>>797

 1986年に脱北した私は、4か国の国境を越え、3か国で収監生活を送り、6年目の年に
国連難民機構(UNHCR)を訪れ、国連が認定した脱北難民第1号として夢に見たソウルに来る
ことができた。それから対北宣伝ビラから感じた不明瞭な疑問点を解こうと試みて、
多くの資料を漁った。

 韓国に来てやりたいことは山ほどあったけれど、南の現実を直接見て肌で感じ、
そのことを北朝鮮の住民に伝えたいと思うようになる。
そして、宣伝ビラを風船に括りつけて飛ばすため、対北風船の開発に着手したのだった。

 2003年10月から「キリスト教脱北人連合」の支援を受け、最初はスーパーで売っている
風船にビラを括りつけ飛ばしたが、北からは何の反応もない。
当時は太陽政策で親北的な政権下にあり、北朝鮮政府に送金することで機嫌を取り、
金大中大統領はピョンヤンに赴き統一ムードを演出した。
そして、北朝鮮を誹謗中傷する宣伝ビラや拡声器放送は一切禁じられたのである。

 南の人々も北朝鮮の貧困や弾圧の現実に目を向けようとしない風潮の中、大型風船開発に
寝る間を惜しんで邁進。そして一度に数万枚のビラを撒ける大型風船を完成させた。
大型風船を飛ばし始めて1か月後、2005年8月より北朝鮮からオフィシャルな抗議が
殺到し始める。民間人として開発した初の対北風船技術。これについて、ビラ散布を
希望する別の対北団体には積極的に伝授した。10余りの団体と協力体制を取り、
ビラの内容も更新を続け、文字通り対北宣伝活動に人生を捧げることになったのだ。

 私が飛ばすビラの狙いは、手にした北朝鮮の住民が3つのテーマを軸に疑問を持つことだ。
首領偶像化、思想の仮面を被った主体宗教、美化・粉飾された虚構、がそれに当たる。

https://www.dailyshincho.jp/article/2020/06281701/?all=1