オタク趣味をどれだけキモいって思う人がいてそういう人達が多数派だったとしても
消極的自由の原理からはオタク趣味を楽しむ自由も表現する自由を侵害してはいけないのと同様に
ヴィーガンが野菜しか食べない自由もデモしたり過激な表現する自由も侵害すべきでないと思うよ。
当然健康上の問題が〜とかパターナリズムとの兼ね合いをどこまでやるのかっていう議論は必要だろうけど
個人がヴィーガンとして生きる自由は指図されるもんではない。
青識もそれを分かった上で言論の自由市場としてヴィーガン煽ってるんだろうけど
そういうのは「礼儀」がなってないと思うんだよね。俺は
自由云々とはまた別の次元として対話の作法みたいなもんがあるだろ?いきなり煽って茶化して対話する気のない姿勢はやめた方がいい。
これは男オタクvs腐女子の問題とかでも同じだと思うんだけど
男オタクは「人は人だから干渉するな」って言いながら散々腐女子に嫌がらせしてきただろ?
その結果カウンターとしてツイフェミみたいな過激派が台頭してしまったわけでしょ。
国家権力によって個人の自由を制限してはいけない、というのは大前提の話としても、
価値観の違う個々人の間での粘り強く対話する姿勢とか礼儀っていうのは絶対軽んじてはいけないと思うよ俺は。
結局そういう礼儀や対話を欠いた姿勢ってのは「戦略」の欠如でもあるんだよ。
今の青識みたいに女叩きとかヴィーガン叩きとかしまくって全方位敵に回してる奴を心証的な問題として支持したいと思うか?
冷笑系の人達ってリアリスト気取りのくせに全く「戦略」という視点がないよね。もうちょっと考えた方がいい。