また、1845年、1846年に知床地方を訪れた松浦武四郎が1863年に出版した「知床日誌」によると、アイヌ女性が年頃になるとクナシリに遣られ、
そこで漁師達の慰み物になったという。また、人妻は会所で番人達の妾にされたともいわれている。男は離島で5年も10年も酷使され、独身者は妻帯も難しかったとされる。
さらに和人がもたらした天然痘などの感染症が、本格的にアイヌ人の人口を減少させた。その結果文化4年(1804年)に2万3797人と把握された人口が、
明治6年(1873年)には1万8630人に減ってしまった。アイヌの人口減少はそれ以降も進み、北見地方全体で明治13年(1880年)に955人いたアイヌ人口は、
明治24年(1891年)には381人にまで減った

民族浄化やないかい!