従軍慰安婦が強制連行されたと嘘を広めるアサヒ
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バタビア裁判25号事件 海軍兵曹長Aの証言記録
「余はT・S・Lを林田の命にて連行せるを記憶す。林田は此の婦人を好みたり。娘が拒みたるも、余は之に承諾せしむべく撲りたり。
…娘は母親と共にデンパサルに送られたり。娘は絶えず泣きありたり。
…林田が最初強姦せる件、余は彼女が叫ぶのを聞きたり」 日本政府所有資料「南京裁判・第12号事件(被告人谷寿夫、強姦)」
第6師団将兵と師団長が被告
「同じく17日に至る間日軍は中華門外に於て少女を強姦したる後、其処を通りかかりたる僧侶に続行を命じたるも、之を拒否した為、
虚勢の刑に処して死に至らしめ、亦中華門外土城頭に少女3人あり、日軍の強姦に因り羞恥の余り江中に投身自殺せり」
「凡そ南京に留まる我が婦女は皆●難を怖れて国際委員会の制定せる安全区に迯避したるも、日軍は国際正義を顧みず、
其の獣欲を止むること無く、暗夜に乗じ、垣を超えて侵入し、老幼を問はず、手当たり次第強姦を逞くした」 すごいね!証言しかない!
しかも日本女性が出てこないってのがすごいや! ライダイハンの時のような混血児が一人でもいたら物証になるというのにw 慰安婦を好き勝手に性奴隷にした癖に突撃一番だけは必ず付けて避妊は完璧だったなんて日本軍は本当に統制が取れていたんだな〜
その統制力を関東軍の暴走を抑えるのに使っていたら敗戦なんかせずに済んだだろうに(棒読み) コンドームあったっけ?
当時の避妊率くそ低いやろ
ライダイハンなんてコンドームある時代やのに混血児だらけやぞ
混血児はどこよ?
それと韓国の男は日本兵だったんだから日本の女に謝罪と賠償はよ 素晴らしい資料の提供、評価してやってもよい。
これで愚かなネトウヨがいくら騒ごうとただのヘイトに過ぎないという証明になる。 ゆきとしと読む名字一覧
「行俊」
「行年」
多い都道府県はどちらも大阪、兵庫
鈴木、佐藤だけが軍人じゃないから仕方無い
ってそこは別にどうでもいいポイントだぞ? 慰安婦ハルモニ、「謝罪すれば許す、安倍総理に伝えて欲しい」・・・朝日新聞記者、「努力します」
日本軍『慰安婦』被害者の金福童(キム・ボクドン)さん(92歳)が3日の午前、ソウル鍾路区(チョンログ)の外交通商部庁舎前で、和解治癒財団の解散を要求して1人デモを行った。
和解治癒財団は2015年12月、朴槿恵(パク・クネ)政権の『慰安婦合意』によって日本が出資した10億円で設立されたが、
10億円の返還と財団の解散を要求する議論が絶えず、事実上活動が中断している状態である。
キムさんは日本の朝日新聞の記者を呼び、日本の安倍晋三総理に慰安婦問題を十分に伝える事を求めた。
この日の午前は雨が降っていて、金さんは雨具を着て車椅子に乗って1人デモをした。手には『和解治癒財団即刻解散。金福童』と書かれたプラカードを挙げた。
金さんは、「和解治癒財団を解散するように言っても未だに動きがない。大統領も外交部長官も信じられない。
家族でも親戚もなく顔も知らず、一度も私たちと会った事がない者がハルモニを売って月給を貰っている事が滑稽だ」と批判した。
金さんは、「朴槿恵元大統領が慰安婦問題をすぐに解決すると上手い事を言って慰労金を貰って少女像を撤去する事にした。私たちが慰労金とこのように戦った。
慰労金は1000億渡されても受け取れない。部屋で横になっているだけでなく、何か話さなければいけないと思い私は乗り出した。
政府は一日でも早く和解治癒財団を撤去して、平和の道を切り開いて欲しい」と言った。
金さんは、「日本の記者と話がしたい」とし,現場で取材中だった朝日新聞のタケダ・ハジム(たぶん、武田肇ソウル支局員)記者を呼んだ。
金さんは、「これでは終わらない。私たちは法外な謝罪を求めてはいない。安倍総理が記者集め、“我々が間違っていた。申し訳ない。許して欲しい” と言えば許す。
日本政府は無条件に、“していない。韓国人がした。分からない” と言う。
韓国と日本がお互いに元気になるには、安倍総理が出て解決しなければならない」と話した。 金さんはタケダ記者に、「この年老いた金福童が言っていると新聞に出してください。安倍総理が見るように、耳に入るようにしてください」と求めた。
タケダ記者は、「上手く伝えられるように努力します。ありがとうございます」と答えた。
市民団体『日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)』はこの日、金さんのデモを皮切りに外交部と和解治癒財団の前で毎日『リレー1人デモ』を続けて行く予定である。
正義連はSNSを通じて1人デモに参加する市民を募集している。
正義連のハン・ギョンヒ事務総長は、「ハルモニがは全員高齢で健康も良くないが、自分ができる事は全てした」と言いながら、
「和解治癒財団の解散が外交的な計算で延期しているという気がする。この問題は正義の問題で計算する問題ではない」と話した。
ソース:NAVER/京郷新聞(韓国語)
https://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=032&aid=0002891399 ○「従軍慰安婦」問題が生まれた過程
「従軍慰安婦問題」の端緒は、吉田清治という日本人が1983年に出版した本のなかで「軍の命令で済州島で慰安婦狩りを行った」と告白したことである。
この告白は虚偽であることが後に韓国人記者や日本の研究者によって暴かれたが、韓国ではその本が翻訳されて、「慰安婦強制連行説」が広まってしまった。
そして、韓国政府が政治カードとして用い始めた。
1991年8月、朝日新聞が、軍隊によって女子挺身隊の名で戦場へ連行されたという金学順なる「元従軍慰安婦」がいると報道した。
「従軍慰安婦」という言葉は、初出は昭和53年刊行の千田夏光の著作「従軍慰安婦」らしいが、この報道以後頻出するようになった。
しかし、その数日後に彼女は「養父に売られた」と語っていたのである。
記事を書いた記者は植村隆といい、後に賠償謝罪要求訴訟を起こした原告組織の韓国人常務理事の娘婿であった。
その頃、朝日新聞は吉田清治の本の宣伝も行っている。
1989年末から高木健一や福島瑞穂ら日本の弁護士が韓国へ行き、賠償と謝罪を求める訴訟の原告となる「元従軍慰安婦」を探し始めた。
提訴は、宮沢首相訪韓を政治的好機としてその直前に照準を合わせて1991年12月に行われた。
三人の原告の一人は金学順である。訴状には彼女は養父に売られたと書いてあったが、裁判開始後に強制連行されたと主張を変更した。
提訴と並行して原告と支援者が連日のように内閣外政審議室に要請に押しかけ、騒然たる雰囲気になった。
それに呼応して、国会で野党議員が政府の速やかな調査と対応を求めた。 翌年1月11日、宮沢首相訪韓の5日前に、朝日新聞はあたかも「日本軍が強制連行に関与した証拠」が見つかったかのように報道した。
この報道は誤りで、その関与の証拠なるものは、朝鮮では拉致・誘拐などを行う悪徳業者がいるので警察と連携を密にして社会問題にならないようにせよという軍の注意文書だったことが、後に判明した。
しかし、追い討ちをかけられた宮沢首相は検証する時間的余裕もなく訪韓し、真相を知らないまま安易に謝罪した。
朝日新聞の報道は単なる事実誤認というより、意図的なものと疑われている。
上述の経緯をみれば、朝日新聞が、そして野党国会議員も、「従軍慰安婦問題」の形成に大役を果たしたことは間違いない。
http://cutenao.himegimi.jp/ianfu.htm 従軍慰安婦問題とは何なのか?
このあたりからいわゆる神社本庁軍団の勘違いと常識外れから従軍慰安婦問題が再度噴出し始めた
2018年も今も国際的に世界中他者を安く働かせる、あるいは劣悪な環境に強制的に縛り付けるなどすると批判される
どうやら神社的には「気の毒だから」世界中怒っているんだと思っている
よくNIKEとか服を作るメーカーがやり玉に挙がってきた、これらは1926年発布した「奴隷条約」違反である
1926年以降にはこうした圧倒的な立場で人を蹂躙する事は「奴隷」と言われるのが世界常識でそれに従軍慰安婦はあてはまり
その膨大な被害者と悲惨さゆえに批判されている
>>52みたいな西岡力、桜井よしこ、小林よしのりみたいなネトウヨ3悪人からのコピペだが、
今でも神社神道が吹き込んでいるデタラメが数多く見られる
>「1991年8月、朝日新聞が、軍隊によって女子挺身隊の名で戦場へ連行されたという金学順なる「元従軍慰安婦」がいると報道した。 」
三悪人と神社本庁という悪質さが見受けられる、デタラメでも吹き込めばいいと思っている連中だということがわかる
今やインターネットなんで資料を提示できる
↓が「朝日新聞が、金学順なる元従軍慰安婦が軍隊によって連行されたと神社本庁が吹き込んでいる記事」
「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、
一人がソウル市内に生存していることがわかり、(略)」
この記事からネトウヨは朝日新聞が「従軍慰安婦は軍隊に連行されたと報じた!」って言っているけど字読めないお馴染みのパターン
いやいや軍隊が連行したとはこの記事から読み取れないし書かれてもいない
当時は朝鮮は日本だったのでそこまで軍隊が女性を1人1人連行するとも考えにくいがまぁ
記事は特派員と短文で簡略化されていて誰が連行したのか書かれていない
それで「朝日新聞が軍隊が強制連行した書いた!」って言っているのが神社本庁 1975年10月22日の高知新聞記事
戦時中、沖縄に連行の韓国女性 30年ぶり『自由』を手に 不幸な過去を考慮 法務省特別在留を許可
【那覇】太平洋戦争末期に、沖縄へ『慰安婦』として連行され、終戦後は不法在留者の形でヒッソリと
身を潜めるように暮らしてきた朝鮮出身の年老いた女性が、このほど那覇入国管理事務所の特別な配慮で三十年ぶりに『自由』を手にした。
この記事の女性は「日本人と朝鮮人、二人組の「女紹介人」に声をかけられたのです。」と日本軍に力づくで連行されたわけでも無いことを出入国管理局で話している
「連行」とは「本人の意思にかかわらず、連れて行くこと」であって軍隊や警察など公的機関が必ずしも関わる事では無い
さらに言うとこの業者の背後に日本軍がいるのは明らかで輸送は日本軍の船で運ばれたと証言している
これでも本人の意思に反して連れて行かれているから「連行」になる
今や治安も戦時戦後よりかなり良くなって連行は警察が犯人、容疑者を移動させるときに限定されるが
悪人が誰かを強制移動させる場合にも「連行していった」と国語的になるからこう使われてきた
読売新聞、三バカは連行があるから「日本軍が」やったと朝日新聞が報道したと勝手に無い主語を創作して批判している
これはいくら何でも無理があるけど、余命ブログと同じでネトウヨはそう信じて弁護士にあたる朝日新聞が日本軍が強制連行したと信じている バカの左翼はこんな長文を誰が読むのか考えろよwww
ほとんどがスマホからネット見てる時代になったというのにバカすぎwww 読売新聞はサンフランシスコ条約違反となる東京裁判判決を受け入れることを拒否し始めて、
国連の従軍慰安婦批判を朝日のセイだと無視して一体何を目指しているんだ?結局、ありもしない
「従軍慰安婦は完全に日本の大勝利」がいつか来て、人権侵害し放題な世界が訪れるって信じている読売真理教なのか?
国立国会図書館所蔵の極東国際軍事裁判(東京裁判)の関係資料 インドネシアに駐留していた中尉への取り調べ
問 ある(旧日本軍)証人はあなたが婦女たちを強姦(ごうかん)し、その婦人たちは兵営へ連れて行かれ、日本人たちの用に供せられたと言いましたがそれは本当ですか。
答 私は兵隊たちのために娼家(しょうか=売春宿)を一軒設け、私自身もこれを利用しました。
問 婦女たちはその娼家に行くことを快諾しましたか。
答 ある者は快諾し、ある者は快諾しませんでした。
問 幾人女がそこに居りましたか。
答 六人です。
問 その女たちの中、幾人が娼家に入るように強いられましたか。
答 五人です。
問 どうしてそれらの婦女たちは娼家に入るよう強いられたのですか。
答 彼らは憲兵隊を攻撃した者の娘たちでありました。
問 ではその婦女たちは父親たちのした事の罰として娼家に入るよう強いられたのですね。
答 左様です。 わりかし軍隊のまとめた資料や日記には多い
副官の大島主計大尉が、なにがなんでもやってやるぞ、という決意を顔一面 に表して、
「司令部の方針としては、多少の強制があっても、できるだけ多く集めること」
「集まってくる女には、当分の間、うまい食事を腹いっぱいたべさせて共同生活をさせる。
その間に、来てよかったという空気をつくらせてうわさになるようにしていきたい。
そして、ひとりひとりの女性から、慰安婦として働いてもよいという承諾書をとって、
自由意志で集まったようにすることにしています」」
「リストに報告されていた娘を集めて強引に船に乗せようとしたとき、いまでも忘れられないが、
娘たちの住んでいた部落の住民が、ぞくぞく港に集まって、船にちかづいてきて、
娘を返せ!!娘を返せ!!と叫んだ声が耳に残っていますよ。こぶしをふりあげた集団は恐ろしかったですよ
思わず腰のピストルに手をかけましたよ」
http://i.imgur.com/GrA6VVg.jpg ID:p2NyuogF
↑
こいつNGな
長文ばかり入れたら誰も読まんなる
ネトウヨの手助けしとるぞコイツ 1998年、国連の人権小委員会で採択された「性的奴隷の定義」
奴隷制の定義は1926年の奴隷条約において明記され、その定義は
「奴隷状態とは、所有権を伴う権力の一部もしくは全部が一個人に対して行使されている状況もしくは状態である」
、レイプなどの性暴力の形態による性的接触も含む。
ここはもはや歴史的事実で現代社会では性的奴隷と言うと1926年の奴隷条約にあてはまる状況下における性的接触事案だとしている
「奴隷は金もらっていたら関係ないだろ!!」とかそういう問題じゃないから読売新聞もしっかり記憶できならこのあたりは覚えていおいたほうがいい >>59
いや別に読まれようが関係無いと思うが・・・無視してくれていいよ、つーか、ネトウヨと会話しようとかしてんの???
歴史修正主義は単なるマインドコントロールだから相手にしないようがいいよ
オウムとか幸福の科学信者のマインドコントロールを自分で解いて脱会できるとか無理だからね
一九四一年のある日、国防婦人会による〈大陸慰問団〉という日本人女性二百人がやってきた……(慰問品を届け)
カッポウ着姿も軽やかに、部隊の炊事手伝いなどをして帰るのだといわれたが……皇軍相手の売春婦にさせられた。
“目的はちがったけど、こんなに遠くに来てしまったからには仕方ないわ”が彼女らのよくこぼすグチであった。
将校クラブにも、九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。
(秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮社) 私たちと戦争〈2〉戦争体験文集、タイムス(1977年)
兵隊専用のピー屋(慰安所)は琿春の町に五軒散在していた。一軒の店に十人ほどの女がいた。
『兵隊サン、男ニナリナサイ』。朝鮮の女たちは道ばたに出て兵隊を呼びこんでいた。まだ幼い顔の女もまじっていた。
兵隊の慰問のために働くのは立派なことで、その上に金をもうけられると誘われ、遠い所までつれてこられた。
気がついたときは帰るにも帰れず、彼女らは飢えた兵隊の餌食として躯(からだ)を投げださねばならなかった。
日曜日にはけだものとなった兵隊を相手に少しも休むまもなかった。まだ終らないうちから次の兵隊が戸を叩いてせかした。
ベニヤ板張りの小さな部屋には、貧弱な鏡台とトランクがあった。それが彼女の全財産であった。 「7%の運命 - 東部ニューギニア戦線 密林からの生還」光人社(2005年)
ラバウルの街の慰安所に寄った。……メインストリートの街路樹の下で船から下りたばかりと思われる女たちの一団(十五、六名)が休息していた。
大勢の兵隊がもの珍しそうにその兵隊たちの中にY軍曹と運転手のE上等兵の姿があったので、私たちが近寄ると、
「あの娘たちは、海軍の軍属を志願したそうだが、だまされて連れてこられたらしい。あの娘は富山の浴場の娘だと」E上等兵は、指差しながら、気の毒そうに私たちの耳元でささやいた。
なるほど言われてみると、どの娘も暗く沈んだ表情。ろくに化粧もなく、どう見ても巷で働く女たちではなかった。
炎天の中に和服を着て柳行李を持っている姿が、一層いたましく写った。男も女も滅私奉公の時代である。だが、私には割り切れなかった。こんなことが公然と行われてよいのだろうか。
私は胸に噴き上げるものを抑えながらその場を去った。 「漢口慰安所」図書出版社1983年 (当時軍医として中国に赴任していた記録)
赤茶けた髪、黒い顔、畑からそのまま連れてきたような女は、なまりの強い言葉でなきじゃくりながら、
私は慰安所というところで兵隊さんを慰めてあげるのだと聞いてきたのに、こんなところで、
こんなことをさせられると知らなかった。帰りたい、帰らせてくれといい、またせき上げて泣く……
(契約書は一般に)はじめに借用証文、次の行に、一、何千円也、ついで右借用候也、右の金額は酌婦稼業により支払うべく候也と書かれ >>64
ちなみに従軍慰安婦は「当時の大日本帝国では合法でした」とか桜井よしこがよく言うけど
あれも嘘ね
公娼は警察があらかじめ設定した地域内で売春営業を許可するもので警察が人身売買など無いように
見張る環境下で警察があらかじめ限定した地域で特別に許可
そこいらで勝手に営業したらダメだし、そもそも買春側が売春宿管理するとか人身売買目的で違法
簡単に>>64の例で「右の金額は酌婦稼業により支払うべく候也」ってあるけど
当然だけど人身売買の温床だから当時の日本においても民法90条違反
ただ軍部独裁状態でやりたい放題だった >>56
バカは読まずに的外れな慰安婦否定をやらかし
歴史修正主義者として国際者社会で日本下げをやらかすわけやな
ホンマにバカは困るやな ある軍属の物語 - 草津の墓碑銘「新読書社」(1967年)
一九四三年秋、(ニコバル島に)内地から慰安婦が四人来たというニュースが入り、ある日、班長から慰安券と鉄カブト(サック)と消毒薬が渡され、
集団で老夫婦の経営する慰安所へ行った。順番を待ち入った四号室の女は美人で、二十二、三歳に見えた。
あとで聞いたが、戦地に行くと無試験で看護婦になれるとだまされ、わかって彼女らは泣きわめいたという。 >>66
正論でも視覚的聴覚的に受け付けないやり方では
誰も聞かんよwww
ウェブデザイナーやPOP作りがどれほど商品の売上やサイト閲覧数に相関してるかをお前は知らんのや(๑´∀`๑) 注意:日本はサンフランシスコ条約で東京裁判判決を受け入れると数十もの国と署名交わし
吉田首相が受諾演説までして世界中への日本の公約ともなっています
極東国際軍事裁判速記録 雄松堂書店(1968年)
東京裁判判決
桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。
工場を設立するという口実で、かれらは女工を募集した。こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した いや、別に誰かに読ませようとか・・・
俺が従軍慰安婦について調べたわけじゃなくてネットに転がっているだけでも
調べた人や当時の日本兵や関係者の記録があるねって話しだけで
別に無視してくれていいよ
これは俺が何かしようとしているよりは転がっている資料提示でしかない
調べたり記録を残している人やまたはネットにそれを引用している人って一部だろうけど
まぁあることはあるねって話しで、俺がこれを読ませようとか無理だから
オウム信者脱会をネット経由でできるなんてことはあり得ないからねぇ >>68
心配いらんで
慰安婦問題はもう何十年もやってるんやで
長文読めへんいうバカと、見ない読まない知りたくないいうバカにしがみつくバカ以外は皆わかっとるから >>71
ほらそうやってすぐに若いやつのせいにするやろ?
それから反感を育てるだけなのよw >>71
何十年も?
30年前まで存在してなかったのはもう周知の事実 老人たちが自分たちの方から歩み寄ろうという努力もせずに
ひたすら信じてる正論をとなえてるだけなんで支持率は減る一方(๑´∀`๑) >>72
何頓珍漢言い出してるんや
読めへん、読みとうないいうバカ
歴史修正主義者は老若関係あらへんやろ >>75
スマホから確認してみろ
6行以上の長文は誰も見る気にならんわ >>75
おまえがどんなに正論を唱えても
視覚的に受け付けないやり方をしてるうちは誰も聞く耳もたんよ >>74
若いもんに失礼過ぎやろ
若かっても読むもんは読む、理解するで
自分が出来へん、したくないから言うて
他のもん巻き添えでレベル下げしよういうんは情けないで >>78
清潔にしてるブサメンがいるレジと
適当に髪ととのえた程度のイケメンがるいレジと
どちらに人が並ぶか考えてみろ >>78
悪い商品でも見た目が整っていれば売れるということをおまえは知らんのや
そして、自分の努力不足を
【見ないやつが悪い】と切り捨てる
そうやって正論だけを唱えて支持率がどんどん落ちていくのを
「これはおかしい!おかしい!」
と喚いて歳をとるんだよ(๑´∀`๑) >>76
今日日、スマホで卒論下書きするんもおるんやで
お前が読めんのはお前の勝手やが
慰安婦否定の歴史修正主義が、河野談話撤回を掲げながら惨敗し
慰安婦は売春婦といった主張を国会議員ができなくなったなど
敗走を続けている現実を、少しは理解しような >>77
たしかに意見の中身は見るまでは分からんもんな。まず見てからでないとな。みんな忙しいからいちいち全部見るわけにはいかんし >>80
教えてやってもムダ。こいつら老害は「若者はモノを知らない」時代がまだ続いてるとかんちがいしてるバカばかりや。だから逆ギレするだけ >>80
それよかお前、どこの立ち位置にいるつもりなんや🤔
河野談話撤回を諦めたんも、慰安婦は売春婦いうのを政治家が言えんようになったんも、安倍のせいやで https://i.imgur.com/xohhyhU.png
スマホから見てみろよバカが(๑´∀`๑)
こんな長文を連投されて誰が読む気になるかバーカ 新聞だって読みやすく作られてる
新聞がさらにデカくて抱えないといけないサイズなら読む気になると思うか? >>86
立ち位置とか関係ないのよ(๑´∀`๑)
視覚的にムリなことしてるとどんな意見でもスルーされておしまいwww 婦女・児童の売買を禁止する国際条約
日本は加盟していたが第5条条項(21歳未満を禁止)を保留、
朝鮮など外地では保留していた→1927年保留を撤廃
http://i.imgur.com/gxETpCG.jpg
日本軍は敗戦時資料廃棄しているがいくらか残っているだけでも
婦女・児童の売買を禁止する国際条約の違反行為をかなり行って
未成年でも10代半ばの娘まで従軍慰安婦として働かせているという無法ぶりがわかる 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) アホに正論叩きつけてもダメってのが左翼見てるとよく分かる >>83
吉田の慰安婦手記は裏付けが取れなかったいう話やろ
それ外務省が惨敗続きの慰安婦否定いう歴史修主義の残骸連中に
ガス抜きとして朝日批判いう最後の砦をこさえてやっただけやで
外務省杉山の国連での回答で
日本語版にある捏造いう文言は
英語版にはあらへんからな またネトウヨに凹まされてるのかw馬鹿な年寄りだなあ >>87
わいは議事録でもスマホで読むからな
読みづらかったら紙媒体で読めばええやろ
なんかさっきからお前、読めへんバカでいる理由に必死にしがみついてるように見えるで 婦女・児童の売買を禁止する国際条約
日本は加盟していたが第5条条項(21歳未満を禁止)を保留、
朝鮮など外地では保留していた→1927年保留を撤廃
http://i.imgur.com/PuFOLkY.jpg
↑そもそも募集年齢からして未成年
なんか大人気スレになっちまったけど、ここはネトウヨが立てたスレらしいけど書き込みも滅多にない不人気スレ
ちょいと資料整理に使わせてもらってついでにコピペしたりしなかったり
ネットの資料を書いて見てみてまぁ意味がだいたいわかるか?って意図で書いているだけだから
別に誰とも会話しようとか、ましてやネトウヨを公正しようなんて思ってもいないしそんなことはできませんよ >>96
全文読んでるのは暇のあるやつだけやろ
そんなこともわからんのかお前www まとめた簡潔な文と
詳しくはこちら、とリンクを添付
これが有能のやり方です 普段まとめしか読んどらんアホウヨには長文読解は無理なんやで >>98
わいは主権者やからな
通報作文に戻るで、明確なヘイトでは仕留め辛いが、歴史修正主権を広める悪質なデマでバット振りたいとこが結構あるでな
ほなまたな >>103
誰でも主権者やぞ
なにトンチンカンなことを言っとるのやお前は 要約すると
【パソコンから見る時代はおわったんのだから見やすくしろ】
と言ってるわけか。なるほどアドバイスでしかないな
それをなんで逆ギレしとんのや長文クン >>102
"読む?"や無しで"読めん"のやろ?
なんやジッジ老眼け?そりゃすまんの 新聞がでかいサイズってどれぐらいのことを言ってるんや >>109
そんなもんに字がびっしりあれば誰も読まんわ。耳なし芳一じゃあるまいし 銃剣を突き付け、無理やりジープに乗せて拉致強制連行、そして慰安所(英:レ●プセンター)で凌辱の限りを尽くす・・・・・
これが従軍慰安婦、実質的にジャップ国ぐるみの集団レ☆プ まあ菅野完みたいなんがたくさんいたらレイプするやろな >>111
日本軍はジープ持ってない。
それは朝鮮戦争の時のだ。
さらにいうと、どっちもチョンの犯罪。 慰安婦 捏造
靖国 内政干渉
竹島 不法占拠(漁民虐殺) >>114
どこのスレだったか忘れたけど、
「慰安婦は高齢で頭がぼけているので、自動車は何でもジープだと思っているニダ!」
とムキになって主張してる奴が、少し前にいたな w この本、最高〜
「300枚のユニークな広告が語るこんなに明るかった朝鮮支配」(但馬オサム)
http://amzn.asia/d/0BhpAVj
なんだ! 「日帝36年が暗黒」はウソだったのか! 日本が統治した戦前の朝鮮は消費が拡大、広告があふれていた。
韓国人は日韓併合の35年を振り返って"人類史上類例のない過酷な植民地支配"時代と言い切る。
民族の文化、言葉、名前を奪われ、搾取と差別に泣いた恥辱の時代と。またそれを信じ込む日本人も多い。
果たして本当だろうか。
本書は戦前の朝鮮の新聞広告、ポスター、絵葉書などから日韓併合時代の実態は何だったのかを検証するユニークな1冊である。
果たして本当に日韓併合時代は不幸で陰惨な時代だったのか。
[発掘のオモシロ広告が満載 ]
・便秘薬のラベルに女性の裸のイラスト
・どうせ創氏改名するなら運勢のいい名前にしよう「熊崎式姓名学」
・英語からラブレター指南まで多彩な入門書
・半島のカー・ライフは併合時代に始まった
・慰安婦は蓄音機をもっていた 極東国際軍事裁判(東京裁判)にオランダ、中国、フランスの検察団が提出、受理された公文書で、現在、東京大学社会科研究所図書館に所蔵 されている。
各資料冒頭のPDは検察側証拠書類番号、EXは法廷証拠番号
【資料1】(PD5330/EX1702)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告
一九四六年七月五日
一九四三年の前半にポンチアナック海軍守備隊司令海軍少佐ウエスギ・ケイメイ(同人は一九四三年八月頃日本に帰国したり抑留を要求し置けり)は日本人はインドネシヤ或は中国の婦人と親密なる関係を結ぶべからずといふ命令を発しました。
当時全ての欧州婦人と事実上全ての印度系欧羅巴婦人は抑留されて居ました。彼は同時に公式の慰安所(official brot-hel)を設立するやう命令を出しました。是等の性慰安所(brothel)は二種に分類することになって居ました。
即ち三ヶ所は海軍職員専用、五、六ヶ所は一般人用で其の中の一ヶ所は海軍民政部の高等官用に当てられました。 【資料1】(PD5330/EX1702)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告
一九四六年七月五日 続き
海軍職員用の性慰安所は守備隊が経営しました。司令の下に通信士官海軍大尉スガサワ・アキノリが主任として置かれ日常の事務は当直兵曹長ワタナベ・ショウジが執って居ました。
日本人と以前から関係のあった婦人達は鉄条網の張り廻らされた是等の性慰安所に強制収容されました。彼女等は特別な許可を得た場合に限り街に出ることができたのでした。
慰安婦をやめる許可は守備隊司令から貰はねばなりませんでした。海軍特別警察(特警隊)が其等の性慰安所に慰安婦を絶えず補充するやうに命令を受けていました。
此の目的の為に特警隊員は街で婦人を捕へ強制的に医者の診察を受けさせた後彼等を性慰安所に入れました。是等の逮捕は主としてミヤジマ・ジュンキチ、コジマ・ゴイチ、クセ・カズヲ、イトウ・ヤスタロウ各兵曹長によって行はれました。 【資料1】(PD5330/EX1702)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告
一九四六年七月五日 続き
一般用の性慰安所は南洋興発株式会社支配人ナワタ・ヒサカズが経営しました。守備隊司令は民政部に命じて之を監理させました。民政部は此の経営を報国会(日本人実業家の協会)に依嘱してナワタが報国会の厚生部の主任であったので
是等一般人用の性慰安所の主任に任ぜられました。彼は帳簿をつけたりするやうな事務的仕事には彼の会社の使用人を使用しました。毎朝、夜間の収入は南洋興発会社の出納係キタダ・カゲタカに引渡されました。
是等の慰安所に対する婦人達も亦特警隊の盡力によって集められました。 【資料1】(PD5330/EX1702)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告
一九四六年七月五日 続き
其等の性慰安所に充てられた家屋は敵産管理人から手に入れ家具は海軍用性慰安所にあっては海軍が支給し一般人用にあっては報国会が支給しました。遊客は原住民である傭人に(海軍の場合には其の階級に従って)金を支払はねばなりませんでした。
又その傭人は其の金を毎日当直兵曹長又は南洋興発の出納係に引渡しました。両者の場合共三分の一は諸経費、家具、食物等を支弁する為保留され、三分の二が当該婦人の受取勘定に繰り入れられました。
此の中から婦人達は随時彼等各自の用に充てる為其の一部を引出すことが出来ました。毎月の計算書は民政部の第一課に提出せねばなりませんでした。 【資料1】(PD5330/EX1702)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告
一九四六年七月五日 続き
特警隊は婦女を捜すに当り民政部及日本人商社の全婦人職員に特警隊に出頭するやうに命じその婦人達の何人かを真裸にし日本人と関係していたとなじりました。次いで医師が検診をしましたが数人は処女であったことが判りました。
是等の不幸な婦人達の中何人が性慰安所に強制的に送られたか確実には判りません。婦人達は性慰安所から敢て逃げ出さうとは致しませんでした。
と言ふのは彼女等の家族が特警隊に依って直ちに逮捕されて非道く虐められるからでした。一例として此の様な事の為当の少女の母親が死んだ事があります。 【資料1】(PD5330/EX1702)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告
一九四六年七月五日 続き
幸にも占領期間中引続き診療に従事することを許された、在ケタパンのインドネシヤ人軍医ルフリマ博士は特警職員の命令で彼の行った是等婦人の検診に関し宣誓供述をする事が出来ました。
彼の証言に依ると婦人達は強制的に売淫させられたのであります。上記の報告は日本人戦犯者の訊問から得た報告と本件関係者の宣誓陳述とから輯録されたものであります。
私は上記の事実は真実に上述の報告書に相違する点のない事を情報将校及日本語通訳として誓って断言致します。
バタビヤ 一九四六年七月五日
ジェー・エヌ・ヘイヂブロエク
J.N.Heijbroek陸軍大尉
蘭印軍情報部
(訳注)「蘭印軍情報部の公式記録より採られたもの」と記された、蘭印軍情報部戦争犯罪課長チャールズ・ヨンゲテル陸軍大尉の署名付「証明書」も付けられている。
「慰安婦」と訳されている箇所は英文では(women)のみ。 【資料2】(PD5326/EX1701A)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
ポンテヤナック虐殺事件に関する一九四六年三月一三日付林秀一署名付訊問調書
調書
本日、一九四六年三月一三日容疑者林秀一は在ポンチヤナック臨時軍法会議予審委員たる予、即ちメーステル・イエ・ベ・カンの面前に出頭した。
問 君の氏名、年齢、住所及職業を私に言ひなさい。
答 林秀一、二十四歳、日本石川県生れ、海軍軍属。
一九四三年七月十三日私はポンチヤナックに到着して警備隊長上杉ケイメイ大尉のところに出頭しました。ポンチヤナックでは私は私が設置したハナ機関の地方部長となりました。このハナ機関は海軍の情報機関でありました。(略) 【資料2】(PD5326/EX1701A)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
ポンテヤナック虐殺事件に関する一九四六年三月一三日付林秀一署名付訊問調書
続き
[証人ラフィアの訊問調書が容疑者に提示され、これについて訊問がなされた]
答 この婦人がポテム及アミナと共に上杉より訊問を受けたことは本当であります。その場合私は馬来語通訳として立会ひました。
上記婦人は日本人と親密にしたと云ふので告訴されたのです。日本人と親密にすることは上杉の命によって許されていなかったのであります。私は上記の婦人を平手で打ったことを認めます。
又彼等の衣服を脱がせたことも認めます。之は上杉の命令で行ったのであります。かくて三人の少女は一時間裸で立たなければなりませんでした。 【資料2】(PD5326/EX1701A)
インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)ポンティアナック
ポンテヤナック虐殺事件に関する一九四六年三月一三日付林秀一署名付訊問調書
続き
問 これは日本で婦人を訊問する時の慣習か。
答 それは私は知りません。
問 君は部下の巡査ではない。併しポンチヤナックで独自に仕事をして居るスパイである。故に上杉のかくの如き命令に従ふ必要はない。
答 私はこの婦人たちが脱衣して裸にならなければならなかったことを承認しました。私は此の婦人たちは実際は罰すべきでなかったと信じます。
併し彼等を抑留したのは彼等を淫売屋(brothel)に入れることが出来る為の口実を設けるために上杉の命令でなされたのであります。
脱衣させたのは彼等が日本人と親密になったことを彼等に認めさせることを強ひるためでありました。結局その婦人たちは淫売屋へは移されませんで、上杉の命令で放免されました。何故だか私は知りません。
問 幾日間その婦人たちは特警隊の建物の中にいたか。
答 私の思ふのには五日乃至六日間でした。彼等は建物の後の監房の一つにいました。
(以下、略。現地住民や中国人、ヨーロッパ人らの大量逮捕、虐殺の話になる。) 【資料3】(PD5591/EX1794)
インドネシア・モア島
オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書
一九四六年一月一三日
問 貴方の氏名、年齢は?
答 シメイはオハラ・セイダイ、年齢は二十七才。
問 貴方の所属部隊は?
答 タナカ部隊ハヤシ隊
(略) 【資料3】(PD5591/EX1794)
インドネシア・モア島
オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書
一九四六年一月一三日 続き
問 一九四四年九月に於けるモア島の指揮官は誰でしたか。
答 私でありました。
問 一九四四年九月中にモア島で土民が殺されたことがありますか、又その人数は?
答 セルマタ島及ロエアン島で約四十名の土民が捕虜となり且殺されました。
問 何故殺されたのですか。
答 土民達がセルマタ及ロエアン島の憲兵隊を攻撃したからです。 【資料3】(PD5591/EX1794)
インドネシア・モア島
オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書
一九四六年一月一三日 続き
問 誰がその殺すことを命令したのですか。
答 タナカ将軍は土民達を司令部へ送るやう命じました。然し土民達がモアを出発する前に右命令は変更され私がモアで
彼等を殺し土民の指導者三、四名をタナカ部隊に送るやうにと命ぜられました。
問 貴方は自分でその土民達を殺しましたか。
答 いえ、私は唯その殺すのを監督したのです。
問 誰が貴方の手助をしたのですか。
答 ウド曹長、トヨシゲ軍曹、マツザキ軍曹及二十一名の他の兵卒達です。
(略) 【資料3】(PD5591/EX1794)
インドネシア・モア島
オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書
一九四六年一月一三日 続き
問 どんな風にして土民達は殺されたのですか。
答 彼等は三人宛途上縦隊を作って整列させられました。それから前に述べた二十一人の兵達は銃剣で彼等を突刺し一度に三人を殺しました。 【資料3】(PD5591/EX1794)
インドネシア・モア島
オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書
一九四六年一月一三日 続き
問 或る証人は貴方が婦女達を強姦しその婦人達は兵営へ連れて行かれ日本人達の用に供せられたと言ひましたがそれは本当ですか。
答 私は兵隊達の為に娼家(brothel)を一軒設け私自身も之を利用しました。
問 婦女達はその娼家に行くことを快諾しましたか。
答 或者は快諾し或る者は快諾しませんでした。
問 幾人女がそこに居りましたか。
答 六人です。
問 その女達の中幾人が娼家に入る様に強ひられましたか。
答 五人です。
問 どうしてそれ等の婦女達は娼家に入る様強ひられたのですか。
答 彼等は憲兵隊を攻撃した者の娘達でありました。
問 ではその婦女達は父親達のした事の罰として娼家に入る様強ひられたのですね。
答 左様です。
問 如何程の期間その女達は娼家に入れられていましたか。
答 八ヶ月間です。
問 何人位この娼家を利用しましたか。
答 二十五人です。
(以下略) 【資料4】(PD5770/EX1725)
インドネシア・ジャワ島マゲラン
イエ・ベールマンの尋問調書
一九四六年五月一六日
私は一般被抑留者としてムテラン(Moentilan)収容所に抑留されました。
一九四四年一月二十八日、私は吾が婦人部指導者レイツスマ夫人から日本軍俘虜収容事務所へ出頭する様にと云はれました。
此処で私は爪哇人の一警視を見ました。彼は私を他の六人の婦人や少女等と一緒に連れて収容所の外側にあった警察署へ連れて行った。連行された人々の名前は(略)。 【資料4】(PD5770/EX1725)
インドネシア・ジャワ島マゲラン
イエ・ベールマンの尋問調書
一九四六年五月一六日 続き
私達が爪哇人警視に案内されて収容所へ帰へって鞄に所持品を充めた後に其警視は私等を日本軍俘虜収容所事務所へ連れて行きました。
此処で私等は三人の日本人に引渡されて三台の私有自動車でマゲラン(Magelang)へ輸送され午後四時に到着しました。
我々はテウグラン(Teogoeran)と称せられ十四の家屋から成っていた小さい収容所へ連れて行かれました。一九四四年一月二十五日、
私達の収容所から連行された婦人や少女等の一団と此処で会ひました。
(略) 【資料4】(PD5770/EX1725)
インドネシア・ジャワ島マゲラン
イエ・ベールマンの尋問調書
一九四六年五月一六日 続き
一九四四年二月三日、私達は再び日本人医師に依って健康診断を受けました。此間は少女達も含んで居ました。 【資料4】(PD5770/EX1725)
インドネシア・ジャワ島マゲラン
イエ・ベールマンの尋問調書
一九四六年五月一六日 続き
其処で私達は日本人向き娼楼(brothel)に向けられるものであると聞かされました。其日の晩に娼楼が開かれる筈でした。
帰宅後ブレッカー夫人と私は凡ゆる戸や窓を閉めました。午後9時頃戸や窓を叩く音がありました。私達は戸も窓も開け、閉さしてはならぬと命ぜられました。
寝室だけは戸を錠で閉して私は其処へ閉ぢ籠りましたが他は其通りにしました。私は是を二月五日 日曜日まで継続しました。 【資料4】(PD5770/EX1725)
インドネシア・ジャワ島マゲラン
イエ・ベールマンの尋問調書
一九四六年五月一六日 続き
其日にも亦日本軍兵卒等が収容所へ入って来ました(以前は日本軍将校のみでした)。是等兵士の幾らかが這入って其の中の一人は私を引張って私の室へ連れて行きました。
私は一憲兵将校が入って来るまで反抗しました。其憲兵は私達は日本人を接待しなければならない。
何故かと云へば若し吾々が進んで応じないならば、居所が判っている吾々の夫が責任を問はれると私に語りました。この様に語った後、憲兵は其兵士と私とだけ残して立去りました。
其時ですらも私は尚ほ抵抗しました。然し事実上私はやられてしまいました。彼は衣服を私の身体から裂き取りました。そして私の両腕を後に捻りました。
そこで私は無力となり、その後で彼は私に性交を迫りました。私は此の兵卒は誰であったか又其憲兵将校の姓名を知りません。
此の状態が三週間継続しました。労働日には娼楼は日本将校のために日曜日午後は日本下士官達のために開かれ日曜日の午前は兵卒等のために保留されました。娼家へは時々一般日本人が来ました。私は常に拒絶しましたが無効でありました。 【資料5】(PD5806/EX1792A)
ポルトガル領チモール(東チモール)
ルイス・アントニオ・ヌメス・ロドリゲスの宣誓陳述書
一九四六年六月二六日
一九四二年二月二一日、私は、日本軍がディリの中国人やその他の家々に押し入り掠奪をおこなうのを見ました。
日本軍があちこちで族長らに対して、日本軍慰安所(brothel)に現地の少女たちを提供するように強制したことを私は知っています。
その際に、もし少女らを提供しなければ、日本軍は族長らの家に押しかけて、慰安所に入れるために近親の女性たちを連れ去るぞ、と言って脅迫しました。
(訳注)この宣誓陳述書には、連合軍東南アジア司令部の戦争犯罪捜査将校とポルトガル領チモールの行政官のサインが付されており、ポルトガル当局が捜査に協力している 【資料6】(PD2772E-5/EX2120)
ベトナム・ランソン
ニェン・ティトンの口述書抜粋
四日間自由であった後、私は街で日本人に逮捕され印度支那保安隊の病院の後方にある憲兵隊に引致されました。(
中略)私は八日間、日本憲兵隊に監禁された後放免されました。其後私は数回逮捕され乱暴に殴られました。日本人等は私の仏人との交際を咎めたのでありました。
(略) 【資料6】(PD2772E-5/EX2120)
ベトナム・ランソン
ニェン・ティトンの口述書抜粋 続き
ランソンに於ける捜査の間、日本人等はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数名に彼等/日本人等/が光安(Tienyen)に設けた慰安所(broth-el)へ一緒に行くやう強制しました。
私は巧い計略の結果、彼等から免れることが出来ました。
(訳注)証言者は一九一五年生まれ、住所はハノイ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています