「日本酷紀」があったら載ってそうなエピソード
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>>81
そういやテーバイ他アテネ、スパルタ他都市国家連合軍とマケドニアは当時世界最強のアケメネス粉砕したな。ホモの軍隊は弱かったから忌避された訳ではない。キリスト教が浸透して以降忌避された。 バレンタインデーは、進駐軍のバレンタイン中将がチョコレートを配ったのではなく、
古代ローマ時代に「士気が下がる」という理由で結婚が禁止されていた兵士のために
結婚式を挙げて死刑にされた聖バレンタインの記念日だといわれているからな。
女房子供を残して戦場に行ったら、生きて帰りたくなるのが人情だから、
死を恐れず勇敢に戦うような兵士にするには、軍隊での同性愛は効果的だったんだろうな。 >>83
中世騎士道文学にも記載がある。
ホモの軍隊はマムルークとかイエニチェリとかに残った。やっぱり強い兵士だった。末期には軍閥になってしまったが。
平家物語にも敵が美少年だから殺さなくてはならない、これなら武士に生まれたく無かったと嘆いた武士の節がある。 今から72年前の8月15日、第二次世界大戦で日本は無条件降伏。
戦闘機の整備部隊の隊長だった永田行夫は、200名あまりの部下と共に、ソ連軍の捕虜となった。
投降した日本兵をソ連各地に送り込み、強制労働させる。
シベリア抑留のはじまりだった。
永田の部隊が送り込まれたのは、当時、ソ連領であったウズベキスタン共和国にある第4ラーゲリーと呼ばれる収容所。
そこで従事する仕事は、ソ連共産党の威信を示すためのオペラハウス「ナボイ劇場」の建設。
永田班は世界一の劇場を作りたい、そんな思いで必死に働くうちにウズベキスタン人との心の垣根は消え親密になっていった。
劇場の完成も間近に迫ったある日、永田の部下の永尾が、高所作業中に落下し即死。
遺体は捕虜が強制労働の末に亡くなったことを表沙汰にできないため、即座にソ連兵に撤去されていった。
しかし、翌朝、永尾の死を悼み、花を手向けるウズベキスタンの人々の姿があった。
その2ヶ月後、ナボイ劇場は2年の時を経て、ついに完成。
建設に携わった日本人捕虜たちの為に、内覧会が開かれた。
美しい装飾に彩られた劇場は、世界最高峰のオペラハウスと呼ぶにふさわしかった。
それは、ウズベキスタン人と共に血と汗を流し、日本人としての誇りを胸に、持てる技能の全てを注いだ彼らの魂の結晶だった。
…美談のように語られているが、命令されれば天皇のためだろうがスターリンのためだろうが
必死で働く奴隷体質だと宣伝しているようなものだ。 漢字伝来の前に使われていたと称される日本独自の文字
「神代文字」は実はハングルのパクリ! 織田信長がムガル帝国まで遠征して首都制圧したがチンギス・ハーンと手打ちがあったので島取り作戦に変更したらしい。 >>89
敵将ぱよくは卑怯にも軍規や定石を守ったのでアダルトマン将軍は負けたらしい。 >>93
場所は比較的近いが、かつ江さんの元ネタの戦いは三木合戦で水攻めは備中高松城の話だから違う。 日本酷記?
チョンコ奴隷史なら世界中の人が知ってるよw
チョンコは支那人と日本人の奴隷として生き延びてトンスルという排泄物をつけた酒を飲む非常に奇怪で不気味な民族ですって記載されてるよwwwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています