北朝鮮の歴所に書いてある「山葡萄原人=亜人」が挹婁(ゆうろう)になり、
その遺跡からは豚と共に多数の魚や犬の骨が発見されています。
当時から犬を食っていたのです。犬は大好物だったのです。
朝鮮人が犬を食うのは、今日や昨日ではなく、ずっと昔から「犬は食い物」と思っていたのです。
豚は食い物です。晋代の記録では「馬はいるが騎乗はせず、牛と羊はいないが、多くの豚を飼っている」
とあり、豚は彼らの財産だったのです。

挹婁人は養豚が盛んで、豚を主食とし、豚の皮を着物にして、夏にはほぼ全裸でわずかな布だけで
前後を隠したが、冬には豚の膏(あぶら)を身体に数センチもの厚さに塗って風や寒さを防いだといいます。
挹婁人は地上に家を建てず、地下に縦穴(竪穴)を掘り生活する。さらに、部屋の中央に置いた尿を溜めた
容器を囲んで暮らしその人尿で手や顔を洗った。

これについて『三国志』や『後漢書』では「その人々不潔」、「その人々臭穢不潔」とあらわしている。
人が少なく、険しい山に住み、衆は規律に服さず、船が巧みでしばしば近隣諸国を寇掠(こうりゃく)
したとも記されている。 (提供:ウィキペディア)