■済州島事件 1948年4月
解放後、島の人口は帰還者を含めて約30万人でした。
共産党系の人民委員会が島民の間に大きな根を張っていて、
1948年当時の南労党員は6万人程度。島民の80%が南労党支持。
最悪な事に、対アメリカ戦に備えて旧日本軍が島を陣地化していて、それが残っていた。
4月3日深夜、旧日本軍の武器を手にした武装グループが蜂起。
韓国で一番高い山と、その山の千数百の洞窟を使い、ゲリラ戦を行う。
韓国軍(アメリカの支配下なので「国防警備隊」)により、鎮圧。
韓国政府は、正確な被害者数を未だに公表していない。
韓国政府の発表では、 「共産主義者の手により」
死者 一万五千人、400の村のうち、300が被害を蒙った。
二万戸の家が火災で焼け、六万五千人が家を失った。と、されている。
政府関係者が口にしているのは死者六万人〜七万人。
反体制の人々は死者十万人以上を主張していた。
アメリカ人学者ジョン・メリルは「正確な事は解らないが、死者は3万人あまり」と記している。

虐殺の島でエンジョイしる!
遺骨がゴロゴロしとるでw