人柱について(2)
>>42
「臨時」で「架橋・築城」等「建築」の際の犠牲が「人柱」だと思う
(文献上それ以外の犠牲を人柱って表現してる例はあるんだろうか?)
建築物の堅固なることを祈ってのものだから「柱」ね
オトタチバナ姫は荒れた海の神を鎮める為の犠牲だから人柱っていう風には表現しない
んじゃないかと ごめん;;
>>42やけど、二重投稿になっとる…申しわけないorz
>>44
そうなんだよな
オトタチバナ姫は人柱って気が全然しないんだよ
だから、臨時であることに加えて、建築物限定っていう条件が必要になってくるのかなと
ただ、建築だから柱ってなると、言葉自体は歴史が浅いってことになるのかな
日本書紀では川に放り込むだけで埋めるという概念がない
埋めるようになってから柱という言葉が使われるようになったと考えるのか
あるいは、神の「柱」だと考えるのか
調べてみたらWIKIは神の「柱」説だったけどねw
結局、そうなってくると人身御供>人柱で、人柱は人身御供の一部ってことになるよな
本質的、宗教的な違いはないってことになる 人柱を立てるという行為がどういうメカニズムで「効く」と昔の人が信じていたかについて考察
A)工事の途中で困難な出来事が起きる、あるいはそれが予想される場合にその土地の神の
荒魂を鎮める目的で人牲を捧げる
B)人間を殺し、その霊を目的の建築物に縛りつけ守護神(霊)として機能させるようにする
(異人であるとか特殊な能力を持つ人間の「血」が建物を強固にするっていう考えも
ここに含めるべきか)
C) A+B 在地神に捧げるのが主目的だが捧げられる人間もその土地(建築物に居つく)
新たな神として祀る
まだあるかもだがとりあえず3つほど
南方熊楠「人柱の話」で指摘されてるように、ある宗教の普及により説明のロジックが変更
されるってこともあり得る >>46
thx!
Aなら人身御供との違いは臨時性のみ
Bなら柱は神化としての柱と理解され得る
Cなら神と同じ信仰対象となる時点でBと一緒なのかな
この分類見て思ったんだけど
たぶん神としての柱なのだが、それは本来の神とは異なる神化なんじゃないかと
本来の加護を与える神ではなく、祟ることを避けるために祀ったんじゃないだろうか
死んだことによって神のように祟りをなすことができると考えた場合、祀って鎮めるということはあり得るんじゃないか? 本来の神というのがどの文化圏での意味合いか分からないけれど、日本であれば
畏るべき存在で、祟られないように祀られたものは「神」だよね
神か妖怪かの分岐線が祀られているか否かの差っていう説もあるし 本来の神ってのは文化圏とかとは関係なく、シンプルに自然神だよ
人柱を捧げる対象はその河の神とかだろ
工事が無事に完成するように祈るんだから、氾濫などを防ぐ加護も与えてくれるはずだよな
でも、人柱の神は加護を求めるよりもひたすら祟らないことを願って祀るんじゃないかってこと
妖怪はもともと神だったものが零落したものだから祀られていないってのは当たり前だよな >>46のCに沿って自分の考えを整理すると
1)工事を円滑にすすめるための土地神への犠牲(出来上がる前)
2)その建築物の長久堅固なることを祈って(出来た後)
出来た後、その橋なり城なりが流れや敵の軍勢の攻撃に耐えて無事存続するように
神威・加護を人々が期待した対象はささげられて神として祀られてる人柱なんじゃないか
と思う
「城が火災・地震の被害の無いのは人柱になった娘のおかげだ」
或いは
「大蛇と化した人柱の娘が霞をはいて城を包み守った」云々の伝承を見るとそう思える
ちなみに説教「まつら長者」にて人身御供を要求していた大蛇は、もと人柱の娘の成れの果て
っていう設定なので、人柱に立てられた経緯によっては祟りの恐怖はかなりあったと思うし、
それを避ける意味でも手厚く祀っただろうね >>50
自分もそう思う
そう考えると、神の柱説を拒否する必要はないんじゃないかと思うんだよね
ただ、拒否する説を尊重してそれに従って考えると、その違いはどこに見出すことになるのかなと思って考えてみてるわけだけど
個人的には神の柱であり、建築の柱、どちらも言霊として意味をにじませていると思ってる 地脈の関係もあるね。
柱はそれ自体が神性を帯びてて地脈を変えてしまう。
鍼と同じで思想で、地脈を整えることで災害の防止や土地神の鎮撫が可能だと思われていた。
人柱はその際の呪的な効能強化でしょ。
人柱の思想の根底に流れてるのは献身であり、犠牲。
世界中の宗教に普遍的に存在するもの。
場合によっては聖職者や権力者の埋葬を行なう事で同じ効果を得ようとしたり
キリスト教でも殉教として奨励した時期もある。 そういや西洋じゃ王殺しという系統の話もあるね
人柱になることで特別な存在になれるというメリットはもともとはあったのかも
ただ、日本の伝説じゃ、あまり名誉なことというイメージはない
これは古い時代の風習ではなく、近年まで行われていて、近年の価値観でネガティブに評価されていたからだろうか? 家康なんかは国家鎮護のために関東の霊脈の中心地であり
江戸城から見た丑寅の禁(金神)門である日光に祀られたはず。
第2次大戦で御国のために御柱に、をやりすぎた反動で
今みたいなネガティブ要素が濃くなったんだろう。 いやいやいや;;
面白いけど、ネガティブ要素は第二次大戦前からあると思うよ…
人柱になって可哀想、って話が多いし
日光に祀られた家康は人柱として殺されたわけじゃないから、ちょっと違う気がする いや〜殺されてから埋められるのと生き埋めにされるのとでは、差は大きいか大差無いか悩む(-_-;) 69 :日本@名無史さん:2006/07/08(土) 08:44:06
本を読んでいたら横浜の香ばしい歴史の一ページが記されてあったので書いておく。
明治初頭、西洋人の妾はラシャメンと呼ばれ蔑まれていた。ラシャメンとは緬羊のことで、
西洋人の船乗りは船上では緬羊で性欲を満たしていたという話にちなんだものらしい。
西洋人とラシャメンの間にできた子供はアイノコと呼ばれ蔑まれた。一目でわかるその姿に
親からは捨てられ、町の者からはひどい迫害を受け、生活苦から犯罪に走るものも多かった。
西戸部の暗闇坂には監獄があり、混血児が多数収容されていた。
明治6年8月、本町6丁目の大岡川に弁天橋が竣工した際、この西戸部監獄から混血児
4人が連れ出された。少年たちが橋の工事現場に行くと、大きな深い穴が掘られてある。
気味悪く感じて尻込みする4人の少年は、いきなり背中を押され穴に突き落とされてしまった。
泣き叫ぶ声を掻き消すように土や石が上からかぶせられ、たちまち生き埋めにされてしまった。
橋供養の人柱を捧げられたこの橋は、今も存在している。
該当箇所の地図:
ttp://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35.26.46.072&lon=139.38.11.180&p=%CA%DB%C5%B7%B6%B6&ac=
14&lnm=%CA%DB%C5%B7%B6%B6&idx=23
すごいことして死んだりすると偉くなる人ならざるものになる系の話は多いよね
キリスト教とか仏教とか皆の犠牲になって死ぬと神の使いになったり断食して死ぬと菩薩になったりさ
柱と呼ばれるようになることが神やそれに近いものとして呼ばれることになるなら
人柱もなんだかしっくりくる呼び方だよね すごいことして死んだんだから、死後に報われてほしい、という願いもあるんだろうね 大宗教の文脈で死ぬんだから宗教の教義に基づいて祭り上げられるのは当然じゃん。
人柱もまた民間信仰の産物だろうけど。人の怨念は粘りついてくるような気味悪さを伴うからな。 近所に幼女にイタズラしようとしたり、風呂覗いたりするキチガイの兄弟がいて
近日中迷惑してるんだが、人柱として役に立った時代もあるんだな >>66
それが何度も警察の世話になってるのに治らない ダメダメ。警察官のレイプ事件は地元新聞でも取り上げないんだから。
新聞記者は警察から接待されたり、情報をもらったりの関係なんですから。
仙波さんと岩上さんの対談。
http://samadi.cocolog-nifty.com/sahasrara/2010/11/by-d097.html
つまり、レイプ犯人を内部に抱えた警察に相談したってダメ。
弁護士と民事提訴を考えるべき。そこで勝訴し、その上で刑事提訴へ。
そうすれば、悪い対応はできない筈ですよ。
部落民と朝鮮人に恨みを買うと警察にマークされる
1 : 名無しピーポ君 :2006/03/22(水) 02:31:42のです。
警察と部落民・朝鮮人はガッチリ結びついており、公安警察というのは
部落・朝鮮の秘密結社を利用しています。
そのため、部落民と朝鮮人に恨みを買うと、こいつらはその対象を
「こいつは犯罪者だ」と警察に恣意的に報告します。
そうなると、全く何にも悪いことをしていなくても、警察はその一般人を
マークし、様々な嫌がらせをしてきます。
集団ストーカー、デマ流し、物を盗む壊す、etc。
その際実行部隊になっているのは、当然部落民と朝鮮人です。
その代わり日本という国は、部落民・朝鮮人は悪事を働いても捕まりません。
よって、このような被害を警察に訴えても、全く無意味です。
ゞ 人柱で有名な御方は、
平安時代に兵庫築港に際して難工事と事故多発の為に、工事の安全と完遂、兵庫港の安寧を願って自ら人柱となった平清盛の近従「松王丸」さま。
供養塔(祠)は兵庫港を見渡す古来名勝で神の島、禁足地とされた淡路島岩屋は絵島の頂に有ります。
絵島は国生み神話のオノコロ島の候補地の一つ。 元祖人柱は白山神社に祀られてる菊理媛神
イザナギを追いかけてきたイザナミを追い払ったとされる。
その一節にだけしか出てこない割りには、ずいぶんと篤く祀られている。
ちなみにキクリヒメはククリヒメが訛った物で、柱にくくられた女性と言うことになる。
カミカゼ 特攻隊 決死隊 未だに結成されるとはね・・・。 >>79
プロパガンダとしての犠牲を人柱の範疇にいれてもいいなら、ベトナム戦争時代の空爆被害にあった民間人少女。
ニューヨークタイムズかなんかの一面を飾って、一躍世界の注目を集めるが、
ベトナム政権下で、体制の監視下におかれ、亡命という苦渋の選択を迫られた。
被害者を有用な武器として用いる。
政治の世界じゃよくある話だろう。
大義を失えば存続すら危うくなる。
犠牲の上の大義が必要なほど惰弱な政権であれば、存続維持に勤めるだけで害悪とすらなりうる。
死にはしないが多勢の犠牲を強いられているという話なら、現在進行形。
不定期周期で常に生まれている。
国際テロ組織殲滅の為の誤爆被害や情勢不安に難民を余儀なくされ、飢餓にあえぐ。
それら総て礎。
底辺の身柱が、天井を支えて、次層の床を維持している。
貧富、階級、階層社会。
一見無関係にみえるが、如実に影響しあってる。
気がつかない領域で。 柱は支え。
小さなコミニュティの天(あめ)の上(かみ)天(あめ)の下(つち)を揺るぎないものにする為の、支え。
上(かみ)下(つち)引き合い裃(かみしも)依りて常世(とこよ)へと誘う。
人の身柱、人柱。
人であり人でなし。
死して合一せし神にもの母白須(もまうす)御先(みさき)たらん。
恐らくはそのような意味合いで人柱という呼称が名付けられたのでしょう。
上(かみ)下(つち)寄せ逢い千々に乱れし混沌の……ひとはそれを忌み嫌う。
否、畏れている。
何故なら創世よりまた紡ぎ始めねばならなくなるのだから。
関係ないけどミシャグジ様の一年神主という古い風習はこのスレの定義だと人身御供になるのですね。 これは個人的な考えだけど人柱や人身御供って説明なんじゃないかな
要するにさ、例えば津波や洪水で人が死んで、遺された人間は何故あの人が死ななければならなかったのか考える
そこで意味のない死を意味ある死にする為に人身御供って役割を与える
人柱も同じように、古代の巨大な工場現場での、事故死や病死を意味あるものに変える為に
人柱の役割を与えてやる
と考えると良いんじゃないかと思ったりする >>85
人身御供の伝説については、そのような解釈がある。
けれど、人柱は違う。実際に壁から直立した男性の遺体が埋められていて、頭上に銭が置かれていることから、実際に人柱が行われていた可能性は極めて高いと思われる。
参考書籍は明治時代から平成まで数多。ぐぐれ ×実際に壁から直立した男性の遺体が埋められていて
○実際に壁から直立した男性の遺体が発見されており そこで、それが生き埋めなのか埋葬なのかの区別をつけたかどうかだけチェックすればよいと いや、人柱っつてもさ
例えば明治期のタコ部屋労働者は、死んだあとトンネルに埋め込まれるたりしたわけで
それを人柱と呼んでいいものかなぁ、と
古代だって中世だって被差別民達が死んだら似たようになことをしてないとは言い切れんだろ? >>89
ぶっちゃけ、「南方閑話」(1926年)の冒頭で、南方熊楠が「人柱は今でもある蛮行」と書いている。
wikiにも色々書いてあったなあ 人柱は大抵、旅人を捕らえて簀巻きにし、工事の場所に投げ込むのが一般的だったらしい。
その際、割合として多いのが巫女で、本物か偽物かは問題とされなかったらしい。
歩き巫女は基本的に身寄りが無い場合がほとんどだったから都合が良かったんだろう。 新潟県在郷の寺の住職です。昨冬、檀家から聞いた話です。
その家は地区でもかなり古い家柄で、昔は村人のまとめ役をしていた。その家が管理する墓が村はずれの小川沿いに有る。先祖から伝わっている話では、「旅の男が村で死んだ。その男の供養の為に村はずれに碑を建てた。金はその男が持っていた。そして碑の下に骨は無い」と。
この村は泥田で、川の増水で作が流れる事も多々あった所。水争いで死者が出たことあった場所。
旅人が死んだのを利用して人柱を建てたのでしょうか。
殺したんじゃないんでしょうかね。
人柱を旅人でまかなうのはちゃんと理由があるそうですよ。
一つはもちろん、コミュから人身御供を出さない為ですが
大きいのは土地との「縁」がない事だったようです。
日本の仏教は神道と習合してますから、土地神との縁は先祖から受け継いだ呪いの一種、
「ケガレ」と考えられていました。
そのため土地神に対し縁がない旅人の「ハレ」で土地神の怒り(ケガレ)を中和しようとした訳です。 だから昔の一人旅は命がけでした。
そもそもが一人旅を公的には認められていない江戸時代では、
一人で旅をしている人間はすなわち、犯罪者や間諜、浪人(浪人はただそれだけで犯罪者です。
無主なのに2本さしてますからね)や盗賊の手先やあるいは世捨て人であって
村人からしても自衛の為に殺す理由があったたのですね。
しかも、旅人は奉行の定めた宿場に泊まらなければいけない規則もあり
そこで死んだ者は無縁仏として一括で管理されるのが普通でした。
(何らかの犯罪者や重要人物である可能性があるからです)
小川に一人でまつられるという事は
やはり、それなりの特殊な理由があるんでしょう。
92です。昔の人って、地区外の人には厳しい態度だったんですね。それだけ生活が苦しかったのでしょうね。
農業が産業基盤だったんだから
勝手に労働力に移動されたら生産が成り立たなくなるってだけだよ
だから規制してたの それは藩主による
松平定信なんて自分の藩じゃ徹底的な愚民化政策を採ってて
武士でも自分の名前が書ければ上等、みたいな状態だったしな よそ者、流れ者、八分物が行き倒れほかで亡くなった場合、溜め池などに投棄する例が近代までママ有りました。
池のほとりや堤に地蔵尊や仏像、祠の類がある場合はこの類とほぼ思われ。
なので、不用意にこれらを拝むのはタブー 今年の大河ドラマの主人公である平清盛公は
兵庫の津(港)、大輪田の泊(和田岬)を大規模に改修し拠点港として整備しましたが、
築港に際しては工事が難航、進退に窮して人柱を立てる事に衆議は一決。
しかしながら人選は難航。一向に決まらないのを愁いた清盛公の従者の年少の松王丸は自ら志願して人柱となると、以降スムーズに築港が成った云々。
大輪田の泊(和田岬)を望む淡路島の岩屋の名勝、絵島(古来、絵島明神様の神聖な島として禁足地)の頂上には松王丸の供養塔(鳥居有り)が有る云々。
人柱では一番有名な伝承かと。
和田神社はこの大輪田の泊の鎮守神として勧請創建の由。
また、西宮エビスの元宮(神体が最初に揚がった云々)ともされて西宮の鳴尾浜から和田神社までの御輿の船渡御祭が行われていました。近年故事に倣い復活。
岩屋の絵島の岸辺の岩山、三対山(城山)は伊弉諾大神の幽宮伝承地で麓の洞窟内には伊弉諾神宮摂社の岩楠神社が鎮座。(神功皇后が渡海して岩屋神様にお詣り)
その目隠しの前社?として岩屋恵比須神社が御鎮座。
蛭子大神はここでお生まれになり前浜から磐樟舟に載せられ遺棄されたとして元エビスの宮を標榜
海流からは岩屋から和田岬沖、鳴尾浜沖は整合性が有ります。
がいずれにしてもエビス神様として祀られたのは記紀神話の時代から五百年以上後の事 人柱で有名なところというと
長柄の人柱
茨田の人柱
も有名だよな。出典は日本書紀だし。
しかし、出典は同じだけど長柄の方は結構有名だけど、茨田の方は今ひとつ知名度が低い気がする。
間違い!
霊感のある人には判る。
鎌倉のトンネルと藤沢市民会館、
国立競技場等の人柱の上に立つ建物の
解体を切望する。
>>98
ここでは神として祀られてます
何度も崩れる城壁に人柱になった乙女
乙女桜と呼ばれていて美しい桜を咲かせます
関係なくて申し訳ないんですが個人的にどうしても合わないので松平定信公の神社には参拝してない… >>98
幕府の昌平黌を作った定信が愚民化政策なんてやるわけねえだろと思ってググッたら、
思った通りじゃねえか。
wikiではこんな感じ。
>教育においては藩士の子弟のための藩校立教館と共に、庶民のための郷校敷教舎も設置し、
>民衆に学問への道を開いてもいる。 理想だけは高かったけど、バランス感覚とか全体を見る能力は?だった人だな松平定信 >>109
お前馬鹿だろ。
>>110
育ちが育ちだから、世間を知らないのは当然。定信の息子の代ですら、桑名転封を
平然と願い出てごり押しするほどお上の威光を背負ってるし。 >>111
要するに無能ってことだよな
まあ、政策も自体も先人を踏襲しただけだし
いまだに名君扱いする奴がいるのが笑える 昌平黌設立と、学問による軽格人材の登用策は、近藤重蔵を引き立てたり、
コネばかりの人材登用に風穴を開けた点で重要。 日本の場合平然と竜神様への備えとか言って乙女を生贄に差し出していた。
川や海に近い城は特にそうだったのです。
だから日本は竜神信仰が強いのに案外竜退治の伝承も多いのです。 >>101
長柄は昔話が有名だからなあ
でも子供の頃は「雉子も鳴かずばうたれまい」が
長柄の話だとは知らなかったな
茨田堤はマイナーだけど、強頸絶間の跡地の碑が関西屈指の有名商店街、
千林商店街の中にあるね(民家の敷地内なので見学はできないけど)
ケンミンショーで大阪のおばちゃんを取材するコーナーの時よく映ってるから
千林商店街を見たら茨田堤の人柱を思い出してください
そういえば長柄も近くに日本最長の天神橋筋商店街があるし
刑場だけど千日前も賑わってるし
意図して人が埋められた場所って人を呼ぶのかな
このスレの人柱は宗教的なやつ?
俺んち土建屋で、改修工事とかでたまに人柱でる話聞くよ。
昭和の工事現場の回収だから、労働者を埋めちゃったやつらしいけど。 >>117
事故死が結果的に人柱に、ってことか
後で供養とかして祀ったりはしてるの?
この手の話はよく聞くよね
万博の工事で死んだ人がそのまま埋められたとか
工場の釜に落ちて人が溶けたとか
>>118
大きな現場の場合は、役職に人が監督してるので届けて供養する。
家ではないけど小さいトコは工期が遅れちゃうので見なかったことにすると聞くよ。
完全に作業服着てさらしまいたが丸ごとの場合は警察呼ぶ。
昭和初期の超大がかりな現場は確実に埋まってる。
無事に工事が終わるようにと、初期の段階で怪我したり弱っちゃった土光さんを数人地面の神様に…
という夢を見ました。
嘘だよ〜冗談だよ〜。 >>119
しかしまったくなさそうな話でもないのが怖いw
「生きた人間を埋める」という行為がイコール
土地の神や川の神への捧げ物として工事をスムーズにする、
あるいは単に生きた人を埋めると土地の力が強くなる、という
共通認識があるんだろうな >>119 君北海道だろ?
北海道 タコ部屋 でゴロゴロ裏付けが出てくるな。 15日付の産経新聞に人柱の記事があったので報告
昭和15年11月28日、戦闘機事故の根絶と操縦士の武運を祈って
水戸陸軍航空通信学校の井戸に身を投げた藤田多美子さんという
当時22歳の女性がいたそうだ
藤田さんは戦闘機の墜落事故に胸を痛め、自ら人柱になったという
その遺書には
「身は壌土と化するとも魂はかならず永しへに、
この地にとどまり大空翔ける皆々様の御武運を
お守りいたす事で御座いませう」
と書かれていた
彼女は大空の女神と讃えられてお堂や歌碑、胸像が建立された
戦後、お堂はGHQにより取り壊され他は遺族が引き取ったそうだが
遺族の「自衛隊の飛行場の見えるところに置いてやりたい」という思いに
有志が立ち上がり霞ヶ浦駐屯地と交渉を進めているという
泣ける話や(´;ω;`)
特にこのご時世
俺の地元では普通に人柱についての伝説聞いてた
人柱になったという川に毎年遠足に行ってたわ 九州のうちの地元にも人柱にまつわるお祭りがあります。
川の治水のため、クジで庄屋が人柱に選ばれたものの、献身的な姉弟が身代わりに
なったとかで、神社に祀られています。
夏の終わりに大きなお祭りがあり、雨乞いの神様です。
でも実際は江戸初期の殿様が治水工事に乗り出したものの、難航を極め、
劣悪な労働環境に人夫が暴動を起こして逆に殺されたとかで、
その事件を扇動したひとりの人物を祀ってるというのが本当の話だそうです…
悲劇を美談にして祀るのは、祟りを恐れる日本人らしい発想なわけで、
多分、その後も氾濫する川にびびって、祟りを鎮めるために
お祭りしてると思われます。
実際、今年、集中豪雨で酷く氾濫して全国ニュースにもなったほど難しい川です。
祖先が人柱…というか即身仏?したそうだよ。
ある宗教のお坊さんで、布教?だかで寄った町に住みついて、
その町が日照りだか疫病で困ったときに身を捧げ、町が平穏になったらしい。
その町の町史に載っている。
住んでいる地方は祖先の宗教は少数なのに、うちは代々葬儀は祖先の宗派、苗字も同じ。
でもいつ子孫残したんだろw 順当な考えだと普通の人が普通に結婚して子種を授かったのち、
天命を承けて出家し、後に入定した。
とすれば無理はないけれど・・・ >>126
鶴市だな
俺も地元そこで鶴市神社にはよく行ってたよ >>72でちらっとでてたけど、白山神社の祭神、菊理姫は水に関係し、
死と再生を司る神ということで、人柱伝説と関わりがあるんじゃないかと
いわれてるね
ところで日本の代表的な幽霊譚の一つである「皿屋敷」のお菊さんだが、
折口信夫が「お菊は白山と関わりがある」といっていて、それについて
ホラー漫画家の永久保貴一が「検証 四谷怪談・皿屋敷」でかなり力を入れて
調べてる
このスレの住人なら読んでる人も多いかな?
あれ読むと身近にある「番」や「皿池」なんて地名が気になって仕方なくなるんだぜ 太古の日本の外洋船などでのまじない的な風習「持衰」
または太古(紀元前くらい?)の王は、祭司王も兼ねて(というかもともと広義の宗教的裏付けからくる政教一致の君主)いて、
災害や反乱や疫病などは、統治する王の「徳」に問題があるせいだとされ、事が起これば殺されて王位交替したという様な話は世界中にあるらしいね
>太古(紀元前くらい?)の日本の外洋船などでのまじない的な風習「持衰」
紀元前じゃ、日本の史料はないだろう。
中国の史料でもあるの?
人柱ではないけども、
チョイと昔まで放浪者やよそ者が行き倒れて(何等かで殺され)死亡(ままあった)すると、
池や沼に投棄したりしていました。
見分け方?として池沼の傍らや堤にお地蔵さんなどがあれば・・・・
(合掌) 太古より近代までよきにつけ悪しきにつけ文物や疫病などはリアル&オカルトともに西からやって来るとの信仰(大陸側=西)があって、
史書によると半島や大陸からの使臣などが来朝した後に
よく(頻繁に)天然痘などがシャレにならないくらいの大流行、猛威を振るっていたようです。
これは、使臣の使節団や船員、召使い等に罹患、保菌した者が紛れ込んでいたのかも知れません
敏達天皇は治世末年の14年に天然痘に罹患から崩御。(罹患後直ちに都の真西に神祇を勧請し神社創建)
践祚した用明天皇も僅か二年で同じく崩御。
疫病神、荒ぶる神の防塁、結界に宮都圏(畿内)の西端に神霊を配置しています。
概ね淡路島やその南北線がその役割を担ったようで、
伊弉諾尊さま(石屋に隠れた(幽宮)天照大神/石屋神)、
それでも収まらないとさらには大物主/大国主(出雲大神)荒魂さまなどを鎮祭。
原初、都(天皇御座所)の真西に伊弉諾尊(夕日の宮)、真東、伊勢に天照大神(朝日宮)が東西の畿内結界。
のち、これに変わり風水による都造りが導入された
日本の人柱の伝説の多くに実在の人物の名前が出ているが
これだから本当と言えるかどうかは怪しいものだ
女の子が駆け落ちしたのを、人柱にされたと噂されただけってのもありえるしな 携帯から失礼します。自分の江戸時代の先祖が人柱だった。
田んぼに水を引く堰工事の現場監督だったとか。
小学生の時に課外授業で人柱の慰霊碑と竣工記念碑(実家隣)、資料館に行った。小学生当時は水に入って工事したのがご先祖様なのかくらいに思ってたが、このスレにあるように生き埋めとかだったのかな…と思うと怖い。
その先祖の墓はあるから掘り起こしたのかな。資料館行ってもそんな生々しい事書いてなかった。
実家の資料探してみるか… >>132
菊理媛が日本神話に登場するのは、異説でだが伊邪那岐と伊邪那美が黄泉で争っているときに登場して
両者の関係を取り持ったから
だから菊理媛は、夫婦和合の神様であり、同時に生者と死者の世界を繋ぐ役割りがある
けっこう、物語にするのが面白そうな神様だな ちなみに俺には人柱って風習がさっぱりわからん。
日本神話には生贄を求めるような神様は存在しないし
ましてや、慈悲を大切にする仏教にはそんな考えはない
どこから人柱なんて風習が生じていたのだろうかね >>142
民間信仰だと山のようにあるぞ
古事記にも櫛稲田姫の姉妹たちやヤマトタケルの奥さんとかいるじゃないか 我母なる阿賀野川にもあるな
人柱伝説
竜神、ヤマタノオロチにも通ずるものなのか