ノーベル賞に最も近かった韓国の天才物理学者
http://japanese.joins.com/article/915/214915.html?servcode=400&;sectcode=420

「韓国も基礎科学研究に力を注ぐべき時期が来た」。
米国で活動していた天才物理学者の李輝昭(イ・フィソ)博士(1935−1977)は
1974年9月、韓国を離れから20年ぶりに故国の地を踏んだ。

当時米シカゴ大教授およフェルミ国立加速器研究所理論物理部長だった李博士は、
韓国政府が米国政府に要請した科学振興資金800万ドルの支給の妥当性を評価するために帰国した。

李博士は「純粋科学者の後押しがあってこそ技術者と応用科学者が養成され、
本当の先進国になることができる」とし「応用科学と工学を活用し、経済的な余裕ができれば、
純粋科学に視線を転じなければいけない」と強調した。

李博士が他界して40年近く過ぎたが、
毎年10月のノーベル賞シーズンになると李博士の名前が挙がる。
少なくない国内の物理学者が「李博士が生きていれば、今回共同受賞することもできたはず」と話す。

1972年にピーター・ヒッグス英エジンバラ大教授が提案した仮想の粒子に
ヒッグス粒子という名前を付けた科学者が李博士だ。

ヒッグス教授は万物に質量を与えた神の粒子と呼ばれるこの粒子を予測した功労で2013年にノーベル賞を受賞した。

粒子物理学者のうち李博士(1100回)ほど単一論文に引用された回数が多い人物は探すのが難しい。
李博士は素粒子物理学の標準模型を確立したゲージ理論を確立するうえで決定的な寄与をした。
1999年にノーベル物理学賞を受けた電磁気力と略歴を数学的に説明したゲージ再規格化を明快に証明し、
説明した人が李博士だ。

1974年に基本粒子の一つ「チャーム(Charm)」クォークの存在を予想したことでも有名だ。
李博士の理論通り2年後にこのクォークに関連する素粒子を発見した物理学者がノーベル賞を受賞したりもした。