【沢田泰司】TAIJI Part.118【X LOUDNESS DTR…】
♪ウォーオー赤塚さんの2024年の汚れの臭い嗅いでトモニー初めしたい
ウォーオー赤塚さんの2024年の汚れの臭い嗅いでトモニー初めしたい
ウォーオー赤塚さんの2024年の汚れの臭い嗅いでトモニー初めしたい
ウォーオー赤塚さんの2024年の汚れの臭い嗅いでトモニー初めしたい
レッツゴー レッツゴー レッツゴー 赤塚さんの2024年の汚れの臭い嗅いでトモニー初めしたい ♪トモニーが やめられない
赤塚さん ありがとう
オーオーオオオオーオオー
オオオオーオオー
オーオーオーオー
オイ!オイオイオイ!
西武には負けられないの節で ♪トモニー コーリンコーリン トモニー
コーリンコーリン トモニー
コーリンコーリン オーオーオーオー
トモニー コーリンコーリン トモニー
コーリンコーリン トモニー
コーリンコーリン オーオーオーオー 今年こそは山岸行進曲やれよ
エクスタシーオブゴールド〜山岸行進曲だぞ
89年シアトルみたいにto live is to die〜山岸行進曲でもいいぞ 赤塚友美さんは永久にオカズです
長嶋茂雄の引退試合のフレーズで 赤塚友美さんという人間は最高のオナニーのためにそのものだ
長嶋茂雄の野球というスポーツは〜のフレーズで 友美おねいさんの汚れたパンティたまんないよ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんありがとうございます(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 右手が止まりません(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 幸せ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ いっぱいザーメン出ちゃいました(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんのパンティのニオイ最高(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんありがとう(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ ♪弟 許さんぞ
お前絶対 オカズにしてただろ
オーオーオオオオーオオー
オオオオーオオオー
オオオオー
西武には負けられないの節で ♪許すまじ コーリンコーリン 許すまじ
コーリンコーリン 許すまじ
コーリンコーリン オーオーオーオー
許すまじ コーリンコーリン 許すまじ
コーリンコーリン 許すまじ
コーリンコーリン オーオーオーオー ♪パンツくれ コーリンコーリン パンツくれ
コーリンコーリン パンツくれ
コーリンコーリン オーオーオーオー
パンツくれ コーリンコーリン パンツくれ
コーリンコーリン パンツくれ
コーリンコーリン オーオーオーオー ♪弟 コーリンコーリン 弟
コーリンコーリン 弟
コーリンコーリン オーオーオーオー
弟 コーリンコーリン 弟
コーリンコーリン 弟
コーリンコーリン オーオーオーオー ♪ラーラーラーラーラーラーラ オイ!
ラーラーラーラーラーラーラ オイ!
ラーラーラーラーラーラーラ オイ!
ラーラーラーラーラーラーラ
パンツくれ!パンツくれ!パンツくれ!
オオオオオオオ
パンツくれ!パンツくれ!パンツくれ!
オオオオオオオ ♪買いに行きたい コーリンコーリン 買いに行きたい
コーリンコーリン 買いに行きたい
コーリンコーリン オーオーオーオー
買いに行きたい コーリンコーリン 買いに行きたい
コーリンコーリン 買いに行きたい
コーリンコーリン オーオーオーオー 新年一発目はこの曲をお届けーー
♪おいらはドラマー 耽美なドラマー
おいらが叩けば ドラマを生むぜ
ドラム代りに ピアノを叩きゃ
啼いて血を吐く ホトトギス
いつか今度はドラムで歌ってほしいです。
それから、あと20年位は生きててほしいです、
YOSHIKIはハイマン・ロス、って思ってますので。 『X PHOTO & TALK』X4vs1バトルロイヤル座談会 1990年5月23日取材
ヒデ :おまえ、死ぬなよ。ヨシキ…。
タイジ:この人間はただ…、生きててくれりゃあいいよ。昔からなんにも変わってないもん。変わらないもん。生きてりゃいいよ。
『X-PRESS 02』1989年12月9日発行
自分にとってEndless Rainはどんな曲ですか?
TOSHI:HEARTFUL SONG
TAIJI:BASSラインを気合い入れた
PATA:バラードです
HIDE:バラード嫌いを直した曲 ヘンタイさーん!
あけおめことよろで−す!
今年も変態で何よりですが、スレを加速させすぎです
蛇のセックスのようにゆっくりまったり絡み合いながらイキましょーよー バグワン・シュリ・ラジニーシ『マイウェイ : 流れ行く白雲の道』
私は、セックスこそエネルギーだ、エネルギーの別名だと言う。
それをエネルギーXと呼んでみよう。
セックスとは、あなたがそのエネルギーを生物学的な再生産のための力としてのみ使うのだったら、そのエネルギーX、つまり未知のエネルギーの名称となる。
ひとたび生物学的な束縛から自由になったら
ひとたびそれが肉体的でなくなったら
それは神性を得る。
そうなったらそれはイエスの愛だ、いやあるいは
仏陀の慈愛だ―― ヘンタイさんがいつか神性を得られますように・・・
というのはウソで
胡散臭いうえにキモイ
TAIJIにとっては哲学者らしいが
この人も神生一人も麻原彰晃もマハリシ・マヘシ・ヨギも私には同種の人間に思える
一応、バグワンさんとTAIJIの名誉のために書いておくと
セックスのことばっかり言ってるわけではありません
私が恣意的に切り取りました 『ロッキンf』1991年8月号
■趣味「最近は読書になってきた。バグアンシュリ・ラジニーシ。哲学の本。オレもたまにはそういうのを読むんだよ。すごい良い本でね」
Twitter @TAIJI_voice
「過ぎて敬遠され 足りなくて誤解を生じ 求めれば遠のき 意識すればするほど縮こまる」
これは宗教家であり哲学者であるバグワンの言葉だ。ボイスレス・スクリーミングを作った時に影響された。 結局、俺がやってきた事全てに当てはまるんじゃないか。
2000
↑
これ、どこに載ってるのかいまだに分からない
『Xの生と死』かなあ??
「過ぎて敬遠され…」の言葉を探して『国立国会図書館デジタルコレクション』で読める書籍にざっと目を通してみたけど
これも見つけられなかった 神生一人は逮捕されました
どなたかが前々スレに逮捕時の記事を貼ってくれています
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/legend/1662873398/705n
「子宮に悪いエネルギーが」20代女性を“洗脳性交”した65歳“先生”にネットで囁かれていた“噂”(FRIDAY)
Yahoo!ニュース 2023/08/12
https://news.yahoo.co.jp/articles/99005a09a56251331765a085bb0e98f6d02db8d6
TAIJIのブログ
「YOUプロダクション会長」2011/06/02 11:10
https://web.archive.org/web/20110830/http://taiji.blog.players.tv/article/46933963.html
※書いているのはTAIJI本人ではないです(今年ファンになった人のために)
DAIさんのブログ
「サイパンの人達について」2012/07/09
http://dai2007.blog.shinobi.jp/Entry/224/
「Episode37 最後の写真」2013/06/17
http://dai2007.blog.shinobi.jp/Entry/290/ 片方だけだと不公平なので。
日刊スポーツ 2012/6/25
TAIJIさんの婚約者が女性マネを告訴
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20120625-972697.html
現代ビジネス | 講談社 2023/1/25
【独自】特捜部が追い込む「三浦瑠麗の夫」弁護士はあの統一教会弁護人だった!
https://gendai.media/articles/-/105176?page=3
弁護士、同姓同名
同一人物だとしても統一教会関係以外の弁護も請け負っているようなので断定はできないが TAIJIの「真相究明追悼イベント」来週開催 - 音楽ナタリー 2015/07/02
https://natalie.mu/music/news/152581
スピリチュアル TAIJI brand silver
TAIJI with GLASTON クリスマスイベント
https://web.archive.org/web/201112230/http://pub.ne.jp/tsgc/?entry_id=3389036
2010/12/25開催のイベントのスタッフレポート この時のレポ
過去ログ見られなくなってるからいくつか貼っておこう
【沢田泰司】TAIJI Part.83【ex-X LOUDNESS DTR】
https://toki.5ch.net/test/read.cgi/legend/1312808923/489-
・クリスマスイベントの時 泰司が宗教家のような感じでスピリチュアルな話すごくしてた
ファンに「目をつぶってください今からパワーを送ります」
とかずっとそんな感じだった。今まで指がうまく動かなかったけど、何かのおかげでこんなにギターが弾けるようになったとか・・
今思うと神生の影響だったんだろうな
・アクセデザインにそのスピチュアル要素を取り入れたとも言ってた
話し方が今までとかなり違ってて
落ち着いた風だが取り憑かれた風でもあり
とても心配だったんだよ
・そのアクセをつけていれば
私はいつでもあなた達のそばにいます
みたいな事も言ってたな なんかとても違和感感じて
重い気持ちで帰宅したクリスマスだった
・ユダヤ教の事も話ししてたよ
・クリスマスイベントからテルミンいたけど、ガサツな印象
声も酒ヤケタバコヤケした感じで撮影の人に
いや〜ん〇〇さあぁ〜ん最高だったわぁ〜!!と言っていた
この声がでかい女は誰だよと当時思っていた
あれじゃ大人しい赤塚さんは立場失う 元々TAIJIがスピリチュアル。
『X-ism』1990年11月1日発行
https://cafe-le-science-blog.tumblr.com/post/22585709797
精神的なものは重視する方。「気」とか興味あるし。ミュージシャンってやっぱり基本的に感受性って強いでしょ、普通の人より。だからサラリーマンなんかより、けっこう孤独だったりするし。俺もいろんなミュージシャンと付き合ってみて、そう思うもん。ひとりひとりが完璧なものを求めようとしてるし、孤独感とか感じるんじゃない。そういう人ってやっぱり精神世界とかに興味も持ちやすいだろうし。俺もそう感じる。 これも貼っておこうか
元Xメンバー・TAIJI、韓国で本格始動宣言 | ORICON NEWS 2011/02/25
https://www.oricon.co.jp/news/85173/full/
『 BARKS』にも記事があるんだけどURLが貼れない
タイトルは「TAIJI with HEAVENS、韓国に本格進出」です ピンポロ考
説明しよう(ヤッターマン風)
ピンポロとはTAIJIがサイパンで着ていたピンクのポロシャツのことである
前掲のTAIJIのブログ(2011年6月2日付)で見られるよ
THANX
https://www.nicovideo.jp/watch/sm15064575?from=185
3:05 カモ〜ン し〜ぶ〜やこ〜かいど〜♪
この頃がTAIJIの一番幸せな時期だったんじゃないかなあ?
そう、あのピンクはそういうことだ(確信) ♪ウォーオー赤塚さんの初汚れ
ウォーオー赤塚さんの初汚れ
ウォーオー赤塚さんの初汚れ
ウォーオー赤塚さんの初汚れ
レッツゴー レッツゴー レッツゴー 赤塚さんの初汚れ >>51
レスポンス早っ
ヘンタイさんのミューズを汚してしまって申し訳ありませーん
ただの妄想でーす >>57
あれ?
あんまり幸せじゃなかったのかな?
『ロッキンf』2006年7月
――「BLUE BLOOD」は、どう?
沢田:俺の中では「バンドを辞めさせられるかも」ってビクビクしながら弾いていた。今では笑い話だけど、そんな印象しかねぇなぁ(笑)。なんか知らないけど、「辞めてくれ」って言われちゃったんだよね。「今辞めたらヤベェな」とか思って、「ごめんなさい」って言った(笑)。とにかく“口うるさい年下”だったから。 X JAPANのWikiのライブ・コンサートのところで
LIVE TOMATO
1990年4月22日 川崎CLUB CITTA'
1990年5月30日 川崎CLUB CITTA'
ってあるけど、4/22ライブで5/30放送じゃないのかなあ?? ♪ギリモザ コーリンコーリン ギリモザ
コーリンコーリン ギリモザ
コーリンコーリン オーオーオーオー
ギリモザ コーリンコーリン ギリモザ
コーリンコーリン ギリモザ
コーリンコーリン オーオーオーオー 友美ちゃんのギリギリモザイク❤(///ω///)♪ ♪ギ!リ!モ!ザ!
ギ!リ!モ!ザ!
観たいー 赤塚さん! 赤塚さんの洗ってないクサイ足の指とか間とかしゃぶったり舐めたりしたい 赤塚さんが見てる前で赤塚さんのAV観てシコりたい🍄💦 赤塚友美けしからんすぎる(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚友美ドスケベすぎる(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ いやらしいおっぱいしてる(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 卑猥な乳輪してる(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 乳首も良いね(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんの黒ずんだ卑猥な乳輪たまらんすぎるよ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ モザイク越しでも赤塚さんの黒ずんだ卑猥なオマンコ猥褻すぎる(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 美味しそう コーリンコーリン 美味しそう
コーリンコーリン 美味しそう
コーリンコーリン オーオーオーオー
美味しそう コーリンコーリン 美味しそう
コーリンコーリン 美味しそう
コーリンコーリン オーオーオーオー ♪シコシコ コーリンコーリン シコシコ
コーリンコーリン シコシコ
コーリンコーリン オーオーオーオー
シコシコ コーリンコーリン シコシコ
コーリンコーリン シコシコ
コーリンコーリン オーオーオーオー ♪ありがとう コーリンコーリン ありがとう
コーリンコーリン ありがとう
コーリンコーリン オーオーオーオー
ありがとう コーリンコーリン ありがとう
コーリンコーリン ありがとう
コーリンコーリン オーオーオーオー 赤塚さんのデカ乳輪ドスケベすぎるよ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ ♪エ!ス!ワ!ン!
エ!ス!ワ!ン!
デビュー 赤塚さん! ♪エスワン コーリンコーリン エスワン
コーリンコーリン エスワン
コーリンコーリン オーオーオーオー
エスワン コーリンコーリン エスワン
コーリンコーリン エスワン
コーリンコーリン オーオーオーオー ♪欲しい 欲しい 赤塚さんのパンティ
欲しい 欲しい 赤塚さんパンティ
オイ!オイ!オイオイオイ!
オイ!オイ!オイオイオイ!
欲しい 買いに行きたい 赤塚さんのパンティ
マット・フランコの節で ♪欲しい 欲しい 赤塚さんのパンティ
欲しい 欲しい 赤塚さんパンティ
オイ!オイ!オイオイオイ!
オイ!オイ!オイオイオイ!
欲しい 買いに行きたい 赤塚さんのパンティ
マット・フランコの節で 赤塚さんが見てる前で赤塚さんの汚れたパンティの匂い嗅いでシコりたい🍄💦 赤塚さんブルセラショップでなんか売ったことあるかな ♪レッツゴーよっしー
レッツゴーよっしー
レッツゴーよっしー
レッツゴーよっしー
くせぇ くせぇ よっしーのオマンコ
くせぇ くせぇ よっしーのオマンコ
オイ!オイ!オイオイオイ!
オイ!オイ!オイオイオイ!
くせぇ 絶望のニオイ よっしーのオマンコ
マット・フランコの節で 自分が生きていく上でひとつの根づいている考え方があって、それは、自分に降りかかってくる良い出来事も悪い出来事もそれは全て必然であり必要な出来事なんですよ。全て必然で必要でベストなんですよ。って、小久保裕紀が昔言ってた。 知らなくて書いたらたった今携帯ニュース見てたら今日か昨日その発言をした野球の記事今見たwww
まじその言葉を体現したwww なんか不思議だよね、これと限らず、そういうこと結構ある 男のロマンの匂いがする赤塚さんの汚れた下着(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ ありがとう赤塚さん(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ ヘンタイさん、一瞬正気に戻ってた…
ああいう信念が必要ってことは
プロ野球選手みたいなエリートでも弱気になったり後ろ向きになったりすることもあるんだなぁって
そっちのほうにグッときました
ところで、PATAの『有吉×巨人』見ました?
長嶋茂雄を「チョーさん」って言って
有吉に「久々に聞きましたよ、チョーさんって」って言われてた
深夜番組の6畳一間のセットにもしっくり馴染んでた
紅白の大舞台にも馴染んでしまうし
そこがPATAの底の知れないところ、恐ろしさだなぁ 沢田泰司&ザ・ストリッパーズの詳細が知りたくて、エクスタシー・サミットの情報を探してみました! 『Be Free!!』TAIJI's History 1
1989.05.02 鹿鳴館で「エクスタシーサミット」開催、YOSHIKIは京都でのビデオコンサートのため、欠席
1989.08.29 鹿鳴館にて「エクスタシーサミット」開催
1989.09.28 渋谷公会堂「エクスタシーサミット」出演
1989.12.30 鹿鳴館「エクスタシーサミット」TAIJI、HIDE、PATA出演
TAIJIは「沢田泰司&ザ・ストリッパーズ」というセッションバンドで参加 もちろんジュリーこと沢田研二のコピーバンド(笑)
ボーカルはGEORGE(レディースルーム)、TAIJIはギター
「歴代のサミット参加バンドのなかで一番練習した」というだけあって、非常に出来が良かった
GEORGEのボーカルがなかなかジュリーに似ていて面白い
1991.10.29 武道館にて「エクスタシーサミット」開催
YOSHIKI復帰会見
TAIJIは5番めに「TAIJI Session」で登場
メンバーは、TAIJI(B)、ADACHI(V:RATTLE SNAKE SHAKE)、HONMA(G:VIRAS)、MINAMI(G:SIGHS OF PORTION)、KATO(D:SIGHS OF PORTION)
曲目は、M1:WE DIE YOUNG ,M2:MAN IN THE BOX ,M3:NEW YORK CITY
勢いづいたTAIJIは、この後の司会コーナーに、先ほどまでYOSHIKIが着ていたウエディングドレス姿で乱入!YOSHIKIに「TAIJI、イメージが(笑)」と言われ、「似合うだろ?」と調子に乗って、ターンするという一幕も(残念ながら、このセッション並びにウエディングドレス姿は、ビデオには収められていないが、ある人が持っている写真を見せてもらいました 凄いとしか言いようがない…)
ラストは、Xのステージでしめた
「無敵と書いてEXTASYと読む!!」というタイトルでビデオ発売 EXTASY SUMMIT 1989.12.30 目黒鹿鳴館
E沢田泰司&ザ・ストリッパーズ
Vo: sex GEORGE (レディース・ルーム)
G: TAIJI (エックス)
B: HIKARU (コート・オブ・アームス)
Ds: EBI-chan (マグネッツ)
演奏曲目
1. ストリッパー
2. 恋のバッド・チューニング
3. 勝手にしやがれ
4. 危険なふたり
5. 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
6. レディー・ステディー・ゴー
7. ぶっちぎりR&R
ISESSION "無敵ダッシュ"
Vo: HIDE (エックス)、MARRY (カラー)、C.D.N.KEN-chan (かまいたち)
G: PATA (エックス)
B: TAIJI(エックス)
Ds: sex GEORGE (レディース・ルーム)
Cho: TUSK (ZI:KILL)、KEN (ZI:KILL)、しいな³ (かまいたち)、S.R.HARRY (S.O.ラヴ・ポーション)、EBI-chan (マグネッツ)
演奏曲目
1. アナーキー・イン・ザ・UK
その他は https://www.picuki.com/media/1855450705634466834 を見てね
『FOOL'S MATE』1990年2月3月合併号
HIDE:大ダイビング大会になっちゃって。俺が「今日はダイビング許可するーっ」って言ったら、ポーン、ポーン(笑)。で、(鹿鳴館の)遠藤さんは「ダメ!ダメだよ!」って言ってんの。 EXTASY SUMMIT 1991.10.29 日本武道館
『ロッキンf』1992年1月 Vol.195
https://j-rockmagazinesbrasil.blogspot.com/2014/02/x-japan-rockinf-extasy-summit-1991.html
DTAIJI session
TAIJI<b/X>
足立次郎<vo/Rattlesnake>
KIYOSHI<g/VIRUS>
MINAMI<g/Sighs Of Love Potion>
KATO<ds/Sighs Of Love Potion>
演奏曲目
1. We Die Young
2. Man In The Box
3. New York City
メンバーからのヒトコト
「今回、たまたま武道館に立たせてもらうんですけど、気持ちはどこでやろうが精一杯やると。ガンバリますんで楽しんでください。」(MINAMI)
「寝起きで頭がボーッとしてなにも考えられへん(笑)。まあ、根がいい加減やから会場がどこだろうが気持ちはいっしょ。それと、この武道館に立てることをTAIJIに感謝してる」(足立次郎)
「3日前にやる曲が決まってゴタゴタしてたけど、やっぱオレらは自然体でライヴをやりたい。TAIJIとも話したけど、それがウチらのテーマ。極太な音、ストロングなロックをみんなに聴かせてやりたい。洋楽のカヴァーを聴いて、みんなが洋楽を聴くようになってくれればいいなと思っているし。みんなにも期待してるし、自分に対しても期待している」(KATO)
「ガンバルよ。Sessionも、いいんじゃない? 武道館だけにね、いつものSUMMITのように沢田研二のカヴァーでお茶を濁しちゃイカンな、と思ってね。あんなのやったら観客からモノ投げられるかなと思ったわけよ。そこで、今回は本職のベースで楽しもうと。EXTASY SUMMITでは、初めてふつうにやる。ふつうもいいぜ(笑)。きのうもリハやったけど、メンバーもけっこう真剣。Sessionなのにすごく真剣。大竹まことさんも司会で来てくれることだしね、みなさんにカマしてもらいましょう」(TAIJI) >>120
このHIKARUさんはあのHIKARUさんですね!
7. Coat Of Arms「Existed The One」 〜オムニバス・アルバム『The God's Truth ~ Emergency Express III』(1992) より
https://www.youtube.com/watch?v=U98gdLrFlAY
Vocals – 瀬戸政彦
Guitar – 工藤恭司
Bass – 宇高 光
Drums – 柏木拓也
ちなみにこのアルバムの3曲目は、竹内さんのJoe-Erk「Living Alone」
ついでにこれも。
『オルガスム/Time Trip Loving, X』
https://www.youtube.com/watch?v=YK5pVvVx1zU
1986年4月 エクスタシーレコード
EX-001
1986年4月、Xが設立した自主レーベルである"EXTACY RECORDS"からリリースされた最初の作品で、Xとしては「I'll KILLYOU」に続く第2弾シングルにあたる。めんばーはトシ(Vo)、ヨシキ(Dr)、ジュン(G)、ヒカル(B)の4人。しかし、発売直後、ジュンとヒカルは脱退しており、初回プレス2500枚は即完売。現在のところ、再プレスの予定はない。よってA面2曲目に収録されている「Time Trip Loving」(作詞・トシ、作曲・ジュン)は、このシングルでしか聴くことができない。また『BLUE BLOOD』にも収録されている「X」、「オルガスム」も、このシングルでは若干歌詞が違うバージョンで収められている。
『X PHOTO & TALK』より これはあのHIKARUさんなのかずっと疑問
【沢田泰司】TAIJI Part.71【ex-X LOUDNESS DTR】
91:2011/07/20(水) 01:17
日本のロックの頂点に君臨する高みから見下ろせる美しい景色と
不自由な身体で地の底を這うような苦しい想いと
両方を味わった人生だったね、泰司。
辛かったろう、悔しかったろう、痛かっただろう、言いたい事あっただろう。
今まで最後まで言い訳しなかったお前の負けん気だけは本物。
もういいから、眠れよ HIKARU イチローとか現役バリバリの頃とかイメージとか見た目とか雰囲気とかできっと合理主義者なんだろうなって思ってたけど全然そうじゃなかったw 赤塚さんにチンポしゃぶってもらったり舐めてもらってる旦那さん勝ち組 冷静に考えて赤塚さんにチンポしゃぶってもらってるなんてけしからんぞ旦那。 赤塚さんに俺の勃起チンポ見てほしいです(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんぶっちゃけブルセラショップで下着売ったことあると思う 友美ちゃんの汚れた下着(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ パンツに染み付いた友美ちゃんのオマンコの臭いサイコー(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 友美ちゃんの臭いパンツサイコー(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 下着に染み付いた赤塚さんのオマンコの匂い嗅いでオナニーしてみたい🍄💦 赤塚さんの臭い下着嗅いでシコりたい(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 買いに行きたい(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 美魔女の臭いパンティ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 美人バレリーナの汚れたパンティー(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 軟式だと小さいから打ちづらい場合はソフトボールの打席もあるからオススメ でも普通に軟式打てると思うよ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ イチローは感情がないみたいでずっと苦手だったけど、
友達から、イチローも緊張で吐いたりするんだ、とか、…他は忘れたけど、そんな話を聞いてから、
急にイチローに人間味感じてちょっと好きになりました。
>>147
ほんとうは寒さで縮こまってるくせに!
私は知ってんだよおぉぉ ナゾのHIKARUさんブーム到来――
ナゾでもないか、なんてったって新谷さんの大切なお友達だからね
1986.10.25 目黒鹿鳴館(HIKARUさん&JUNさん最後のGIG)
https://www.youtube.com/watch?v=NHvcE9Tgm_s
8:00頃、HIKARUさんが客に蹴り入れてる、と思ったがコメント欄によるとバンド仲間らしい
HIKARUさんの暴れっぷりをご堪能ください
1986.11.16 目黒鹿鳴館「発狂爆発大暴れGIG」(TAIJI再加入後初のGIG)
https://www.youtube.com/watch?v=65yR-YAagl4
これは前にも貼ったけど、25:00頃ベースを代わってもらっている相手が誰なのか分からなかった
HIKARUさんじゃないのかなあ?? 上の動画見ていて何となくそう思った 『ロッキンf』1988年11月
YOSHIKI インタビュー
〜略〜テクニック志向のTAIJIとJUN、ノリ一発のオレとTOSHIのふたつにまっぷたつに分かれてしまった(笑)。それで、また"X"はオレとTOSHIの二人だけになってしまったという……。85年12月ごろかな。ちょうどそのころ、HIKARUがいた地雷神が解散して、またHIKARUに声をかけようと言うことになった。そして、ギターには元ブローダー・クロスのゼンちゃんを入れてライブを一発やった。でも、上手くいかなくて、またギターを探し始めた。で、そのころTAIJIとJUNが別れちゃって、またJUNに声をかけた(笑)。こうして"X"はオレとTOSHI、HIKARU(B)、JUN(G)というラインナップになったと。
そこでさっそくレコーディングをして、出来上がったのが、セカンド・シングル「オルガスム」(86年4月リリース)。それを発売した後初めて横浜とか大阪をツアーしたな。「天才たけしの元気が出るテレビ」に出たのもこの頃かな(笑)。
〜略〜これは突発的なことで、前日に出演依頼が来たんだよ。で、とりあえず、出たほうがいいんじゃないかと思ってね(笑)。このころはいろんなテレビ番組に出て、夏ごろに、「元気が出るテレビ・秋の大運動会」の依頼も来たわけ。ところが、JUNとHIKARUが、そういうのはやめようと言ってね。でも、まだ出てもいいんじゃないかと思ってたから(笑)。これがきっかけで、もめだして…、"X"の音楽性は軽いとか、もっと重い音楽をやりたいとふたりが言い出して、JUNが練習に来なくなってしまった。で、オレは頭に来て、「二度と来るんじゃねえ」と言ったら、HIKARUも脱退して…。その時は、もう、途方に暮れて、もうダメかなと思ってね。 『BANDやろうぜ』1990年1,2月号
――でもHIKARUは結局入ったよね。
YOSHIKI:その前にTAIJIが1回入った。だけど「もうちょっとちゃんとやってくんない」みたいなので抜けちゃって。俺なんかムチャクチャだったもんね。俺はそのころハードコアばっかり聞いてたんだけど、TAIJIはメタルだったし。だからやっぱりお互いズレてきちゃって…。TAIJIがやめて、JUNもいなくなって、また2人だけになっちゃったんだよね。
TOSHI:それで結構挫折した。
YOSHIKI:いや、そこでは挫折しない。もっと頑張ろうって。で、お正月に俺、HIKARUをくどきにいったの。したら、とりあえずヘルパーで、みたいな感じになって。
TOSHI:で、四谷フォーバレーか。
YOSHIKI:そのときに、入る、みたいな感じになった。じゃあギターを探そうってことになって、もう1回JUNを…やっぱりあいつうまいから入れよう、みたいな感じで入れた。それで結構固まったんだよね。やっとホント、バンドらしくなった。初めて関西ツアーにも行ったし。関西ツアーっていっても、大阪だけ5か所だけどね。
〜略〜
――でも,そのシングルを出した直後,HIKARUとJUNがやめてったでしょ。
TOSHI:あんときはショックだったよ。
YOSHIKI:何かね、結局ヘビィメタルがやりたいっていうのが理由だったんだけど。
TOSHI:ああいう人と比べたら、俺たちヘビィメタルじゃなかったみたい。 『実話ナックルズ』2016年5月号
「不良メシ」第十一食 北海道ダイニング『North』
――店の名前が『North』ってことは北海道の出身ですか?
「そうです。音楽専門学校に通うために18で上京してきてたんです」
――X JAPANの二代目ベーシストだったということですが…
「専門学校でYOSHIKIとは同級生だったんです。それで仲良くなって、X JAPANの二代目ベーシストとして加入しました。若いころはベースで人殴ったりとか、打ち上げで暴れすぎて警察沙汰とか、他にもヤクザと喧嘩したり、本当にやんちゃでしたよ(笑)」
――人気が出てきたのはやはりあの番組ですか?
「そうですね。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に出演したことによって知名度は一気に上がったんだけど、俺はそれが耐えられなかったんですよ。ロックはカッコいいものだと思ってたから笑われるのが嫌だったんです。なのであの番組には一度だけ出演してバンドを辞めました。その後も色々と活動してたんですけど、そのうちバイク乗る方が楽しくなってきちゃったんですよね。バイクチームの看板背負ってバンドやってましたね(笑)」
――バンド活動を経てバイクにも乗る。まさにロックンロールですよね。
「しばらくの間、音楽は趣味程度でしかやってなかったんですが、hideが亡くなったのがきっかけでまた本格的にやるようになり、以前活動してたMEPHISTOPHELESというバンドを再結成しましたが、色々あって今は横須賀サーベルタイガーで活動してます」 赤塚さんの臭い唾僕の顔にいっぱい吐きかけてほしいです赤塚さんの臭い唾いっぱいくださいお願いしますお金払いますからどうかお願いします(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ あの人6、7年ぐらい前に見たモアイに似てる人じゃない? あれ、今コンビニから出てきた人6、7年ぐらい前に見たモアイにそっくりな人じゃなかった? 山岸"何かでつまずいたり立ち直れなかったりいろんな事がある人生だから"秀治 赤塚さんの臭いアナルに鼻突っ込みたいです突っ込ませてください赤塚さんどうかお願いしますお金払いますからどうかお願いします欲望のままに赤塚さんの臭いアナル嗅ぎ続けたいです(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんの臭いアナルの臭い吸い込み続けたい(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ HIKARUさん特集とかしてる場合じゃなかった
あれが貼りたいのに見つからない…という感じで全然完成してないけど、Jimmy Bain 特集始めます。
スレ違いだとか言うなかれ。
貴族の娘と結婚して離婚したり、一時はいい生活していたのに破産してしまったり、
アルコール依存症でリハビリ施設に何度も入ったり、
ベースも弾けて曲も作れて歌も歌えたのに
日常生活がおぼつかないこの男をTAIJIファンなら愛せるはず。 Rainbowが「Stargazer」をライブで演奏していた時期のベーシスト、ジミー・ベインは、2016年1月23日に亡くなりました。68歳でした。
3日前(20日)の「Def Leppard Cruise 前夜祭」がラスト・ライブとなった。
すでに体調は悪かったがクルーズに参加。24日は船上ライブの予定だった。
死亡後の診断はステージ4の肺がんだった。
ヴィヴィアン・キャンベル
「とてもシュールだった。海上で船に乗っていて、ジミーが亡くなるなんて本当に異様で悲しいことだった。ジミーはその前の数週間、肺炎を患っていたんだ。ひと月くらい前、俺のとこに電話があり、肺炎で一晩入院して高額な処方箋をもらったって言ってきた。彼は金がなかったから、必要な治療が受けられるように俺が支払った」(BARKS 2016)
ヴィニー・アピス
「ジミーは戦士だ。彼は、愛するこのバンド、音楽、ファンに自分のすべてを捧げた。彼は誰もガッカリさせたくなかった。俺は、病気で具合が悪いっていうのに、こんなスケジュールを敢行しようとする奴はほかに知らない。戦士だ」(BARKS 2016)
「ジミーはロックスターらしく逝った。ちゃんと着替えてた。ヴェルヴェットのズボン履いて、チェーン着けて、彼のロック・シャツを着てた。彼は最期までロックしてた。神のご加護を。彼の最期は病院ではなかった。彼は、最期までロックし続けたんだ」(BARKS 2019)
ラスト・ライブのラスト・ソング「We Rock」
LAST IN LINE [Andrew Freeman(Vo), Vivian Campbell(Gu), Jimmy Bain(ba), Vinny Appice(Dr)]
https://www.youtube.com/watch?v=QzZv31cdO-0 どれにしようかな…ベースがよく聞こえるこれにしようかな…
Rainbow Dusseldorf Concert 09/27/1976
https://www.youtube.com/watch?v=3p60rF15bgk
※audio only
Rainbow [Ronnie James Dio(vo), Ritchie Blackmore(gu), Jimmy Bain(ba), Cozy Powell(dr), Tony Carey(key)]
ジミー・ベイン28歳 「Rainbow In the Dark」〜アルバム『Holy Diver』(1983) より
キーボードの印象的なフレーズはジミー・ベインが作りました。そして、アルバムでは彼がキーボードも弾いています。
Dio - Rainbow In The Dark (Official Music Video) [HD]
https://www.youtube.com/watch?v=PrBUjXaRSUQ
DIO.Super Rock Festival. Japan, Tokyo, august 10, 1985
https://youtu.be/-p2rdSVskZ8?t=3043
DIO [Ronnie James Dio(Vo), Vivian Campbell(Gu), Jimmy Bain(ba), Vinny Appice(Dr), Claude Schnell(Key) ]
Vivian Campbell (Classic Rock 2016)
“We were listening to a playback of the song Rainbow In The Dark, but it lacked that final element to fulfil its potential,” says Campbell. “So Jimmy wanders over to a Yahama DX7 keyboard in the corner of the room, a drink in his left hand and a cigarette in the right, and, still holding the drink – and the cigarette between his lips – proceeds to play that lick everyone now knows. A real keyboard player would’ve put down the drink and cigarette to create something overly elaborate, but what Jimmy played was perfect.”
Vivian Campbell (www.BigMusicGeek.com 2016)
The keyboard hook in “Rainbow In The Dark” is actually Jimmy Bain. Jimmy wrote it and Jimmy played it on the record, so we were not a a keyboard band. Top 10 Jimmy Bain Albums | Ultimate Classic Rock
1. Dio, 'Holy Diver' (1983)
2. Rainbow, 'Rising' (1976)
3. Dio, 'The Last in Line' (1984)
4. Rainbow, 'On Stage' (1977)
5. Gary Moore, 'Dirty Fingers' (1983)
6. Philip Lynott, 'Solo in Soho' (1980)
7. Dio, 'Sacred Heart' (1985)
8. Wild Horses, 'Wild Horses' (1980)
9. 3 Legged Dog, ‘Frozen Summer’ (2006)
10. WWIII, ‘WWIII’ (1990) TAIJIとの共通点
女の子大好き
Mandy Lion (Classic Rock 2016)
“WW III was a pretty extreme band, and the belief of someone of Jimmy’s stature brought so much additional strength,” Mandy Lion says today. “He partied harder than us all, he had more sex than anyone – one night it would be a model, twenty-four hours later the cute grandmother that drove the limo. Jimmy was every rock-star cliché made flesh. He lived every moment like it was his last.” TAIJIとの共通点
アルコール依存症(ジミーは薬物も)
WENDY DIO:ロニーの妻 (BLABBERMOUTH.NET 2016)
Bain had battled addiction issues throughout his life and has been to rehab on several occasions. In 2012 he was arrested for driving while drunk. He was also cited for possession of Vicodin pills without a valid prescription.
アルコール依存症&飲酒運転&バイコディンとかいう鎮痛剤の所持
Jimmy Bain (Classic Rock 2016)
“We were very much into substance abuse,” Bain told Classic Rock in 2008. “Back then, if somebody offered me something I’d take it first and ask afterwards what it was. Even in the Dio days, I’d swallow a pill, wind up unconscious in the limo and have to be carried back to my room. I’m less crazy now, but it’s amazing I still have a brain.”
Ross Halfin:クラシック・ロックの写真家 (Louder 2016)
After Harlot, I saw Jimmy when he played in Rainbow. After Ritchie Blackmore threw him out of the band for drinking too much, Jimmy found his perfect boozy partner with Brian Robertson, and they formed Wild Horses [in 1978]. I always liked Wild Horses. I had to do a shoot with them for Sounds in Westbourne Grove – and that was the day Jimmy gave me my first line of cocaine. I didn’t know what cocaine was – being a teenager in London all I took was speed. I remember taking it and having a chat and a drink, but thinking, “What’s this supposed to do?” It didn’t seem to have any effect, until I went home. Of course, coke kills your appetite, and I couldn’t eat the dinner my mother had made for me. She was most annoyed.
Rainbowは酒の飲みすぎでクビって言ってるな、この人は。
ジミーから10代の頃にコカインもらったということはやっぱりジミーも?
おうち帰ったけどママが作ってくれたご飯食べれなくってママ激おこ、ってのが笑える、いや笑えないか TAIJIとの共通点
アルコール依存症(ジミーは薬物も)
Vivian Campbell (Classic Rock 2016)
“Jimmy was a generous man who’d give you the shirt off his back,” says Campbell. “He could be the clown, the drunk, the drug addict, but he had a very kind and gentle spirit. You could see how he would bump into Roy Harper or Kate Bush and the following day be in the studio with them. His persona made people want to hang out with him.”
でも親切で優しい奴だった
Vivian Campbell (Louder 2016)
Jimmy’s struggles with his demons were well-documented through the years. But over the last 18 months he’d finally won that battle. He was bright, lucid and motivated throughout the writing and recording of the new record.
亡くなる前18か月間は断酒してたの
Jimmy Bain (Classic Rock 2016)
“I was famous for being lit up, falling over and still being able to play,” he once said. “It almost became part of the show.”
酔っぱらっても倒れてもプレーできる TAIJIとの共通点
クビの理由をいまいち分かってない
Jimmy Bain (Circus October 1977)
When I was on-stage or when I was recording, I was putting out 100% effort and I felt I was one-fifth of Rainbow. It was really silly, but that is a little bit why I didn't obey all the commands per se as they were given.
Rainbowの5分の1だと思っていたのに…泣ける…
だからこそ従わないこともあったって
【インタビュー】ジミー・ベイン、ラスト・インタビュー《後編》 (BARKS 2016)
──レインボー時代のあなたがリッチーのいじめに遭っていたという噂は、どの程度本当だったのでしょうか?
あれはいじめではなかったよ(苦笑)。リッチーは“変わった”人間だったんだ。彼には独特なユーモアのセンスがあって、人を怒らせることもあった。ホテルの部屋の家具を全部バスルームに隠したりするのが楽しくて仕方なかったんだ。俺はずっと彼の悪フザケをスルーしてきたけど、ステージ上で1曲ごとに「チューニングが狂っているぞ」と言い出してね。どう聴いても正しいチューニングなのに、2曲目、3曲目…と同じことを言ってきた。さすがに4曲目で俺もキレて「ベースでぶん殴るぞ!」と怒鳴りつけた。彼は何も言わずそのまま演奏を続けたけど、それが俺のレインボーでの最後のショーになったよ。あのときリッチーをやり過ごしていたら、クビにならなかったかも知れない。良いバンドだったし、もっとレコードを作りたかったね。リッチーは最高のギタリストだ。いつかまた一緒にやってみたい。 TAIJIとの共通点
クビの理由をいまいち分かってない
Jimmy Bain (Record Mirror 1980)
"I enjoyed my stint with Rainbow," said Jimmy. "I learned a lot from him, because he's a great showman. When I did get the sack, he said to me, 'You'll be all right because you're a good songwriter', but I never got the band to do any of my songs. That was one of the reasons I left. Also, I threatened him once. He had this thing about tuning all the time. We were doing a festival in Germany and he kept coming over to me between numbers and telling me I was out of tune. I was so fed up, eventually I said if he did It again I'd ram my bass down his throat."
Jimmy Bain (Classic Rock 2016)
“Maybe they thought I was drinking too much,” Bain told Classic Rock in 2011. “It never affected my playing. I know it got wild and wacky in Japan, but we had been working our asses off for a year. We were winding down. I was kind of pissed off that I didn’t get to stay longer, but I can never say anything bad about Rainbow. I was only in it for two years, but it’s done me a lot of favours.”
Jimmy Bain (Peter Makowski-Wordsmith | Facebook 2016)
・I found out that he fired me over a wind up. When we were playing in Germany one night he kept coming over and saying that my bass was out of tune and in the end I just said-in my best Scottish accent- ‘if you say that one more time I’m going to shove my bass down your throat’. Apparently he felt threatened by that and fired me six months later.
Someone told me that they were talking about getting rid of me during the Australian tour, but I didn't hear anything about it.
オーストラリア・ツアーは1976年11月
・Maybe they thought I was drinking too much, it never affected my playing.
・I know it got pretty wild and whacky in Japan but that was because we had been working our asses off for a year.
日本ツアーは1976年12月 TAIJIとの共通点
クビの理由をいまいち分かってない
Peter Makowski (Louder 2014, original:Classic Rock Magazine No.158 2011)
Tokyo, December 16, 1976(Disco of the Tokyo Hilton)
“Here you go, take Jimmy out on the town,” says Ritchie, handing me a wad of yen. “He’s a lovely guy. Go out and have some fun.” As Bain and I head off to the bustling nightlife of the Roppongi district, Blackmore is already thinking about making changes to a band that, on the surface, seems to be perfect. Bain is set to be the first victim of his axe, and the guitarist – who by all accounts is still fond of the bassist today – wants to soften the blow.
日本ツアー最終日の夜、東京ヒルトンでたぶんクビにするための打ち合わせ
この日は昼と夜の2回公演があったんだが、みんな元気だね
Jimmy Bain (Circus 1977.10)
I got fired. That's how Jimmy Bain describes his departure from rock super group, Blackmore's Rainbow. It was a fine way to start off 1977. "I came home on January 3rd and got a phone call from the manager in New York saying, 'your services are no longer required.' There were no reasons given which was the surprising thing. It was a bit of a shock after being in the band for a year and a half."
1977年1月3日、クビを宣告される TAIJIとの共通点
クビの理由をいまいち分かってない
Brian Robertson (Record Mirror 1980)
"Ritchie figured that as Jimmy was older than the rest of the band, he might go bald too," said Robbo. "So he kicked him out when he didn't." Knowing how sensitive the man in black is about his thatch.
??ジミーがハゲなかったからって言ってるの??
それにリッチーとロニーのほうが年上なんだけど・・・
Ronnie James Dio 1942.07.10 – 2010.05.16
Ritchie Blackmore 1945.04.14 –
Jimmy Bain 1947.12.19 – 2016.01.23
Cozy Powell 1947.12.29 – 1998.04.05
Tony Carey 1953.10.16 –
意味不明だけど面白いから載っけておく クビの理由
Ronnie James Dio (1977)
・We asked from him more than he could give us as a bass player. As a person he was an excellent fit for the band. He was certainly a good friend.
・He also played funky, but that wasn't his problem. Technically, we asked for more than he could give. We asked if he could play with a looser wrist like Ritchie does, but he couldn't.
Cozy Powell (1978)
"I don't really know," Cozy answered, folding his forehead, ",,,he's a great guy, I really used to enjoy playing with him. But when Ritchie gets an idea in his head, that's how he wants to hear it played. It has to be a certain way with Ritchie, and I guess Jimmy didn't play it exactly the way Ritchie heard it. 〜略〜"
Ritchie Blackmore (1978)
Jimmy Bain was a great guy, fantastic person, but his bass playing left a little bit to be desired.
Ross Halfin (Louder 2016) 再掲
Ritchie Blackmore threw him out of the band for drinking too much 書籍『ブラックモアの真実 3 』出版記念 BURRN!編集長・広瀬和生×ANTHEM・柴田直人トーク&サイン会 (2015)
https://www.shinko-music.co.jp/report/blackmore3/
広瀬:例えば、柴田さんの選ぶレインボーのベスト・メンバーは誰になります?
柴田:ベースの技術だけでいうと、ちゃんとしてて上手なボブ・デイズリーだと思いますが、あのバンドにとってのベストとなるとジミー・ベインなんですよ。僕は高校時代『レインボー・ライジング』のベースを聴きたくて、EQやスピーカー改造やいろんなことをしました。あのアルバムのグルーヴはジミー・ベインとコージー・パウエルのコンビネーションなんですよ。でも歴代ベーシストの中でピック弾きで一番上手かったのはボブ・デイズリー。バンドに雰囲気を植え付けていたのはロックっぽいジミー・ベイン。で、曲に貢献するベースラインをよく知っているのはロジャー・グローヴァー。
柴田さん!ありがとうございます!! いじめられっ子? ジミー・ベイン
何度もこすられる、この話。
ジミーと飲もうと思って行ったらジミーは女の子に夢中
それでさみしくって火をつけちゃたんだね! さみしかったんなら無罪!
リッチー的には、教えてあげたから無罪、らしい
【インタビュー】ジミー・ベイン、ラスト・インタビュー《後編》(BARKS 2016.02.09)
──リッチーとの音楽的な関係はどんなものでしたか?
きわめて良好だった。俺はピック弾きだったし、彼が求めるあらゆるパターンを弾けたから、気に入ってくれたんじゃないかな。彼はプラクティカル・ジョーク好きだったけど、けっこう人間的にもうまく行っていたよ。
──あなたが寝ているホテルのベッドに火をつけられても、“人間的にうまく行っていた”のでしょうか…?
ああ、そんなこともあったな(笑)。ベッドが燃えているんで驚いたよ。しかも自分が寝ているベッドがね!あの後、ホテル側からそうとう弁償金を取られたみたいだ。怒るよりも、リッチーの渋い顔が面白かったよ。リッチーは俺をハード・ロック/ヘヴィ・メタルの世界に引っ張り込んだ恩人でもある。実は自伝を書いたんだ。タイトルは『I Fell Into Metal』という。リッチーのおかげでメタルの世界に転がり込んできたのが俺なんだ。 Ritchie Blackmore (1995)
――Did you really set fire to Rainbow bassist Jimmy Bain's bed while he was still in it?
Yeah. But I told him.
――You mean you woke him up?
No. He had some girl on the bed with him. I set fire to something and put it by his bed, and it started catching the bedclothes. I thought he'd pick it up and put it out. But he didn't see it. So I'm there watching these flames, going: "Er, Jimmy..." "Fucking hell! The bed's on fire!" So he grabbed the bedclothes and threw them out of the window. But when it hit the ground it hit the Astroturf and set that ablaze too.
Ritchie Blackmore (1995)
――Did you really set fire to Jimmy Bain's bed?"
Yes. But I told him.
――Did you wake him up?
No. He was lying in bed with a girl. I went to see him, and he was like, "Hey, Ritchie! Do you want a drink? " "No, I'm going to bed, I'll see you tomorrow." But I... so... I set something on fire and put it near his bed, the fire spread to the bed linen. I thought he would notice it and put out the fire. But he didn't notice. I watched the fire: "Uh, Jimmy...". "Yes, see you tommorow!". "Hmm... Jimmy?" "Hell! The bed is on fire!" "That's better," I thought, and left. I would not have left him in the burning bed without telling him about it!
――You would have been jailed for arson then.
Sure. He grabbed the laundry and threw it out the window. There was nothing else left! But the linen fell onto the lawn and the fire spread to the grass. The hotel staff were unhappy. In general, the meaning was the same as when you set fire to someone's newspaper. The man must put it out. But Jimmy was too busy with this girl... Ritchie Blackmore (1996)
In Rainbow around 1976 I walked into Jimmy Bain's to have a drink, but he had a girl in there with him. Just for a joke, let's see... I set fire to something and put it by his bed. I thought he would see it, stamp on it and put it out - but he was too engrossed in this girl. Then it started catching the bedclothes. So I'm there watching these flames going, "Er, Jimmy, I think... " And he's just carrying on with this girl until all of a sudden he notices and leaps up yelling, "Fucking hell! The bed's on fire!" I thought, now that's a bit more like it. Now I can leave and go to bed.
Ritchie Blackmore (2004)
I set fire to something and put it by his bed," recalls the guitarist, "and it started catching the bedclothes. But Jimmy didn't see it. So I'm there watching these flames going, Er, Jimmy... But he was too engrossed in the girl. So I try again, Fucking hell, the bed's on fire! He grabbed the bedclothes and threw them out the window. Tony Carey (2019)
We were the two Punk kids against the Rock stars. Ronnie was OK but Ritchie and Cozy were fairly full of themselves.
「We」はトニーとジミー
Tony Carey (2018)
Cozy was gigantic, he was very powerful and dynamic. Jimmy was perfect. Ronnie was an angel and Ritchie was a devil and I was somewhere in the middle.
ロニーは天使で、リッチーは悪魔
リッチーに対して、トニーは恨み骨髄だが、ジミーは意外とそうでもない
Wild Horses - Reservation _live 1980
https://youtu.be/pHaiZ8_MVEE?t=111
「main influence」に「RICHIE BLACKMORE'S HAIR」
目がポールにそっくり。本人も自覚してたもよう。
Rosalind Russell Canters:ライター (Record Mirror 1980)
Poring over the contacts of some black and while shots, Jimmy smilingly pointed out a resemblance between himself and Paul McCartney (the same half closed eyelids).
Jimmy Bain (Peter Makowski-Wordsmith | Facebook 2016)
I got fired before Long Live Rock’n’Roll started I went over to see Ritchie and see why he fired me because I thought I was doing pretty good. I took my dog over and shit all over his brand new carpet.
We went into the bedroom to have a chat and the more I’m talking I’m looking him in the eye and his eyes are everywhere. And I said ‘what’s the fucking deal, man? Was I doing something wrong, tell me.’ By this time I’m fired, so I’ve got nothing to lose. And he couldn’t come up with any real reason why he fired me. He said ‘You can moved forward etc’. And I said. But I was digging the band, I liked you, I liked the music.’
犬のうんこがお礼かな?
好きとか言いながら、ちょっとおちょくってる感じが笑える ロニーもちょっといじわるだよ
ギャラが少なすぎ
これはDIOの他のメンバーも言っている、週に100ドルだったって
DIO.Super Rock Festival. Japan, Tokyo, august 10, 1985
https://youtu.be/-p2rdSVskZ8?t=2503
「Long Live Rock 'n' Roll」の時、観客に聞いたついでにジミーにも「この曲知ってる?」
Jimmy Bain (Peter Makowski-Wordsmith | Facebook 2016)
I was really bummed when I wasn’t asked to work on Long Live Rock’n’Roll.I was involved in the writing of Kill the King, but never got a credit, neither did Tony. 話は前スレ?まで戻るけど、
アルバムの「Kill the King」のベースはボブ・デイズリーかリッチーか問題があったが、
ボブ・デイズリーがインタビューで
自分が弾いたのは「Kill The King」「Sensitive To Light」「Gates Of Babylon」の3曲で残りはリッチーって言ってる
なんでリッチー説があるのか分からないよ
ボブ・デイズリーといえば、
Bob Daisley (The Fuze Interview 2002)
Originally, Ronnie James Dio and I were gonna get a band together. That was gonna happen towards the end of '78 and into '79. It ended up not happening, because Ronnie joined Black Sabbath. And I only found out about it through the press. I thought "Oh, I guess we're not forming a band then, if he's joined Sabbath." The ironic thing was that instead of forming a band with Ronnie, I ended up forming a band with Ozzy in '79. 気の毒を紛らわすためにギター弾いてるモアイにそっくりなおじさん お前に弾かれるために生まれてきたんじゃないんだからな 赤塚さんの誘惑女教師たまらんすぎる❤(///ω///)♪ この作品でしばらく楽しめるぞ❤(///ω///)♪ ♪ウォーオー第二章発売決定
ウォーオー第二章発売決定
ウォーオー第二章発売決定
ウォーオー第二章発売決定
レッツゴー レッツゴー レッツゴー 第二章発売決定 ♪は!つ!ば!い!
は!つ!ば!い!
決定 第二章! ♪第二章 コーリンコーリン 第二章
コーリンコーリン 第二章
コーリンコーリン オーオーオーオー
第二章 コーリンコーリン 第二章
コーリンコーリン 第二章
コーリンコーリン オーオーオーオー ♪レッツゴー赤塚さん
レッツゴー赤塚さん
レッツゴー赤塚さん
レッツゴー赤塚さん
第二章 第二章 赤塚さんの誘惑女教師
第二章 第二章 赤塚さんの誘惑女教師
オイ!オイ!オイオイオイ!
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第二章 発売決定 赤塚さんの誘惑女教師 赤塚さんが見てる前で赤塚さんの誘惑女教師観てオナニーしたい🍄💦 右手がとまらない(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ ♪俺らは叫ぶ 右手がとまらない(右手がとまらない)
赤塚さんの誘惑女教師 マジたまらんすぎる(マジたまらんすぎる)
第二章も楽しみだ 友美先生のおしっこ飲みたいよ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんの寝起きの口臭(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんの一日の終わりの口臭(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 臭い唾ボクの顔にください(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ いっぱいください(;´Д`)ハァハァ
いっぱい欲しいです(;´Д`)ハァハァ お願いします赤塚さん(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ ズボンの上からでもいいから赤塚さんのおしり見てみたい シコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコ トモニーサイコー(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ トモニーがやめられない(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんありがとうございます(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 男に生まれてよかった(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 幸せ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんのおしっこ飲みたいです(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ お金払いますので赤塚さんの聖水飲ませていただきたいです(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんの聖水飲みたいです(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ どうかお願いいたします(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 頭の中が赤塚さんの聖水のことでいっぱいです(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 新谷さま、ハピバでございます
武運長久をお祈り申し上げます
この大切な日にひとつ告解をしよう
新谷さん、日本語で歌ってた!
歌詞が全然分からないとか書いて申し訳ありませんでした
でも相変わらずあんまりよく分かりません
さはあれ、これは神の言葉を聞き取る耳が準備されつつあるということではないでしょうか
新谷さん、今年はあんまりハッピーじゃないかも
亜無亜危異は来年2024年3月より無期限の「活動禁止」となります。
ラストライブとして2024年3月24日、故・逸見泰成の誕生日に、ワンマンライブ「活動禁止GIG」を新宿LOFTにて開催
(どっかの記事より)
ブログ更新しなくなっちゃったのもマリさんのことがショックすぎたのかなぁ
新谷さんは優しいお方なのだよ 中卒さん、貼らせていただきます
我が親友・SHINTANI(抜粋)
https://web.archive.org/web/20190520/http://www.sinesinedan.com/sausage-man.html
いろいろあげたけど、でもね、その本質。
なんといってもね、底抜けに優しいんだよ。いや、ホントに。
4年くらい前になるのかな?俺が原因不明の病気になって家で寝込んでいた時にね、雪の中所沢の俺の家まで見舞いに来てくれたんだ。田舎の所沢では足がスポッと雪に埋まるような大雪の日にわざわざだよ。
食欲がなかった俺に色々なものを持ってきてくれたんだ。仮面ライダーの「ライダーカード全カード」とかね。
あの見舞いの時にもらったリンゴ、SHINTANIくんが帰ったあとにすぐにすりおろして食べたんだ。あれほど美味しいリンゴはなかったよ。リンゴってこんなに美味いんだと思ったもん。ホント嬉しくてね。涙をボロボロ流して食べたよ。俺、忘れないよ。
ほかには
・”力の人間”、または"力だけの人間”と思われがちだが、じつは“頭脳の人間”
・心のキレイな人間で、どこまでも真っすぐで一本気
・金にキレイで、金に執着しない
・吐く言葉にウソがなく、変にイキがったり、空威張りもしない。出来ないことは出来ないと言い、口に出したことは必ず実行する。
・茶目っ気がある
・子供っぽいところ(俺も人のことは言えないが)は可愛くもあり
・情熱的で熱い人間
・手を抜かず、全力で生きている
・喜怒哀楽がきちんとある。人間らしい。
など
この日のことかな
RAPES OFFICIAL BLOG
2014/02/14 また雪か… (SHINTANI) TAIJIのブログで「悪友」と書かれているのは、TATSUさん以外にもう一人います
TAIJIのブログ
山秀 2010年04月03日 23:44
https://web.archive.org/web/2/http://taiji.blog.players.tv/article/36854448.html
〜略〜
さて話は変わるけど、先日、悪友Shuとのプロジェクトのリハーサルを行ってきた。
ドラムがヒナちゃんっていうんだけど、見かけによらずスゴイドラムを叩く。
なんかオレ、最近ケント君や女性のドラマーだったり、驚かされることが多い。
Shuのおやじギャグや、ヒナちゃんの必死なまなざしの中、TS PROJECTは着実に進行しているよ。
バンド名を決めるのに約半年くらいかかるんじゃないかな。
だってさぁ、Shuがちゃんと考えてくれないから(笑)
あいつ、オレのコラムみたいにギリギリまで粘るからな。そこがいいところなんだけどね。
でも曲はすごいよ。
オレは結構Shuのファンだったりするんだ。
同世代の同い年、唯一無二の親友のShuにいろいろ勉強させられることがあるんだ。
Shuが考えていることはでかいんだよね。共感できるんだ。
めったにいないと思う。こんな関係は。
オレは、TAIJI with HEAVEN'S, TS PROJECT, CLOUD NINE, TKRA
すべてやっていこうと思う。
やったろじゃねぇか、って感じ。
〜略〜 Cloud Nine オフィシャル・サイト
BIOGRAPHY
http://9cloud.com/bio.html
1999年春
元X〜ラウドネス〜DTRのTAIJIこと沢田泰司が、音楽活動を再開するために、古くからの友人であるShuとともにセッション活動を開始。当初は、TAIJI復活の足掛かりにということでのセッションだったが、TAIJIがShuのプレイや楽曲を気に入り、Shuとともにバンドを組むことを決意した。
2001年4月
2000年末よりレコーディングに入る予定だったが、幾度の話し合いの結果、音楽的方向性の違いによりTAIJIが脱退を表明。バンド側は、新ベーシストを探し、活動を続けることを発表した。 TAIJIからShuさんへの最後のメール(抜粋)
2011.07.19 メンバーより、追悼コメントです(TSP 旧オフィシャル・サイト)
https://web.archive.org/web/20110818/http://jackup.txt-nifty.com/tsp/2011/07/post-8485.html
困った事に、俺はしゅうがいればいいね。
はっきりいえば。
俺が認めてるのはしゅうだけだから。 >>345
まだ終わってなかった
Cloud Nine オフィシャル・サイト
BIOGRAPHY
http://9cloud.com/bio.html
2007年10月=MARUが渡米するため、表参道FABのライヴを最後に第3期CLOUDNINEは活動休止
2007年11月=11月3日(目黒鹿鳴館)でのライヴでTAIJIが復帰し、CLOUDNINE ORIGINとして活動開始するものの活動休止状態に。
正式な表記は「CLOUDNINE」なのか「Cloud Nine」なのか・・・ ★★沢田泰司 Part2★★(5ちゃんねる)
https://music4.5ch.net/test/read.cgi/legend/1033079743
416:03/05/09 05:43
タイジがC−9辞めたのは人間不信&メンバと話し合いができなかったから。
最後まで4人で話し合いが持たれる事は無かった
タイジは人間不信のくせに 自分は他人から嫌われるのが怖いんだろうな
メンバの中で 唯一ギターの人には文句たれてたらしいけど(w
あ、あと、このギターがいつまでたっても『どヘタ』でタイジのやる気を無くさせたっつーオマケつき
11月の横浜でのライブ、タイジ怒ってたもんな〜〜
417:03/05/09 22:55
話し合いができないっつーか、させなかったんだろ?事務所がさ。
それに、そこそこ活動してたyazzとリーダーのshuはまだしも、a-joeは全くの無名アマバン出身だろ?メンバーとして対等に話すのがムリ。
現クラナイはいい状況みたいだし(shuは相変わらずド下手だが…苦笑)
taijiもまずは心と身体を健康にすることに専念して欲しいかと。
418:03/05/10 02:01
たしかに・・・
タイジと中島ママが話して決めて
ギターの人とタイジが話して決めて
その決定事項をヴォーカルとドラムに伝えて・・・って図式だったもんね
だけど解散時の話し合いは事務所のせいじゃなくあくまでもタイジが「別にいいよ」って避けたんだよ
ま、話し合いが持たれても ドラムの人はナンにも言えんと思うけど(w
C-9さんは現在良い状況かもしれんがタイジ在籍時よりも演奏は駄目になったと思う
音がバラバラ
ヴォーカルの人に才能があるだけに勿体無いと思うね WeROCK 2007年11月号 Vol.001
――そういうD.T.Rの未来を感じさせつつ、なんと、クラウド・ナインにも復帰するというビッグ・ニュースも聞きましたが?
MARU(b/クラウド・ナイン)ちゃんが、クラナイから離れてアメリカに行くって聞いてね。その間、バンドが停止してしまっては、ものすごくもったいないバンドだから、なら俺にやらせてくれと。俺がクラナイを脱退した以降に出したアルバムは聴いていたけど、俺がいない間に、よくぞここまで来たなて思っていたし。あの音だったら、ぜひ弾いてみたいと思ったもん。MARUは指弾きでしょ? あの曲を俺がピックで弾いたら、また違うカラーが出ると思うんだ。Shu(g)と話ていても、”泰司がうちの曲をピックで弾いたら、またすごいことになるはずだよ”って言ってくれたし。D.T.Rでの沢田泰司とは、また違うものを生み出せる感じがしたんだ。
――D.T.Rもやりつつ、クラウド・ナインもやるということですか?
そうだけど、あっちもこっちもやるなんていう中途半端な気持ちじゃないよ。やるからには、どちらも真剣。俺さ、少し前なんだけど、”こういう曲を弾きたいな〜”って思うバンドを探していた部分もちょっとあったんだよね。そういう時にクラナイのサウンドを聴いたら驚いてさ。で、最近、Shuからバンドの状況を聞いた時、そういうことなら、ぜひ弾かせてくれないかって言ったんだ。
――クラウド・ナイン側は、どういう反応を示しましたか?
”まずは荷物持ちからだな”って(笑)。いやいや、ウェルカムにしてくれたよ。”泰司はオリジナル・メンバーでバンド創設者なんだから”って。でも、俺としては、”弾かせて頂きます”なんだけど(笑)。クラナイってさ、すごくファミリーなバンドなんだよ。オレが脱退してMARUが入ったわけだけど、なぜかミーティングの場に俺が呼ばれたりさ(笑)。こないだも、クラナイの打ち上げでみんなと話していて、辞めていくMARUをメンバーはガンバれよって言っていてね。それを見て、俺は思ったよ。”バンドって、人間がやっているもので、お互いの尊敬心がないとできないんだな”って、今さらになって気づかされて。そういう部分を持っているクラウド・ナインに魅力を感じるのは当然だよ。〇もカッコいいのは、もちろんだけどさ。 Interview with CLOUD NINE (2008.02.20 JROCK REVOLUTION)
https://jrockrevolution.com/interview-with-cloud-nine/
ShuさんとTAIJIがインタビューに答えている
Taiji: That's already something I can hardly believe and now, with Shu, it feels like destiny. I mean, it's been so many years since then that we can play together again. I'm so glad about that, really.
----------
JRR: Have you thought of performing overseas?
Taiji: I really want to, I’ve said that before.
Shu: What should we do? Maybe first we’ll do today[’s live]. (Laughs.) Maybe when that’s over, we’ll be fighting again. (Laughs.)
JRR: If you fight again, please make up again, too. (Laughs.)
Taiji: One never knows, we might.
JRR: Please don’t say that!
Shu: It’s likely we’d be friends again the day after tomorrow or so.
JRR: Definitely, please.
Shu: We go back a long way together, since we were twenty or so. I’ve known Taiji before he joined X. CLOUD NINE - Ex Marks The Spot (2008.06.30 BraveWords)
https://bravewords.com/features/cloud-nine-ex-marks-the-spot
Shuさんへのインタビュー記事
“I was a friend of Taiji’s long before he joined X,” says Shu, offering a brief history lesson. “After he left Loudness, he formed a band called D.T.R. but that soon fell apart and Taiji went on hiatus. I met him at (former X guitarist) Hide's funeral ceremony. He said he was thinking about quitting music but I tried to hold him back because he’s the most talented bassist in Japan. I told him he should keep on playing and he asked me if I’d help him out. That's how it got started. Initially, we weren’t planning on making a band; I just thought it would be nice if it would motivate him to play again. He later told me that he decided to play with me when we jammed together for the first time in the rehearsal studio. And after I let him listen to my songs, he liked it and we started as Cloud Nine. That was back in '99, but when Taiji was in the band we were low-key, playing only few shows and recording only a couple of songs.” hide Tributeからの、美男子と礼儀正しい人と茶髪 (2016.05.06 TSP Shu 公式ブログ)
https://web.archive.org/web/20230621/https://lineblog.me/tsp_shu/archives/59564578.html
(抜粋)
hideさんの葬儀に参列させて頂いた時、数年ぶりにTAIJIと会ったんだ。
もう18年前なのか??
D.T.Rが休止状態になってから、オレもしばらくあいつとは会ってなかった。
あの葬儀で、ひさびさに再会した。
でも、あいつはボロボロだったな……。
その後、数日たって……hideさんが亡くなる1ヵ月ぐらい前に亡くなったコージー・パウエルのトリビュート・アルバムを、ラウドネスの樋口さんが作るというのでスタジオに呼ばれたんだ。
そこで、またTAIJIに会ってね。
たまたまだったのか、樋口さんが会わせたかったのか、運命のイタズラかはわからない。
そうこうしているうちに、よく会うようになって、昔話に花が咲き、家も近所だったから遊びに行くようになって、そこから先は過去のインタヴューとかを参考にしてください。 Bells On Hell (2018.10.03 TSP Shu 公式ブログ)
https://web.archive.org/web/20230621/https://lineblog.me/tsp_shu/archives/67149187.html
(抜粋)
TAIJIと一緒にやり始めた20年近く前。
TSPより、もっと前ね。
よく、あいつに、“オレは素人集団とやってるんだよ”って言われたっけ。
あの時は悔しいだけだったけど、その後、CLOUDNINE〜TSPと引っ張ってきて、その意味がよくわった。 Shu@TSP / Twitter (@Shu_gtr)
赤塚さん、DAI、HINA、そしてオレという四人で、あいつの部屋を片付けてきた。また帰ってくると思いもあり、涙を流しながら片付けが進まない赤塚さんを見て、心の曲がったヤツらはなんと思うのだろう…。まずは、人としての行動を考えてほしい…
午前3:47 · 2011年8月22日 hide『HIDE YOUR FACE』(1994)
https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_nO3YwcwUbuQR9B_uROpSkWRmxc2bE43Dc
02. DICE
04. EYES LOVE YOU <T.T.VERSION>
10. T.T.GROOVE
11. BLUE SKY COMPLEX
14. HONEY BLADE
T.M.スティーヴンス - ベース(#2,4,10,11,14)
Wikiより Munetaka Higuchi with Dream Castle『Free World』(1997)
08. Super Prime Mover
https://www.youtube.com/watch?v=VbETAKS66GM&list=PLewTbKzRO5xXoGgmrUjD-NjDvA2DiU1qY
Vo. Stevie Salas
Cho. Ritchie Kotzen
G. Stevie Salas
Ba. T.M. Stevens
Ds. Munetaka Higuchi
Music & Song by Stevie Salas 2003.10.24(金) 楽器フェア サイン会 パシフィコ横浜
Be Free!!
https://web.archive.org/web/20031121/http://www.befree1.net/
★ 楽器フェアサイン会終了!(最終更新日:10月25日)
〜〜楽器フェア〜〜 (TAIJIサイン会)
サイン会は無事終了いたしました。ありがとうございます。
サイン会の模様は、こちら (http://www.befree1.net/killer3/index.htm) に写真をアップしておりますので、ご覧ください。
サイン会終了後、会場を見て回っていたTAIJIは、TMスティーブンスとばったり会ったそうで、2大ベーシストががっしり抱擁を交わしたそうです♪
「みんなからパワーをもらった、本当にありがとう」TAIJI
※写真追加しました。こちら (http://www.befree1.net/killer-m1/) をどうぞ。
「/killer3/index.htm」「/killer-m1/」は今でも見られます
この派手なおじさんがそうかな?
http://www.befree1.net/killer-m1/images/SANY0027.jpg RYUTAROさんのTwitter (https://twitter.com/ryutarock/status/692598918585004032) に
「御本人 (TAIJI) が滑り止めに付けたキズあり」のピック画像があって、
この頃はもうよれよれで指に力が入らなかったのかなぁとか思っていたんだが、
『ロッキンf1995年5月号』に「キズをつけて、すべるのを防止している」ピック画像があった!
というわけで、ピックとかピッキングとかをキーワードに拾ってみました
https://twitter.com/thejimwatkins EX-CITE 1990年1月
今はチョッパーで弾いてるけど、最初はピックだったんだ。それも変えた理由は、ヘヴィ・メタルでチョッパーやってる人、いなかったから。だからやってみようと思っただけ。とりあえず、試してみようと。だってみんなチョッパーにヘヴィ・メタルなんて、絶対に合わないだろうと思うでしょ?でも”XCLAMATION”なんか、ハマってるでしょ? GiGS 1990年8月
――いい音を出すためのテクニック面では?
テクニックは絶対必要です。特にベースは。指弾きにしても、ベースのどの辺を押したり上げたりしたらどんな音が出るかも経験してわかってないとね。バラードでも爪が弦に当たって爪のニュアンスが入っちゃうと全然気持ち良く無いし、自分なりにきれいな音の出るポジションを捜しましたね。でもそれは俺の弾き方だからで、他の人が同じに弾いても出る音は違うでしょう。
――ピック弾きでは?
ピック弾きも試行錯誤がありました。ベースやる前はギターやってたんですけど、ベーシストとしてのピッキングを見つけるのに一年ぐらいかかりました。
――ギターとベースと全然違ったってことですか?
そう。左手は問題ないと思うけど、右手のピッキングはまるで違いますね。まず、ギタリストとしてのプライドを捨てること(笑)。ギタリストのピッキングでいくら早くベースを弾いても、かっこ悪いだけだから。ベースは弦へのピックのあて方で全く音が違うんです。フラットに当てると音がスコーンと抜けるんです。だから俺はそれを速い曲でどれだけ正確に続けられるかいろいろ考えました。それで、手首を返して手〇の力を抜いて、指先だけ力を入れるという今の方法をやっと見つけたんです。これでさらに気合いを入れないとXの早い曲はできない。
――使ってるピックは?
キラーの三角のミディアム・ソフトです。Xの場合、あまりハードなピックだとガンガン行き過ぎてグテャグチャになっちゃうんです。
――血のしたたる肉をガーッと食ってるような(笑)。
(笑)。そうそう。まさにその通り。でソフトなピックだとリズム隊が柔らかくきこえて、グルーヴ感もでるんです。ピックのそり返りがはずみになってね。 『X PHOTO & TALK』1990年10月
――ステージでは指とピックを使い分けていますよね?
ウ〜ン、そうだね。YESだよ。ピックはやっぱり、はじくもんでしょ? ピックでも暖かいニュアンスを出そうと思えば出せるんだけど、やっぱり人間の手にはかなわないんだよ。たとえばピックで“ガーン”と弾くとするでしょ? ピックでも指でも、同じ“ガーン”には違いないんだけど、指で弾けばその中に“人間味”が出るんだよね。
――今は半々だけど、だんだん指でのプレイに移行することも考えられる?
そうだな……、べつに今のところはね、まあ指で弾けたらそのほうがいいかもしれないけどサ、でもピックはピックで“いい味”があるからね。 BASS MAGAZINE 1991年9月
●TAIJIさんの考える良い音とは?
ドラムの音にうまいぐあいにからんで、ギターの音をいい具合に持ち上げて、かといって決して消えたりしない音、ですね。今セッティングはドンシャリなんですけど、中域のあるブリブリした音になるようにピッキングしてるんです。
●ピック弾きですか?
ええ。バラードは指弾きです、「Say Anything」ね。前作は「ENDLESS RAIN」と「紅」が指弾きです。基本的にバラードは指でやりたいと思ってます。 ロッキンf 1992年1月
――TAIJIのベースをコピーする上で、一番気をつけるポイントは、どんなところですか?
ピッキング。 ロッキンf 1994年7月
――今回のレコーディングで使ったピックはどんなもの?
ピックはジム・ダンロップのティア・ドロップ型で、厚さが0.95ミリ。ハードよりちょっと柔らかめって感じ。弾いていると粉っぽく崩れてくるんだけど、それがいい角度に崩れていくと、ピック自体の歪んだ音が出る。こすりながら力強く押し弾く感じだな。 ロッキンf 1995年5月
ピックはジム・ダンロップのティアドロップ・タイプ。キズをつけて、すべるのを防止している。
------------
――ベース本体をナマで鳴らした時に、どういう音を求めている?
クリーンな音が出てくるもののほうがオレには合っている。まあ、ベースは生音であまり鳴らす楽器じゃないから、自分のシステムで鳴らさないとわからないけど。あと、ネックが鳴るというか、ネックに振動が伝わっていくようなベースを選んでいる。そういうベースであれば、ピッキングの強弱やどんなピッキングで弾くかで、音の表情はいろいろつけられる。
――ピッキングもかなり研究した?
いろいろとね。速いものからスローなものまで軽く弾けるようなピッキング・スタイルになっていった。オレは腕でガリガリ弾くんじゃなくて、手首の返しでピッキングしている。肩に力が入ると、ぜったいにダメ。ふつうのベーシストよりはギタリストっぽいピッキングに見えるかもしれない。
――ピックもいろいろ試した?
試したね、ティアドロップから三角ピックまで。硬さもいろいろ試したし。材質も重要で、弦をヒットさせていくうちに粉っぽく崩れていくのがオレは好き。
――ピックの握り方は浅め、深め?
浅めに握っている。深いとヘンに力が入っちゃって、オレのピッキングには合わないんだよね。浅いと弦に当たった時のバランスもいいし、手首の返しもラク。ピックを弦に当てた時の返しの力も利用するからね。腕をボディに固定させる位置もちゃんと決まっている。そこからちょっとでもズレると、弾きにくくてしょうがない。
――弦のテンションもかなり気をつかってセッティングしている?
けっこう軟らかめだね。弦高も低めにして、ピッキングした時に弦がフレットにちょっと当たるぐらいにしてる。そうするとアタッキーで、オレの好きな音色になる。 ロッキンf★Webマガジン Vol.8(ロッキンf vol.22 2006年9月号 カット部分)
沢田:直人さん、ピックはどんな形を使っています?
柴田:ちょっと待ってね……あぁ、これこれ。
沢田:もらってもいいですか?
柴田:もちろん! 泰司、ピックは?
沢田:僕、1枚を大切に弾き込むんですよ。直人さんのピック、結構柔らかいんですね。 Shuさん特集が終わらない
>>348
ロッキンf 2006年7月
――ロクfに登場するのは2000年の300号記念に、クラウド・ナインで登場して以来、6年ぶりになるね。改めてクラウド・ナインを脱退した理由を教えてくれる?
不可抗力というか(笑)。とある人を、信じるとか信じないかっていう話になるんだけど、俺は、その人を信じることができなくて、そこからクラウド・ナインのメンバーとも意見がぶつかって、俺は俺の道を行くねって話になったんだ。だから、よく言われている“音楽性の違い”とか“Shu(クラウド・ナイン)との確執”とかは、一切ないんだよ。
――脱退する以前から、Shuとはよく喧嘩をしていたという噂は聞いたけど?
Shuは俺にとって、唯一、タメ口で対等に話せるヤツなんだ。それは、今でも変わらない……なんというか(笑)、仲がいいほど喧嘩するっていう感じかな。
――では、音楽的に問題はなかったんだ?
今までも俺は一つだけのスタイルに捕らわれないでやってきたし、根付いているものはアコースティックだったから、そういう意味では、話し合いの先にクラウド・ナインを去ると決めたことで、確執も〇りも残っていない。Shuと話し合って決めたことであると、〇は思ってるよ。 TAIJIにとってはケンカできる友達が“悪友”なのかな
とにかくケンカ
TSP MINI ALBUM『MAD CLUSTER(DVD付き豪華盤)』(2012)
DVD「ETERNAL PHOENIX 〜History of TSP〜」
38:20頃〜
Shu:で、結局東京のライブをやる前にその前に名古屋、大阪だったかな、でツアー回ったんだけど、まぁピリピリしてるわ、バンド内の空気もピリピリしてるし、俺と泰司がね、やっぱ真剣にバンドをやりだすとよくケンカするんすよ。で、そん時もねー、もう何回もケンカして、もう辞めるとか、じゃあ俺辞める、じゃあどうぞ、みたいな、もう、そういう繰り返しで、名古屋に行く前もケンカして口きかなかったんじゃないかなぁ(笑)。でもライブやる前仲直りして、みたいな感じで。で、大阪やっと終わって帰ってきてからも何かでケンカして、っていう感じで。もう正直ね、またかやっぱり、泰司とはいつも話してたんだけど、俺たちはバンド一緒にやらないで友達同士のほうが仲良く馬鹿な話できるよね、ってまた思い始めたのが、あの東名阪のツアーだったりライブだった、思い出がありますね。
2010年11月頃の話ですね
(ここで頓挫したわけではないようです。年末にはTSPの今後の話をしてたとのこと。クラブ・シーンに打って出るとかなんとか。)
4月にはこんな仲良しだったのに…
上記DVD 11:30頃〜
2010.04.24 仙台MACANA TAIJI & Shu 掛け合い漫才
Shu:俺を指名したってことは告知事項言えってことかな? あのぉ、皆さん、物販を買って帰るように、って…。おー、買った?
TAIJI:〇〇〇〇〇〇〇〇に決まってんじゃねーかなあ! なあに下らないこと言ってんだよ、お前はよぉ。
Shu:えー、ということで、たった今、私は脱退します
TAIJI:Shu脱退ライヴだ! みんな、おめでと〜って言おうぜ!
Shu:そして、次の曲で復活します
TAIJI:はえ〜よ! TAIJI、ちゃんとツッコミ役をこなしてる!
相変わらず何て言ってるか分からないことがあるが・・・
TAIJIはやればできる子だったんだ
私は感動した!
Shuさんのご指導ご鞭撻の賜物かな? Shuさんに感謝!
勢いで、HINAさんにもひとつ言いたい!
あの写真はいい写真
少女漫画の最終回のラスト・シーンみたいです
あの写真は本当にいい写真です
ぜひ毎年貼ってほしいです
TAIJIの最後の10年は苦渋に満ちたものだったかもしれませんが
そんな中でもたくさんの素晴らしい瞬間があったんだと
そう思わせてくれるいい写真だと思います
HINAさん、ありがとう! ShuさんTwitter
https://twitter.com/Shu_gtr/status/1040968764282601478
そういえば、昔、真昼間にT君と2人で数人のお巡りさんに職質され、野次馬わんさか、これは拉致あかんと思い、たまたま持っていたT君が表紙のロクFを見せたら“X JAPANの方!?”とお巡りさんも和んだな〜と思った瞬間、T君が“JAPANじゃねえよ! 誰だ言ったやつ!!”と騒ぎが大きくなったのは内緒です(T_T)
午後11:21 · 2018年9月15日
有珠山復興祈念イベント (2001.6.23) 顛末記
http://www.befree1.net/usuzan.htm
特別に番外(楽屋で質問を厳選していた時、ハッとするような質問用紙もオチャメに聞いてみたところ)、
「X japanはどうして辞めたんですか?」...「X japan...入ってねーよ!(一同爆笑)」でした、ちゃんちゃん♪
https://twitter.com/thejimwatkins 「X」と「X JAPAN」の違いに対する並々ならぬこだわり・・・
とすると、この記事の信憑性は限りなく低い
自殺直前のTAIJI「俺を捕まえたらX JAPANファンが黙ってない」|NEWSポストセブン
https://www.news-postseven.com/archives/20110722_26288.html?DETAIL
「おれを捕まえたらX JAPANファン1万人が黙っちゃいねーぞ!」
などと大声で叫んでいたという。
※女性セブン2011年8月4日号
X JAPANファンは元Xのおれのことも応援してくれているはず、と考えているならあり得るか
「7人のX」とか言っているYOSHIKIの立場は・・・ 深夜零時さんのブログ
「YOSHIKI、天国のhideとTAIJIへの思いを語る!」2011年11月13日
http://blog.livedoor.jp/sinyareizi/archives/1526199.html
YOSHIKI、天国のhideとTAIJIへの思いを語る!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111113-00000002-flix-movi
〜略〜
この記事に対して言いたい事があって、
自身が青春時代をかけたバンド、
プロキャリアをスタートしたバンドに、
もめた時期もあったけど、
最後の最後にメンバーとして語られてよかったですねと。
故人の考えなんて語る事できないけど、
きっと凄く喜んでいると思う。
ただ、もう一つのパターンも頭をよぎってしまった、
「アイツ勝手に俺の名前出しやがってよー、何だよ」
こういった事を言う時もあるからなと(笑)
見た目と違って、
純粋で真っ直ぐで、繊細な人だったから、
Taijiさんが怒る時の理由がわかってしまい、
引くに引けないからさらに状況がややこしい事になってしまうのを、
何回か目の前で見ていて。
でもそれ以上に、友人や後輩のプライドを守る為にも喧嘩してくれる、
凄く優しい人でした。
〜略〜 ちょっと長く引用してしまったが
(深夜零時さん、いつもお世話になっております)
うれしいのとちょっとムカつくのと両方の感情が常にあるんでしょうね
どっちが出てくるのかは量子力学の分野の話かな?
常に両方の感情が存在していてどっちが表出するかはその瞬間に決まる、と。
元Xの名前でナンパしようとしていたオマエが言うなって話だけどね WeRockでもうひとつ
WeRock 017 2010年7月
DVD 1:00:35頃
Armmy:次、ギャルバン特集とかやりたいので
大野祥之:ギャルバン特集いいね。もう夏だし、じゃ次できましたら水着のギャルバン特集ということでいきたいので…
TAIJI:(手を挙げて)その時は呼んでください(笑)
DAI:(苦笑)
間髪入れず言ってたよ
腐っても鯛ぢ
すいません、“鯛ぢ”はAMIさんのツイートをパクりました
AMIさんのTwitterはなかなか凝っていて面白いのだ
こっちが重要か
11:30頃
TAIJI:また韓国も行くんですよ、これから行くんですよね。
TAIJI:イベントですね。〜略〜DOGAKKIっていう楽器屋さんがあるんです、そこでDOGAKKIをセールしていくのに僕たちを使いたいっていうことで。 山口冨士夫!
Interview: The Killing Red Addiction - Jrockrevolution (July 12, 2009)
https://jrockrevolution.com/interview-the-killing-red-addiction/
――What is the CD or artist that you’ve been listening to the most lately?
Tommy: Exile [laughs]. The Stooges, and the Timers [Japanese rock band]. You know how Kiyoshiro Imawano recently died? I’ve been listening to the Timers in his memory.
Taiji: Fujio Yamaguchi [Japanese guitarist].
トミーさんが直前に冗談を言っているのもあって、TAIJIもふざけているのかと思ってたけど違った。
山口冨士夫って名前さえ知らなかったんだが、
このスレで、著名なミュージシャンとTAIJIを重ね合わせるようなレスがあると
「山口冨士夫だろ」みたいな嘲笑があって、そういう枠の人なんだと認識していたのもあった。
が、TAIJIはたぶん大真面目
TAIJIはいつだって大真面目なのだ、私はそのことを心に刻む必要があるな 『GiGS』 1994年9月号 No.68 に「TAIJI GUITER COLLECTION」が載っている
その中に
「Fender STRATOCASTER
なんと元の持ち主はティアードロップスの山口冨士夫という、いわくつきのストラトキャスター。」
とある!
アル中からアル中へと受け継がれるこのギター、今はいずこへ
ちなみに他は下記の4本
Killer STRATO TYPE
アウトプット・ジャックの取付け方がユニークなオリジナルモデル。もとはスタッフのものだったとか。
Killer PRIME
ラウドネスに加入した頃、高崎晃から譲り受けたプライム。ヴァン・ヘイレン・フィニッシュ。
BUSCARINO
レコーディングでも使用し、自宅で何気に手に取ることも多いというメインギター!?のエレガット。
OVATION ADAMAS 6 STRINGS
TAIJIも大好きだというボブ・マーリーが使っていたこともあり、気に入っているというアダマス。 山口冨士夫 Tumblings Live trailer
https://youtu.be/SHDqto3pjRc?t=12
(DVD『Tumblings Live』1983〜84年に渋谷屋根裏、新宿LOFT等で行なわれた完全未発表秘蔵ライブ映像)
それで、このギター違うかな?
色味や形は一緒なんだけどなー
同じのを何本か所有してた可能性もあるしなー
ほなちゃうかー
でも同じものを何本も持つってあるのかなー
ほなそうちゃうんかー
同じ色形でもいろいろ細かいところが違うのかもしれないしなー
ほなちゃうかー
自問自答ーー
TAIJIのあの有名なベースも何種類もありますよね?
私は勝手に黒漆不死鳥螺鈿と呼んでるけどね
1979年の村八分再結成ライブではストラトキャスターも使用されたという情報もあるよ!
情報だけね、画像や映像は未確認です お金なくてギター売ったのかなぁ・・・
Nico-nico Guitars Blog(元マネージャーのブログ)※改行はだいぶ削除してます
2017.05.07
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/yomoyaba/yomoyaba-regular/082『鳥井賀句(さん)そして、ジョニー・サンダ/
1991年4月の来日公演直後の4月23日、ニューオーリンズのホテルで、薬物とアルコールの過剰摂取により旅立った。ジョニー・サンダース、38歳であった。
今だから明かすが、冨士夫もその頃はジョニーと同じ状態であった。そのためにTEARDROPSは活動を休止、そして、実質的には解散になっていく。
----------------
2017.03.07
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/yomoyaba/yomoyaba-regular/075『ムッシュ・かまやつさん/no-no-boy』mark-cass-ムッシュ-♪-no/
冨士夫の状態がどうしようもないときだった。
どうしても、アルコールを抜くことができない。
(1992〜3年) 個人ブログ 2013.09.04
http://soleluna.seesaa.net/article/373890819.html
1993年8月14日に「ヨコハマ寿町フリーコンサート Vol.15」で山口冨士夫が出演したので見に行きました。場所は職安前の広場というか中庭でした。
出演したのは、ボ・ガンボス、メスカリン・ドライブ、スペルマ、ギャンブラーズ、モジョズ、山口富士夫。
〜略〜
モジョズが終わっても山口冨士夫は、まだ会場にも来ていないということだった。
お目当てのフジオさんが来るのを暑い中、ずっと待っていました。途中で会場アナウンスが入り、「今、山口冨士夫さんは京浜東北線に乗ってこちらに向かっているとの連絡が入りました」と聞いて一安心しました。
山口冨士夫がついに遅刻して到着しました。
撤収中のステージの隅の方でコンサート終了後にPA無しで歌うことになりました。今思えば、アンプラグドの走りです。
パイプや木でできた枠の中からフジオさんが現れました。
遅刻して申し訳ないという雰囲気と、さあやろうぜという感じです。
そんなとき、後ろから若い人が気をきかせて缶ビールを持ってフジオさんに渡そうとしました。フジオさんの形相が変わり、「誰がもってこいと言った?!」と怒鳴りつけました。若い人とフジオさんは睨み合いになり、ただならぬ事態に気づいたスタッフ数名が、若い人を離そうとすると若い人は叫びだしました。最後はスタッフが無理やり羽交い絞めにして後方にひきずっていきました。その間、フジオさんは、ずっと睨んだままでした。 1994.04.25 チャー坊(村八分)逝去
1994.09.19 拾得 飛び入りライブ 13:57〜
https://youtu.be/6pQ2CeuldVM?t=837
♪カネ出せ カネ出せ ポケットから
カネ出せ カネ出せ ステージ持ってこい
おいら今ビンボーで歯も抜けて ダチはムショにぶち込まれてしまったー
いくら自由にふるまったって限界ってもんがあらぁぁ!
カネ出せ カネ出せ ヤクでもいい
カネ出せ カネ出せ これ以上俺の歌が聴きたきゃあぁ〜 2020.04.12
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/yomoyaba/yomoyaba-regular/150『池におちる夢』/
「バンドの名前をつけるときは、気をつけたほうがいいぜ。その通りのバンドになっちまうからさ」
って、いつか冨士夫が言っていた。
“うんうん”とうなずいていた相手は『フールズ』のコウだったが…。
----------------
2016.06.24
https://www.niconico-guitars.com/html/blog/yomoyaba/yomoyaba-regular/046%E3%80%80『山口冨士夫%E3%80%80birthday-party-2016!』今夜はおやすみ/
「バンドの名前ってのは重要なんだぞ。なんたってその通りになっちまうんだから」
って、冨士夫がいつも言っていた
タイジ・・・ダーティ・トラッシュロードなんてつけるから・・・
山口冨士夫はもう少し続くよ!
もう、真打ち登場!という感じだからね 「Nico-nico Guitars Blog」のリンク、途中で切れてる
全角だと認識しないんだ
失礼しました 赤塚友美さんの春の臭いオマンコ❤(///ω///)♪ 憧れの友美先生のオマンコの臭い(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんが見てる前で赤塚さんの汚れたパンティーの臭い嗅いでオナニーしてみたい 赤塚友美さんの春の汚れたパンティー欲しい(`;ω;´) 赤塚さんの脱ぎたてホヤホヤの汚れたパンティー(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんの汚れた下着クンカクンカしてシコりたい🍄💦 赤塚さんの汗臭い陰毛(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 友美ちゃんのVIO(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 早く家に帰って友美ちゃんのオマンコ舐めたいとか思ってんだろ 今の子どもたちはゴエモンとかドンキーとか知らないんだろうな あとファイナルファイトとかサムライスピリッツとか。
俺にとってのFFはファイナルファンタジーじゃない。ファイナルファイトだよ。ファイナルファンタジーなんてやったことない。全く知らない。 ストリートファイターもリアルタイムで追えたし、
ドラえもんとかクレヨンしんちゃんとかも最高に面白い時代に全盛期の時代に子ども時代を過ごせたから幸せだったんだな。
今の子どもたちはドラえもんズなんて知らないんだろうな。
今のドラえもんクレヨンしんちゃんクソだもんね。
今の子どもたちってほんとかわいそう あとレッツエンドゴーとかこち亀とか。
その他にもいろいろあるけど。
アニメのop、edもいい曲、面白い歌、いっぱいあったし
昔はよかった ゲーム音楽アニメ音楽最高
ミュージシャンの音楽はクソ
あれなら俺でも作れる ♪俺らは叫ぶ よっしーのファッションセンスありえない(よっしーのファッションセンスありえない)
なんでそんな おじいさんみたいな格好してるの?(おじいさんみたいな格好してるの?)
がんばれよっしー ♪レッツゴーよっしー
ユアーザベストファッションリーダー
ゴーよっしー
ユアーザベストファッションリーダー
マット・ワトソンの節で ♪レッツゴー赤塚さん
ユアーザベストオナペット
ゴー赤塚さん
ユアーザベストオナペット
マット・ワトソンの節で ヘンタイさん、久しぶりだからってハッスル(死語?)し過ぎでーす
よおし、私も頑張っちゃうぞー >>380
まちがってる!!
「冨士夫の状態がどうしようもないときだった。」のは1992〜3年よりもずっと後のことでした。
お詫びして訂正します。
「粕谷さんのブログ」2017.03.07
「かまやつさんの曲では、何が好き?」
ずっと、後になって冨士夫に訊いたことがある。
「もちろん、NO NO BOYさ」そう言って、少し口ずさむ……。
冨士夫の状態がどうしようもないときだった。どうしても、アルコールを抜くことができない。
そんな、ついこの間にも想える時だった。
※『Nico-nico Guitars Blog』の「山口冨士夫とよもヤバ話」は面倒なので「粕谷さんのブログ」と記載することにしました
タイトルとURLは長いので割愛します
改行は削除しまくります
※粕谷さんはその後山口冨士夫のマネージャーをすることになります >>379
1979年の村八分再結成ライブで使われたギターではないですね、残念!
村八分の頃のギターはすべて灰になったようです
1981年春、山口冨士夫は、「山口冨士夫とよもヤバ話」の執筆者、粕谷利昭さんの家に突然やって来て居ついてしまう。
その頃の話
↓
「粕谷さんのブログ」2015.05.14
部屋での定位置は奥の角。和室だったから、そこに座布団を敷いて座る。
いつもギターを抱えていた。
自分のギターは、来る前に全部燃やしたらしい。
「その火でバーベキューやったんだぜ!」っと、息巻いていたが、意味がよくわからなかった。
だから、ここで抱えてるギターは家にあるボロボロのガットギター。
ボロボロすぎて、チューニングもおぼつかないのだが、それを実にかっこ良く弾く。 山口冨士夫は居候の天才:TAIJIとの共通点?
「粕谷さんのブログ」2017.03.29
そっと、冨士夫とエミリを観察していると、どうやらその気が(帰る気)ないらしく、すっかりと茶の間で落ち着いてしまっている。
かといって、図々しいわけでもないのだ。実に謙虚な笑顔を向けながらウチに居る。そんな感じなのであった。
今になって思えば、冨士夫にとっては、こーゆー状況は慣れっこだったのかも知れない。
ある意味、冨士夫は居候の天才でもあったのだ。
TAIJIもいろんな人の家に住み着いていましたよねぇ?
終いにはここで“ヤドカリ”とか書かれてた
でも、山口冨士夫の方は本当にずっと地球の上に居候しているような気分だったかもしれない 山口富士夫自伝『So What』
https://www.tapthepop.net/news/92899
「物心ついて間もなく、俺は自分が普通の日本人と違っていることに気づいたのさ。顔のカタチから何から何までが、そこら辺のガキとは違うってね。親父は会ったこともない。おふくろの記憶ぐらいは頭の裏にでも残っていればいいと思ってるよ。」
「粕谷さんのブログ」2018.08.30
冨士夫の父親は、この横田基地に属するイギリス軍人だったというストーリーがあるのだが、それは定かではない。
「3歳の時、母親が俺をおいて角の道を曲がっていく後ろ姿が、俺の最も古い記憶なんだ」
と冨士夫は常々言っていた。
〜略〜
冨士夫には“てんかん”の持病があった。
この、脳の一部分が興奮しておこす発作を冨士夫は定期的に発症していた。
「その度に、途方も無い脳細胞が死滅するんだぜ」と、笑いながら自虐的に言う冨士夫に、
「一度、病院で診てもらったら?」と、精神的な診療を持ちかけたことがある。
「いやなこったい!」と、一蹴されてしまったが、
3歳までの記憶をどこかに封印していて、それが原因の“てんかん”ではないか?
なんて、おせっかいなことを考えてしまうのだった。 山口冨士夫復活の日
なんか日にちがみんな微妙に違う。
たぶん「シティロード」の1982年11月22日が正解なのだと思う。日をまたいで11月23日かもしれないが。
「粕谷さんのブログ」2015.05.19
近所に冨士夫フリークが居て、まだ少年だったがよく冨士夫に会いに来ていた。
その少年がある時、情報誌(シティロード)を持って来て言った。
「冨士夫さんが出てるよ!ライヴするんでしょ?」
「何、それ?」誰も知らないことだった。
シティロードを見ると『フールズ+山口冨士夫』とある。
「こらしめてやろう」
「頼むよ、トシ」と言われてその気になった。いざ出陣!嘘つきを退治するのだ。
向かった先は法政大学。学館ホールでのオールナイト・イベントだ。
〜略〜
「よぉっ!冨士夫、来たか!」とたんに、サングラスをかけた男に声をかけられた。
〜略〜
冨士夫がこちらに向き直って言った。「もと村八分の青ちゃん」
〜略〜
『フールズ』の出番は朝方、午前4時頃だったと思う。
「このギターを使いなよ!」って言いながら、ギターを持って来てくれた人が
まるでローディのようにいろいろと冨士夫に親切にしてくれたのだが、
今になって思うとあれは『じゃがたら』のアケミだった。 山口冨士夫復活の日
「粕谷さんのブログ」2017.11.01
ジャガタラのアケミから借りた真っ赤なギターを抱えて冨士夫がステージに躍り出た。
真夜中も過ぎ、明け方近くなった会場は、にわかにどよめき、突然に息を吹き返したかのようだ。
ベースのカズ(中嶋一徳)が冨士夫を振り返って叫ぶ。「初っぱなはEだから」
冨士夫がうなづくと同時に、ドラムの佐瀬浩平のビートが始まる。
ギターの青ちゃん(青木真一)とリョウ(川田良)が、ステージの左右に散らばって開き、
そのド真ん中を耕(伊藤耕)が、ステージから客席に飛び込む勢いで飛び出して行ったのだ。
〜略〜
1982年12月の法政大学学生会館大ホール。
THE FOOLSの策略により冨士夫は見事にステージにかり出されていた。
〜略〜
このことがきっかけで、冨士夫は音楽活動を再開したのだ。 山口冨士夫復活の日
「『シティロード』おじさんのブログ」
http://soleluna.seesaa.net/article/459968922.html
「So What」によれば、じゃがたらの江戸アケミは11月22日に法政大学ホールで楽器を持たずに来た山口冨士夫にギターを貸しています。
「『シティロード』おじさんのブログ」
http://soleluna.seesaa.net/article/460096925.html
「シティロード」1982年11月号
11月20日 法政大学特設ステージ 前夜祭 シーナ&ロケッツ
11月22日 法政大学ホール 人呼んでオールナイト 出演:The FOOLS+山口冨士夫
山口冨士夫「So What」や「天国のひまつぶし」でも書かれている11月22日の法政大学ホールのオールナイトライブ。
山口冨士夫が「The FOOLS+山口冨士夫」として「シティロード」に告知され、1年8か月ぶりに音楽活動を再開します。
これは山口冨士夫が知らないところで「シティロード」に掲載されたとのことですが、フールズも当日まで知らなかったという情報もあります。
※「『シティロード』おじさんのブログ」の正式なブログ名は「あしあとU LE ORME(レ・オルメ)U 音楽の夢 音楽の力」です。
情報誌「シティロード」を通して山口冨士夫の動きを追っている方のブログです。
勝手に“おじさん”設定です。ゴメンナサイ THE FOOLS+FUJIO/1982年11月20日/法政大学学館ホール
https://www.youtube.com/watch?v=K4qJY_bUjnY
冨士夫が初めてFOOLSとセッションした貴重な音源の一部。ステージの全曲が存在する。
(粕谷利昭「Tokyo Undergroundよもヤバ話 (K&Bパブリッシャーズ )」2023.10.30 より) ちょっと登場人物紹介ーー
粕谷利昭「Tokyo Undergroundよもヤバ話」2023.05.26 より
青木真一(1951.01.05〜2014.12.18 63歳)
東京都出身。セツ・モードセミナー在学中に、1970年『村八分』初代ベーシストとして音楽活動を始める。1976年『スピード』でギタリストに転身し、1980年、伊藤耕たちと共に『ザ・フールズ』を結成。1983年からは山口冨士夫と行動を共にし、『タンブリングス』→『ティアドロップス』で活動するが、1987年、冨士夫の活動停止と共に、ジョージと『ウィスキーズ』を結成し、限定的ながらも印象的な活動をした。1991年、音楽活動を休止。最後のステージは2008年11月8日の山口冨士夫クロコダイル・ライヴでの飛び入であった。2014年死去。
伊藤耕(1955.10.02〜2017.10.17 62歳)
東京生まれ。ルアーズ、SEX、SYZE、伊藤耕&ヘヴン、THE FOOLS、ブルースビンボーズなどのボーカリストとして活動。2017年10月17日、北海道月形刑務所の服役中に死亡し、真相を追求する裁判で国側は過失を認め、4300万円の賠償金で和解した。映画『THE FOOLS 愚か者たちの歌』は2023年に上映され話題を呼んでいる。 山口冨士夫の紹介も入れたかったのに貼れないよ!もう! THE FOOLS「おさらば」 山口冨士夫カバー
1984.11.17 『Weed War』発売記念ライブ 渋谷ライブイン 〜『Weed War Party!』(2013, CD+DVD) より
https://www.youtube.com/watch?v=zgKBL5h281Q
THE FOOLS [伊藤耕(Vo), 川田良(Gu), 中嶋一徳(Ba), 佐瀬浩平(Dr), EBBY(Gu), 木戸靖(パーカッション)]
アップロード日:2017/10/26
動画説明欄:
84年、渋谷ライブインで行われた伝説の『Weed War』発売記念ライブを収録したDVD『Weed War Party!』より。
じゃがたらのギタリストEBBYとホーンセクションを配したTHE FOOLSによる山口冨士夫カバー。 山口冨士夫「おさらば」 〜ソロアルバム『ひまつぶし』(1974) より
https://www.youtube.com/watch?v=t7llGN9fSsE
2022年デジタルリマスター 伊藤耕さんと冨士夫さんの最後の絡み
2013年6月28日より少し前のアースダム(「少し前」っていうのがどのくらい前なのか分からないが)
「粕谷さんのブログ」2018.10.18
(2013年)6月28日のアースダムでは、冨士夫は実に何にもできなかった。
意志や熱意とは真逆に、身体が全く動かなかったのである。
結局は、コレが冨士夫のラスト・ステージとなった。
〜略〜
これよりも少し前のアースダムのステージでも、冨士夫は空回りした。
同じフレーズを繰り返し、どこを演っているのかも定かではない状態になったのである。
その時である、
客席にいたコウが突然にステージに上がり、全ての空気を持って行ったのだ。
コウは、ハンドマイクを握ると、派手な手振りで客をあおった。
すると瞬間、冨士夫がキースのように腰を落とし、コード・カッティングを決めたのだった。
それが、奇しくも冨士夫とコウの最後の絡みとなった。 耕さんの楽しいブログ
「耕のロックンロールダイアリー2014→2016」
2014年9月28日
https://soulrebel.exblog.jp/23479844/
鉄のような肝臓を持っていないと、俺もゆくゆく良や冨士夫、先に旅立った親友たちと同じコースをたどるだろうと思いつつ目の前のウォッカWを一気にあおる日々である! 伊藤耕さん
2013年1月 出所
2013年9月末 逮捕・拘留
*2014年1月29日 川田良、永眠
2014年7月14日 一審 無罪(違法な捜査による証拠には効力が無い)・釈放
2015年3月 二審 有罪 懲役2年10ヶ月(未決7ヶ月)
2015年6月末 最高裁への上告は棄却
2015年7月頭 異議申し立て〜差し戻しも全て棄却
2015.08.23 伊藤耕&ビンボーズバンド「おさらば 」 早稲田ZONE-B
https://www.youtube.com/watch?v=qbVAHZuJyIc
伊藤耕「入所の歌」 伊藤耕さん
2015年9月頭 出頭日通達が届く
2015.09.03 THE FOOLS「地球の上で」 歌舞伎町
https://www.youtube.com/watch?v=RLUTwKqNokw
作詞:伊藤耕
伊藤耕「地球の中でずっと出てきたくなかったよ〜」
2015年9月末 メンバーに見送られ出頭
公式サイトには「11月に刑務所に移送された」とあるが、
ISHIYAさんの記事では弁護士の話として
「耕さんが月形刑務所へ入ったのが2015年の10月1日。出所の予定が2017年の11月26日だった」
とある。 耕さんがどんな風にして亡くなったか知ってほしい
いや、もうみんな当然のように知っているのかも・・・私は最近知ったもので・・・
耕さんは腸閉塞で30時間以上苦しんで亡くなった
その間医者も含めて20人以上の人間が関わったが誰も耕さんを人間扱いしなかった
伝説的ミュージシャン伊藤耕はなぜ刑務所で死んだのか 真相を追求する妻の思い | 弁護士ドットコム (2020.04.11)
https://www.bengo4.com/c_1017/n_11038/
伊藤耕の獄中死、受け継いだ「自由と解放へのメッセージ」 勝利的和解を勝ち取った妻や弁護士の思い | 弁護士ドットコム (2023.02.18)
https://www.bengo4.com/c_1009/n_15664/
ISHIYA(FORWARD / DEATH SIDE)による緊急記者会見【伊藤耕(THE FOOLS)はなぜ刑務所内で死んだのか】レポート | Rooftop (2023.04.10)
https://rooftop1976.com/report/2023/04/10153000.php THE FOOLS「MR.FREEDOM」〜アルバム『Weed War』(1984)
https://www.youtube.com/watch?v=bnywkJfjLs0
作詞:伊藤耕?
♪自由が一番最高さ Baby ブルースビンボーズ「太陽のまばたき」〜アルバム『ロックンロールソウル』(2003)
https://www.youtube.com/watch?v=Clh6pTbMNSs
作詞:伊藤耕
♪人生なんて あの太陽のまばたき ほんの一瞬 命はじけて太陽まで届け トミーさんが逮捕された時のためのアドバイスを書いてくれてます。
無実の人向けみたいだけですけどね。
道頓堀ダイブよりずっと喫緊ですよ、文字通り「あした」この身に降りかかることかもしれないのだから。
がんばれ、大川原化工機!
ATTITUDE official blog「ハードな話 by D.Tommy」2009.11.20
コメント欄
あしたのために、その1
取調べ官は、全員あなたをより重い罪に陥れようとしている敵であり、彼らに1ミリでも気を使ったり、彼らの言葉を信じたり、一瞬でも気を許したりしてはいけない。
そして、彼らが敵である事を片時も忘れてはいけない。
2009-11-22 | D.Tommy
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あしたのために その2
罪状認否であろうとなんであろうと、取調官と事件に関わりがある事を話すのは、弁護士と話した後からにする。
「その日の朝飯何食った?」くらいならいいけど、「今日何してた?」とか時間が関わる質問などには、「すいませんけど、弁護士さんと会ってからにして下さい」と言う。
弁護士は必ず元検事を雇う事。
2009-11-24 | D.Tommy あと、ISHIYAさんを紹介しておこう。
【BURNING SPIRITS -2021 NEW YEAR EVE-】
https://youtu.be/XhLzWonVNGE?t=5978
1:39:38〜「いなかっぺ大将」
ISHIYAさん(新谷さんの右隣の方)「ひとつ」
新谷さん「人より力持ち」
そして歌い出す二人
かつたさんは笑って見ています
仲間っていいね
♪ひとつ 他人(ひと)より力もち
ふたつ ふるさと 後にして
花の東京で 腕だめし
みっつ 未来の大物だ 和んだところで・・・
私は今この曲が頭の中でループしているので親愛なる読者諸君を道連れにしたいと思う
じゃがたら「タンゴ」(作詞:江戸アケミ)
♪さあ、しっかり ねらいをさだめて 笑ったままで おやり
ひとつ ふたつ みっつ数える前に あんたは
ひとつ ふたつ みっつ数える前に 天国へ
1983.11.23 AM7:00 法政大学学生会館大ホール 〜アルバム『君と踊りあかそう日の出を見るまで』(1985) より
https://www.youtube.com/watch?v=7v_xaUi1GuY
※Audio Only 遠藤ミチロウ インタビュー記事 じゃがたらについて
ザ・スターリン 吐き気がするほどロマンチックなパンクレジェンド30年史(取材・文 / 吉田豪)
『音楽ナタリー』2012.03.16 https://natalie.mu/music/pp/stalin
──意識的に戦略の話はしてましたよね。
でも、裸になったりなんかやったりするっていうのは、じゃがたらの影響がデカかったですよ。ザ・スターリンをやり出したときに、よく一緒にやってたバンドがじゃがたらだったんで。江戸アケミ(Vo)がフォークで頭刺したり、裸になったりしてたじゃないですか。これに対抗するにはそれ相応のことをやらなきゃな、みたいな刺激になったと思いますね。
──音楽的には全然違うけれど。
全然違いますけど、パフォーマンス的にはってことでね。じゃがたらに対抗するには、みたいなことを考えて。自分を傷つけるっていうのは意外に好みじゃなかったんで、臓物とかを投げるようになって。
──観客に迷惑をかけよう、と(笑)。
うん。最初にゴミとか臓物を投げたのも、じゃがたらと一緒に新宿のトラッシュっていうライブハウスで1週間イベントやったときで。「無差別ギグ / EIGHT DAYS A WEEK」とかいうのをじゃがたらと共同主催でやったときにお店のポリバケツの生ゴミを客席にバラ撒いて、それで客が怒って帰っちゃって。そしたら、それが評判になって客がワーッと増えたんですよ。だから、嫌われることをやると客は増えるんだなって。 遠藤ミチロウ インタビュー記事 伊藤耕さん&じゃがたらについて
遠藤ミチロウが語る、THE STALINとブラックユーモア「自分がパンクっていうふうには考えてない」(取材・文=ISHIYA)
『Real Sound』2017.12.28 https://realsound.jp/2017/12/post-143852.html
ーー東京ロッカーズの頃から現在まで現役で活動していた、THE FOOLSの伊藤耕さんがこの前亡くなりましたが、耕さんとはどのような付き合いを?
遠藤:たぶんまだTHE FOOLSじゃない頃のSYZEかSEXでどこかで一緒にやってる感じですね。FOOLSになってからもイベントで一緒になったぐらいで、そんなに交流はなかったです。東京ロッカーズの中では、LIZARDは何回か一緒にやってたんですけど、THE STALINをやり始める前から東京ロッカーズはやってるじゃないですか。同期ではないですけど、僕が同期と感じたのはやっぱりじゃがたらですよ。THE STALINとじゃがたらとはよく一緒にやってたんで。じゃがたらってスキャンダラスなステージですごいじゃないですか。これに負けちゃいけないっていうんで、THE STALINもめちゃくちゃになっていったんですよね。THE STALINがああいう過激なステージになっていったのもじゃがたらの影響ですよ。じゃがたらの影響は大きいですね。 遠藤ミチロウ「変態っていうのは知的なんだ」
(ザ・スターリン 吐き気がするほどロマンチックなパンクレジェンド30年史)
ヘンタイさん!!
しかしなぁ、ヘンタイさんからはいまいち知性を感じないよなぁ これがYouTubeに上がりましたよ、720pで。
ニコニコ動画にあるやつは画質が悪すぎて(コメントばかり読んでしまったというのもあるが)何をやっているのか分からない部分があったから、これでやっと「観た」と言えるようになった。
極上のB級映画です。
『BURST CITY 爆裂都市』
https://www.youtube.com/watch?v=YFrB84YaoS8
♪コツコツ靴音響かせて そろそろヤツらのお出迎え
Oh 注射器の味忘れられないぜ ほら セルナンバー8
この世の病かき消してくれる罪な街 セルナンバー8
グルグル飛びまわれ 頭も腰も充分に
一から十まで数える前に ブッ飛ばせ なんかいろいろ貼れないものがあって不完全燃焼だ
あと、YouTubeのURLは1レスに1個しか貼れないようだ
山口冨士夫はまだまだ続くよ! こんなテンテンくん好きそうな顔してる人そうそういない 友美ちゃんのマン毛(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ ともみおねいさんのアンダーヘアー(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 友美ちゃんのおしっこ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 夏の体育館でシャトルランしてほしい赤塚さん。
それでネチョネチョになった口にベロチューしたい。それで汗まみれになったカラダ舐め回したい。 赤塚さんのパンツで欲望を満たしてるところを赤塚さんに見ててほしい 赤塚友美さんのおっぱい(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんのおっぱいおいしそう❤(///ω///)♪ 赤塚さんのクサイマン毛サイコーです(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんの汗臭いマン毛サイコー(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんありがとうございます(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ オチンチンも赤塚さんありがとうって言ってます(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ おいおいおいおい大変なことが起きた!地味に!
今YouTube観たらスーパーライブ96のマイク投げてCMに入った瞬間までの動画アップされてるやん!
TOSHIも消える瞬間まで!
アップしてくれた人ありがとうございます!
絶対消されるから観たほうがいい!
2週間前ぐらいにアップされたんだね
消される前に見れてよかった興奮したよ 他のボーカリストたちが束になってかかってもTOSHIには勝てないよ。絶対に。 あとデスペレートエンジェルの破滅最終日も、もう何年もの間消されてたけどアップされてるね。
ブルーレイの単発発売に合わせてあの時一気に消されたよね。意図的にやったのか知らんけど。
観たいなーってずっと思ってたからよかった。久しぶりに観た。
ラストうあうあういぇーうういぇーの一連の流れが観たかったんだよ。スキャットも上手いよねTOSHIって。ファントムのラストにしてもそうだけど TOSHIってマジで歌い姿がめちゃくちゃかっこいいんだよね。単純に歌い姿が。
他のボーカリストたちとは単純に歌い姿がもうなんか全然違うんだよ。
他のボーカリストたちってみんな歌い姿が似てる。みんな歌い姿同じ。 まさかとは思うけど赤塚さんて旦那さんよりテンテンくんの方が好きかな ♪トモニーのチャンスだ赤塚さんが横を向いたぞ
期待があつまり
さぁここぞという時どうぞという時
赤塚さんと目が合っちゃった
どーしよう 気まずい
コッチンコッチンコッチンコッチン
汗かき棒立ち金縛り
どーしよう 気まずい
コッチンコッチンコッチンコッチン
コッチンコッチンコッチンコッチンコー
チンコーチンコチンコチンコ ♪ブラブラブラブラボー イースター島で一番のー
何をやってもJAWSにできない
山岸はダメモアイ
プレプレプレプレジャーそれでも山岸は
赤塚さんと出会ってから毎日が
楽しくてしょうがない〜
スケベな山岸に降りてきた
赤塚さんはオカズさ
Oh シコりしましょう〜 シコりしましょう〜
このままイッ気に未来はトモニー!!
チンポがHappy 右手もHappy
トモニー トモニー トモニー トモニー
ズリネタ オカズ オナペット
チンポがHappy 右手もHappy
トモニー トモニー トモニー トモニー
トモニー トモニー トモニー トモニー
トモニー トモニー トモニー トモニー 赤塚さんと変態プレイしてみたい(;´Д`)ハァハァ
お金払うから(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんが見てる前で赤塚さんのアダルトビデオ観てオナニーしてみたい 汗かいてるところ(姿)見たい❤(///ω///)♪ 一日中はいた脱ぎたてパンツに染み付いた赤塚さんのアワビの臭い嗅いでオナニーしてみたい🍄💦 赤塚さんの汗かいたアワビ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 赤塚さんの蒸れたり汗かいたりした一日の終わりのお尻の穴❤(///ω///)♪ クンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクン 赤塚さんに俺の勃起チンポとタマ見てほしくて見てほしくてしかたない 赤塚さんのウンコ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ 汗かく陽気になってきたから赤塚さんの下着いやらしい臭いが染み付いちゃうね 赤塚さんの春の汚れた下着の匂い嗅いで赤塚さんモデルのオナホール使ってオナニーしてるところを赤塚さんに見ててほしい あっ!モアイに似た金髪のおっさんがいるwwwww
あいつ久しぶりに見たwwwwwww
ちょーーうけるwwwwwwwww ♪69 moai No.69
moai Calling 69
call you! call you!
oh oh oh oh さっきふと思ったけどそういえば春の大チャンステーマ発動してなかった ♪ウォーオー赤塚さんの春のパンツの汚れ
ウォーオー赤塚さんの春のパンツの汚れ
ウォーオー赤塚さんの春のパンツの汚れ
ウォーオー赤塚さんの春のパンツの汚れ
レッツゴー レッツゴー レッツゴー 赤塚さんの春のパンツの汚れ クンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクン 赤塚さんの脱ぎたてパンツの汚れの臭い嗅いでシコりたい🍄💦 クンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクンクン んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ ああああああああああ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ ♪69 dosukebe No.69
dosukebe Calling 69
call you!call you!
oh oh oh oh ♪ドスケベ コーリンコーリン ドスケベ
コーリンコーリン ドスケベ
コーリンコーリン オーオーオーオー
ドスケベ コーリンコーリン ドスケベ
コーリンコーリン ドスケベ
コーリンコーリン オーオーオーオー ♪69 okazu No.69
okazu Calling 69
call you!call you!
oh oh oh oh 赤塚さんの恥垢ボール食べたい。チョコボールならぬ。 赤塚さんの恥垢サンダー食べたい。ブラックサンダーならぬ。 赤塚さんの恥垢のマーチ食べたい。コアラのマーチならぬ。 赤塚さんの恥垢のマアム食べたい。カントリーマアムならぬ。 ♪恥垢恥垢赤塚さんの恥垢
恥垢恥垢赤塚さんの恥垢
ネチョッと ネバッと おいしい恥垢
ネチョッと ネバッと おいしい恥垢
スコーンスコーンコイケヤスコーンの節で 赤塚さんのちこうちこうたい食べたい。ぷくぷくたいならぬ。 ♪恥垢タコスったら恥垢タコス
恥垢タコスったら恥垢タコス
恥垢タコスったら恥垢タコス
ドンタコスったらドンタコスの節で オカズが今日のおかず何にしようって考えてる(✽ ゚д゚ ✽) ♪チチチップース 今何時 いいお味 赤塚さんの恥垢チップス お尻だけじゃない。
腰回りとかカラダのラインとかスリーサイズとかおっぱいとか赤塚さんのカラダを知り尽くしてる山岸勝ち組。 あと股間らへんとかマン毛が生えてるらへんの膨らみ具合いとか形とか知ってる山岸勝ち組 69 hakase No.69
hakase Calling 69
call you!call you!
oh oh oh oh ♪博士 コーリンコーリン 博士
コーリンコーリン 博士
コーリンコーリン オーオーオーオー
博士 コーリンコーリン 博士
コーリンコーリン 博士
コーリンコーリン オーオーオーオー ♪よっしー よっしー ファッションリーダーの秘密はね
よっしー よっしー 絶望のニオイの秘密はね
教えてあげないよ ジャン ♪山岸 山岸 毎日が楽しい秘密はね
山岸 山岸 毎日がhappyな秘密はね
赤塚さんのおかげだよ ジャン ♪山岸 山岸 オカズに困らない秘密はね
山岸 山岸 右手がとまらない秘密はね
赤塚さんのおかげだよ ジャン 赤塚さんは山岸のためにあるのか!
甲子園は清原のためにあるのか!のフレーズで お尻の穴が好きなのー?へんた〜い。 って言われたい赤塚さんに。 赤塚さんのあられもない姿見たい❤(///ω///)♪ 今日は大事な日だからヘンタイさんにかまってるヒマはないのです
柴田和志(チャー坊) 1950年5月6日〜1994年4月25日 43歳
遠藤ミチロウ 1950年11月15日〜2019年4月25日 68歳
同い年の二人は同じ日に亡くなった。
チャー坊は高校中退してアメリカへ。ストーンズのオルタモントを観て帰国。
ミチロウは大学へ。在学中は国内を、卒業後は東南アジアを経巡った。
二人ともヒッピーだった。
遠藤ミチロウのWikiさぁ、「1973年 大学卒業後、・・・」ってなってるけど、
インタビュー記事(『Musicman』2015.09.25)に「僕は大学に6年いた」ってある。
『嫌ダッと言っても愛してやるさ!』にも
「1975年(25歳) 大学卒業と同時に1年間、ネパールなど東南アジアを放浪する。」とある。
その1975年頃のチャー坊
村八分の最後のコンサート(1973年5月5日)後、サンフランシスコへ。
1974年3月、帰国。6月、ロンドン。その後、パリ、アムステルダム等ヨーロッパを周遊。
1976年、ヨーロッパ、モロッコを周遊。南米などを周遊。
同年11月、コロンビアの首都、ボゴタで身柄を拘束される。原因は薬物、身柄をパリに戻されパリより強制送還される。 とりあえず、二人の詩人のバックボーンから。
「チャー坊(“村八分”)の生と死」(『Quick Japan』Vol.7 1996 p.84〜5)
チャー坊の兄談:
小学校、中学校の時に島崎藤村と石川啄木、これを私は好きで読んでいたわけです。それを弟が、その流れで同じように読んでたんやろね。弟はもう全然違う方向へ行きましたけどね。最後はランボオ。もうランボオの詩ばかり読んでいました。途中でね、ボードレールに行って、それからランボオに行って、ランボオに落ち着いたんですね。ランボオが四、五年前。その前がボードレールです。それから世阿弥の『風姿花伝』。あれを最初に、弟が二二、三の頃にかなり読んでましたね。
「チャー坊(“村八分”)の生と死」(『Quick Japan』Vol.9 p.93)
山口冨士夫談
《チャー坊、こういう詞、どっから出てくんだよ?》って聞いたら《いや、フジオちゃん、実はボクは(石川)啄木が好きやねん》って。 遠藤ミチロウ(『岡山大学新聞』1983)
https://www.erde.co.jp/~masaru/okayama/279/stalin.html
――僕も吉本(隆明)好きなんだけど、僕はけっこう吉本がね、体系的なあるいは理論的な思想家だと言われながらも、文章なんかは割に雑というかラフというかね。
そうですね、あの人、割と感情的ですね。あの人の内容ってのは全部、特に文学関係についてはファーザーコンプレックスでしょう。高村光太郎論やったり。ファザコンの人に影響受けてるでしょう。実は僕もメチャクチャファザコンで。一番最初に吉本読んで感動したのが高村光太郎論なんですよ。
遠藤ミチロウ(『Musicman』2015)
https://www.musicman.co.jp/interview/19684
――音楽に繋がるような小さい頃の想い出は何かありますか?
どちらかというと文学でしたね。父親がすごい文学青年だったらしくて、石川啄木が大好きで、戦前は東京の日赤病院で働いた後、岩手の松尾鉱山の診療所で働いていたらしいんですが、そこは石川啄木の故郷の近くなんですよ。だから、知らない間に父親の文学に対する思想の影響は受けていますよね。
遠藤ミチロウ(『INTRO』2015)
https://intro.ne.jp/contents/2016/01/21_1911.html
最初に読んだのは『高村光太郎』でした。子供のときから高村光太郎が詩人でいちばん好きだったから読んだんですが、それも「父と子」の話なんですよ。高村光太郎が父の高村光雲との格闘の中で自分を形成していく、それが僕にとっては面白くて。 ボーカル
遠藤ミチロウについて早川義夫談
「早川義夫VS中川五郎 特別インタビュー」いつの何の雑誌の切り抜きか分からないです
(最近遠藤ミチロウが来たという話から)
早川 ボク彼に対して思うに、綺麗に歌うとか、上手に歌うとか、上手にまとめようとかそういう魂胆がないでしょ。だから、そういう意味で凄いなあと思う。いわゆる叫びだもの。
チャー坊について山口冨士夫談
「チャー坊(“村八分”)の生と死」(『Quick Japan』Vol.8 1996 p.115)
『ミュージック・ライフ』七一年六月号の「人間訪問」というコーナーで、山口冨士夫は、インタヴュアーの「ヴォーカルがミック・ジャガーに似てカッコ良かったなんて人もいるけど」という問いに「ミック・ジャガーよりいいと思うけどな、俺は……」と発言(!)、「時々音程が狂うけどさ、持ってるものが(他とは)全然違う」と付け加えた上で、さらに「世界で一番すごいのは“ストーンズ”と“村八分”だ」と言い切っています。 The Rolling Stones「Street Fighting Man」
「岸壁のストリート・ファイティングマン」(遠藤ミチロウ『嫌ダッと言っても愛してやるさ!』/初出は「TWIST&SHOUT」1981年)
このカスカスに乾いたストーンズの革命ソング(?)を初めて聴いたのは確か、一九六九年。時期が時期だけに騒然とした世の中、正義感あふれる前向き少年だったオレは自己否定の権化になって、革命の可能性とロックの可能性を一体に信じられた幸福な時代だった。「オレの名は“騒動”……」この決定的なフレーズは、サウンドの単調さがかえって扇情的に煽り立てるせいか、思い込みをますます倍化した。そうだ、何もかもぶち壊さなくては……。このときすでに、スターリン・ミチロウの下地は出来上がっていたのだ。
あっ!! from 『村八分 / くたびれて (2018 remaster)』
https://www.youtube.com/watch?v=O8SuvuaVqfU
1971年4月30日 大阪 スタジオ録音
歌詞についてもやりたいが、とりあえず後回し 「粕谷さんのブログ」2017/03/17
1969年にアメリカのオルタモント州で行われたローリングストーンズのフリーコンサートを、チャー坊は観に行っていて、その帰国時に東京に立ち寄ったのだ。
「東京にもヒッピーなヤツがおるって言うから、会いに行ってん、それが冨士夫やった」
〜略〜
「チャー坊はずっと俺を睨みつけてる。服の代わりにコーヒー袋被ってるんだよ、ドンゴロス。その袋の横に穴をあけて腕を出して着てる。髪はぼっさぼさで超長い、眉毛剃ってて、めちゃめちゃヒッピーなジーンズ姿なんだ」
冨士夫が初めてチャー坊に会った瞬間の回想である。
〜略〜
「あの頃、日本にはロックバンドの前例がなかったから、ほんまに苦労した。だから、お手本を作りたかったんや」
と言うチャー坊の発想は、自身の根底に流れている『日本』への根強い意識だ。
「俺らは、日本語の五七五の言葉でやりたかったねん」
〜略〜
「余計なモノをとことん削ぎ落とすんだ。極限まで削った音を作りたかったから」
北鎌倉に住んでいるとき、冨士夫は村八分を聴きながら、いつもそう言っていた。
その冨士夫が目指した曲作りは、チャー坊の詞に曲をつけるだけではない。ギターにリズムとリードのアプローチを作り、ベースのラインを考え、ユカリさん以降のドラマーに叩き方を伝授する。いわば、詞以外の何もかもだったのだ。
「村八分は冨士夫だけが天才やった。テッちゃんはギターが弾かれへんかったし、青木もベースなんか弾かれへんし、ドラムも何もやったことない。俺も歌ったことがなかった。あいつだけや」
チャー坊も『SO WHAT』のインタビューの冒頭で、バンドの成り立ちに関して、そう明かしている。
※『SO WHAT』のチャー坊へのインタビュー 1990年1月16日 「チャー坊(“村八分”)の生と死」(『Quick Japan』Vol.9 1996)
山口冨士夫談
p.89
・・・オルタモントで“ストーンズ”観てきたっていう話。ヘリコプターでアシッドばらまいて、オルタモントからシスコに帰っても、まだ髪の毛にはオレンジ・サンシャイン(註・もっとも効き目の強いLSD)五、六個付いてたっていう…。
p.94
“村八分”がいちばん濃かった時期っていうのは、慶応の三田祭(註・七一年一一月六日。学園紛争の余波で大荒れになり、“はっぴいえんど”のステージを“頭脳警察”が完全ジャックした)から始まるんだよ。その頃オレ達は、単なるロック・バンドとは全然違う、もっと意識的なレヴェルにいたんだ。例えば、オレ達がなんで最初の頃から化粧してたかっていうと、“ストーンズ”のハイド・パーク・コンサートのヴィデオをチャー坊と一緒に見たのがきっかけさ。キース・リチャーズが目の下にラインをグッって入れてて、ドスが効いてんだよ。あと歌舞伎とか、チャー坊の影響で興味あったから、それで化粧初めて。
ちなみにチャー坊はビートルズも観ている
「チャー坊(“村八分”)の生と死」(『Quick Japan』Vol.13 1997 p.79)
チャー坊の姉談
“ビートルズ”が初めて日本に来た時(註・昭和四一年六月二九日)、ミキオさんっていう上の弟の友達が、和志を一緒に連れて行ってくださって、往復の旅費と(コンサートの)入場料を持たせてやったのが、確か一万四千円ぐらいじゃなかったかと思いますから。“ビートルズ”のことは、そんなにいいとは言わなかったですけど。 ザ・ローリング・ストーンズ「スティール・ホイールズ・ジャパン・ツアー」東京ドーム
1990年2月14日〜27日 全10公演 初めての日本公演
冨士夫が観たのは2回。23日と26日。
「粕谷さんのブログ」2016/12/24
僕らは2月23日の金曜日にバンドメンバーやら知り合い総出で大挙して観に行った。
想っていた通りのすばらしいステージのあと、みんなしてまたドームの外で待ち合わせた。
そこに京都からの冨士夫の仲間も合流したのだ。
つまりは、チャー坊、テッちゃん、よっチャンの顔ぶれも揃い、冨士夫、青ちゃんと合わせて、久々の『村八分』揃いぶみなのであった。
26日の月曜日、〜略〜この日の席はあまり良くなかった。
アリーナではなくスタンド席だったため、ステージがはるか遠くに見えている。
僕らはその階段席の前の方に陣取った。 チャー坊は?
下記の2つ、なんか話が合わない気がするけど・・・
そんなことはどーでもいい
チャー坊はまたもストーンズに触発されてバンドを始める
生きるために、いや、死ぬために、かも
「粕谷さんのブログ」2017/01/25
そのとき、チャー坊はストーンズを観る為に、仲間と共に東京に出て来ていた。
10日間ものあいだ、帝国ホテルに宿をとり、ドームのストーンズ公演に通っていたのである。何ともリッチな話ではないか。
「そりゃあ、冨士夫はブツブツ言ってたよ。
帝国ホテルからコレクトコールしてきたんだもん(笑)、
会おうってさ。
わけわかんないでしょ?
めんどくせぇなぁ、とか言いながらも
相手がチャー坊じゃん、結局は会うわけなんだけどね」(※エミリさん談) 「チャー坊(“村八分”)の生と死」(『Quick Japan』Vol.15 1997 p.108)
チャー坊の姉談
七年か八年、ブランクがありますよね。何もやらなかった時期。それが治療してた時期なんです。
そして、とうとう先生に「あともうちょっとだ」って言ってもらえるまでに回復したんです。ところが、その時ちょうど、日本に“ローリング・ストーンズ”が来ましたよね(註・九〇年二月一四日から二七日にかけて東京ドームにて初来日公演)。和志は自分で並んでチケットを取って、東京へ観に来たんです。
〜略〜
和志が、“ストーンズ”を観て帰ってきた晩に、「ねぇ、喫茶店しない?」って聞いたんです。そしたら、朋子さんあ「イヤだ」って言ったけど、和志は「いいよ」って言ったから、私は喜んだんです。ところが、そのあくる日の朝七時ちょっと過ぎに起きてきて、「くーちゃん、俺、やっぱり音楽やるで」って言うんですよ。で、私が「いやー、もうあんたが音楽やるってことは、クスリやるっていうことなんだから、それはやめて。そんなんやったら、私はもう死んでしまうよ」って言ったんですけど、和志はどうしても音楽やるってきかないんです。そこで大きく「そんなことやるんやったら、くーちゃんはもう、あんたの面倒見ないから」って出たら、「でも俺から音楽を取ったらね、死んでんのも一緒やし」って言い返すんですよ。私も必死で「でも、あんた今までやめられたやん。ここまでやめて、あともうちょっとで後遺症も取れるんだから、やめて!」って言ったら、「じゃあ、今までのこの七年間ね、音楽やってなかった間、俺、死んでたやん!」って言われちゃったんですよ。で、私ももう返す言葉がなくなっちゃって、それからまた音楽活動を始めたんです。 ちなみにTAIJIは3回。PATAは何回かな?
ロック・ミュージシャンで行かなかった人なんていないのかもなぁ
「BURRN!」1990年5月
――ROLLING STONESは、ライヴも観たの?
TAIJI:3回観に行きましたよ。いやぁ、凄かった。まさにアリーナ〜スタジアム・クラスのライヴという感じで…。
「PATi PATi ROCK'N'ROLL」1991年7月号 words for 8.23 TOKYO DOME
PATA:〜略〜 東京ドームでのコンサートってストーンズくらいしか観てないですからね。 >>680
「詩人」は取り消しておこう。
遠藤ミチロウは「詩人」と言われて「詩人じゃなくてミュージシャンだ」と語気を強めて言ってたのを思い出した。
あれは確か渋谷陽一のラジオ(1983)じゃなかったかと思って確認しようとしたら、動画なくなってた、ショック。
“歌う詩人”ではなくてミュージシャンなんだ、ってことなんだろう。
でも、ミュージシャンやダンサーを詩人って形容したりもするし、
その辺ゆるく捉えてくれればいいのにね。
チャー坊もミュージシャンだと思う。
粕谷さんのブログだと詞だけ書いていたように読めてしまうけど。 村八分の曲作りについて
浅田哲(チャー坊の幼馴染、ex村八分)談:
「チャー坊(“村八分”)の生と死」(『Quick Japan』Vol.8 1996 p.128)
「詞についての話とか何もない。自信持っとったからね。僕らも信用してるし、だいたいコードでフレーズを作ってたね。まぁ言えば、ほとんどチャー坊が作詞作曲だから。それを形にする時の、冨士夫ちゃんがプロの手助け、僕は素人の手助け、ちがうかな。すごいよかったんだよ、当時の仕事っていったら、楽しかったもんその頃。ほんまに。いつも朝までやっててね、曲作り。『御所行こう』って言って三人で御所行って、広いし、気持ちいいし」
加藤義明(ex村八分)談:
「粕谷さんのブログ」2019/05/09
「冨士夫ちゃんなんかは、チャー坊にとっての音楽を作り出してくれる存在なんやな。チャー坊は楽器も何もできひんから、頭の中に鳴っているフレーズや、イメージやらアイデアなんかを口で説明したり、ハミングで表現したりするんやけど、ソレを実際の音で現実にしてくれるのは冨士夫なんや。すると、“そうそう”とか、“そこはちょっと違うな” とか調整するのがチャー坊で、完全に2人の共同作業なわけや」(よっちゃん/談) チャー坊の姉談:
「チャー坊(“村八分”)の生と死」(『Quick Japan』Vol.15 1997 p.110)
私もね、フジオちゃんがすごくいい音を出してるっていうことはわかってるんです。だけど、曲を作ったのは和志だってことも、私にはわかるんです。和志がフジオちゃんの横から「こういう音を出してくれ」って言うと、フジオちゃんがギターでその音を出して、「そこは違う」っていうのを何回も繰り返して出来たのが、“村八分”の曲なんです。それを、うちの家でも母の家でもやってるのを見てるから、私にしてみれば和志が音を作っているように思えるんです。
チャー坊の姉談:
「チャー坊(“村八分”)の生と死」(『Quick Japan』Vol.13 1997 p.83)
フジオちゃんと和志は、ライバルというよりも、一緒にやっている時は共同体みたいな感じで、本当に仲も良かったし、和志は、フジオちゃんの音楽に対しても「フジオちゃんはギターの天才だし、右に出る者はいない」って尊敬していました。フジオちゃんがどう思っていたかはわからないですけど、和志は死ぬまでそう言っていました。 どうしよう、そろそろ切り上げるべきか
他に、二人の共通点、どことなく可笑しみがあることとか、作詞において日本語にこだわったこととか。
あと相違点とかコンプレックスとか考えるけど遠慮しておこう。 赤塚さんのモリマンオカズにしてシコってる山岸勝ち組 赤塚さん気をつけてこいつ変態だよ!
こいつ赤塚さんが横向いたとき今がチャンスだと思って赤塚さんの股間ガン見してたよ!今でも思い出してオカズにしてシコってるよ! 🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿 『伝説のバンド「X」の生と死』には「そもそも一度Xを抜けた俺が再び戻ったのはhideがいたからだった」とあるらしい
これではHIDEの後にTAIJIが入ったみたいではないか
ということで、HIDEのX加入 ロッキンf 1991年2月 別冊「ストリート・ロック・シーンの恐るべき子供達」
YOSHIKIが語る"エックス"ヒストリー (取材:1988年9月 長谷川幸信)
〜略〜 "X"の音楽性は軽いとか、もっと重い音楽をやりたいとふたりが言い出して、JUNが練習に来なくなってしまった。で、オレは頭に来て、「二度と来るんじゃねえ」と言ったら、HIKARUも脱退して...。その時は、もう、途方に暮れて、もうダメかなと思ってね。
――「メタル・インディーズ・マニア」(ロッキンf増刊)にYOSHIKIとTOSHI二人だけの写真が載ったのは、この頃だね。
そう。それから、もう一度TAIJIを誘ってみようということになって、けっこう時間をかけて話し合いをしてね。オレはもうメンバー・チェンジはいやだ、とか。そしたら、入ることになって、86年秋にTAIJIが正式に加入したのかな。そしてギター探しを始めたんだけど、ロッキンfにも募集記事を出したりして、20人くらいオーディションした。それに受かった奴と大阪キャンディー・ホールのオールナイトに出たんだけど、あまりにステージングがカッコ悪くてクビにしようと。で、またギター探し(笑)。
オレ、昔、ジュディーというバンドのヘルパーをやったことがあって、たしかそこのギター(PATA)は、上手いなと思ってね。いきなり電話して誘ってみたわけ。そしたら入ると言ったんで参加してもらった。87年1月のことだね。 YOSHIKIが語る"エックス"ヒストリー つづき
それでこのメンツでビクターの「SKULL THRASH ZONE」をレコーディングしてしまったという...。でも、やっぱりPATAはゲストっていう感じだったんで、ISAOというギターを入れた。彼はイングウェイ・タイプのギターを弾くし、音楽性も幅広くてなかなかいいギタリストだったな。また、このころサーベル・タイガー(横須賀)の解散騒動があって、これはいいチャンスだと思って前から目をつけていたHIDE(G)を引き抜いたわけ。それで、さあスタートだというときに、ISAOが交通事故を起こして、とうぶんギターを弾けない体になってしまった...。まあ、オレたちは治るまで待っていててもいいよと言ったんだけど、ISAOが辞めると言うから....酒の大暴れにも原因があったんじゃないかという気もするけど(笑)。結局ISAOは脱退したんだけど、「SKULL THRASH ZONE」のライブが決まってたから、やばいってことで、PATAにヘルパーとして参加してもらった。で、いろいろやっているうちに、PATAが正式参加ということになって、ようやく今のラインナップに決まったと。
――87年の2月ぐらいだね。
正式にPATAが入ったのは4月ごろ。それで大阪ツアーをやったんだけど、けっこう動員が増えてたな。で、ここらで何か一発やらなきゃいけないなと考えたわけ。フォノ・シートかデモ・テープを配布しようと思ったんだけど、そんなのどこでもやってるしなということで、ビデオにしようと。それで7月ごろに3日間ぐらいで製作したんだよ。 Rose & Blood Tour パンフレット
YOSHIKI: 俺たちヘタだから。何でこんな奴らとやんなきゃいけないんだって、みんなやめてっちゃう(笑)。一度すごいうまそうな人呼んできたら、怒られちゃったもんね(笑)。
TOSHI: 恰好も田舎から出てきたばっかりって感じで。髪の毛短いし、子供っぽいし。
YOSHIKI: 俺なんかジャニーズ事務所へ行ったらって言われたよ。
TOSHI: そこへ長髪でバリバリのヘヴィメタルみたいな人が来るんで、びっくりしゃちゃって。次は金髪が来るぞって俺たちも負けちゃいけない、こっちも金髪にしようかとか(笑)。
YOSHIKI: それがTAIJIだったんだ。
――いつ頃ですか?
TOSHI: ライヴハウスでやり出して1年後かな。
TAIJI: 俺は20歳の時。YOSHIKIから突然電話がかかってきて。何の面識もないのに。
YOSHIKI: 俺は、あちこちかけまくってたから。知らない人でも何でも関係なく。
TAIJI: 会うって言うまで毎日かかってくるんですよ。それで池袋で待ち合わせして、とりあえず飲みに行ったんです。そうしてるうちに、意気投合して。
YOSHIKI: 俺はTAIJI見て、かっこいいなあと思って。入ってもらおうと。でもベースはちょうどいなかったからよかったけど、ギターの奴ともめちゃってね。
TAIJI: 俺は、TOSHIの歌とYOSHIKIの人間性は気に入ったけど、ギターの奴はいらないと思ったの。
YOSHIKI: もっといいのを連れてくるってTAIJIが言うんで。悩んだんだけど、前のギターにはやめてもらって。
TOSHI: 結構つらいものがありましたね。 Rose & Blood Tour パンフレット つづき
――でも、TAIJIさんもそのあと一度抜けちゃうんですよね。
TAIJI: うん、ちょっと音楽性が合わないって気がしてね。
YOSHIKI: 俺が当時パンク狂だったからね。で、TAIJIがいた時も何人か出たり入ったりしてたんだけど、彼が脱けたあとのメンツで一応落ち着いたんです。
TOSHI: あの4人は結構長かったね。
〜略〜
YOSHIKI: そうやってツアーもやって、セカンド・シングルも出してうまくいってたんだけど、ギターの奴が練習に来なくなったんで、文句を言ったら、ギターとベースが一緒にやめちゃって、さあ、どうしようって、あれは涙もんで困りましたね。で、とりあえず、TAIJIを呼び戻そうと(笑)。あいつをとにかく入れようと。
TOSHI: それと同時に雑誌でメンバー募集したんです。”ギタリスト求む”って(笑)。
YOSHIKI: TOSHIは雑誌担当だったから。
TOSHI: そう、紙媒体担当で(笑)。「プレイヤー」とか「ロッキンf」に出して。それでギターでめぼしいのがいると、北海道だろうと九州だろうと手紙出してね。その時はもうXって結構有名だったんだけど、そんなことまでしたんですよ。
――それで、TAIJIさんの方は、その時どうしてたんですか?
TAIJI: 別のバンド組んだりしてやってたんだけど、何かテクニックに走ってる奴ばっかりで、ちょっと違うなと思ってて。Xでやってた時の方が充実感あった。またできたらなとは思ってたんです。そしたら、Xの方はたまたまそういうことになって。まさかお呼びはかからないだろうなと思ってたら(笑)。 Rose & Blood Tour パンフレット つづき
TOSHI: でもTAIJIが戻ってきてもまだギターがいない。その時、『スカル・スラッシュ・ゾーン』っていうオムニバス盤の企画が、ビクターから持ちかけられて、参加するって言っちゃったんです。で、とりあえずゲスト参加でもいいから誰か呼ばなきゃと。
YOSHIKI: それでレコーディングの直前に、PATAに連絡とって。
PATA: 一週間前ですよ、それも正月で。何考えてんだって(笑)。
YOSHIKI: バンドの話があるからって呼んどいて、俺達3人は麻雀やってんの(笑)。
PATA: 俺、麻雀できないから、ビール飲んでわきで寝てただけ。
YOSHIKI: で、とりあえずPATAにはレコードだけ参加してもらって、次にまたゴチャゴチャあって、それで前々から目をつけてたHIDEに連絡したんですよ。
――その時、HIDEさんは?
HIDE: サーベルタイガーってバンドでリーダーやってて。うちもやたら人の出入り激しくて、一時YOSHIKIとTOSHIを逆に、こっちに入れようと思ってた。でもその話は流れて、それぞれ勝手にやってたんだけど、こっちはうまくいかなくて、もう解散だな、美容師に戻るとか言ってたんだけどYOSHIKIが「Xに来て」って誘うんで、「うん」ってのっちゃった。
YOSHIKI: それでHIDEがギターはツインじゃなきゃイヤだっていうから、またPATAに、白羽の矢が立って(笑)。
PATA: またこれも唐突に電話があったんです。
YOSHIKI: PATA、ライヴあるからって(笑)。とりあえず来てくれって。
PATA: そのままずるずる今までいるわけです。 BANDやろうぜ 1999年5月 (初出:1990年1月号・2月号)
TAIJIはすっぽかし
(HIKARUさんとJUNさんがやめた後の話)
YOSHIKI: 「発狂爆発大暴れギグ」とか言ってたしね(笑)。で、2人がやめてっちゃって、HIDEちゃんを...。そのころもうしゃべってたよね。その前にHIDEちゃんか誰かわかんないけど、「サーベルタイガーに入んないか」みたいなこと言われたし。
HIDE: 俺が誘ったの。
――YOSHIKIを引き抜こうとしたの?
YOSHIKI: TOSHIと俺。俺、断ったんだっけ?
HIDE: うん。「エックスがやりたい」って。
YOSHIKI: で、逆にHIDEちゃんを引き抜こうみたいな感じになって、横浜に行ったんだよね。7thに。
HIDE: そしたらいきなり大暴れ(笑)。
YOSHIKI: とりあえずライブでも見に行こうって、GEORGE(元レディース・ルーム)を引き連れて行ったの。で、飲みに行って大暴れ(笑)。
――それで意気投合して入ったとか?
HIDE: いやいや、それでエックスの打ち上げとか行くようになった。
YOSHIKI: それからHIDEちゃんもエックス見に来るようになったんだけど、まだ友達になって、すごいよく飲むようになったくらいで。まあ、サーベルもサーベルなりにメンバー固まってやってたし、エックスもとりあえずTAIJIが戻ってきたし。
――TAIJIが戻ってきたのは?
YOSHIKI: 何人かベーシストの候補あげてたんだけど、今回は慎重に選ぼうみたいな感じで。で、TAIJIを「飲もうよ」って呼んだらすぐ来てね。飲んでるうちに「じゃあやろうか」って(笑)。
――で,ビクターからオムニバス出して。あのときってPATAはヘルプだったでしょ。
TOSHI: その前にサトルっていう奴がいたんだけど、やめてって。
YOSHIKI: だけどすぐレコーディングが控えてたからヤバイ、と。
TOSHI: で、困ったときのPATA頼み。 BANDやろうぜ 1999年5月 (初出:1990年1月号・2月号) つづき
――PATAとはどこで知り合ったの?
PATA: 俺の今ローディやってる奴がちょっと知り合いで。
YOSHIKI: それでPATAが引き抜きに来たの(笑)。
PATA: そんで知ったんだけど、正月の2日ぐらいに電話が来て。1週間だか10日だかあとにレコーディングあるんだけどやってって。そういう無謀な話がいきなりきた(笑)。
YOSHIKI: とりあえずそれでやってもらって、そのあとTAIJIがどっかからイサオっていう謎の速弾き少年見つけてきて。
TOSHI: すんげー速弾きすんだよ、17才くらいだったのに。
YOSHIKI: でもリフが弾けなかった(笑)。そうこうしているうちに事故りやがって。バイクで倒れて、弾けないって。
TOSHI: そのころHIDEちゃん入ってたよね。
YOSHIKI: そのころやってきた。HIDEちゃん、エックスの練習来て、「『紅』やって」みたいな感じでニヤニヤしながら見てたよね(笑)。で、練習のあと飲みに行って、「入んない?」って言ったら「入る」って。「ウォーリャー!」って(笑)。
HIDE: その「ウォーリャー」覚えてる。
TOSHI: あんときすんげえ嬉しかったの覚えてるよ、俺。
HIDE: こっちがびっくりしたんだもん。それまで何か暗くてさ、俺見に行っちゃいけなかったのかなって思ってた。暗かったよね。
TOSHI: 緊張してたんだよ。
YOSHIKI: そのあと道端で大暴れしなかったっけ?真冬の最中に。路上で5人くらい亀みたいに重なってなかったっけ(笑)。
TOSHI: 俺、一番下(笑)。 BANDやろうぜ 1999年5月 (初出:1990年1月号・2月号) つづき
――それでメンバー固まってからは?
YOSHIKI: イサオが事故って、また困ったときのPATA頼み(笑)。
TOSHI: HIDEがツイン・ギターがいいって言うから。
YOSHIKI: PATAが入って、まずエクスプロージョンでワンマンやったんだよ。
TOSHI: それが、いきなり『スカル・スラッシュ・ゾーン』のビデオ撮影。ムチャクチャだったよね、あんとき。
HIDE: もう煙で、鼻の中真っ黒(笑)。
TOSHI: 燃やす燃やす。
YOSHIKI: で、投網で客を捕まえようって、網買ってきて縫い合わせたよね。
――そのビデオって出たの?
TOSHI: 出なかった(笑)
YOSHIKI: 俺なんかがやめてくれって言ったの。
TOSHI: すごかったもん。
YOSHIKI: もう、火は吹くわ。シンバル燃やすわ、CO2で突っ込んでくわ(笑)。
HIDE: 生まれて初めて火吹きってもんを目の当たりで見たの、俺、
YOSHIKI: TAIJI、あんなせまいとこで吹いてたもんね。でもその前にエディが吹いてたの。エディが最初の火吹き(笑)。エディさ、池袋の大通りとかでいきなり「俺、ちょっと火吹いてみる」とか言って「ボワッ」って。通行人が「えっ?」みたいな(笑)。しかもさ、そこらへんに止まってるバイクからストローでガソリン取ってるの。「お、やっぱガソリンはすげーや」だって(笑)。それをTOSHIが受け継いだ。一時期は全員で吹こうって話もあった(笑)。全員でいっせいに吹いたら面白れえだろうなって。
TOSHI: それは無謀だろう(笑)。
――話を戻そう。PATAが入って...。
YOSHIKI: そのときもまだPATAはヘルパーだったんだけど、何か面白いからこのまま行っちゃおう、みたいな(笑)。それで豊島公会堂やったんだよね「スカル・スラッシュ・ゾーン」のイベント。 FOOL'S MATE 1990年9月
HIDE: 大体俺がXに入ったキッカケ自体ヘンテコリンなんだから(笑)。サーベルを解散した時、あれだけ堅くバンド止めようって決心したのに、YOSHIKIに『もう一回やんない?』って言われてXに入っちゃったんだから。何でなのかって言われても……何だか解んねェーというね、うん、だから……バンドをしようという以前になんか……あるんじゃないかなっていうか……。 ついでにTAIJIが初めてHIDEに会った時
「X PHOTO & TALK」X4vs1バトルロイヤル座談会(1990年5月23日取材)
ヒデ: 俺とタイジは共演してるんだよ、教育番組で。タイジがディメンシアで、俺がサーベル・タイガーにいたとき。
タイジ: 俺、そのときヒデ初めて見てサ、もうびっくりしちゃった。かっこよくて!まさしくジーン・シモンズを思い浮かべた。肉、ガシガシ食ってんの、血ィ流しながら。でね、ムルバスっていうバンドとサーベルがやるって聞いて「ムルバスに負けないでくださいね」って握手しちゃったの、ヒデと(笑)。かっこよかったよォ、ヒデ。今よりもっと怪獣だったよ。 前にも貼ったけど・・・
『伝説のバンド「X」の生と死』 hideとの出会い p.17
俺が最初にhideと出会ったのは、神楽坂の「エクスプロージョン」というライブハウスだった。俺はその時、まだ17歳で、「ディメンシア」というバンドをやっていた。一方のhideはというと、「サーベル・タイガー」という伝説的なバンドを率いていた頃だ。俺はかねてから、
「サーベル・タイガーと同じステージに出てみたい」
と、エクスプロージョンの店長に頼んでいた。そしてようやく実現したのだった。hideが率いるサーベル・タイガーには以前から注目していて、同じステージに立ちたいのはもちろんのこと、客としてもじっくりと見てみたいと思っていたからだ。確かこの時は、テレビ局も取材に来ていたと記憶している。
演奏が終わってから、hideの方から俺に話しかけてきた。
「その頭、すごくカッコ良く決まってるね。髪の毛決めるの、すごくうまいね」 ロッキンf 2006年7月
「もう、辞めるんだ」って決断してしまうようなことばかりが起きて、辟易していたんだ。業界にもガッカリしたし、いろんなことに失望しっぱなしで、その上、HIDEの死があった。でもその時に、夢を見たんだ。HIDEが出てきて、壁に”ファイト”っていう字が現われた……そんな夢で、HIDEが応援してくれているのかなって思った。おかしな話だけどさ。ほそぼそでもいいから、自分でやろうって。その時期の話も、あんまり語りたくないな。 OhmyNews:オーマイニュース 2008.06.14
【独占】元XのTAIJIが激白
https://web.archive.org/web/20080614/http://www.ohmynews.co.jp/news/20080611/26243
TAIJIの心には今も、X魂と「大尊敬する」HIDEが宿っている。
「HIDEとは一緒に釜の飯を食ってきて、一緒に音を作ってきたメンバーですから、(死を)ひとことで言えないのは当たり前なんですけど、心に彼が今でも問いかけてくるっていうのはありますよ。『TAIJI、これは違うんじゃないの?』とか『よし、それでいいぞ!』とか、HIDEだったらこう言うんじゃないかなぁっていうのはありますね。幻聴じゃなくて(笑)、心で聞こえる」
最後に、“同志“たちの素顔について聞いた。
「僕はHIDEじゃないんで素顔はわからないけど、素顔に近い部分でいえば尊敬できるヤツでしたね。YOSHIKIは……、カッコいい男です。センスもあって、あれだけの動員数を誇れるっていうのはすごいことだと思いますし」
https://www.bilibili.com/video/BV1Ds411v7PA/
上の記事とちょっとセリフが違うけどね ズボンの上からでもサイコー&たまらん&けしからん❤(///ω///)♪ 山岸秀治「トモニーサイコー❤(///ω///)♪」 モアイ山岸「ありがとうアララの呪文(´;ω;`)」 友美ちゃんのお尻ズボンの上からでもぐうシコ❤(///ω///)♪ ともみおねいさんのおしりズボンの上からでもサイコー❤(///ω///)♪ まる子「♪何かでつまずいたり 立ち直れなかったり いろんなことがある 人生だから」 前田さん「ちょっと山岸なに泣いてんのよ!あんた男でしょ!元気出しなよ!」 ブー太郎「なに泣いてんだブー 男のくせにカッコ悪いブー 元気出せブー」 友美ちゃん発見友美ちゃん発見❤(///ω///)♪ あこがれの友美先生はいつもオマ◯コ濡らしているド淫乱痴女だった。 赤塚友美 山岸秀治「赤塚友美サイコー❤(///ω///)♪」 山岸秀治「赤塚友美ドスケベすぎる❤(///ω///)♪」 山岸秀治「右手がとまらない❤(///ω///)♪」 山岸秀治「シコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコ❤(///ω///)♪」 山岸秀治「トモニーサイコー❤(///ω///)♪」