悲しい話をする。愛玩子がシぬ話。
母から見て憎たらしい父親似の私は搾取子、母似の妹は愛玩子だった。
私は殴る蹴るネグレクトのフルコース。妹は欲しいと強請ったものはだいたい手に入り、貧乏な家なのに三流私立高校に進学したりした。
母親べったりの妹は母親の言葉の尻に乗っかって、私のことを散々馬鹿にしてくれたよ。
しかし我儘に育って金食い虫になった妹のわがままに、遂に母もお手上げになり、喧嘩の末、妹は家出。
その時私も一緒に家出し、離婚した父の元へ(妹は父を馬鹿にしていた手前一人では頼れない。私が一緒に家出しないと援助交際すると妹に泣きつかれた)
母は私が誘拐したと怒り狂い私の携帯に鬼電し呪いの言葉を散々留守電に吹き込んでくれた。
しかし、妹が援助交際を視野に家出したことを伝えると母は「私子だけでも帰っておいで。妹はもういらない」と日和ったメールを寄越した。
さて父の家でも相変わらず私を下に見る妹に、そのメールを見せたところ妹の精神は崩壊。
自分は要らない子供だ。お姉と同じ目にあいたくないって。笑わせる。
たちまち父の家も飛び出し、母のところにも帰らなかった。
それから夜の街で10年生きて、死んだ。
父も母も知らない。教えてない。二回結婚したことも、子供がいることも、どんな墓でどんな戒名なのかも。
愛玩子時代は大嫌いだったけど、人生の大半を母親のおもちゃだった妹は哀れだわ。廃人みたいになってからはしおらしくなっちゃって、障害年金の申請や通院支援したよ。
次は姉妹には生まれて来たくないな。