和歌がわかる兄貴たちはすごいンゴねえ
日本思想史が好きなんで戸田茂睡・賀茂真淵・本居宣長あたりの近世国学者の文章を読んだんやけど歌論ってのは難しいやね
古今伝授や二条・京極・冷泉の三家に独占されていた中世歌学を論理的で開かれたものにしようとしたのが
近世国学者たちの営為やったそうやけどそれでも難しいわ

宣長の歌論「あしわけをぶね」を読んでたら
「和歌は言辞の道也。心におもふことを、ほどよくいひつづくる道也。心におもふことを、ありのままにおもふとをりにいへば、歌をなさず。歌をなすといへども、
とるにたらざるあしき歌也。さればずいぶん辞をととのふべき也。ことばさへうるはしければ、意はさのみうhかからねども、自然とことばの美しきにしたがふて
意もふかくなる也。」

という一文があったんで「ほーん、やっぱりレトリックや単語に凝った歌を読むべきなんやなあ」って思ったらそのすぐ後に

「大率上古の人は質朴にしていつはりすくなし。後世は文華多く、偽り多し。されば今の世の歌、十に七八はみな実情にあらず。偽り也。
みな古人のまねをする也。詞も今の平生の言語にあらざれば、古の雅言をかり用ゆる也。いはば古の雅言をかりて今の情を詠ずるなれども、
その情も全く今の情にはあらず。」

「ファッ?!綺麗な古語を使えば嘘っぽくなるなら結局どうやって詠めばいいんですかね…(困惑)」ってなったわ
宣長は古今と新古今の評価についてもやたら複雑な言い方してるし歌論ってむずかC