WINOの歴史

とりあえずデビュー。
ロッキンオンやスヌーザーにプッシュされ、期待の新人っぽい雰囲気はあったが、UKロックまんまの音楽性に賛否両論。
というか、90年代も後半になると、渋谷系のような洋楽丸パクな方がかっこいい的な風潮はとっくに終わっており、
その後出てくるオレンジレンジのように、パクリ=悪と見られる時代に移行しつつあった。
そのためWINOも批判的な目で見られスタートダッシュに失敗。
せめて批判の声を黙らせるくらいの力がバンドにあればよかったが、
メンバーのほとんどが高校の軽音レベルの演奏力+ボーカルが上祐似の不細工という絶望的な状況でミーハー人気も獲得出来ず。

そんなこんなで2ndアルバムをリリースするが、1stアルバムより順位を下げ、早くもバンドに黄色信号。
この危機的状況にレコード会社が頑張って人気アニメのタイアップを取ってきてくれたが
シングル「太陽は夜も輝く」はバンド史上最高記録をマーク!・・・と言えば聞こえはいいが、実際のところはオリコン35位という微妙な結果止まり。
結局、そのシングルも大した追い風にはならず3rdアルバムは2ndより順位を落とす。

最後のすかしっ屁として、当時日本開催で最高に盛り上がってた2002年サッカーW杯に乗っかったような曲を出したり、
人気プロデューサー亀田誠治にすがってみたりと色々新しい挑戦をしてみたものの、ラストアルバムはオリコン100位圏外という結果に。
そしてアルバム発売から数週間後、ワンマンライブでもなんでもない、ただの所属事務所のイベントでバンド解散をひっそりと発表した・・・。

ちなみに解散後、スヌーザー編集長タナソー入魂の選曲&推薦文付のベストアルバムがリリースされるが、これも大コケで終わる。