、または 失せてしまった
もちろん
必ず復活させようと思っている!
環境に負けてはいけない 老いにも 貧しさにも 非常に美しい絵だね
こういうのを 何て言うのかね? 錦絵?(すごい無知であきれるだろう?)
尊い景行天皇第二の王子(文)以下 なんとか読み取れないかなと
−−−−−−−−−−
天皇とはなにか?子どものころ、家庭がではなく、自分個人として
左翼的な気分だったし、いまも変化ない
−−−−−−−−−−−
尊い景行天皇第二の王子(なり、か?)
初め 小(次の漢字、読みがわからず)の尊と申奉る
−−−−−
集中力が失せたのと、用があるから、いったん離れる
ちく、まだ早いが 新年明けましておめでとうございます!! 万一のために もう書いておく このスレは
素晴らしい!のだから
もっとたくさんのメンバーを糾合したいものだね!
いでよ 若人、俺たちに挑戦しにこい!!
壮年のクソ力を思い知れ! >>254
彼らは辞典で平仄きっちり調べたり生半可な知識じゃないってだけ
>>255
みことはけいこうてんのうだいにのおうじにしてはじめをうす(おうす)のみことともうしたてまつる
>>256
僕は壮年ではないなぁ
soko(使えないけど)でいい、特に広めたいとかもないけど >>260
> 神仏習合極まれりだな
今年もあと1時間ですね
画像拝見。文字が読めないのだが、何とも言えない雰囲気の絵だね
パンチパーマのひとは、仏か。右は観音か。
ロンゲのメンバーは神であろうか。
神仏習合の由縁?は なんなのか?
日本人の精神世界において なぜそうなったのか? ちく、来年もよろしくおねがいします。
お元気で(さよならって意味じゃないよ、たくさん世話になるからな、あんたの教養は凄いからな)