ハン板華やかかりし頃に、よくあがってたコピペ

---------------------------
第23代 高宗 在位1213年 - 1259年
 元に属国同然に扱われかんしゃくおこる!<#`д´>  しかし、元に侵攻され滅亡寸前となり、
太子(後の元宗)を人質に差し出して降伏。

第24代 元宗 在位1259年 - 1274年
 元の人質となる。親モンゴル政策をとり日本侵略を画策。失政を続け臣民の反発を買うが、
日本侵略実施直前に死亡。

第25代 忠烈王 在位1274年 - 1298年、復位1298年 - 1308年
 元へ人質に出される。正妃はフビライの娘、斉国大長公主。先王に引き続き親モンゴル政策をとり、
日本侵略を強引に進めて莫大な戦費を費やしたため国が疲弊、臣下により廃位されるが、
元の後押しにより復位。胡服辮髪令を制定する。忠烈王からは”宗”の名を名乗れなくなる。

第26代 忠宣王 在位1298年、1308年−1313年
 人質として元朝廷で育つ。母は斉国大長公主。(モンゴル率50%) 蒙古名は益知禮普花(イジリブカ) 
正妃はフビライの曾孫、薊国大長公主。

第27代 忠肅王 在位1313年 - 1330年、1332年 - 1339年
 忠宣王の次男。斉国大長公主の子ではないが、母はやはりモンゴル人の懿妃。(モンゴル率75%) 
正妃は元の順宗の孫に当たる曹国長公主。蒙古名は「阿刺訥失里」(アラトトシリ)