古文漢文板の質問スレ5
朝なゝゝ楢のさ庭 に聲のして いまた今年の鶲を みさ流 あさなあさなならのさにわ にこえのして いまだことしのひたきを みざる 毎朝サニワで鶲が鳴いてるっつーに姿は見てねーんだわ ちょっと自信ないのでどなたかに直してもらってね 私ができるのはここまで >>193-199 ありがとうございます!! 川合玉堂の軸なのですが日々のちょっとした出来事を切り取り 自然を愛した姿が思い浮かびます。 古い書を眺めてるとそこを通じて同時にタイムスリップできるんじゃないかって感覚に陥るのがなかなかにエモい これはその書を目の前にしないとなかなか得られない感覚 unicode13.0で追加されたビャンビャン麺のビャンを使いたいんだけど使えるフォント有る? あとIMEパッドに何で未だこの漢字載ってないの? 今日のTV番組で静岡のお寺の宝とかで家康が子供=竹千代時代に書いたものとする書面中に 「竹千代 八才」とある部分があった。 この「才」は現在では「歳」の略字として年齢表示に使用されている。 しかし、家康の時代にはすでにこのように年齢を意味する使用法があったのだろうか。 ちなみに、中国ではこのような同義としての使用はされていないから、家康のような立場の人間が 「八才」と書くようなことはあり得ないのでは?と思うのですが。 家康が八歳(数え年で)だったということは、一五五〇年。 それは家康の時代ではないし、まだ信長の時代ですらない。 やっと関東管領(室町幕府)が戦国大名らに圧倒された段階であって、 あえていうなら後北条氏の時代。 つまり室町時代に、年齢を表すのに「才」という字が使われていたことを示す文献が見つかった、という話ですね。 平安時代の末期の資料に簡略字やカナが大量に登場することを考えても、昔の役人は、真面目な秀才ばかりではなかったということでしょうね。 略式表現は平安末期以後、とりわけ鎌倉時代以後に増えていきます。 「…しけるによりて」「…したるがゆえに」「…するなれば」等々、多様な表現を 正しく使い分ける手間を省き「…する間」とするなどがその例です。 歳が才となったのもおそらく平安末期以後、とりわけ鎌倉時代武家政権の表記簡略化の 流れで進んだのでしょうね。 釋(シャク)の画数が多いから、同じシャクなら尺でいいじゃないかと坊主どもが釈の略字をでっちあげたのも平安後期、院政期だというからもう年季が入っている 釋が釈でいいんなら澤も沢でいいだろうなんてことにもなった 澤はシャクじゃなくでタクなんだけど‥ やはり鎌倉になって武士の時代になると文学は下火になるね。そもそも武士に知的な活動を求めるのが難しいことか。繊細な表現なんか全部ぶっ壊して集約していく流れがあるのは確か。文法も壊れていく 馬鹿が壊しそれを仕方なく受け入れていくことで 言葉が変わっていくんだね wiki見たらどうも五字擡頭ってのがあるらしいんだけど、これの実例って知ってる? 俄かには信じられん。 教科書またはテストの問題文で読んだ気がするんだけど、何の本の話だろう。 ↓↓↓↓ お坊さんが、長年お参りに行きたいと思っていた有名な神社に行きました。 建物も立派で参拝客もたくさんで、やっぱスゲーってなりました。 お坊さんは、参拝客がさらに山奥に向かっているのを見ます。 「みんなドコに行くんだろう」と思いつつも、お坊さんは帰途につきます。 旅から帰ってきて周りの人にこの話をしたら「ちげーよ、その山奥が神社の本殿だよ」と言われました。 何事にもガイドがいた方が良いですね。 中学2年の教科書に出てくる話ですね。 「年寄るまで石清水を拝まざりければ」「かちよりもうでけり」と暗唱した記憶があるんじゃないかな。 徒然草第52段 仁和寺にある法師、年寄るまで、石C水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩よりまうでけり。極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果たし侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と言ひける。 すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。 >>216 コレです、ありがとう! 固有名詞を何ひとつ覚えてなかったから検索できなかったけどスッキリしました! 曖昧な質問で申し訳ないのですが 南方に赴任した人の泣き言みたいな漢詩で "なんということだこれから夏だというのに木の葉が落ちていく"(温帯の首都圏と違って熱帯または亜熱帯の気候なので乾季に備えて落葉する)的な内容の詩をご存知の方いらっしゃいませんか? 常用漢字で「強」という漢字が、 繁体字では同じ「強」だということを知りました。 そして中国大陸の簡体字では 强 日本の旧字体でも 强 だそうです。 正字と認められるのはいったいどちらなのでしょう。 恥ずかしいのですが漢文返り点採点の質問です。 返り点を付けよ、という問題、 正解は 見二孺子将一レ入二於井一。 @見四孺子将三入二於井一。 A見二孺子将一レ入レ於レ井。 という解答は丸になるのでしょうか? 同じく、正解が、非四所三-以内二交於孺子之父母一也。という問題 B非レ所三-以内二交於孺子之父母一也。 という解答は丸になるのでしょうか? 以上、お願いします。 一字から一字に返るときにはレ点を使わないといけないから@はなりたたないと思う 下も同様 >>220 「戰時宰相論」中野正剛(『朝日新聞』昭和一八年一月一日) 國民の愛國熱と同化 西ク南洲曰く「佛蘭西三十萬の兵,三年の糧ありて敵に降りしは,餘り算盤に精しかりし故なり」と。 老虎クレマンソウ曰く「今やロシヤは吾人を裡切つた。されど餘は戰爭を行ふ。憐れむべきルーマニアは敵に降つた。されど餘は戰爭を行ふ」と。又「巴里を喪失せば,ロアール河の線に據り,ロアール河支へづんば,ピレネイ山脈の線に據り,斷じて敵を反擊擊滅せん」と。ナポレオン三世の屈服せし所,クレマンソウは見事に之を克服した。戰時宰相たる第一の資格は絕對に强きことにある。 第一の資格は絕對に<强>きことにある。 旧字体では<强>です。 普通にいくらでも古い本には使われているというのに、なんでそれを知らないんだ? 単に旧字体そのものを知らない人としか思えない。 英米强國の土地と資本の壟斷/10 其强裂なる焊彈を 1 下した玳を間いた、獨逸がまた到る處に戦時既を强徴し、 ところで、 旧字体の「强」、繁体字の「強」、どちらが正字? >>226 日本人が使っていた旧字体こそが日本人にとっての正字なのではないですか? そもそも以下のような書き込みをする人は信用できません。 8 名前:名無氏物語 2020/12/14(月) 14:44:56.69 ID:SaU9LIxx >>7 死んどけ芥 9 名前:名無氏物語 2020/12/14(月) 14:44:56.81 ID:SaU9LIxx >>7 死んどけ芥 10 名前:名無氏物語 2020/12/14(月) 14:44:57.04 ID:SaU9LIxx >>7 死んどけ芥 対訳としての言葉と原語では意味が違うとかほざいてるの日本人くらいっすよw 対訳としての言葉と原語では意味が違うとかほざいてるの日本人くらいっすよw あれも良い、これも良いと言ってなんでも良いと評価する人は物事の価値をわかっていない人だとか滑稽だ ってな内容の話が古文であったように思うのですが出典を教えてください カタカナ語批判で漢語否定する馬鹿どうにかしろw なんで漢字が特別なのかいつになったらわかるw そもそも表意文字はその国の文字ではなく世界共通の文字である。カタカナ語馬鹿はこれを全く理解してないw なんで古代日本人は漢字に大和言葉の読みを足したの? 表意文字だからですよw 「(´・ω・`)」「m(_ _)m」 これらの顔文字は日本語ですか?特に日本文化の中で育まれた文字なだけです。 中国嫌いの奴が中途半端な知識だけで「漢語はどうなんだ」論を出すという証明がこれ程簡単だったとは やっぱりカタカナ語馬鹿って何も知識が無いんだな カタカナ語批判で漢語否定する馬鹿どうにかしろw なんで漢字が特別なのかいつになったらわかるw そもそも表意文字はその国の文字ではなく世界共通の文字である。カタカナ語馬鹿はこれを全く理解してないw なんで古代日本人は漢字に大和言葉の読みを足したの? 表意文字だからですよw 「(´・ω・`)」「m(_ _)m」 これらの顔文字は日本語ですか?特に日本文化の中で育まれた文字なだけです。 中国嫌いの奴が中途半端な知識だけで「漢語はどうなんだ」論を出すという証明がこれ程簡単だったとは やっぱりカタカナ語馬鹿って何も知識が無いんだな https://search.yahoo.co.jp/search?p=site%3Amiutaso.com& ;aq=-1&ai=a4271e49-6a95-4e75-ba73-fa4070d979b3&ts=14379&sfp=1&ei=UTF-8&fr=sfp_as&meta=vc%3D 倭建命の歌 倭は国のまほろば たたなづく青垣 山籠もれる 倭し うるはし の 倭し って何ですか? やまとし という形容詞なのでしょうか? 「倭し」は普通に倭のこと 「し」は倭を強調するだけの意味のない言葉 ありがとうございます。この歌は五七五七七になってません。和歌がこの型に集約されていったのはいつ頃なのでしょうか。 受験生です 源氏物語の 飽かぬところなう、わが御心のままに教へなさむと、 という文で飽かなところなうの「なう」がなんなのか分かりません 参考書には「不満足な点がないよう」と訳が載ってはいるんですがそれでもよく分かりません >>241 「無く」=「なく」のウ音便だろ 全く難しい所じゃない。 はやく=はやう と同じ 犬を多産の動物として書いている漢文を調べたいのですが 「多産」は漢文だとなんという言葉で表されるのでしょうか >>245 >そもそもそんな文章が存在するの? キラーワード! 質問の全てに「そもそもそんな文章が存在するの?」と答えて 質問阻止をしよう! >>246 は?お前は何を言ってるんだ?「こんな話があって、なんの本だったか忘れた」ならまだしも、そもそものあるかどうかも不明な出典から探させようとするとかキチガイだわ 自分では一切研究する気概もなく、人にちょっと聞いて解決しようとするスタンスがゴミだわ だよねー 人にちょっと聞いて解決しようとしちゃだめだおー 質問阻止がーんば >>249 君のレスからして発達障害を感じさせるね。生きにくい世の中だろうけどがーんば いわゆる人格攻撃に転じたのかー 発言の妥当性を損なってやろうとする気満々のようだけどそれはとても恥ずかしい行為なんだお 知っててやっていても知らずにやっていてもどちらも恥ずかしいねっ 質問阻止がーんば 曖昧でもデータを何も出さずに「何かありませんか?」って小学生かよ 「ねぇなんかいーもんなーい?」って言ってるんだろ?もはや質問ですらない。内容を丸投げしてるんだからな。恥ずかしいやつだ このスレでの私の主張は一貫しているお 質問崩し・質問封じだ くだらない質問をするな、ではない 人格攻撃に転じた者は質問をしてきた者より下 なぜならここは質問スレだからだ だから質問をして来い 崩して封じてやろう やべえやつがいるな。質問内容すら他人にぶん投げて偉そうにしてるとか頭がおかしい。 「私の主張は一貫しているお どやぁ」なにこれ? あるかも分からないものを教えてくださいって質問じゃねーわそれ。 「自分ではここまで調べたんですけど、この先がわからない。だから教えてください」が当たり前だろ。「自分では何も調べてませんし、存在するかもわかりませんが、存在するなら教えろ。受け取ってやる」ってスタンス。あまりに幼い。自分を何か勘違いしているようだが、レベルは小学生低学年。 >>256 おまえ随分前に負けてるぞ 負けに気づけない方がバカだと思う >>256 お前は疾うに負けている 足掻くな見苦しい >>254 お前の方が数段頭が切れるが弱い者いじめは良くないね 鬱屈して奴が荒らし化する前にもうやめてあげなさい 小学生みたいな阿呆が湧いてるな。中身のない、いや、中身すら他人に丸投げしていて質問していると思い混んでる阿呆。 「空飛ぶ犬について書かれている文を探してる」と同じ。 いやそもそもそんな文があるかも知らない、そんな動物として認識されてるかの裏付けとなしに、 「探してます。どう表現されるんですか?」 とか阿保すぎる。存在しない現象を答えようがないし、あるなら根拠や手がかりを言うべき。 それすら無しに答えろって、、、、まじで小学生低学年と同じ。 そして、そのあまりに幼稚な阿保だということを指摘されると自演して顔真っ赤。レベル低っ 何より幼稚なのは「質問する側が偉そうに、教えろ」ってスタンス 「他人が自分のために何かをするのが当たり前」だと思ってるんだろうな。要は一言で集約するなら「小学生低学年」なんだけど >>259 誰の言葉も届いて居ないようだし 長文荒らしと化した奴を制する方法はないからね 小学生低学年レベルの阿呆が必死にID変えて自演しているな。ここは元々過疎スレなのに突然複数のIDで同じ論調のやつが湧くという。バレバレなのに自分のレベルの低さを指摘されて必死 そもそも小学生低学年だからなんなんだ? 質問してはいけないことにはならないだろ スレの主旨と関係ない長文連投してるほうが知障だろ あげくに自演認定とか統失も発症してるしw >>264 ->>266 アタシたちきっと!全員!自演認定される隊! >>267 そもそもそんな文章が存在するのか知らないし、質問するならまず自分で調べてから教えてくださいってお願いするべき。 小学生低学年と同じだしレベル低いだろ。つまり質問のレベル低いしそもそも質問じゃねーわ 野党の途中退席で陛下の内奏遅れる 立憲民主党などの野党が8日の衆院予算委員会を途中退席した影響で、 同日夕に予定していた天皇陛下への内奏が1時間遅れていたことが9日、 分かった。国会審議のために陛下の日程が遅れることは異例という。 ttps://www.sankei.com/politics/news/210209/plt2102090034-n1.html 天皇待たせるって何様やねん、野党 ええ加減にせえよ 『夫から醜い醜いと言われ続けた妻が川の渡しに身を投げて死んで水神になってしまい、 それ以降その渡しは美女が渡ろうとすると水神の呪いで船が沈んでしまうため 女はその渡しを渡る際には醜くなるように化粧をするようになった。 ブスが渡るなら沈まないのだが、女は「水神が嫉妬しないようなブス」と言われるのを恐れて どんなブスでもその渡しを渡る時はブスになるように化粧をしたのだ』 ↑という内容の漢文を問題集で読んだ記憶があるのですが、出典をご存知ないですか? 酉陽雑俎 妒婦津,相傳言,晉大始中,劉伯玉妻段氏,字光明,性妒忌。伯玉常於妻前誦《洛神賦》, 語其妻曰:「娶婦得如此,吾無憾焉。」明光曰:「君何以水神善而欲輕我?吾死,何愁不為水神。」其夜乃自沉而死。 死後七日,托夢語伯玉曰:「君本願神,吾今得為神也。」伯玉寤而覺之,遂終身不復渡水。 有婦人渡此津者,皆壞衣枉妝,然後敢濟,不爾風波暴發。醜婦雖妝飭而渡,其神亦不妒也。 婦人渡河無風浪者,以為己丑,不致水神怒。醜婦諱之,無不皆自毀形容,以塞嗤笑也。 故齊人語曰:「欲求好婦,立在津口。婦立水旁,好醜自彰。」 神社の江戸時代の力石に「為勢徳」と恐らく刻まれていました。両脇には奉納した人物の名前が刻まれています。 何と読んでどういう意味か教えていただければ幸いです。 【至急】 論語の気に入った教えを3つ書いてくれ 出来たら理由も書いて、課題がやばい 348名無しさん@恐縮です2021/03/08(月) 20:02:50.66ID:GIsNli8y0 明石家さんまが「R−1」をネタに 「作りがちょっと甘かったりとか…R−1よりマシ!」 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210308-00000212-spnannex-ent 【テレビ】明石家さんま「きのうのR-1よりマシ!」 [爆笑ゴリラ★] https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1615209605/6-n 1爆笑ゴリラ ★2021/03/08(月) 22:20:05.38ID:CAP_USER9 499 名無しさん@英語勉強中 (ワッチョイ cb9d-kkZq)[] 2021/03/08(月) 08:33:20.07 ID:Zu98IFjx0 >実際には歴史的にも使われてきた正しい言葉だった 言葉の意味としては「名誉挽回」「汚名返上」が正しいことは明らかなので、「汚名挽回」の古い用例があることは単にその誤用も古くからあったことを示すだけだよw 501 名無しさん@英語勉強中 (ワッチョイ 0f33-/obZ)[sage] 2021/03/08(月) 08:42:12.32 ID:6UpzakgX0 昔から誤用ではないそうです ・「汚名挽回」は昔から使われている。逆に「汚名返上」の古い用例がない ・「名誉挽回」/「汚名挽回」の2つがあるのは、「元気回復」/「疲労回復」と同じ 502 名無しさん@英語勉強中 (ブーイモ MM8f-S4TS)[] 2021/03/08(月) 09:21:33.96 ID:PUttHGk7M 499 昔の辞書に「挽回」の意味が「失ったものを取り戻す」とあるのは、 「失う」に今で言う「失敗する」という意味があるからだ つまり「失敗した分を取り戻す=悪い状態を消す」が原義であり 汚名挽回が「なくなった汚名を再び持つ」意味に見えるというのは、極めて無教養な読み方と言わざるを得ない 君と、君が信じた説は 最初から「辞書すら読めない極めて低いレベルで」間違っている 学校の先生の説明があいまいなので質問なんですが、歴史的仮名遣いについて 「てふてふ」は現代仮名遣いでは「ちょうちょう」ですが、その時代の人はそのまま 「てふてふ」と発音していたのでしょうか >>278 ありがとうございます。 そのまま発音した方が時代に戻れる感じがします。 漢文の書き下しをわかるかた教えてください。 貴書敬読。居留地一件、早速法制局長官御呼寄相成、御談示有之候大略御示承知仕候。此事似小事而非軽事候故、首相えも御注意無遺算様御高配為国家緊要之事と存候。岡澤に関する事は尚其後井上伯へも篤と申入置候故、御安心可被下候。差急候得は其前御面会又は寺内音差遺に而も万事御取極可然候。早々頓首 お願いいたします。 『史記・陳渉世家』の有名な燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやのくだりの事なんですが その陳勝の言葉を聞いて笑った傭者の解釈について 笑ったのは雇い主としている人と雇われている仲間としている方がいるのですが どちらなのでしょうか? >>283 ご親切にありがとうございます! 助かりました!! >>277 てふてふ → てうてう → ちょーちょー けふ(今日)が けう → きょー となるが如し europaは英語ではユーロパとなるが、日本語ではヨーロッパとなるが如し >>279 ひかり(光)は昔は ピカリと言った(ピカリと光る) ひよこはピヨコ(ピヨピヨと鳴くから) てんてんー日本語究極の謎に迫る より 「てふてふ(蝶々)」が「ちょうちょう」と讀まれるに到つたかを論理的に 説明できる人は少なからう。萬葉の時代には、「蝶」は「ディエップ」と 發音され、萬葉假名では「代布」の字が宛てられてゐたといふのも 興味深い。 アマゾンで中国の激安商品買ったら この詩のポストカードが入ってた 結構人気な詩らしいけど 出典わかる? ↓ 岁月极美 在于它必然的流逝 春花 秋月 夏日 冬雪 你若盛开 清风自来 ググったら 三毛出处って人の詩だって出てきた 誰だろう だれがかきくだしなどするものか 英語と中国語は近いんだ Google翻訳 ↓ The beauty of time lies in its inevitable passage Spring flowers autumn moon summer winter snow If you are in full bloom, the breeze comes 台湾のメンヘラヒッピー系作家さんだね メンヘラヒッピーだけあって ポエムはおじょうず 生まれは浙江省とある /ja.wikipedia.org/wiki/三毛 とにかくSNSでポエムをつぶやきたい ヤング層に支持されてる 三毛さんの作品は2019年にやっと英訳されて評価されてるらしいよ。 なんか日本だけ中国語圏や英語圏の流行から おいてきぼりにされて 韓流のファッションしてる変な顔の人達が テンセントのゲームをレビューさせられてる。 質問させていただきます。漢文において 史載筆,士載言 とはどういう意味になるのでしょうか。 1980年代半ばの高校古文で 出始めの茄子は高いから買うのは愚かである 茄子が出回った時期に安く買う みたいな意味の文章があったと思いましたが、原典わかりますでしょうか? >>297 ソースに当たれないけど確か井原西鶴の日本永代蔵だったと思う 広島新庄高校の校歌「我らはここに精進し高き理想に『励まなん』」は「励みなん」でないと意味が通じないように思うのですが、先賢諸子の御高見を賜りたく、よろしくお願いいたします。 『十八史略』に「紂可伐矣(紂伐つべし)」という文があります。これを訳すと「紂王は討伐すべきである」となるのですが、「可伐」の前にある「紂」が主語でなく述語の役割を果たしている(「紂王が討伐する」のではなく「紂王を討伐する」という意味の文)理由がよくわかりません。動詞の前にあるのだから主語だと思うのですが、これはどういう文法構造だとみればよいのでしょうか? >>295 「戴」の解釈に拠るのですが、私が思うに「史は筆を載せ、士は言を載せる」と訓読し、意味は「歴史を記す役人(=史)は詩文(=筆)を書き記し、役人(=士)は謀り事(=言)を書き記す」かな〜と。これを書いた人が分からないので何とも言えませんが、歴史家や政治家を批判する文章中であればこの解釈だと思います。ただ「戴」に「すなわち」という訓読方法があったり、「士」「言」も多義語なので、他の解釈もいろいろと考えられるということは覚えておいていただけると幸いです。 >>300 「なむ」という終助詞(意味:「〜てほしい」)があり、これは活用語の未然形に接続します。仰っている「なむ」が終助詞ならば直前が「励ま」でも問題ないはずです。その場合、意味は「私たちは(あなた方に?)ここで精進し、高い理想にうちこんでほしい」かと。ですが、貴方様の言う通り「励み」の誤りの可能性もあります(むしろそのほうが高そうです)。そうすれば「〜うちこむつもりだ」となって自然です。思うに、その校歌の作詞者が卒業生ならば後者、そうでなければ前者、という感じではないでしょうか。 >>308 ありがとうございます。 校歌なので「我ら」は生徒自身であり、創立者一同ではないと考えます。 作詞は日高只一(早大文学部長)なので、不審に思いました。 お願いします。 会話文で「御諚ざふ。」とありましたが、ざふの訳がわかりません。候うでしょうか。 >>313 どの文献に出てきたか、他に用例があるか、っていうのは分かりますか? せめて年代だけでも......でないと例えば「御諚」+「すの未然形の濁音化」+「ふ(上代の助動詞)」みたいな無理無理な解釈もできてしまうので。 あと、書いた人の出身や書かれた場所(地域)もあるでしょうか? 仮に「さぶらふ」だったとして、濁点の位置が逆転するのはほぼ無いと思うのですが、その地域固有というのがあるかもしれません。 あ、「御諚」は「ご命令」ですよね。 >>314 南総里見八犬伝、第三十一回 岩波書店の二巻、p197です。 >>315 すみません。「ざふ」は私には分からないようであります。 南総里見八犬伝にあるのは確認したのですが、その部分の訳も当たれず、「さぶらふ」が「ざふ」に変化した例も見られず、という状態です。 色々と探してみましたが、「ざふ」は「雑」か「坐蒲」の2つばかりで、他を認められませんでした。 お力になれず、本当に申し訳ありません。 >>316 いろいろと調べてくださってありがとうございました。「ご命令だぞ」みたいな意味なんでしょうかね。お手数おかけしました。 >>303 漢文では動詞の目的語は動詞の後に置くというのは原則ですが、 様々な条件下で、目的語を動詞の上に置くことは可能です。 いろんな条件があり、詳しくは「倒置」を調べるといいですが、 この場合は、「倒置」と言うよりもむしろ、 「紂、可伐矣」と読点を1つ入れれば分かるように、普通の文章と言えます。 「紂ってヤツは、やっつけないと」みたいな感じでしょうか。 ラジオで漢詩朗読などをやっているが漢字をみなければチンプンカンプンだな。 漢字を見ても半分分かるかどうかという程度だが。 支那語をローマ字化するとああいうラジオを聴いている状態になるはずだ。 『吾妻鏡』のおすすめの本を教えてください。大河を見ていて面白そうなので読みたくなったのですが、原文(書き下し文)と注釈と現代語訳のある本で探しているのですがおすすめないでしょうか? 自分で探した限りでは、角川ソフィア文庫の『吾妻鏡 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』というのがヒットしたのですがこちらネットで見る限り最初に現代語訳があって次に書き下し文があるスタイルのようで、最初に書き下し文が来て欲しかったです。 書き下し文を読んであれこれ自分で内容を考えたり文を楽しんでから訳を読みたかったというか… 平安時代の高位貴族男性の日記は暦に書き込まれてることが多かった、祭礼の作法や故事有職がよく判るというけど、 紙が貴重品だった時代に、そんなに書込み余白があるものだったの? >>323 『御堂関白記』をGoogleで画像検索して見てみるといいかも結構余白あるよ だいたいの箇所は漢字で書いてるのもあって結構書けたみたいね なぜ昔の貴族達は恋をはじめるのに和歌を詠むようになったんだろう 手紙でも直接会って語るでもよくない? 女性がどんどん外にでなくなって御簾の中に籠るようになったから? これの出典、原文を知りたい。 道に入らざるは即ち危し。 道に入りて道を出ざるは即ち昏し。 大意 基本を無視して自己流で物事を始めると正しい技術が身に付かない。 基本にしがみついて基本から脱出しようとしないとそれ以上上達しない。 うろ覚えなので原文とかなり異なると思う。 解る方、よろしくお願いします。 >>325 もちろん当時の恋人たちも直接会って語り合っていたし、手紙の交換もしたよ。 歌を歌うこともあっただけの話です。 源氏物語とか伊勢物語とか、当時の物語を読んでみたら? 恋人同士が直接会って一晩中おしゃべりして過ごしたという話ばかり。 5時間一緒に過ごしたら、そのうち1〜2分くらいは歌を交換することもあっただろうけどね。 >>327 恋のはじまりは大体和歌からじゃない? 伊勢物語は歌物語だからそうなるとしても 源氏物語や狭衣物語でもやっぱり恋は和歌からはじまっている気がする 和歌のやりとりなしに男女の関係が始まる時って髭黒と玉鬘みたいな大体男君側の一方的な愛の押し付けになっていてよろしくないこととしてえがかれている気がするなぁ 若紫も歌のやり取りからじゃないよ。 歌のやり取りから恋が始まるなんて、まずほとんどない。 筆者(女性)が、通りすがりの殿方に「歌をよんでください」と言われて 素敵な応答を楽しんだという場面は何度か見たけど、それは恋になんて発展せず、 筆者がときめいたり、その男性を素敵だとかいて終わり。 女性に恋心を抱いている男性は、和歌を「ひとりごちて」みたり、心の中で「おもひて」みたりする場面がほとんど。 和歌の交換なんて、知性のひけらかしのための遊びでしかやらない。 今でいうカラオケみたいなもので、遊びの一種。 歌い方に自信のある人はよくカラオケで人に歌を聴かせようとする。 場合によっては、自分の切ない恋心を聴いてほしいと思ったら切ないバラードをあえて恋人の前で歌ってきかせたりするということもある。 それと同じ。 そこから恋がスタートすることはかなり珍しい。 先生、お願い致します。 褚遂良の哀冊で 「次焚商袂」 簡単な意味をご教示いただけませんでしょうか。 物書堂の辞典 三省堂全訳読解と旺文社全訳古語辞典の違いを教えてください >>326 子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。 これとはちがうかな。 >>328 貴族の生活は、今と違ってテレビもゲームもありませんから和歌を詠むとかセックスすることぐらいしかやることがなかったのです。朝廷での勤務は朝4時から午前8時くらいで終わる文書作成生活なので、3時ころまで寝て夕方から朝の出勤まで色々遊ぶような生活でした。男も女もいきおい楽しみがないのです。王朝文化とはそういう愛欲の文化です。和歌でもずいぶんやらしい歌が多いのはそのためです 和歌を読み合うのは今で言うマッチングアプリで相手の教養の品定め 貴族の婦女子は表にあまり出ないから男が相手の家まで立ち寄り容姿を垣間見るという段取りが今で言うマジックミラー 古語で「見る」とか「会う」がヤルことの代名詞になるのはこれが理由 >>337 当時の貴族たちは25歳くらいまでは「大学寮」で勉強しなくてはならなくて、 遊ぶ暇はなかった。 律令制も末期になると制度も形骸化して21歳くらいで中退することも許可されるようになったけど、21〜25くらいになって役職に就いたあとは、 毎日職場で長時間を過ごさなくてはならなかったので、セックスできる時間は深夜だけでした。 古文を読んでも、恋愛シーンは深夜遅くとか、明け方だったことはわかるはず。 あんまりうそをつかないように。 >古語で「見る」とか「会う」がヤルことの代名詞になるのはこれが理由 これもでたらめ。 「見る」「会ふ」は「結婚する」という意味があるけど、必ずしも性的関係を指さないし、 当時、性的関係はロマンチックな意味を一切持っていない形式的かつ物質的なものに過ぎなかった。 さらにいうとこれは動詞であって代名詞ではない。 【海外の反応】 日本の国語教科書を見た中国人が、衝撃的事実に気付く! 中国で失われた教育が日本に! 驚きと感動が鳴り止まない!! 【世界のJAPAN】 ://youtu.be/vA7G92K2TSY 「逢う」という言葉だ。 古典ではこれは単に「出会う」を意味するではなく、「契る」つまり、セックスを意味する事がある 逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり (権中納言敦忠) めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影(紫式部) あらざらむこの世の外の思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな (和泉式部) 古典で「ちぎる」は約束をするという意味だよね。 「結婚の誓いを立てる」という意味もあるけど、セックスを意味しないよね。 ちなみに現代語でも「逢う」は「出会う・知り合う」という意味ではない。 あう[動ワ五(ハ四)]《「合う」と同語源》 1 (会う・逢う) ㋐互いに顔を向かい合わせる。場所を決めて対面する。「客に―・う」「明日、いつもの場所で―・おう」 ㋑たまたま人と出あう。「駅でばったり知人と―・った」 >>345 教えてあげても構わないが、 その前に、なぜそれが知りたいのか、どういう理由でそれを知りたいと思ったのか、まずは説明してくれるかな? やや神経質なことを言ってしまった気がするので、 とりあえず、答えておくことにする。 >>345 李攀龍 王世貞 という明代の詩人の作(漢詩)について書いたものだ。 できることなら >>9 >名無氏物語2019/06/09(日) 22:26:07.03ID:BSAexxY+ >祖父が兵役が終わった退営記念に近所に配ったと思われる盃に一首の和歌があったんですけど作者、出典を知りたいです のような感じで質問するのがいいと思う。 場合によっては、「大学入試の国語の問題文の中に出てきたので、」などでもいい。 >>347 ありがとうございます。 理由は興味本位のものですが(海外の歴史ドラマの人物をググっていたらたまたまヒットしましたが結局関係はありませんでした)10代は海外にいたため古文漢文の教養が全くない事もあり自力検索するレベルでは答えが出ずこちらで質問させていただきました。すみません。 【タイトル】私の方丈記 【URL】https://www.youtube.com/watch?v=aa2BVlhhIDk 【ジャンル】ポップス 【曲長】6:28 【使用音源】生演奏 【使用ソフト】 【コメント】鴨長明【方丈記】序文全文に曲を付けて唄ってみました。 流れる様なアコースティックサウンドになっています。 是非聴いてみて下さい! 絶版などで入手困難となった資料をパソコンやスマートフォンで 閲覧できるようにするサービスを国立国会図書館が5月19日から始めることになりました。 対象となるのは、国立国会図書館が所蔵し、すでに電子データ化された書籍や雑誌、論文など150万点余りです。 入手困難な絶版など パソコンやスマホで閲覧可能に 国会図書館 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220430/amp/k10013606071000.html 二重敬語はほとんど皇族絡みと中学の時に習ったのですが ついさっき二重敬語なんてどこにでもある平家物語なんて二重敬語ばっかりと言われました 結局何が正しいのでしょうか? 皇族以外の有力者が、皇族と同等もしくは皇族以上の敬意を集めることは非常に多かった。 日本史では、蘇我蝦夷が自分の意をミカドと呼ばせたり、息子を皇子と呼ばせたり、また、それ以前には、有力者たちは自分に都合の悪い天皇や皇太子を廃位して 自分に都合のいい天皇や皇太子を擁立したり。 律令制(天皇を中心とする中央集権国家体制)を完成した後も、8世紀半ばからは有力者が幅を利かせるようになり、9世紀末頃からは天皇を抑える権限を誇るようになり律令制の諸制度は崩壊していきました。 武家政権の時になると、将軍やそれを取り巻く有力者たちが、部下や目下の人たちの上に君臨すると言えるほどの扱いを受けるようになりました。 息子が小学校の音読宿題で、御伽草子の浦島太郎がだされてます 「昔、丹後国に、浦島といふ者」ところの読みですが、学校から渡された紙には「丹後国(たんごくに)」と書かれています 「たんごのくに」の誤植かな?と思って小学校に問い合わせたのですが、たんごくにで皆覚えてますと言われました 丹後国をたんごくにと読むこともあるのでしょうか? 火→炎のように水や風の一段上を表す漢字ってありますか? 岩波文庫の孟子、列子の訳者である小林勝人という方はどんな人なのか知ってる人いますか? 光厳院三十六番歌合 ちる花にうき世をさとる人もあらはつらきもうれし春の山かせ 散っていく花々につらい世の中を悟る人もいるけれど、辛いことも嬉しく感じる春の山風だ この訳であっていますか? ここで聞くよりquoraで聞いたほうがいいと思うよ そもそもここ人いないし この板に初めてお邪魔した者です。 今地方郷土史の研究を趣味にしようと思っておりまして、特定の地方における郷土資料を色々収集しております。が、明治以前の歴史については、基本的に古文書の読み下しが必要で、その知識が無く困っております。そこでこの板の方にお聞きしたいのですが、江戸初期〜明治初期辺りまでの地方藩の公文書の文法や意味表現について解説した入門書の様な図書がありましたら是非ご教示頂きたいです。 拙文失礼致しました。 >>359 油井宏子先生の『江戸が大好きになる古文書』(柏書房) おすすめ。 だれのことかは言わないが 鎌倉時代のことで禅仏教に恨みをもち 禅宗の学生を 鎌倉仏教時代の罪滅ぼしとして天譴論を仏教私立で広めてこいと指図し (んー、このロジック壺屋と同じだよな) 創価の研究室に在籍しながら あげくのはてには 自分は創価とは関係ない、知人が多いだけだと言う研究者は 死ねばいいよな? だれのことかは言わないが 鎌倉時代のことで禅仏教に恨みをもち 禅宗の学生に 鎌倉仏教時代の罪滅ぼしとして天譴論を仏教私立で広めてこいと指図し (んー、このロジック壺屋と同じだよな) 創価の研究室に在籍しながら あげくのはてには 自分は創価とは関係ない、知人が多いだけだと言う研究者は 死ねばいいよな? 伊勢物語知顕抄に大伴家持が桜の根っこ踏むなよって言ったエピソード知ってます? ちょっと日本語がくちゃくちゃだけど、そんな説話調べても出てこないんです。 この後ろの石?に文字っぽいものが書かれていますが何と書かれているのか分かりますか? https://i.imgur.com/M2oYoKI.jpg 有識者の方がいらっしゃったら教えていただきたいのですが、「参らせ給ふ」を「差し上げなさる(献上なさる)」ととる場合に、謙譲語「参る(差し上げる)」+尊敬の助動詞「す」の連用形+尊敬語(補助動詞)「給ふ」とすることはできない文法的な解説をお願いいたします。 高校生やねんけど古文解釈の方法やってんねんけど助動詞を3章でいってて文法は一通りやってる身からするとスルーでOKですか 質問スレあったのか マルチになるかもしれんが 子貢南遊於楚,反於晋,過漢陰,見一丈人方将為 圃畦,盤隧而入井,抱甕而出灌,猾捐然用力甚多而見 功寡。子貢曰: 「有械於此,一日浸百畦,用力甚寡而 見功多,夫子不欲乎?」 為圃者印而視之曰: 「奈何?」曰: 「盤木為機, 後重前軽,撃水若抽,敷如決湯,其名為棒。」為圃者 念然作色而笑曰: 「吾聞之吾師,有機械者必有機事, 有機事者必有機心。機心存於胸中則純白不■{備};純 白不■{備},則神生不定,神生不定者,道之所不載 也。吾非不知,羞而不為也。」 この ■{備} が一体なんなのかわからん 『荘子』天地篇 の少なくとも原文が乗っている本があったら教えてください 国会図書館を調べているが 小学中等読本詩歌詳解 こんな難しい本を読んでいたのか ビッグモーターの偉い人が「死刑死刑死刑教育教育教育…」とパワハラしてた件で思い出したのですが、 中国の古文書で偉い人に文を奏上するような時「斬首斬首斬首斬首……」のように物騒な言葉を羅列して自分をへりくだらせる表現みたいなものってありませんでしたっけ? 数年前Twitterで面白ネタとして流れてきた記憶があるのですが、ググッても全く見つけられませんでした。 質問があります。 助動詞の直下に動詞はぜったいに来ないでしょうか。 例えば、「ぬ」+「なり」は、打消しの助動詞「じ」に断定の助動詞「なり」が接続しています。 助動詞の直下に動詞は来ないルールがあれば、この「なり」は必ず助動詞という判断が可能になるので助かります。 >>373 助動詞「じ」に「ぬ」という形はない。「ず」の連体形の間違いだろう。 助動詞は付属語だから、基本的に用言を下接させないが、断定の助動詞「なり」の連用形は「にあり」というように補助動詞「あり」が付く。 【例】しかも、もとの水にあらず。『方丈記』 >>374 レス有難うございます。 >「ず」の連体形の間違い 今気が付きました。勘違いをしていました。打消しの助動詞「ず」です。 >助動詞は付属語だから、基本的に用言を下接させないが、断定の助動詞「なり」の連用形は「にあり」というように補助動詞「あり」が付く。 なるほど。わかりやすいご説明ありがとうございます。 これは、係り結びの省略とも関係することだと思ったのでとても参考になりました。 ありがとうございます。 すみません古典に関する質問です 枕草子の中に「木の根もと?、ピンク色に透き通った綺麗な色」みたいなことの書いてある章段があった筈なのですが、先程それを探そうとしたのに、全然見つかりません。 紙の本でもネット上でも探しましたが… どなたかその章段について分かる方がいたら教えてください。 ちなみにかき氷のことが書いてある章段ではありません 別の文章だと思います 曖昧な質問ですみせんが、よろしくお願いします 変体仮名がわかりません。 文脈から「に」と思うのですが変体仮名一覧にはありませんでした。 出典は明治25年です。 「進む■あしし」「途中にて滞る■あらん」などの部分です。 https://i.imgur.com/a1IDywQ.jpeg >>378 自己解決しました。 「こと」の合字でした。 20年ほど前に問題集で見た文章の出典が知りたくなりました 和歌についての文章で着物の砧打ちを歌った歌に「今は着物を巻き返すほど」というようなものがあって そういうみんな知ってるけどあえてそういうこと言わないのは風流じゃないのわかってるからだよ 砧打ちの音は風流だけどねみたいな話でした read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる