繁体字が正體字 [無断転載禁止]©2ch.net
「駅」「訳」「沢」等々にて書く可しと主張せるのならば、當然「繹」の字は否定されねばならぬ。
さうすると必然的に「演繹」と云ふ詞は使へぬ縡になる。
「単」では無く「單」と書くのを批判されるのならば、「憚(はゞかる)」と云ふ字を書いてはならぬ。
「繹」が許されるのならば、「驛」「譯」「澤」等々も普通に許されて宜い筈であるが、現代表記主義者は其を許さぬ。
「憚」が許されるのならば、「禪」「蟬」等々を書いても何等批判される謂は無い筈である。
而して其程迄に常用漢字を大事だと思ふのならば、常用漢字表には無い「繹」「憚」等々の漢字の使用は當然に制限されねばならぬし、
「演繹」は「演えき」、「憚る」は「はばかる」と平假名表記にせねばならぬ。
普段から正字を普通に用ゐてゐる筈であるにも拘らず其にすら氣附かず、正字を使つてはならぬと宣ふは啻に癡者としか思へぬ。
常用漢字チェッカー
https://joyokanji.info/ 使えばええやん
そっちこそ、正字こそ至高を押しつけんなって話 >>8
誰も押附けてなんてゐないだらう。
文句を云ふから反論してゐる丈では無い歟(嗤)。 >>7
これは謎理屈だな
駅を使うなら演繹は使えないという
過度の体系を勝手に押し付けている
誰が考えた理屈だろうかw
答え
駅は駅
演繹は演繹
でよろしい
これが現代人の語法で
無論、現代のIMEと完全に一致している
誤読やトラブルの可能性ゼロ
これを屁理屈で混乱させるのはヒマ人 >>10
全く宜しく無いな。
「演繹」を用ゐると云ふ縡は結果「繹」と云ふ正字を用ゐる縡と何等變らず、外の正字を遣ふ者を兎や角云ふ義理は抑無いのだ。 意味わからん
ケチつけるためのケチなので意味がない
正字と呼ばれる字を全て忌避すべきと
主張する人に対して「じゃあ演繹はどうなの?」
という問いは可能だが、そんな人はいない
つまり旧字と同じ字が混じっていても
それがどうした?で終わり
異体字の整理で字の部品部分まで統一するのは
不可能で、また統一志向がさらなる混乱を生むのは
漢字問題では当たり前
重要なのは公的に広く通用し、正しいと
(間違っていない、というだけでいい)
して使用されているということ 理屈こねるのは勝手だけど
誰も説得できないよその屁理屈は
新表記が完全に定着している表記については
公ではそれを使いましょう、というだけだもん
プライベートではヒエログリフでもなんでも
使って楽しめばいい
語学だけやっててもダメよ
自分のアタマで考えないと 例えば宅急便の住所を手書きするとする
相手が読めないかもしれないと
思いながらも、自分が新字をかけるのに
イデオロギーから旧字に固執して使うのは
これは社会的に非難されるべきことだよ
万葉仮名もダメ
日常の伝達は芸術作品でもなければ屁理屈でもない
例えば電話で会社に問い合わせをする
この時、普通に話せるのに
室町時代の発音で話すのはダメ
これは室町時代の音がどういう体系性で現代と
比べてどうかとは無関係なの
わかった? 論理の飛躍は>>7なw
ある旧字を使ってはいけないなら
構成部分としても使用不可?
いやその理屈はどこから出てきたの?
勝手にハードル設定ww
異体字問題でそれを徹底すると
収集つかない現実を知らんのか
これを机上の空論、論理の飛躍という
まあ法律も実務知らずで法哲学を吐くだけ
という脳内思想家志願者だからしょうがないけどねw >>7は
「旧字に含まれる漢字を一切使ってはならない」
というありえないお花畑思想に対してのみ有効
しかし架空の相手への屁理屈って
何か意味あるのかなあ〜 >>16
言つておくが「舊字」なんて代物は世の中に存在せぬ。
> ある旧字を使ってはいけないなら
> 構成部分としても使用不可?
解り辛い、讀辛いから正字を遣ふなと善く云はれる。
何も架空の對手でも何でも無い訣だが、さう云ふ輩は人に正字を遣ふな云ひ乍らも自分で普段から遣つてゐる筈である、
若しくは遣はざるを得ぬは筈であると云ふ縡を説いてゐるのであつて、御前の指摘は筋違である(嗤)。 >>19
君はいつもアホだな
ごくありふれた「正字は見辛いから使うな」という
セリフは現代の表記全体からみて旧字を使う必要の
ない部分を非難しているだけで、何も漢字セットの
論理的な定義を試みているわけではない
なので演繹が実は正字としても分類されるという
ことと上の文言の意図とは実際的にはあまり
関連がない
正字で言えば常用漢字には旧字と同じものも多いのは
当たり前
だがそれを指して「お前も使っているぞ」というのは
本質が見えていない
何よりもここでは漢字の構成要素での難癖なので
さらに屁理屈だがな〜 なので日常で
「すいません、これ昔の漢字?ですか?
これわからないので書き直してもらえますか」
という場面に出くわして
「お前も旧字を使っているのである
私は正しいのである」
と主張して直さないのはキチガイというわけ
こういう社会的に非難されるような状況外
で使うのはよろしい
まあ旧字旧仮名国家強制論が思想家志願者の
お花畑なのでしょうがないがな >>20
> セリフは現代の表記全体からみて旧字を使う必要の
> ない部分を非難しているだけで、
ほお(嗤)現代の表記全體にて遣ふ必要ある漢字とは具體的に何なのかを示して呉れないかね。
其が一體如何なる學術的根據に本づいてゐるのかもね(嗤)。
表記に因つて遣ふ可きである漢字が異なるとは初めて知つたのだがね(嗤)。
因みに「全体」の「体」字は「笨(ホン・あらし)」と同じであり、「からだ」の意味は存在しない。
「からだ」の意味が存在するのは「體」字と「躰」字とだ。
「全体」と云ふ表記が行はれるのは飽く迄も「手書」の時丈である(嗤)。
活字と手書文字とが一致してをらねばならぬと云ふ或種のヘ條主義的な表記理論に御前の考も本づいてゐるのは明かである(嗤)。 屁理屈が不明瞭だな
自分でも脱出口が見えなくて
がんじがらめで困っているのだろうね
例えば旧を使えば済む場面で、
舊を使うのは、読み手が明確に読める場合と
引用元がそうで、正確な引用が必要な場合
この際「正字は使わないで」というのは
「今の社会で通用するごく一般的な字を使いなさい」
という意味でしかない
文脈上、正字の定義は副次的
なにがそんなに不満なのかわからないな
活字と手書きの一致も今、通用しているという
括りで出てくる話にすぎない
その社会的な許容範囲はマスメディアや
学校、ビジネス等のなかで大まかに共通の基準がある
だから舊や鹽は社会的逸脱で場面によっては
非難の対象になるだろう それから文体の話であれば
手書き文字の字体をコンピューター上で使うのは
一般の相手にきちんと伝わるならば別に問題ない
印刷/手書き
という区分がコンピューターでの
コミュニケーション行為にそのまま
当てはまるわけがないからな
アホの考えをいくら積み重ねても
どこにもいけないよ 自爆は相変わらず阿呆だな。アスペルガー症候群か失語症だから、
会話が噛み合ってないぞ。高卒の無教養の分際で何かと言えば
学術的とか連呼してるけど、現代国語表記をハナっから否定して、
旧仮名遣いに拘ってるだけだろう。言葉は生きもので、時代で
変化するという当たり前の事が分かってない。 あらゆる言語の変化の中で「文字表記」だけ
には未来永劫日本語話者が守るべき絶対規範があって、
ほかの表記は劣っているだなんて思想は、
言語学では認められないね。
それは信仰の問題だ >>26
こんなところで文盲の相手をしている君も中々なものだと思う >>23
> ほお(嗤)現代の表記全體にて遣ふ必要ある漢字とは具體的に何なのかを示して呉れないかね。
> 其が一體如何なる學術的根據に本づいてゐるのかもね(嗤)。
に對する答は無し歟(嗤)。 >>23
> 例えば旧を使えば済む場面で、
> 舊を使うのは、読み手が明確に読める場合と
> 引用元がそうで、正確な引用が必要な場合
>
> この際「正字は使わないで」というのは
> 「今の社会で通用するごく一般的な字を使いなさい」
> という意味でしかない
では「碌」字は遣へぬと云ふ縡で宜いのかな(嗤)。
御前の謂から云へば、「碌でも無い」と云ふ表現は遣へぬ縡になるが(嗤)。
windows vista以降、IMEの登録漢字の一部が正字化され、「碌」のやうに常用漢字の含まされず糅てゝ加へて御前さんの云ふ「今の社会で通用するごく一般的な字」での變換は不可能となつた。
さう云ふ場合、一體何うするのさ(嗤)。
畢竟「今の社会で通用するごく一般的な字を使いなさい」はもはや夙に全く現實的では無くなつてゐるのだが(嗤)。
「碌」は宜くても「驛」「譯」「澤」は駄目なんて云ふのは全く道理が通らぬが(嗤)。 それはウサギオイシイと同じ話
1つの例を挙げれば全体の運用が崩壊するような
種のシステムではない
「ロクでもない」ような表現が部分部分で
変更されてもなんの不都合もない
つまり頻度の低い細かいグレーゾーンが
たくさんあるのが通常でそれは舊や鹽とは全然違う
改定常用漢字もその程度 >>30
おい/\正字化され漢字は一では無いのだが(嗤)。 >>30
> 「ロクでもない」ような表現が部分部分で
> 変更されてもなんの不都合もない
御前の云ふ「今の社会で通用するごく一般的な字」の中で實際に正字化されるのは一部でしか無いのに、
何うして「碌」字と同じで「不都合もない」とならぬのだ(嗤)。
云つてゐる縡が矛楯してゐるだらう(嗤)。 この字はどうなのあの字はどうなの
あの表現は使ってるじゃん
という話をいくら挙げても無駄だと
この人はなぜ気がつかないのだろうか
新字新かな表記は日本のあらゆる
場所で安定して運用されている
それは表記を安定させる各種機構が
密に連動しているため
俺が書いているレスもその上でスタンダード >>32
意味わからんな
一般的でない読みにくい表記を頻度の高い
表現や言葉で用いる必要性がない
災害ニュースや掲示を考えてみろ 彼の今日の問いかけは
とても分かりづらい
何を言いたいのか
本人は現代表記擁護を攻撃している
ようであるが、その実効性がはっきりしない
普段使われていない難しい漢字を
使うのには場をわきまえないといけない
これは日常の人間の振る舞いと同じこと >>34
現常用漢字中正字化されるのは僅か三百六十六文字。
當用漢字及び常用漢字に含まれてゐない漢字は正字の儘。
其の僅か三百六十六文字の漢字も碌に覺えられず、「欠→缺」「塩→鹽」のやうに大まかに字形の變化ある者は扠措き、
正字化される漢字の殆どが類推可能な者が多いのにも拘らず、類推すら儘らぬと云ふのは相當頭が惡いのだらう(嗤)。 わずかとかじゃなくて
現状どうで社会の切迫した要請はあるのか
ということなので、これくらい覚えろという
のは的はずれ
いいがかりになってきたねえ
なので俺は数百年かけて極めて緩やかに
旧字旧仮名に回帰することが可能ならば
それでもいい
ただしこれは単なる机上の空論なので
強く主張するのは無意味だけどな >>37
正字は通常の社會で普通に遣はれてゐるが。
變體假名ですら普通に存在してゐるがね(嗤)。
御前は餘りにも世間知らずなんだらう(嗤)。 >>38
特定の場面だけな
一部を取り上げるのは
ウサギオイシイと同じで無意味
古本はまだ読めるから旧表記は溢れている
とかなwそういう屁理屈か
現代表記から逸脱して、かつその表記の
歴史的効果を狙ったものではない
例を挙げみて
表記の運用全体から見ると極めて小さい >>37
讀賣新聞の題字は讀賣新聞なんだが讀賣新聞に「現状どうで社会の切迫した要請」とやらが有ると思ふかね(嗤)。
讀賣新聞に對して「読売新聞」にせよと文句を云はぬとな。
讀賣新聞の題字が御前の云ふ「普段使われていない難しい漢字を使うのには場をわきまえないといけない」とね(嗤)。
新聞は爰以上に公共性が高いのだから(嗤)。
産經新聞も亦同じ。 現代表記というのはメディア出版と
教育、法と科学、翻訳に渡って強力な
一元性がある
実際の現場での不都合がない限り変える理由はない
旧表記は「文語調」という歴史性を
色濃く帯びて、生き残る場所をもう
作ってしまっているし、それもまた
多様性と呼べる >>40
やっぱりそういう例だね〜w
それはひとつのロゴデザインとして意味がある
読売は人名のようにアイデンティティを
示す意図が強い部分以外は「読売」だし
それで誤解は発生しない
これは大学名や英語表記の際の
字音の選択と一緒 >>41
「埼玉縣信用金庫」も正字の儘なんだが(嗤)。
バスの側面には「乘車」と正字で表記されてゐる。
擧げれば幾らでも出てくるが、世の中は御前が勝手に思ひ込んでゐる「普段使われていない難しい漢字を使うのには場をわきまえないといけない」と云ふ
愚かな考で周つてはゐないのさ(嗤)。 だから例えば
正統だからといって内容をしっかりと
伝える際に篆書体を用いるのはダメ
docomoのようなアルファベットの
看板社名もあるが、緊急で社名を伝えなくては
いけないようなユニバーサルな視点の場所には
「ドコモ」が適切
個性のあるデザインとして用いるのは
一向に構わない >>42
正確に内容を傳へるのに御前が遣つた「全体」と云ふ表記は有得ぬのだ。
熟語として全く意味を做してゐないからな(嗤)。 >>43
そういうのはウォッチャーの世界
つまり現実で探せばあるということと
現代表記の基準は矛盾しない
バスのはどうでもいい異体字の揺れ
埼玉縣は企業アイデンティティのレベル
人名に異体字があるのと一緒 >>46
だから「普段使われていない難しい漢字を使うのには場をわきまえないといけない」と云ふ愚かな考で周つてはゐないのさ(嗤)。
だから 「普段使われていない難しい漢字を使うのには場をわきまえないといけない」と云ふ理窟も通らぬのさ(嗤)。 >>45
また屁理屈か
逸脱例あるいは戦前と比較して
現代表記というのはメディア出版と
教育、法と科学、翻訳に渡って共通した
表記が成立している
これが「全体」
上記の世界において一般的な意味の県を縣と書く
ことはない
それを異体字ウォッチャー話にすり替えるのは
アホ >>47
いや現実にウォッチしたから
それを使っていいとはならないよ
「乗」の異体字を見つけたから
それを使うのは正当?な訳ない
読売はデザインとして大切に使っているだけ
読売もその表記を社名と関係なく乱用している
という話ではない
お前はメチャクチャ 街で「鹽」の看板を見かけたぞ
じゃあ会社でのデータ入力時に俺だけ
塩をすべて鹽で入れますよー
↑
社会人失格 埼玉縣信用金庫という社名があるのだなあ
じゃあ今度会社のサイトは県名を縣で統一しよう
調べてみると由緒あるから上には許可とりません
だって正しいんだもん
↑
社会人失格 きょうクライアントへにプレゼンで
全部正字で通したけど、読めないと言われたので
「僅か数百字も読めないのは勉強不足ですよ
これが正しいんだもん」と教えてあげました
↑
社会人失格 今度役所の部署で災害マップを作ることにしました
地名は全て正字です
なんとなく類推で読めるでしょ
読めないのは日本人じゃない判定!
なんたって正字の正は「ただしい」
という意味ですからね
↑
社会人失格 ロゴデザイン的な字体の使用と
表記のガイドラインを混同するのは
おそらく知識が狭いからだね
芸術全般への見識がない
おそらく日本の視覚文化の伝統にも
無知なのでしょうね 今日はいつも以上に支離滅裂な屁理屈でしたね
これでは他人に同意してもらえない
ま思想家志願者は不平家ですので治療は無理ですね >>48-54
斯くも連投せねばならぬ必死さの意味が解らぬが(嗤)。
畢竟啻に御前個人の漢字に對する無智の問題を他人に轉嫁してゐる丈に過ぎぬ(嗤)。 >>56
莫迦に訓てやるが、明治の世は正字でない活字で溢れてたからな >>57
併し御前のやうに「普段使われていない難しい漢字を使うのには場をわきまえないといけない」なんて縡を云ふ風潮は何處にも無いが(嗤)。 >>39
で書いたことに当てはまるが、新聞社名の旧字体は
歴史があるというプライドをデザインとして
残してブランディングしているということ
「慶應」と一緒
無論、慶應内で「応」は全て「應」と
書いてもよいなんてスタイルガイドはない >>58
あなた、相手があってこその表記だよ
それから誰にレスしているのw
コミュニケーションベタにもほどがあるよー >>59
問題の本質は「普段使われていない難しい漢字を使うのには場をわきまえないといけない」である。
唯の無智の自己中でしか無い(嗤)。 >>60
> あなた、相手があってこその表記だよ
> それから誰にレスしているのw
ならば出来る限り正しい漢字を遣はうな(嗤)。 全て論破してしまったわー
他人が読めない漢字をなるべく使わない
というのは社会的マナーの問題だね
難しい議論じゃないのに
理解できないのかなー >>61
それなら君は社会人失格だね
失格例は既に書いておいたから >>63
凡てが自分と一獅ナあると思つてゐるのかい(嗤)。
何處迄自己中なんだ(嗤)。 >>65
どれが基準かは現代表記に強い国語辞典を引きなさいよ
共通する大体の表記の基準は存在するに決まってるじゃん
自分と全て一緒なんて誰も言っていないよ
今日はいつにもまして酷いね〜 >>66
其は何處迄も御前個人の裁量に過ぎぬ(嗤)。 >>67
いや辞書や各社のスタイルガイドが
あるじゃん。それらは共通の現代表記と
呼べるよ
アホですか?
鹽も縣も使わない >>68
何を是とし何を否とするかは御前個人の裁量でしか無く、御前個人の裁量に從はねばならぬ義理も固より無い(嗤)。
制限される謂も抑無いからな(嗤)。 例えば大出版社はそれぞれに
スタイルガイドを運用している
だが各社の文庫を見てみろ
俺のここで用いている表記と
ほぼ同じ
当たり前
これは俺個人の表記ではなくて
IMEとそれを支える上記のような
緩やかな連合 >>69
いやだから犯罪じゃないから
好きに使えばいいじゃんw
アホですか?
でもお前の思想とは別に
現代社会の常識はありますよってこと
それに思想を持ち出すのはいわゆる
脳内お花畑 >>71
「普段使われていない難しい漢字を使うのには場をわきまえないといけない」を撤囘しないとな(嗤)。 会社のプレゼンで旧表記使えよw
ウケるかもしれないしな
ただし、現代表記でやりなさいという
上司の指示はごく常識的判断だからな?
その時「自由の侵害だ〜個人の思想の
迫害だ〜俺は悪くない〜」って喚くなよ?
それは社会人失格だぞ、ということな
これを理解できない奴はメンタルやられてる >>72
社会のマナーだから正しいよ
現代社会の必然でないのにむやみに難語を使うのは
よくないというのは尊重すべき社会常識
当たり前
お前は大検取ったのにそういう常識を
身につけてないのか でコピペの発作かw
思想家もいいが、リアル家族を大切にな 「体」字に「からだ」の意味は無し。
「からだ」とは「體」字「軆」字にて、「体」字は「笨(あらし・ホン)」字と同じ意味なり。
「豊」字に「ゆたか」の意味は無し。
「豊」字は「禮」の古字にて、「ゆたか」とは「豐」字なり。「豊」字は「豐」字の略字に非ず全く別字なり。
「蟲」字は「むし」亦は「動物」にて、「虫」字は音キ「まむし」亦は「鱗介」の稱なり。混同す可からず。
「絲」字と「糸」字とは全くの別字にて、「糸」字は音ペキ「細し」亦は「細絲」の意味にして混同す可からず。
「黨」字と「党」字とは全くの別字にて、「K」字を「黒」字とするも亦全くの誤字なり。
「?(墨)」「點」「默」等々を以て推して知る可し。
「參」字を「参」字とするは誤にて、「參」字の俗略は「?(叅)」にて「参」字に非ず。
「惡」字を「悪」字とするは非なり。
「湿」字は「濕」字の俗略。「隰」「顯」字を以て推して知る可し。
「経」字は「經」字の誤字。
「鉄」字は「?(紩)」字の同じく音テツ「縫ふ」なり。「?(紩)」字は音シ「箭の先」亦「鏃(やじり)」なり。
俗に「鐵」の略字とするは不可。
「暦」字は「?(曆)」字の誤字。
「歴」字は「?(歷)」字の誤字。
「駅」字は「驛」字の誤字。
「髪」字は「髮」字の誤字。
「數」字を「数」字とするは非なり。
「樓」字を「楼」字とするは非なり。
「擔」字は「になふ」、「担」字は「拂ふ」にて、混同す可からず。
「澤」字を「沢」字とするは誤なり。
「燈」字は「ともしび」、「灯」字は「烈火」にて全くの別字なり。
「諫」字は音カン「いさむる」、「諌」字は音トウ「多言」にて、混同す可からず。
「猫」字は「?(貓)」字の俗字。
「?(鍊)」字は「ねる」、「錬」字は「?(器)」にて、混同す可からず。
「醫」字と「医」字とは別字にて、「医」字は音エイ「ゆき・ゆぎ(靭)*矢を入れて背負ふ筒?の道具」にて混同す可からず。 >>76
> 社会のマナーだから正しいよ
> 現代社会の必然でないのにむやみに難語を使うのは
> よくないというのは尊重すべき社会常識
其は御前個人の價値觀の押附けでしか無い(嗤)。 俺が貼った異体字ウォッチのコラムを
読んで、ほらみろ社会では常用外が使われている、と
的外れw
探さないと見つからないということでしかない
ということがわからず、デザイン的意識の使用まで
出すw 本人自ら告白しているように、お花畑氏の屈折は
要領の良いクラスメイトを憎み、高校中退した
あたりからはじまるのだろう。
周囲が気づいていない真実を知れば、下劣で自分を
承認しない社会全体を相対化できる、と妄想したのだな。
つまり
「俺は悪くない。真実に目覚めていない連中こそ堕落している。」
というメンタリティだ。これは過度の社会構築主義に染まった左翼
にもみられるお花畑発想。「旧表記をつかっている自分は、
学歴や貧富を飛び越えて、優越しているのだ。旧表記を
つかっていない連中は頭が悪いのだ、俺が導かないといけない」
これを、たちの悪いファンタジーという。
旧表記を使うことで、虐げられた青春期に対して
ほんものの「素晴らしい」自分を回復できると思っているのである。 >>82
畢竟現代表記主義者の行き着く先は現代表記の學術的正當性を自ら論證出來ぬから、他人の人格攻撃に走る(嗤)。
現代表記主義者の性質だな(嗤)。 康熙字典体が日本語話者にとって
唯一真正な表記だと立証することは
そもそも学問の仕事ではない
現代表記が真正かどうかも同じこと
この科学的枠組みを現代の言語学者はみんな分かっている
それをどうしても理解できないのは花畑くんだけ >>84
正字の概念が存在しえぬと云ふのならば、略字も異字體も存在しえぬが(嗤)。 正字概念が現代日本語話者にとって
守るべき絶対的規範であるかどうかの
審判は科学的研究の外にある
改定常用漢字のように実際の政策は
異なる価値観や物差し、作業プロセスの
擦り合わせにキモがある
誰もそこでは真正性という概念を振り回さない
アタマが花畑くんにはこの現実が理解できないの >>87
常用漢字表自體が認めてゐる者を敢へて否定して御前は一體何がしたいのだ(嗤)。 コミュニケーションの手段として
他者に向けて分かりやすい漢字を選んで書く
意識を常に持つのが大切
と語る学者の異体字ウォッチを
ほれ正字だ正字だと喚く学問センスの無さは
笑えるね >>83
極端な原理主義思想を唱える人間の
心理的背景を探るのは当前の関心事
花畑くんのリアル周囲に賛同者はいないだろう
一方現代表記で不都合ない人間はたくさんいる 学術的学術的いう人間が
高校中退大検で法学部を出ながらも
法律実務をせずに学者を
罵倒して旧表記の絶対性を頑なに
信じ込む
学術的いうならコピペやめて旧表記を
採用すべしの学術論文を投稿発表しなさい
世間から逃げちゃダメだ >>89
> コミュニケーションの手段として
> 他者に向けて分かりやすい漢字を選んで書く
> 意識を常に持つのが大切
抑其の言語觀自體が誤であると云ふ縡は莫迦には氣附かないらしいな(嗤)。
當に頭の弱い西洋人と言語觀が全く同じである(嗤)。 その罵倒する西洋人の先に
要領よく内申を稼ぐクラスメイトが
いるのだね〜アハハ
分かります
今も他人にそれを吐露したい花畑くんの
コミュニケーションのカタチもよく理解できます
俺以外はバカばっかり
笹原も頭が弱いと思いたいんだね〜
リアル家族を大切にしてあげて >>93
抑言語とはコミニュケーシヨンの手段としては不完全である。
「言語はコミニュケーシヨンの手段」とする見方は言語に對する一方的の思込に過ぎぬ。
殊に對手の見えぬネツト上での筆談の場合に「其の場の空氣」が存在しない爲に、普段以上に辭の正確性がより求められる。
御前の云つてゐる縡等全く意味が無いのだ(嗤)。 社会的コミュニケーションの基礎とは
コミニュケーションと書かない姿勢です
個人の日記ではいいですよ 言語論や言語観という言葉を
振り回すのに中身がないね
学術ゴッコは楽しいかな〜
机上の空論から出た独断をいくら積み重ねても
君の社会への憎悪は癒えないよ〜
自分が苦しむだけだ 俺が保守爺なら
ぐちゃぐちゃ屁理屈言う前に家庭を持て!
って一喝するところだけど
まあ匿名だからね 他人の異体字ウォッチとかウサギオイシイとか
つまりは自分自身の生活で現代表記の不便さ
に出会っていないということの裏返しだな
切実さがゼロ
周囲がバカばっかりなので俺は高校中退した
という正当化とパラレルにあるからね
お花畑思想で否定しているだけで、現実の足場を
全く欠いているので周囲の人が主張を聞いても
???となってしまう 詞の正しい使ひ方
「美人」は容貌美なるが上に美コあるを云ふ。
「佳人」は單に容貌の美なるを云ひ、「麗人」とは容姿服裝の美なるを云ふ。
亦、「美人」「佳人」は女子に限らず男子をも稱す。
「囘復」は元通りにする意なり。
「恢復」は元通りに大きくする意なり。
「本國・本邦・本朝」は内國自稱の詞なりて、「我が國・我が邦・我が朝」は他國に對する自稱なり。
「抵觸・牴觸・觝觸」は皆同じ。
「根底」に非ず「根柢」が正しい。
「柢」字は「根」字と同じ意なり。