>>84
(つづき)
議政府と高宗国王に奏上した三つの請議書は共通して、鬱陵島は孤立していると表現している。
90q離れた竹島は眼中になかったことは明らか。

1895年の史料をもう一つ挙げれば、このスレの>>55の『朝鮮知識の宝庫』の記述
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2011/08/1895-korean-repository-vol-2-page-412.html

この英文の書籍は、リンク先で、ハーバード大学エンチン図書館所蔵本で内容が読める。
出版年と出版地は、
January - December, 1895, Trilingual Press, Seoul, Korea, 1895とあるように
1895年 ソウルで出版されたことがわかる。

この本の鬱陵島の項目は、ドイツ人のフェルジナント・H・メーゼルが執筆している。
メーゼル本人が、1894年以前の夏に実際に鬱陵島に行き、朝鮮人から聞いた話が
書かれていて、そこには、鬱陵島と于山島の間に「水道(海峡)」があって船が停泊できると記述
され、鬱陵島本島と于山島との間は、463メートル程度と書かれている。

この于山島を、90q離れた島根県の竹島であるとする現在の韓国政府の解釈は、国際的に通
用するものではない。