>>727 続き

このエピソードは、もう一つの大事な事実を私たちに教えている。
それはノーベル賞委員会が政治性を排除した選考を守り抜こうとしていることだ。

委員会側の見方に立てば、山中の日本政府に対する謝辞は、
受賞者の功績と国家を混同したもの。
ひいては「ノーベル賞は日本という国を意識して受賞者を選んだ」という批判につながりかねない。

特に自然科学系のノーベル賞にそうした政治性が入り込む余地はないはずだが、
アルフレド・ノーベルの精神を汚す可能性が生まれること自体を彼らは嫌悪している。

ところが、日本ではノーベルのこうした思想や哲学が理解されていない。
ノーベル賞側が常に個人と人類全体を見ているのとは対照的に、
日本人はノーベル賞に国家と民族の存在意義を探求しているように見える。

皮肉なことに、日本人がノーベル賞に熱くなるほどに、賞の本質との溝は深まってしまっている。

2000年に化学賞を受賞した白川英樹教授は、こう発言している。
「ノーベル賞ともなると、何でこんなに大げさになるのかというのが率直な感想」と
講演を始めた白川は、
「日本は受賞者が少ないこともあって、あまりにも大げさに受賞が取り扱われているのではないか」と
日本の風潮に苦言を呈した。