新選組経由で松平容保公について調べたが不運の人だったんだなと思った
京都守護代を引き受けたことがすべての決め手だったが、何度も何度も断ってたのに幕府の命令でそれが却下された
孝明天皇を必死に守って信頼得たが、暗殺されたのか若くして亡くなってしまった
他のみの幕府はさっさと降伏してしまうし、会津戦争前に降伏状を何度も送ったが新政府軍は京都守護代時代に薩長の要人をやられた怨みで降伏を認めなかった
朝廷にも幕府に忠義を尽くしたのに散々な目にあった
晩年は首に小さな竹筒を肌身離さず付けていて、それが孝明天皇が容保に送った感謝状だったという話は泣けたわ
京都守護代を引き受けたことが全ての始まりだったが、その時の感謝状を常に持って行ったことはそれすらも悔やんではいなかったてことなのかなと思った