それから数週間、物ごいをしながらさまよったチャムは、山岳部にこもっていた
共産ゲリラに加わる決意を固めた。「父を殺した奴らに復讐したかった。
韓国兵が村でやったことを見た以上、そうせずにはいられなかった」

グエン・ゴク・チャウは83歳になった今も、憎しみを忘れていない。67年5月22日、
フーイェン省ホアドン郡のミトゥアン村で農業をしていたチャウは、
たまたま親戚のいる近くの村に出かけていた。そこへ前夜、韓国軍が村を攻撃
したという知らせが届いた。大急ぎで帰ったチャウが目にしたのは、村人が井戸
からバラバラになった遺体を引き揚げている光景だった。犠牲者のなかには、
妊娠中の妻と4人の子供も含まれていた。

「首を切り落としてやる」

虐殺を隠れて見ていた老人の話では、韓国兵は女性や子供を井戸に落とし、
助けを求める声を無視して手榴弾を投げ込んだという。チャウは、
盛り土をしただけの簡単な墓に家族の遺体を葬った。
 「殺されたのは女や子供ばかりだ。共産主義者なんかであるわけがない」と、
チャウは言う。「韓国人は人間じゃない。目の前に現れたら、首を切り落としてやる」

ベトナムで虐殺行為を犯したのは、韓国軍だけではない。アンリン郡から
海岸沿いに北へ向かえば、68年に米軍部隊が500人以上の村人を
虐殺したクアンガイ省ソンミ村がある。
 それでも戦争体験をもつフーイェン省の村人の間では、米兵の評判は
必ずしも悪くない。地方公務員のファム・トゥ・サン(47)は66年のテト(旧正月)のとき、
米兵と一緒に遊んだりチューインガムやキャンディーをもらったことを今も覚えている。

だが米軍はこの年、フーイェンから引き揚げ、代わって韓国軍がやって来た。
それから「67年のテトを迎えるまで、韓国軍は殺戮を続けていた」と、サンは語る。
「韓国兵に会ったら、死に出会ったも同然だった」と、
今は地元の退役軍人会の会長を務めているチャムも言う。