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フランク王国自体が、メロヴィング朝とカロリング朝では、まるで異なる性格の政権だった。

カロリング革命での王朝交代が可能だった理由は、中世に入り
ガリアやゲルマニアでの古代異教の衰退とキリスト教の拡大があったからだ。

メロヴィング家の正統性や聖性の由来は、海神との血縁性!?にあったりする。

もともとメロヴィング家(サリ支族王)は、今のオランダの海岸地区を
原住地としており、古代からヴァイキングを含む海上貿易が盛んな地域で、
今でもオランダの港などには、人魚の像が置いてある。

751年にカロリング家がキリスト教の聖別式を導入する以前では、
メロヴィング家の正統性と聖性は、事実上の始祖であるクロディオの妻が、
海岸でミノタウロスに強姦(記録には“接触”と記されている)されて、
クロヴィス王の祖父であるメロヴィスが誕生した事が由来、となっている。