三島由紀夫はウヨなのかサヨなのか?
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・同世代はみんな兵隊にとられて戦場に行った人も多いのに、自分は徴兵検査不合格の虚弱児
・漫画や娯楽映画を愛するサブカル好き
・軍服コスプレで愛国ごっこをして白い目で見られる
・自衛隊に決起を促すも、メガホンを忘れたり檄文の文字が小さくて読めなかったり
昼ごはん前に事件を起こして腹ペコ自衛官を怒らせたりと、実務が全然ダメ
ネトウヨの先駆者といえるだろう。 東大法学部でて大蔵省にいったというのは、当時における超エリートコースだが
行動するとまるで失敗ばかりというのは、吉田松陰や大塩平八郎を思い出させるねw >>2
>自分は徴兵検査不合格の虚弱児
徴兵検査には(親の入れ知恵で虚弱さが目立つように親の本籍がある兵庫の田舎で受けたのに)いちおう合格したんやで
そのあと実際に兵隊にとられた直後にたまたま風邪ひいてたのを軍医が結核と誤診するように嘘ついて兵役逃れしたんや
東大法学部まで行っておいて「一兵卒として戦う」つもりで幹部候補生の試験なんか受けずに二等兵で入ったくせに
仮病使って即日帰郷だから余計に悪質なんや ついでに言うと元官僚で文学には反対してた父親を口説き落として小説を自費出版するために
「もうすぐ兵隊にとられるからいつ死ぬかわからない」ことを殺し文句にして
豪華な出版記念会までやらせたりしてるというな
作家としては世界的にも最高峰の存在やと思うが人としてはまあアレやね
大塩平八郎も含め晩年には陽明学への傾倒をオープンにしとったし
西郷隆盛とか神風連とか2.26とか憧れは全部ロマン主義者らしく「失敗した英雄たち」やし
楯の会はまあ最初から「失敗→男同士で情死」をやるためのエクスキューズに過ぎんやろな 石原は三島のことフェイク、偽物って批判してて、ボティビルや最後の切腹もフェイク、リアリティがないといってたねw
江藤淳も三島事件直後にリアリティの欠如を批判してたねw
超エリートだった三島の生涯には、徴兵のがれを含むいろんなフェイクがあったが
最後の切腹ですべての帳尻があい、天皇中心の日本によってアジアが解放されたという普遍的真理が三島によって明らかになったねw 文学者としての三島が偉大なのは、自分がフェイクであることを深く自覚し
高邁な理想と卑俗な現実のギャップにあがく人間を描写し続けたことだろう。
そんなフェイクな自分が最後は切腹して果てることで、
自分の文学と自分の現実を一体化させて完結させたのだろうな。 天皇制打倒や戦争反対を唱える左翼知識人も、
自分にぺこぺこする出版社社員も、
そこらへんの会社や店や工場で働く労働者やサラリーマンも、
世間に迷惑をかけるゴロツキやくざも、橋の下で暮らす浮浪者も、
自分と同世代の男性のほとんどが、兵士として戦争に参加していたのに、
自分だけ兵隊に行かず安全な場所にいたというコンプレックスと疎外感は、
相当なものだっただろうな。 そもそも三島は最初から徴兵のがれも小説のネタにしてたからねw 三島が切腹した時、後に首相となる中曽根康弘が外人記者のインタビューに答え、
「That's men's takarazuka.」、つまり「あれは男の宝塚だよ」と。 武士道とは?軍人とは?日本の精神とは?と
常に問いかけても、
「いやあ戦争や軍隊は先生が考えるような立派なものと違いますよ」と
そのへんのおっさんに言われてしまう屈辱から逃げなかったから
三島は偉大だったのだが、百田とかでは永遠に無理だろうな >>6
石原慎太郎は仲間面して三島由紀夫の切腹現場である総監室の前まで駆けつけたのだが
三島と森田のクビが転がっていて部屋の中は血まみれという情報を伝えられてから
チキンぶりを発揮して、総監室の中に入るのをためらった
川端康成も現場に駆けつけて川端は総監室の中に入って現場を見届けたのだが
石原慎太郎は「川端先生が入ったのならば自分は入らなくてもいい」という珍理論で現場から逃亡
普段勇ましいことを言ってる人って、いざという時チキンだよね >>14
そのエピソード初耳やが口だけ番長石原らしくて草生える 三島対石原の対談は最後に
「ボクのほうが強いんだぞ」という
子供じみた意地の張り合いになるのが楽しかったな。 三島由紀夫は右翼 極北
爆笑問題・太田光が、三島由紀夫の代表作「金閣寺」をぶった斬る!
https://youtu.be/r2tZRfDMdR4?t=77 思想は右翼としてそれなりに筋が通ってたんだろうが、
あいつの小説読んでてもどこが右翼なんかさっぱり分からん。 >>18
あの日市ヶ谷にいた自衛官のほとんどが
有名な作家だと気づかず、電波さんが来たと思ったそうだ >>6
>最後の切腹ですべての帳尻があい、天皇中心の日本によってアジアが解放されたという普遍的真理が三島によって明らかになったねw
じいさん、どの三島作品を読み、滑稽な人生を見たらその結論になるん?
ワイ無知やから死後出た評論集でも構わんで教えて 1970年当時、「アジアの解放」と言ったら
ベトナム解放戦線や、パレスチナ解放戦線みたいな、
左翼の独断場であって、
三島も当時の左翼の破壊的エネルギーに関心を持っていたとはいえ
三島は「天皇によるアジアの解放」など重要視していなかっただろ >>21
残念ながら三島の作品を読んだだけでは、そのような結論に到達することはできないねw 三島は切腹やってそのまま死んだんだから、その評価というのは三島以外の人間の評価によるしかないんだねw >>14
川端はやはり三島に呼ばれて死んだのかなあ? まあヒントを出すならばだ、三島の死の意味について理解しているのは、日本人よりむしろ外国人だったりするわけで、それはひとつのパラドックスといえようw >>22
三島由紀夫 VS 全共闘の公開討論なんか見ると
三島は立場的に左翼を支持することはないけど
当時の左翼学生にシンパシーを持っていたのは間違いないな >>22
>ベトナム解放戦線や、パレスチナ解放戦線みたいな、
左翼の独断場であって、
そこら辺リアルに知ってる人から聞いてるんやがウヨのこと知らん
ウヨはなにがソースを語れ>Ikh ぐぇ見当違いなアンカーつけてる失礼
>>22すみません 三島の時代「アジアの解放」を唱えるなら
とにかく「アメリカはベトナムから出ていけ」という話になる。
しかも当時のアジアは。中国の毛沢東、台湾の蒋介石、韓国の朴正煕、北朝鮮の金日成、フィリピンのマルコス、インドネシアのスハルトと、独裁者オールスターの時代で、「アジアの解放=独裁政権の樹立」だったから、今みたいにそんなことを自慢するウヨはまずいなかった。
「最後の切腹ですべての帳尻があい、天皇中心の日本によってアジアが解放されたという普遍的真理が三島によって明らかになった」というのは
残念ながら当時の情勢を知らない人の思い込みによるこじつけだろう >>30
三島が開示した日本によってアジアが解放されたという普遍的真理は、当時の一時的なアジア情勢などより
はるかに長い数百年から数千年にわたるスパンで見なければわからないものであるねw
そのような一時的なアジア情勢だけで、三島の死の意味を推し量るのは、まさに浅薄な近視眼しか持っていないことを自ら示しているに過ぎないといえようw >>28
この東亜ネトウヨ童貞ジッジに構っても仕方ないで
あらゆる話題のオチに「(天皇中心の)日本によってアジアが解放されたという普遍的真理〜」を無理矢理もってくるツッコミ待ちのかまってちゃんや
突っついてもサイードのオリエンタリズムを曲解したトンデモ理論か妄想自分語りしか出てこんで
東亜でウヨサーの姫にセクハラしてハブられて寂しいんでこうやって構ってちゃんしてるだけの孤独な👴なんや 三島とかこのスレに関係ないだろ。
いい加減にしろや。 >>33
なるほど
ウヨさんの見解を聞けばそれで結構、なボランティア見解でいたくても無駄か Ikhさんによるサイードを読めば日帝がアジアを解放したという真実が分かるとの主張を詳しく教えていただいてもよろしいですか? Ikhはサイードと三島如きをアクセサリーにしとるんか
レベル低いわ >>37
ワイのアクセサリーはオルテガとドストエフスキーや
最近は丸山真男も取り入れた
評価してくれ 三島由紀夫は典型的な反米右翼やと思ってたんやが違うんか >>40
反米右翼をやるには、
欧米的都市生活やリベラル思想になじみすぎていた
日本の土俗性になじめなかったのが三島。
この時代は左翼のほうが農民マンセー、労働者マンセーで
土俗的なところがあった。
左翼の有名人がしばしばセクハラ問題を起こすのも、
それと関係があると考えている。 >>31
すまんな。「豊饒の海」とか読んでいないニワカで
「青の時代」が好きな偏った三島ファンだ。
でも三島のエッセイや雑文ににじみでる
中二病趣味と諧謔趣味は好き 中二病趣味と言ったら失礼か。
無邪気な子供っぽさというほうがまだ近いか 川端康成がノーベル文学賞とった後
記者「次は三島さんですね」
三島「次は大江君だよ」 パトリオットに憧れつつも、自分が生きている日本の伝統的共同体には
戦前も戦後も居場所を見つけられなかった人だと思う。
そしてその苦悩がすぐれた文学を生み出したと思う。 時代を問わず芸術は苦悩から生まれることは多々あるな。 三島って馬鹿だよね
縦の会金稼ぎで中間小説濫造してた時のクオリティの低さ 楯の会の制服代金、踏み倒して逝った説あるよな。
堤清二がポケットマネーで黙って手当てしたとか。 「岬にての物語」とか完成度高すぎてやばい
あれを二十歳ちょうどで、兵隊には取られず済んだとはいえ空襲か本土決戦で死ぬの覚悟しながら書いてたとか頭おかしい
この小説ひとつ残して国が滅びるとともに自分も死ぬとか本気で思えるとしたら確かにものすごく幸福だったのかもしれん
「岬にての物語」は若い男女の心中に出会った少年時代の三島が決定的瞬間を見逃す話やけど
三島にとっては本土決戦による日本の滅亡と自分の死とが心中に重なってたんやろな
その戦時中の願望が破れたショックから「仮面の告白」で自伝を書き直すことで立ち直り、戦時中の「国と心中する」妄想を「金閣寺」でパロディにするとこまでは行けたんやが
結局は三島事件みたいな形で不完全な形でも「心中」を実現させたかったんやろなあ これを遡ると大魔王観音日本改造法案大綱になります
しかしながらインテリ様にはチトキツイ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています