黒い子を産んで、サキエさんの話

同じ被服工場で働く女から、「今度うちですき焼きパーティするんだけどさあ、人手が足りないから助けに来てよ。30分でいいから、すき焼きたんまり食べて、お金も出すからねえ、お願い。」
無理やり頼まれて、仕方なく行ったのが運のつきで、結局、そこには黒ん坊の見知らぬ兵隊が2人いて、一人はその女の良い人で、飲んで食べて半ば乱痴気騒ぎみたいになって、いきなり明かりを消してそこで二人があれを始めてしまった。
サキエさんはもう一人の黒ん坊が肩を抱き寄せて返してくれず、いやいやだが居残った。
無理やりビールを飲まされて、半分頭がぼーっとなって、目の前でくんずほぐれつを見せつけられて、黒ん坊の手が胸を揉み、スカートの中に入って、下を弄り回された。
それからはもう目をつむって黙ってされるしかなかった。
黒ん坊は乱暴ではなく、痛いと言えば休憩し、じっくりと時間をかけてしてくれた。
終わってみれば、ああ、こんなことなのかと、半ば平気で、結局、2回目もさせてやった。
それが馴れ初めで、それからちょくちょく、二人きりで逢うようになった。
黒ん坊は聞けばまだ二十歳になったばかりでサキエさんより15も年下だった。
しかし、むろん、真っ黒な外国の男で、すべては相手の言いなりで、会えば必ず半日ホテルの部屋で、これでもかと言うほどの回数、肌を重ねた。
そんなにして肌を重ねていれば、それはもう否応なく情がわいてくる。
やがてサキエさんはそのテーリーと言う名の黒ん坊の兵隊を本気で好きになった。
そして、好きになった証のように、サキエさんはテーリーの子を身籠った。
テーリーは喜んで、マリッジ(結婚)を約束してくれた。
しかし、皮肉にもそれからすぐ、テーリーは沖縄に移動になった。
テーリーは迎えに来ると言い残していったが、すぐに音沙汰が途絶えてしまった。
お腹の子はもう4か月に入り、堕胎は無理だと言われた。
仕方が無かった。
昭和25年の秋、サキエさんは黒い肌の女の赤ん坊を産んだ。
名前はテーリーにちなんで照子とした。
それからは、サキエさんは黒い子を育てながら生きてきた。
何度も進駐軍の兵隊と愛し合った。すべて黒ん坊の兵隊だった。
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