【ゴミ】民俗学はあまり叩かれないよね【オカルト】
哲学や心理学などよりも突っ込みどころ満載の、
ゴミ雑学・オカルト空想趣味なのにあまり叩かれないよね。
幼稚すぎて相手にすらしてもらえないのか、
そもそも気付いてすらもらえていないのか、
あるいはゴミ回収屋として多少は人の役に立っているから?
あるいは俗っぽい雑学&オカルトライターとしてのネタ的な需要?
こんなものに税金を投入する事はもうやめませんか。 53の言う、英米のfolkloreみたいなのは俺の理想に近い。
一言で、日本の民俗学と比較すれば、あちらは動的、こちらは静的。
考古学においても、日本のそれは静的なんだな。世界の考古学は
もっと、動いてるものに関心の対象が広がってるんだが。 日本民俗学の再評価論としてはこれが面白かった
ttp://www.koubundou.co.jp/books/pages/56115.html
民俗学で食ってる人が民俗学を再評価って言ってもなあ… いや、>>58なら人類学者だから。
人類学は日本の民俗学に学べとか、アメリカのアカデミシャンどもは
日本人がマレーシア行ってフィールドワークしたみたいな、アジア・アフリカでの人類学研究について、ほとんど関心を持たないけど
日本人が日本文化を考察する日本民俗学には興味をもつから翻訳とかもっと出したら
みたいなそういう話。 日本の民俗学の海外発信が少なすぎた、というのは、最近たくさん言われてきてるな。
それに対する動きもあるが(たとえば、今ドイツの有名な民俗学者が来日講演している)。 >日本人がマレーシア行ってフィールドワークしたみたいな、アジア・アフリカでの人類学研究について、ほとんど関心を持たないけど
ソッチの方どうにかしろよと思ったが
日本人も「ソマリア人人類学者が南アフリカ行ってフィールドワークした民族誌」とか興味持たないだろうな。
人の事言えないか。
その民族誌が英語の雑誌に載ったら興味を持つだろうw /⌒⌒γ⌒ 、
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中沢はわかるけど、茂木も?茂木ってそんなとこまで手出してんの? 民俗学・神話学、文化人類学は茂木のような認知科学者には
魅力的な分野だと思う。
認知考古学みたいなことができるのではないかと期待するん
じゃないかな?
というか認知科学は、神経科学(脳科学)、心理学、計算機科学(人工知能研究)、言語学、分析哲学、文化人類学で学際的に認知(心の仕組み)研究するものとして成立したものだから
単一の認知科学って学問があるわけじゃない。
認知科学のフィールドと文化人類学に関連があるのは当たり前.。
人類学で認知考古学みたいなことができそうっていうのは、だから転倒してる。
認知考古学の方がむしろ認知科学分野に最近参入した。
民俗学・神話学(神話学って民俗学や人類学みたいな学問分野としてあるの?)が認知科学とどう關係シテルかは知らない
>>69
ttp://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/files/CognitiveArchaeology.html
>>70
ありがとう。
なるほどね、認知科学の成立に人類学は元々関わっていたと。
認知考古学も「歌うネアンデルタール」とか、ちっとも面白く
なかったがw
ハレとケがあって、ケが枯れるからケガレってのが
現実の語源じゃなくて、民俗学者が作ったダジャレに過ぎなかったってのはショックだったな
「気」が「枯れる」で「ケガレ」、ってのが説得力ある。 「気」というものを一般的な概念として認識している層には説得力を持つのかもしれないな。 胡散臭い武術とかで出てくる「気」じゃなくてさ、「元気」とか「病気」とかの「気」だよ。 何だかんだ言って、くだらない雑学オカルトスレばかりだよな。この板。
認知科学だのにはほど遠い。 そりゃまあ、そもそも人類学の板じゃなくて民俗学と神話学の板だからな。
でも地理・人類学板に比べれば人類学してると思うよw
民俗学も神話学もオカルトが本質ではないのだが・・・ 「最強の神」とか「どっちがつおい?」みたいな奴がいると目を背けたくなる。 「最強の神」と言う考え方に日本人特有の「神」の概念を見た!
どうでもいいけどログは本当に戻ってくるんだろうか? >>82
民俗学
柳田=結構オカルト
折口=完璧オカルト
宮本=多少はオカルト
神話学
ミュラー=オカルト
デュメジル=実質オカルト
レヴィ・ストロース=半分オカルト
エリアーデ=意外とオカルト
キャンベル=オカルト
というわけでオカルト ミュラー=言語学者兼宗教学の開祖
デュメジル=言語学者
レヴィ・ストロース=人類学者
エリアーデ=宗教学者
キャンベル=神話学者
というわけでそこに神話学者はキャンベルしかいません なるほど、オカルトの定義がこんなんだから、板違いのスレしか立たないわけだなw オカルトと神秘主義はまったくの別物だからねぇ
オカルトは子供のお遊戯 「神話の本質」って概念自体がオカルトなんだからそういうこと考えてた
神話学の大物がオカルトになってもしょうがないだろう。
オカルトじゃない神話学となると相当に地味なデータの記載の山にしかならない。 19世紀のミュラー、キャンベル、ユングあたりはそうかもしれないけど、
エリアーデは「宗教の起源」研究を否定しているし、
デュメジルやレヴィ=ストロースは相当に地味なデータの記載がメインだという印象があるが。 そもそも神話や宗教って他から区別されて存在すると、一般論として言えるんだろうか?
歴史や昔話と神話との区別ってなんだろう?たいていの伝統社会では、明確に区別されてないわけで。
もっともこの批判が当てはまる神話学者は、上であがってる例ではキャンベルくらいか?
あと、文化の中から「宗教」を取り出すのも無理があるんでは?ということでエリアーデ(というかエリアーデ系の宗教学?)も批判されてるらしい。
聖性を持って宗教の本質と為す…みたいな議論について、研究対象のアボリジニの一部の社会から文句言われてたりするらしい。
「我々の祭りは世俗的なものなのに、宗教学者がやってきて無理に聖性=宗教性で分析しようとしたがる。うざい」みたいな
これを巡って「いや、やってる人は世俗的なつもりかもしれないが、そこに宗教性はあるのですよ」みたいな反論もあったりするとか
この話については雑誌で読んだだけだから、詳しいことは知らないが、
当事者の視点ってのも最近よく問題になる話だよね 「宗教」の板じゃなくて民俗学と「神話学」の板だからさあ・・・ 神話ってカテゴリでも似たようなもんじゃね?
民俗ならまた話は違ってくるが。 宗教学
現地民「この祭りは宗教じゃないから」
神話学
現地民「この話は神話じゃないから」
民俗学
現地民「この生活は民俗じゃないから」
人類学
現地民「我々は人類じゃないから」 >>93
神話じゃなくて神話学ね。
言葉はもう少しデリケートにあつかっていただきたい。 >>95
ちょっと何が言いたいかわからない。
神話研究で「神話」というカテゴリーを切り分ける行為については、かなり古くから、下手すると宗教より古くから言われてるでしょ.
「アメリカ・インディアンの神話」研究において、多くのインディアン社会では「実話」と「フィクション」の二項対立でしか分けてないのに
先住民の「神話」というカテゴリーを取り出すのは、知的虚構じゃないの?論争とか。
宗教の方は、たぶん宗教概念それ自体が廃棄されることはないだろうけど、神話って概念については「マジいらないんじゃね?」という意見は結構強いよね.。
カテゴリーの有効性が問題になってるのは、神話学ではなく「神話」の方。
もっとも神話学も、そういう「学」が成立してるかどうかは微妙だろうけど。
あ、神話学が「学」として成立してないかもってのはここの研究がトンデモって言いたいわけじゃなくて
人類学、宗教学、民俗学、歴史学、文献学などの分野での「神話」の研究は盛んでも
「神話学」の存在は微妙だよねって程度の意味です。 単に分析概念と実体概念との違い、emicとeticの違いっていう話じゃないのか。 通文化的概念として「神話」が有効かって話
松村一男氏は、神話概念不要論・害悪論に対し、
神話というのはそもそも不合理なものなのだから、神話概念のいい加減差を批判するのは筋違い
という趣旨の反論をしていてたな 人類学者の桑山敬己に言わせると、その手の当事者の視点問題については
日本の民俗学は,人類学に比べて優等生らしい。
人類学は研究対象から反論を受けにくいので、「僕の考えた○○文化」を構築しやすいが
日本の民俗学は研究対象自身に本が読まれる可能性が高いので、そこへの気配りが求められてきた、とか。
twitterでしばらく前に行われてた話によると、アメリカの民俗学と人類学も似たようなところがあるらしい。 >twitterでしばらく前に行われてた話によると、アメリカの民俗学と人類学も似たようなところがあるらしい。
どんなの? 宗教学、神話学、民俗学、人類学の中で民俗学が一番ってことですね >>100
昔、四国の憑き物筋についての調査報告書で、国内刊行物ではイニシャル、米国刊行物には実名明記というのがあったけどな。 >>101
># 20:03 そ こでヘンリー・グラッシという民俗学(フォークロア)の学者がパネルセッションで発言しているのを聞いた。1981年だったかな。
>文化人類学者は人が隠し ておきたい問題を根掘り葉掘り聞いて民族誌を書く。
>民俗学者は人が自慢をすること(クラフトや民謡)を記録する、と述べた。
>これだと思った。
ttp://okude.blogspot.com/2010/09/blog-post_13.html
これだ。
>>53とも関係するのかね。
これの人だな
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4791753321/ ネット時代だと即バレですね
問題になったりしたの? >>104
どうも。
クラフトってなんだろ?
民具? 少なくとも今の民俗学で、学史以外の目的で引用されることはないだろう。 >>112
柳田=過去の人
宮本=学説そのものがない。 柳田も過去の人なのか
やっぱり民俗学の進歩はすごいな
アインシュタインと同世代の人だよな?
ひょっとして物理学より進歩が早いんじゃ? 科学の偉人が過去の人になるってのは、
新たな偉人が決定的な大仕事によってそれを覆すからであって、
柳田が「風化」したのとは意味合いが全然違うだろ。 柳田の時代とは、パラダイムが違うからね。
柳田パラダイム=庶民の日常生活史を、聞き書きで復元する。
今の民俗学パラダイム=現代社会における文化資源としての民俗文化の位相を明らかにする。 谷川健一さんはオカルト肯定したくてたまらなそうな文章かく そういや日本人民俗学者の女性っているの?
イギリス民俗学会会長のキャサリン・ブリッグズとか海外の人は邦訳あるけど
>>118
科学の偉人が過去になるのは、新たな偉人の家てい的な大仕事に因る
民俗学の偉人が過去になるのは、小さな積み重ねに因る
こういうこと? >>42
網野が出てきたのはアナール派以来の社会史の伝統が背景にあるだろ >>119みたいなことになったのは、歴史学の方で庶民の日常生活史の研究が発展したせいもあるのかな。
「記録を残さなかった男の歴史」なんて本もあったな
読んでないけど 柳田が目指していたのは、結局、日本でアナール史学を構築することだったんだね。 それが即ち歴史とみなされている「権力抗争史」にはうんざりするほど興味ないが
教科書には載っていない、名もない庶民の民間伝承はとても興味深い。
自分の祖先とはかすりもしないほど遠い存在である将軍の話とか何が面白いのか。
「日本人=サムライ」なんてドヤ顔になってる奴は滑稽だ。
ほとんどの日本人は百姓なのに。 将軍はともかく、天皇家なら、たぶん君の先祖とかするくらいは確実にしてると思うよ
>>131
天皇家って奈良の豪族とか、大陸から来た帰化人とかじゃないの?
古事記とか信じてる派? >>132
??
起源とか関係なく、皇族の人間を親に持つ人で、
皇族じゃなくなった人や皇族に手をつけられて子供を生んだ人間がは結構いて
その子孫は一般大衆の中にばらまかれてるよ。
平安時代(人口数百万人)の頃から数えても50〜60世代。
父、母、父の父、父の母、母の父、母の母、父の父の父、父の父の母、父の母の父、父の母の母、といった具合に
50〜60世代遡って、皇族の子孫とかすりもしない人は、明治以降に移民してきた人(だけ)の子孫くらいだろ。
飛鳥時代辺りだとさらに民衆との間に子作りする例は多かったし。
勿論、皇族だけじゃなくて帰化人とかでも同様。
徳川将軍くらい近い時代になると、「絣もしない」人は増えてくるだろうが。 ミトコンドリア・イブが全人類の共通祖先と言われるが、あくまで「母の母の母の…」と純粋に母系だけで遡った場合の共通祖先であって
系統の種類に拘らなければもっとはるかに最近になる。 たとえば、江戸時代を生きた祖先が全て上級武士で、それが文献的に確認が取れる人はいると思うが
そういう人が江戸時代の農民の生活をおもしろがっちゃいけないのかね。
祖先にこだわり過ぎるのもどうかと思うが. >>130
田舎に行くと結構な割引で「先祖が武士」な百姓いるけどね。
荘園の管理のために実際に赴任しないといけない地位の武士が、全国に散らばって行ってそのまま定住したりしたもんだから。
>>136
割引してどうすんだw
○割合ね。ども>>137
まあよ、百年後に「今」を語る際、菅さん云々もまあ大事なんだろうけど、
AKB48はどんなもので、どう受けて、どういう歴史を踏まえていて、
みたいな話も確実に時代の性質を語るであろう、と。
そういう話だろ。 農民町人の話になると
学生が寝る。
それが現実です 農民町民の話にこそ、俗っぽさがあって面白いのにね〜。民俗学だけに。 確かに民俗学は実学じゃあないな。
でも民俗学のアイディアってのはいろんなとこに生かされてるんだぜ
ひぐらしのなく頃にだって「閉鎖的なコミュニティでは狂気じみた儀式が生まれやすい」って
いう民俗学の研究結果をはじめいろんな民俗学的要素が入ってる
東方projectの作者のZUNだって自分の故郷の民俗や伝承を参考にシナリオを作った
確かに実学じゃないんだが俺はそれだけでもすばらしい成果だと思うんだ
それでも納得できないオタク嫌いは「日本人とユダヤ人」って本を読んでみな
あれは柳田国男から続く民俗学の成果を参考にして書かれた本
それすらもおもしろいって思えないならもう何もいえないけど 哲学や民俗学が学問の中でも異端とされているのは、人類の進歩に役立ちにくい、「面白いだけの学問」だから。
それでも俺は民俗学が好きなんだよなあ。
でもまあ、民俗学者と薬学者が協力することによって民間療法を元に新薬が開発される、なんてことも結構あるんだよね。 もともと不確かなことがはっきりしている学問だし
民俗学自体、そういうスタンスでやってるからでしょ。
哲学は「哲学こそが至高」みたいなことをよく標榜するし
心理学も「診断」を下してしまうからね。
ただの推測では済まない。 >>142
そういう種類の本と柳田を同列に並べられると違和感を覚える。
それからオタクの話題を当然のように語るのはちょっと・・・ >>134
民俗学とはあまり関係ないけど
ミトコンドリア・イヴというのは
確率的に考えて一人に絞り込まれていく
というだけの話であって
実は2人だったとか、3人だったとか
そういう可能性もありうる理論。
それをあえて「イヴ」にしたのは
研究者がキリスト教圏だったから。
宗教やりながら科学するのは自由だが
研究にまで思想を持ち込むのはやめて欲しい。 >>143
でも、現地民と研究者の間に社会的格差の小さい民俗学の場合は知らないけど、人類学ではその手の研究の結果、
その伝統医療を実践してきた現地民から、人類学者が泥棒として憎まれるなんて事態も起きてるわけで。
研究倫理のホットな問題になってるよね。
伝統的な薬から抽出した薬効成分を企業が特許とったりね。
他にも、「知識」が家系や”部族・民族”の所有と見なされてる文化もあって
研究者に「動植物や薬の知識をあなたには教えてきたけど、論文などで一般公開しないでくれ」と言われたり。
>>146
>研究にまで思想を持ち込むのはやめて欲しい
思想を持ち込むと言えば、戦後の民俗学はマルクス主義からの転向学者たちが中心となり、
まずイデオロギーありきで積み上げられてきた分野だからな。
不健康な風潮だったと思う。 日本も含めた世界的な民俗=民族学≒文化人類学
日本のみの民俗=民俗学 柳田は民俗学を実学としようと頑張っていたよね。
経世済民とかいうと、農務官僚らしさが鼻につくけれど、そういう真面目さはきらいじゃない。
有名どころでは、宮本常一が関わった「周防猿まわし」の復興とかもあるよね。
最近の例では、西表島の無農薬米の宣伝をなさっている安渓遊地先生や、
ログが飛ぶ前のスレでは賑わっていた六車由実先生の介護民俗学などの取り組みが面白いなと思う。
民俗学には、社会と積極的にかかわろうという意識があると思うんだけど、そういったところは民俗学の魅力だと思う。 あと>>1に戻ると、民俗学が叩かれないのは、もう数十年前から新しいことを発信できていないからだと思う。
大塚英志が、「最近、民俗学の文章を執筆しようとして、最近の論文を読んだけれど、自分の学生時代から変化がなくて愕然とした」と、数年前になんかの雑誌に書いていたと思うんだ。
僕にも覚えがあって、地元の民俗調査に参加したときに、地元の民俗学者から柳田國男のフィールドノートのコピーを渡されてどうしろと、呆然としたことがあった。戦前の聞き書き項目を使えって……
他には、日本民俗学に寄稿している先生(50代)にお会いした時には、基層文化が云々と仰っていて、この人も柳田のころから脳味噌が更新されていないんじゃないかと疑ってしまった。
僕の印象だと、80年代に若い人たちによって色々と新しい提案がされたものの、咀嚼もされずに流れていったしまった感じ。 やはり実学じゃないからそういう風になるんじゃないかな。
自分は理系なので民俗学と縁もゆかりもないんだけど
コンピューターシミュレーションが専門だったので
2〜3年前の論文は古すぎてあまり役に立たないような状態だった。
じゃんじゃん学会や研究会に参加して、新しい手法や発想を勉強してくる。
古い知識でも研究自体はできるんだけど
「古い研究じゃ役に立たない」から、更新を求められる。
研究のための研究よりも、別の目的があるほうがやはり捗る。
企業が研究してるとその力がやはり絶大で、お金が動くし。 >>151
その印象は、それはそれで偏りがあるように思う。
さすがに今「基層文化」といえば相当叩かれるレベルだと思うし。
今、もっとも活動的な民俗学者といえば菅豊だけど、
彼は公共民俗学に積極的だし、ほかにアメリカ、ドイツ、中国といった別の国の民俗学との交流も盛んに行なっている。
そんな動きと一部連動した、2008年に筑波が中心になって設立された現代民俗学会の動向も見逃せない。
それとも、民俗学の先端領域にいる大学の人々と地方の古風な民俗学者とでは
架橋不可能な裂け目がすでにできているということか。 吉川弘文館の『日本の民俗』を読むと、観光と民俗ってテーマが注目されつつあるらしいな
アメリカでも民俗文化の商業利用を巡る議論が活発に起きているらしいけど。
鷲宮神社と商工会の町おこしなんかは民俗学的に見ても興味ある。 >>152
研究のスピードが遅いおかげでアマチュアも参加できるという利点もあるかと思う。
いいか悪いかどうかは置いといてね。
>>153
>それとも、民俗学の先端領域にいる大学の人々と地方の古風な民俗学者とでは
架橋不可能な裂け目がすでにできているということか。
それはあると思う。
よく言えば地方の研究者は時代の流れにとらわれずに自分の興味のあることを探究しているんだろう。それを読む人がいるのか、社会的に意義があるのかどうかは別にして……。
僕の地元、関東某県でこうなんだから他の地方では推して知るべしといった気がする。
>>155
近刊『神道はどこへいくか』で、鷲宮神社というかアニメと神道について語っているみたい。本屋でぺらぺらとページをめくっただけだから内容は分からないけれど。
サイニーで「鷲宮」でキーワード検索をかけると、107件出るんだけれど、そのうち「らき☆すた」関係と思われる論文が37件。
北大の機関紙が鷲宮特集をしたせいで19件は1冊にまとまっているとはいえ、食いつきすぎだろう。
他の人と研究内容がかぶることに拒否感をもたないんだろうか。
>>148
まあそう言わず。
故・千葉徳爾みたいな人が居たのも知っておいて欲しい。
柳田國男の弟子、大塚英志の師匠だ