常用漢字中の異体字を統一することの重要性
常用漢字の中で、同じ漢字(異体字)であるにもかかわらず
別の字とされている字が一部ある。
異体字を単語によって使い分けるのは不自然かつ不合理なので、
統一する必要があるのではないか。
著・着 → 著に統一
裏・裡 → 裡に統一
荘・庄 → 莊に統一
粧(妝)→ 妝に統一
砂・沙 → 沙に統一
疏・疎 → 疏に統一
現代日本語を表記するにあたっては、一つの漢字につき一つの字体でじゅうぶんである。 そもそも
漢字を恐れた占領軍の指示で無理やり改造されたのが当用漢字
その中にはたしかに歴史的に用例のある略字もあるが、
当用漢字制定の際に新たに改造された字体もある
芸、広、価、発がその例だ
>先人が編み出した技であって、それが許容され広がってきたから今も残っている
↑
だからそう言うには語弊がある
新字体は決して「先人が編み出した技」()などではない。 電子化が進んだ現代だからこそ
漢字政策を繁体字化の方針に切り替えるべきと思うがね
台湾と香港は繁体字のままで栄えている
日本人はその事実をもう少し認識すべき
便利さを求めすぎると朝鮮と似たようなことになる >>34
やりすぎは禁物だけど、先人たちの知恵で長続きしているものを、消し去る必要はないという話
唐で楷書が完成し、宋・元・明・清で略字が生まれ、日本にも輸入され使われてきたものだ
>>35
芸や価など正体不明だが、正体不明のものはごく少ない
広は出処解明されたみたいだが、最近の略字
こーゆーのは議論の余地あるけど、その外は別にいい
中国の簡体字は俺でもイヤだわ
>>36
台湾や香港も、書くのは難儀しているみたいで、略字使っとるぞ
例えIT化進んでるとはいえ、手書きが0でない限り、あえて煩雑な繁体字にする必要性はないし、絶対そうなら無いでしょうね
康煕字典体が伝統的な字体という考えはそもそも間違ってるしね
ただの標準印刷字体 「康煕字典体が伝統的な字体」という考えを唱えた覚えはないが、
略字の氾濫していた近代における規範となったことは事実
そもそも康煕字典体の話はしていない
>漢字は書き手によってどんどん簡略化する歴史だろ
↑
小篆から隷書に簡略化されたのは装飾的な曲線であって、
漢字の構成要素をまるごと消すなんてことはなかったでしょ?
芸、広、価、応など。
簡体字はもっとひどい。発が髪と統一されたし
話をもどすが、私が唱えたいのは
常用漢字中の同字は統一し、別字は区別すべきということ。 区別すべき常用漢字はほかに
予と豫
余と餘
集と輯・聚
連と聯
などがある これは餘談になるが
和語の当て字も廃止したほうがいい
「出鱈目」「目出度」「支度」などの無意味な当て字
「ぞっこん」「ぞんざい」「ふんだん」のようにひらがなでよい
常用漢字だからといって意味を無視した濫用は避けたほうが賢明といえよう 「茹」を「ゆでる」と読むのも国訓らしい。
本来は「食べる」という意味。 好きにすればイイやん
どこに押しつけようとしてんだよ 実際、学校や社会では異体字や書き換え表記を押しつけられるけどね
当用漢字の時代と本質は変わらん 康煕字典体だって、明治の国語政策からの押しつけやん
それまでは自由に書いてたし 現代では異体字や書き換え表記を押しつけられる
という事実は認めるんだね それがどーした
明治から当用漢字までの44年の押し付けはスルーかよ たったの44年かよ
漢字制限を押しつけられてから今年で76年にもなるが 「弁」「争」「虫」「侫」「体」「免」「告」「歩」「糸」「周」「届」「径」「者」「舎」「伜」「忰」「党」「害」「帰」
「欠」「蚕」「産」「酔」「悪」「経」「逸」「黒」「数」「楼」「粛」「渇」「歯」「隆」「著」「豊」「鉄」「歴」「暦」
「台」「駅」「髪」「鼻」「劔」「寛」「廐」「厰」「担《にな》ふ」「沢」「諌《いさ》む」「頚」「雑」「断」
「湿」「証《あかし》」「絵」「鉄《てつ》」「顕」 >>47
長いから定着しちゃってんだよ
見方がちがうな 漢字の歴史上、康煕字典体を強要されたのはたった44年だ
いかに民衆に支持されるか必要とされるかが大事なのに、44年しか続かず、定着もせず
好き好んで使おうとするのは珍走団か中二病かそれを未だに引きずってる正字正仮名キチガイのみ >>50
古典を讀んで所謂新字を用ゐてゐる書が一體何れ程あるのかね。
書體の問題を拔きにして、殆どが正字を主として用ゐてゐるだらうに。 バリバリの康煕字典体のみで書かれている書の方がすくねえだろ
時代が下がるにつれてますます減っとるわ
異体字だらけだわ
康煕字典の手書きの序文ですら異体字だらけだし、本編に譌字扱いされてる異体字もあるわ
ttp://i.imgur.com/7NbEGAF.jpg
ttp://i.imgur.com/qzvWUo7.jpg
ttp://i.imgur.com/3FoJiZn.jpg
ttp://i.imgur.com/3kMJRZm.jpg
ttp://i.imgur.com/JSzA1A2.jpg
ttp://i.imgur.com/fbobR9A.jpg
ttp://i.imgur.com/HH6CY3Y.jpg
ttp://i.imgur.com/whidr2M.jpg
ttp://i.imgur.com/rXEAnHU.jpg
ttp://i.imgur.com/o1z7Yhm.jpg
手書きにも関わる常用漢字に、康煕字典体に統一しろという要求はお断りだね
個人で好きにすればいい >>50
康煕字典体の話はしていないし、
「未」の用法が違う。
これこそ古典を疏んじた弊害だね。 >>52
時代が下がる ←?
時代がくだる ←◯
資料くらいしっかり貼りなさい。ひらけないよ。 正仮名正字キチガイの国語ルールに巻き込まんでくれ(笑)
資料普通に開けるわ
努力しろ >漢字の歴史上、康煕字典体を強要されたのはたった44年だ
↑
日本でも中国でも「康煕字典体」などという字体は清代まで存在しなかったからね。
字体の規範が定められたのは唐が最初。
>好き好んで使おうとするのは珍走団か中二病かそれを未だに引きずってる正字正仮名キチガイのみ
↑
なんで占領軍に押しつけられた誤字を好き好んで使わんといかんのだ?
学識ある人とアホな素人とをひとくくりにするあなたが無知。 ここでクラスタの皆さんがいう正字って、康煕字典体ですらない独自解釈の正字なのかな?
ますます常用漢字に置き換わることはなさそうて安心したわ(笑)
我が道をイキたまえ >>56
占領軍に押し付けられたとか発想がね(笑)
おこちゃま
新字体のほとんどはそれまでに使用実績がある俗字略字で、普通に一般に使われてたものばかりだよ
広・価・芸とか以外だけどね
これら書証のないものは一考の余地あるとは思うが、他に文句はない
ちゃんと使用実績があり広く一般に使われていたもの、すなわち歴史があるものだからだ
そもそも、戦前戦中における政府レベルでも教育で俗字略字の導入はなされてたぞ
少なくとも大正時代からね
占領軍の押し付け以前から考えられていたものだ 逆に、康煕字典体をやたら話題に出したがるあなたは、どういう字体を康煕字典体と思うわけ?
一般的な定義では
之繞は四画、艸冠は四画、示偏は五画、食偏は九画
「言」「音」の一画目は横長に書く
などと細かすぎるのが康煕字典体。
台湾の繁体字は書写体に近づけてあるから康煕字典体ではない。
そのあたりちゃんとわかっとる?
そもそもこの糸は
常用漢字中の異体字を統一することの重要性を説く糸であって
康煕字典体や新字体の話はしていない >新字体のほとんどはそれまでに使用実績がある俗字略字で、普通に一般に使われてたものばかりだよ
↑
それらすべての用例を画像とともに引用できる?
この板でそういう主張を述べるにはそれを証明できるだけの学力と調査力が必要だよ? しってるよ
そういう細かい差異はこちらも目をつむってるわい
むしろ正字クラスタの標準字体のよりどころがわからんわ
繁体字でもないんだろ?
よりどころが分からんから、正字の現段階での集大成である康煕字典体を出してるだけ
大まかにはこれに拠ってるんでしょ?
常用漢字の異体字を統一の意味も分かんない
>>1みたら、常用漢字じゃねえの含まれとるから統一もくそもねえし
>>2はおれじゃねえけど、2に賛成
日本人は漢字をゲットしたときから、こういう言葉遊びやイメージによる使い分けを好んでやってきた文化があるから、日本人のおれは漢字の自由度を優先したいね >>60
楷書や行書で書かれている古い本や手紙とか書みれば大量に見つかるだろ
全部スキャンせえってか(笑)
当用漢字が制定された時の、より近い時代明治時代の終わりに俗字略字やその使用頻度をまとめた本『俗字略字』といのがあるから、当時どんなのがあってどれだけ使われていたかよくわかる資料だ
黒柳勲識という国語教員が作ったもの
全部めんどくさいから一部写メ
https://i.imgur.com/yh2dwvC.jpg
漢字の下にある漢数字が使用頻度を表す 明治の終わり43年のやつだけど、すでに図、区、写、国、円、両などが、高頻度で使われていたことがわかる
ほかのページには弁とか余とかある
ちなみに江戸時代に渡ってきたものも多いので、『同文通考』っていう新井白石の書にもある
同文通考-昼
https://i.imgur.com/YlAWs3B.gif
同文通考-弁
https://i.imgur.com/HMOl5ED.jpg
一般の書にも、ほかにもあるけど、スキャンめんどくさい・・・
てか、imgurみれるんかいな >>52
>バリバリの康煕字典体のみで書かれている書の方がすくねえだろ
>時代が下がるにつれてますます減っとるわ
>異体字だらけだわ
↑
経書の版本には正字しかないよ
底本に忠実でないと解釈が変わってしまうから
異体字が多く使われたのは洒落本みたいな低俗な本だったし、
現代の日本人は連綿なんて読めんから正字で問題ないでしょ
>>61
>日本人は漢字をゲットしたときから、こういう言葉遊びやイメージによる使い分けを好んでやってきた文化があるから、日本人のおれは漢字の自由度を優先したいね
↑
漢字の自由度を優先した結果、極端な漢字制限に走ったわけか。
現行の漢字教育は自由度もくそもないが。 もとが低俗だろうが、それが一般庶民に広がって現代まで支持されてんだから
漢字を使うのは坊さんや文化人だけじゃねえぞ
そもそも常用漢字は今はもうそれほど縛りがある訳じゃねえんだから、中学卒業したら好きな字使えよ
上ちょっと修正
黒柳勲ね 変な識の字がなぜか入っちゃった 成り立ちも教えられず異体字略字を無意味に練習させられ
とめるかはねるかで正解が決められる
こんな教育を受けたらそりゃぁ漢字の自由度なんか感じられるわけないよねぇ この前の指針でトメハネなど含む『常用漢字表の字体・字形に関する指針』が発表された
http://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kokugo_shisaku/joyokanjihyo_sakuin/
もともと、字体に関して許容されてた部分をもっと明確に緩くしたものだ
常用漢字の字体の許容を知らない、学校の教員が悪い
それを表した有名な動画あるね
漢字テストのふしぎ
https://youtu.be/FvdIbH0qtu4 当用漢字の頃から許容はあるよ
ただ単に教員の勉強不足
なんでもお上のせいかよ(笑)
教員の不勉強もあるが、受験の弊害もあるかもね
採点するとき、一つの決まった形で基準がある方が楽だからだ
上の動画内でも教員が吐露しとる 当用漢字・常用漢字は、あなたとは別方向で不満はあるが、占領軍の押しつけのみで決まったものではない
文部省によるもので挙げると、同じようなものは、大正時代の『漢字整理案』からあるし、第二次世界大戦下においても、昭和17年交付の『標準漢字表』もある
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/sisaku/enkaku/pdf/11_big_05.pdf
今の当用漢字・常用漢字に通じるもので、略字も大体被ってる >「廣」は 15 画で比較的画数の多い漢字ではあるが、漢字全体から考えると画数の多い部類に入るものではないと思われる。
>つまり、「廣」は省略される必要のなかった漢字であり、そのため近世以前には略字体が見られなかったのではないかと考えられる。
↑
これが真理。
新字体が造られる必要はなかったというわけだ。 >>70
その動画見たことあるけど、教える側が漢字をまるでわかってないと思ったよ。
漢字の好感度を上げるためには、書き取りの問題をなくすしかないと思う。
これからの日本人に求められるのは、新字体を書けることではない。
英語と中国語、PCやスマホの使い方、情報処理能力、調査力だ。
特に中国語能力。
漢字を使う日本人がネット上で目にするのは英語よりも中国語が圧倒的に多い。
繁体字と簡体字が読めなければ話にならん。 >>73
近世以降に工業が発達して、鉱の字を使う機会が増え、より使う広にも及ぼした
近世以降も視野に入れろよ
我々は現代に生きている
それに廣のまんまではなく、中が黄の俗字の方がよく使われていて、決して略す必要ないとされてはいない 昔広島行ったとき、原爆資料館かどこかで戦中の広島の人の手紙かなんかに「広」の字を書いてるのをみて、当用漢字制定前からあったのかと感心したのを覚えてるわ
人とのやりとりで書いている人がいるということは、それなりに略字として一般的に認知されているということだからな
我々はちょっと昔のことも分からないこと多いんだなと思ったもんだ それほど略す必要があったのなら「广」にすればよかったのにね
「氣」は「气」でよかったのにね まだれの漢字なんて沢山あるから、衝突を避けるためにも、そりゃムリと先人は感じたんでしょ
それに、广は磨や摩の略字としてすでに使われてたし
鉱に関しては、金偏が意味をなしていたし他の字と衝突することもないのでムがない字体あったけどね
気は、气や、中がノや冫が多い
さっきの昭和17年の標準漢字表でも中がノのやつなので、中がノのやつがより近い時代まで生き残り多用されていた略字なのかもしれない
メなのは謎
ただ筆致を考えると(書いてみると)ノで終わるよりメと書く方が書きやすい気がする
咎なし点の役割を果たしているのかもしれない 部首だけだとバランスが悪いから何か書いとけ程度の感覚だったんでしょ
略字に意味などない
漢字能力を上げるには書き換えを廃止し、繁体字を教育するしかない。 話をもどすが
着 → 「著」の誤字なので正字に統一。
裏・裡 → どちらかに統一。
荘・庄 → 「莊」に統一。
粧 → 「庄」が含まれるので「妝」に変更。「妝」は中国語でも使われる。
砂 → 画数が少なく中国語でも使われる「沙」に統一。
疏・疎 → どちらかに統一。歴史的には「疏」のほうが用例は多い。
龍・竜 → 中国語繁体字で使われる「龍」に統一。
棋・碁 → 中国語で使われる「棋」に統一。
総・惣 → 「総」に統一。
咲 → 「笑」の古字なので廃止。「さく」は「開く」と表記。
ただし人名を除く。
今こそ日本語の漢字を整理し、漢字教育を発展させるべきでは? >>82
内閣訓令、告示たる常用漢字表の廢止は内閣の一聲で容易に廢止が出來る。 あら、あたくしはAKIではなく、MAYUって呼ばれてるわ。 正字正仮名も趣味だろ(笑)
どこかのマンガサイトの掲示板で、正字正仮名で書いてる奴が、キモいって書かれてたぞ
https://i.imgur.com/HqLwCQk.jpg 正字は学問研究をするにあたって必須の知識だし、
正仮名遣いは「歴史的仮名遣い」として義務教育で習う
しかし異体字が国語教育の中で扱われることは皆無に等しい
にもかかわらず
常用漢字の中にこれだけの異体字が含まれるのは漢字政策の不備と言わざるをえまい 前の方で書いたが
漢字の歴史上、正字を強要されたのは明治に国語政策が始まってたった44年だ
当用漢字・常用漢字になって70年以上
その前にも大正の漢字整理案や戦中の漢字標準表とか、略字の使用許容は示されているから、もっと長いね
義務教育ではない明治以前にしても、寺子屋で行書の異体字での手習い
日本の歴史上国語教育の中での異体字の取り扱いの方が多いだろ
うそついちゃいかん ちなみに現代に不要な文化といえば
履歴書を手書きで書かせること
文字を丁寧に書くのは社会人として当然だが
求職者の情報を知るという本来の目的から外れて
誤字などの粗探しが目的ともなりうる
電子化が進んだ現代に手書きを強要するなど時代錯誤
今こそ不要な異体字を廃止して日本語の表記が見直されるべき時
>>74にも書いたが、これからの日本人に求められるのは、異体字を書けることではない 諦めるもギブアップの意味で使うのはあまり良いとは思わんね ギヴアップは、あきらめるという意味だけじゃなく、「やめる」と言う意味もある。
give up smoking 禁煙する。
ここにはあきらめるというニュアンスはない。 国訓は漢字や中国語への理解を阻害する一番の要因だから廃止されたほうがよい。
そして略字に意味などない。 何で日本人が、中国に合わせた国語に変更せにゃならんのだ
アホか 褌は中国スパイな気がする。
中華伝統への尊敬を植え付けようと画策してる。 中華…中華民国(台湾)
中国…中華人民共和国(中国)
この区別がついてない人が多すぎる。 「淹」を「いれる」と読むのは国訓。
本来は ひたす、とどまる、ひろい の意味。 もともと日本語の「いれる(古語では「いる」)」の意味が
他動詞で「水につける(浸す)、沈める」
自動詞で「水に入る、沈む」という意味を持つ。
「茶を淹れる」は、茶を湯に浸して成分が溶けるまで静かに待つこと。よって古語では「いる」現代語では「いれる」と読むのが正解。
ちなみに「茶を煎じる」は沸騰したお湯で茹でること。
「淹茶」とは「茶を静かに60度ほどの温度の湯の中に沈めておく行為」
「煎茶」とは「茶を100度に沸いた湯の中でぐつぐつと煮え立たせる行為」 いつも丁寧に楷書で書くのが面倒臭いから行書や草書で書いてるけど
年賀状に縦書きで「元旦」と書いたところ「うんこ」と読んだ人がいた 国訓は漢字や中国語への理解を阻害する一番の要因だから廃止されたほうがよい。
そして略字に意味などない。
と認めるしかないのでは? 常用漢字表は本當に廢止したはうが宜い。
政府から漢字使用を制限される謂は無い。 「若」を「わかい」と読むのは国訓。
本来は「ごとし」「もし」の意味。 あと、「なんぢ」もね。
若=「なんぢ」「もし」「ごとし」これは高1で習う話。
「わかし」は少シ
テストでは「ごとし」か「もし」で選択させることが多い。
区別法は、節を導いていて、さらにあと一つ節があるかどうか見分けること。 漢文では、「少」を「わかし(わかい)」と読むけど、
日本語で「若い」を「少い」と書いたら間違い。
つまり日本語には日本語にふさわしい漢字使いがある。 >>116
>漢文では、「少」を「わかし(わかい)」と読むけど、
>日本語で「若い」を「少い」と書いたら間違い。
のようなことじゃない?
現代日本語にふさわしい漢字使いは、常用漢字に従ったものなのでしょう。
古典中国文学に用いられた漢字から来ているので常用漢字も、その多くは元の意味と共通だったり、影響を受けているでしょうけど、中には日本で長年使われてきた独自の用法などに照らして、国語学者など専門家たちが判断して決めたものもあるというのだと思います。
ちなみに、日本で長年使われてきた独自の用法というのは、
古来、日本では「若し」「若やかなり」のように、「わかい」の意味を表す漢字として「若」が用いられていたことなどをさします。
また、「〜がごとし」を「〜が若し」と書いたら間違いとされ、「〜が如し」のみが使われるなどというのも日本独自でしょうね。 つまり「若」字に「わかい」の意味を持たせる根拠は何もないわけで、
「日本独自の用法」というのは「長年使われてきた」かどうかにかかわらず、
漢字本来の意味を無視した誤用ということですね。
国訓は漢字や中国語への理解を阻害する一番の要因だから廃止されたほうがよい。 いや、「長年使われてきたかどうか」こそが重要です。
文字や記号というものは、浸透度が最も重要なのです。 若という漢字の成り立ち
象形文字です。「髪をふりだし我を忘れて神意を聞き取る巫女」の
象形から、神意に「したがう」を意味する「若」という漢字が成り立ち
ました。また、「弱(ジャク)」に通じ(同じ読みを持つ「弱」と同じ意味
を持つようになって)、「わかい」の意味も表すようになりました。 >>115
>日本語で「若い」を「少い」と書いたら間違い。
↑
そう言うのなら、「少年」という語も使えませんね。
「わかい」の意を表す漢字は「少」しかありません。
ちなみに「若年」という語は、「若」に「わかい」の意があるかのような勘違いによって造られた和製漢語です。
現代中国語では「年がわかい」は「年軽」と表現されます。 >>120
>「弱(ジャク)」に通じ(同じ読みを持つ「弱」と同じ意味
>を持つようになって)、「わかい」の意味も表すようになりました。
↑
「弱」が「わかい」の意味で使われる例は「弱冠」くらいしかないので、
やはり「わかい」は「少い」と表記するのがよいでしょう。
「わかい」とは「年齢がすくない」ということですから。
ところでその文章、変なところで改行してあるからおかしいと思ったら、
https://okjiten.jp/sp/kanji947.html
↑
こちらのコピペですよね?
引用するのであればURLを明記しなさい。
出典を明記せずに自分の意見のように述べてはいけません。
論文でやったら剽窃になりますよ。 日本語の訓読みでは「少」は「すくない」と読みます。
日本人であり日本語表記に使用するのであれば、平安時代から日本人が用いてきた正当な訓読法に従った漢字使いをすべきです。
なぜ中華(中国)風の読み方をごり押しするのですか?
中国(または中華)が送り込んだ情報工作員ですか?
ちなみに、一般的に中国は中華人民共和国の略称、中華は中華民国の略称です。 ちなみに、「少年」の「小」は訓読みではなく音読みです。「年少」も。
日本語では「少」は若いという意味ではなく、少ないという意味です。
漢字に与えられた日本の訓(いみ)に合わない語は、音読みで、仮に訓読みであっても熟語でのみ使用されます。 >>123
>日本語の訓読みでは「少」は「すくない」と読みます。
「わかい」とも読みます。
「わかい」とは「年齢がすくない」ということです。
「少年」の語が日本語でも使われているのに、「少い」(わかい)という表記が「間違い」とはおかしな話。
>日本人であり日本語表記に使用するのであれば、平安時代から日本人が用いてきた正当な訓読法に従った漢字使いをすべきです。
↑
そこで「訓読法」というのは適切ではないのでは?
「訓読」というのは漢字の意味と日本語の意味とを対応させる作業です。
漢字の意味を無視した読みをあてる作業ではありません。 訓読法が「正しくない」?
あなた日本人ですか?
日本の学校でちゃんとまっとうな教育を受けてないんですか?
日本国で平安時代から千年以上も使われてきた我が国の訓読法が、どうして正しくないの? >>126
あなたが>>125で言う「正当な訓読法」とはそもそも何ですか?
もう一度言いますが、
「訓読」というのは漢字の意味と日本語の意味とを対応させる作業です。
漢字の意味を無視した読みをあてる作業ではありません。
意味わかりますか? どうやらあなたは訓読の意味を理解していないようですね。
もう一度言いますが、
「訓読」というのは漢字の意味と日本語の意味とを対応させる作業です。
漢字の意味を無視した読みをあてる作業ではありません。
意味わかりますか?
>「〜がごとし」を「〜が若し」と書いたら間違いとされ、「〜が如し」のみが使われる
↑
これも大間違いで、
「ごとし」を意味する「若」「如」の書き分けは、ひとえに原典に拠ります。
例えば、
「上善若水」(上善は水の若し)―『老子』
「旁若無人」(旁に人無きが若し)―『史記』
の「ごとし」は「若」。
「如是我聞」(是の如く我聞けり)−『仏説阿弥陀経』
の「ごとし」は「如」。
訓読文の漢字は、必ず原典と同じにしなければいけません。
こういう常識を知らないということは、まっとうな高等教育を受けていないということでしょう。 いくら偉そうに語っても、訓読を否定する根拠にはならない。 やはり理解できなかったか…
それで、「正当な訓読法」って何? >>131
>>123
>日本人であり日本語表記に使用するのであれば、平安時代から日本人が用いてきた正当な訓読法に従った漢字使いをすべきです。
↑
「正当な訓読法」って何?
説明してもらえる? >>128
> 「訓読」というのは漢字の意味と日本語の意味とを対応させる作業です。
漢文訓讀は其に該當しない場合もある。 >>133
あなたには後で質問します。
先ずはID:pTRs/iHz(バ◯ーキ)に答えさせます。