【荒覇吐】アラハバキ統一スレッド2【物理反射】
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0NK 遠州浜松の堀谷という集落にあるアラハバキ神社を参拝してみた
三河から関東にかけてよくある摂社末社じゃなく単体でアラハバキ神社というのはこの辺じゃ珍しい
社務所みたいなのはあっても社殿は何もなく樹木がまとわりついた磐座っぽいのが御神体なのかそれを古代の巨石信仰そのままに祀る感じ
集落に向かう途中の道の脇にあるので馬頭観音や道祖神ぽくもある
道祖神とかではなくアラハバキとして名が残ったのは人の往来の少ない小集落が地元の無名の神様をそっと村外れの磐座に祀ったからではないかとも思えた
規模の大きい神社の境内に巨石にある岩手の丹内山なんかとはまた趣が違う >>290
荒鎺神社ですねえ
浜松、アラハバキでググると出てくるよ
オカルト系とかトンでも系に汚染されてるのが残念だけど
秋葉街道の太平洋側入り口である浜松北区は磐座群や南朝の残滓ぽいものもあって色々面白いなと思う >>206
日本中央。でつか?
古代、先行大和王朝の海部/高尾張〜磯城王朝が同族の九州からの神武ほかに攻め込まれた際に
勇良く侵攻してきた賊軍(九州の物部、豊国宇佐、但馬ほか連合軍)に応戦、健闘するも利有らず退却に次ぐ退却を余儀なくされた
大和王朝(磯城王朝)の正当な王家の御子、中大曽根彦(大彦。=長脛彦)ら(の子孫)が最期にたどり着いた拠点(都)が津軽地域、
十三湊(出雲のトミ王家に由来)を開き交易で栄えます。
北海道からのアイヌらも彼らに組していたらしく、まさに日之本国の中央(都)に相応しい命名。
ここに至る途上、日立国、アラハバキ国、等を建てるもその都度、大和朝廷軍に攻め込まれて、、、 >>291
古代出雲王国と出雲族(日本人)の信奉した幸之神三神(クナト、幸姫之命、サルタ大神)ならびに龍蛇神(龍神、大蛇神)が
全国に(出雲族や出雲族系と共に)拡散したモノの異名の一つがアラハバキ神。ミシャジャク神?他も同様
因みに、イザナギはクナト大神。イザナミは幸姫之命がモデルで原形です。
イザナミは同時に太陽の女神(天照大神)、また、水神、豊穣の女神、
磐座で二つの岩が重なり合っていたり二つ並んでいたりするパターンはクナト大神と幸姫命の女夫(メオト)神(夫婦は間違い。古代日本は女性上位の世界)を祀り、
豊穣、多産、子孫繁栄等の証(ヒモロギ) 有名な多賀城跡にある荒脛巾神社に行ってみた
厳粛な雰囲気のある花巻の丹内山なんかと違って靴や色んなモノが捧げてあって民間信仰色が強い
民家の敷地内にあるし
よくアラハバキさんは健脚を守るみたいな信仰があったりするけど下半身全体を守るみたいな信仰に行きついてるのね
中には子供を守るご利益があるとかでよだれ掛けを奉納するアラハバキさんもあるけどここの場合はちょっと子供に見せられないw
気になったのが道祖神の額を掲げてあるところ
アラハバキと塞ノ神を近いタイプの神と見る考え方なんかがあるけどこういうところからその発想なんかが来たのかもね
多賀城跡の片隅に位置するし多賀城を守る為にあえて塞ノ神として蝦夷の神を祀るというのも何となく納得できる説かなあと思った ゆらぎの子様の名字が同じですよね
元ネタは東方の勇儀だと思います
TODRでは旧都の酒屋行くと会話出来ます
敵としてはシレンのタイガーウッホです >>297
近所に住んでるけど、入り口わかりづからったっしょ >>299
国府多賀城駅の案内板でおおよその道の検討がついて
多賀城政庁跡まで行くのにちょっと道に迷いはしたけそこからは多賀城跡地の無料パンフレットに分かりやすい地図があったのと入り道にあらはばきの道標あったので大丈夫でした
駅の案内板にまでアラハバキ神社の名があるのは全国でもここだけかも
地図見てると塩竈神社から多賀城政庁に向かう旧塩釜街道を政庁裏口部分で陸奥総社と挟むような位置関係で配置されてるのね
奈良時代から両方ともこの位置にあるとしたら色んな想像が出来て面白い >>300
おお、それは良かったです
あの神社はわかりづらい上に一瞬入るの躊躇う所にあるので。
ちなみにあの民家、同級生と後輩の実家ですw
陸奥総社の宮は、実は延喜式の宮城郡4社の内の多賀神社の論社になってます
政庁多賀城の鬼門に塩竃神社も配置されてたり、ホント奈良時代からの信仰は色々ロマンありますなー 色々文献読み漁ったけど、平安時代初期に出来た延喜式、それより100年前に編纂された日本三代実録ってのがあって、それは当時の神社リストになってて、その陸奥国のリストに「彼地神」とある。
要は京都から見て最近制圧した多賀城以北に最初から祀られてた神社の事だと解釈できると思う
どこにあった何と言う神社かわからないけどアラハバキか関係してるのではと妄想してロマン感じとります >>301
地元の方だけあって色々詳しいですね
勉強になります
民家の敷地内なので入って良いものかちょっと躊躇したけど庭先にいたそこの家の奥さんらしき方に挨拶したら快く通してくれて助かりました
一緒に並んでる地蔵堂ぽいお堂にスズメバチの巣があったのにはビビったけど
アラハバキという名が本来の土着の神の名か
大和朝廷の側が門前の守護に配置した地主神に後から与えた名なのかすら永遠に不明だけど
大和から赴任してきた国司達が恭順した蝦夷達の慰撫政策の為にあえて残したというのはあるかもしれないね アラハバキ(や他の古代からの謎の神)って何だろう
えーい わからんから適当に八幡神社にしとけ
江戸時代はもちろん明治初頭から戦前にもこういう流れたくさんあったから現代まで名前残ってるのは奇跡だよね JR陸羽本線上野目駅近くの荒脛巾神社に行ってみた
地名にアラハバキの名が冠されるあたりこの神様が必ずしも秘されたものでは無いことがうかがえる
上野目駅にある周辺地図にも載っており駅から歩いて五分で地名にもなってるので日本で一番探しやすいアラハバキさんかもしれない
周辺地図を見ると線路のアラハバキ神社の反対側にある集落にはお寺や神社が集中しており要害などという地名が付近にあるのが興味をそそられる
元来は集落の付近に配置された守神なのかも
田んぼの中にある社殿はきれいにされており遠野市にある荒神神社のような趣もあり
奉納された御神酒も正月用に置かれたばかりのようで地元の住民から大事にされていることがわかる
千羽鶴や人形が社殿におかれたり裏手の祠に小さな穴を空けた石がたくさん置かれてるあたりこどもの子安の神やイボ神様の要素があるのだろう
次の電車がくるまで周囲散策した帰り道に初詣らしき人が見えた
歴史の中に消えた神様などではなく暮らしの中に息ずいた神なんだという気がした 初詣で浜松堀谷にあるアラハバキさんに行ってみた
当たり前だけど地元の人とかが奉納した御神酒や神饌なんかがたくさんあった
しかもちょっと整備されてて前よりキレイになってた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています