【軍事ワールド】「韓国勝利」の証しを消し去る 中国にへつらう文政権に国民は… 
2019.6.11 06:30

 韓国政府が朝鮮戦争(1950−53年)時の「勝利の証(あか)し」を消し去ろうと
して韓国内で論争が巻き起こっている。舞台は、韓国軍を含む国連軍と中国義勇軍が
激突した韓国北東部の「破虜湖」(パロホ)。中国に媚びるためなら歴史改変も厭わない
文在寅政権に韓国国民は怒りの声をあげるのだが…。(岡田敏彦)

蛮族を打ち破る

 破虜湖の戦いは朝鮮戦争が激戦となった1951年5月26日に起こった。
破虜湖は華川(ファチョン)ダム建設によってできた人造湖で、
元々の名前は「大鵬湖」だった。

 韓国の歴史では、このダムをめぐって韓国第6師団と中国義勇軍が激戦を展開し、
4日間の戦闘で約2万人余の中国部隊を壊滅させ、韓国軍が圧勝したと伝えられている。
当時の李承晩(イ・スンマン)韓国大統領は4年後に同湖を訪れ、
中国の女真族に対する侮称である「オランケ」(北方の野蛮人の意)を打ち破ったとの
意味の「破虜」を湖の名として定めた。

 実際のところ、米軍(国連軍)では特に激戦との評価はなく、当時発生した
「幾多の戦闘のひとつ」という位置づけで、主力も韓国軍ではなく米第9軍団だった。

 むしろ直前の5月、韓国北東部での「懸里の戦い」で韓国軍韓国第3軍団の
劉載興(ユ・ジェフン)軍団長が部下を見捨てて連絡機で逃走。
部下も雪崩をうって敵前逃亡した結果、第三軍団は米軍の命令により解隊されるなど、
韓国軍の信用度が地に落ちた状況で迎えた戦闘だっただけに、
同湖での戦闘は韓国軍がなんとか「軍事組織」の体面を保った程度の戦いだ。

https://www.sankei.com/premium/news/190611/prm1906110003-n1.html