食べ物と衣類は陸軍により支給された。
しかしながい間、食べ物はいつも不足していたと不満を漏らす元「慰安婦」が何人もいる。
ほとんどすべての場合に女たちは「奉仕」にたいし支払いを受け、料金の代わりにチケットを集めることになっていたが、戦争が終わった時になんらかの「稼ぎ」を持っていた者はごく僅かであった。
こうして戦争が終われば自分や家族が自立するのに十分な貯えを持てるかもしれないというほんのささやかな慰めでさえ、日本軍の敗退後には無意味なものとなった。

奴隷的状況の苛酷さと残虐性は、性的虐待の根強く永続的なトラウマ(精神的外傷)にくわえて、多くの軍事的性奴隷の証言のうちによく現れている。
彼女たちはいかなる人格的自由も持たず、兵士からは暴力で残忍に、慰安所経営者と軍医からは無関心に扱われた。
前線に近いこともまれでなかったため、彼女たちは敵襲や爆撃、死の脅威にさらされた。
おなじ状況は慰安所の常連の兵隊たちを今まで以上に残忍にし攻撃的にした。


キチガイネトウヨにはこれが普通の売春婦に見えるらしい。