毛利さんが一番乗りになるはずだったんだよ。
秋山さんも、当然そうなると考えて地道に訓練していた。
でもチャレンジャー事故で計画が先延ばしになり、
いつの間にか秋山さんの番が来た。
本人も複雑な心境だったと思うよ。

政府(NASDA)としては、我慢がならなかっただろう。
国家の威信と莫大な金をかけて、NASAに派遣していたというのに、
馬の骨が日本人宇宙飛行士第1号を掻っ攫っていった。
かくして秋山さんは、日本の宇宙開発史において、
存在しなかった人間となった。