不機嫌な長子無責任な末っ子の著者によると長子も末っ子もデリカシーがないらしい。

要するに相手を思いやるのではなく、自分の都合や体裁を良くするために自分のことを思いやっていて、相手を自分の思い通りに従わせる思いがある。というこになるのだろうと思う。
なぜなら、親から優先的に贔屓され、思いやってもらっているのが当たり前でいるのに対し、
中間子は、なぜ?自分には親の関心が薄いのかがわからず悩むため、相手の思いを思いやるようになるのだろうと思う。