神社の起源
>>186
建築物は地震や火事で古いのはあまり残ってないと思います。
自分は儀式の意味で聞きましたが、とにかくありがとうございます。
昔、田舎の山奥を歩いたとき、大きな岩と小さな祠があった.
帰って調べると、地図には小さく記された神社だったけど、信仰の始まりはかなり古いんだろうなと思った. 下鴨神社は賀茂御祖皇大神宮がいにしえの正式な称号。
//上賀茂神社は賀茂別雷皇大神宮。
ぶっちゃけ、どちらも皇室のご先祖さまと言う位置付け。(宗廟)
だから永年、葵祭は盛大かつ厳かな勅祭(天皇が関わる)。
単に地主神と言うだけではアリマセン。
んで、下鴨神社の祭神の賀茂建角身大神は別名、八咫烏と公式に言われます。
一説に、賀茂大御神(古代、天照大御神成立以前に唯一「大御神」と尊称される)。
こと、味鍬高根彦神/阿治須気高彦根神と異名同神。
=大国主命/大己貴命と須世理比売命との御長子。(須佐之男命の直系長子)
(カモ=神。/後世、「カモの公(キミ)は神の君(キミ)」と言われた)
妄想・・・
♪カラスなぜ鳴くの?・・・
須佐之男命(八)の出雲(八)の七御子(八御子と言われますが実は七御子)の御事?。
須佐之男命(フツシ/亡命王族フツの子息)の錦の御旗には日輪に八咫烏が旗印(大国主/大王旗)だったか?
カラスは日本に限らず、多数の神話に出てくる
かしこい鳥だから、古代から人間にまとわると効率よく食物が入手できると
学んだのだろうな >>186
神祀りは、縄文時代からあるが、「神道」は平安時代に仏教に対抗して構築された宗教。
それ以前には、「神道」って言葉自体もなかった。
cf.高取正男『神道の成立』 欽明天皇年間に仏教伝来当時の朝廷や知識人の認識は外国のお偉い神様。
中央(朝廷)に仏像などが伝来したのは百済からの正式な外交ルートに因るため、むげにもできず困惑した。と言うのが本音。
(当時、ヤマト朝廷は親百済の路線)
とりあえず、外交チャンネルの責任者で有った蘇我氏に「私的に」お祀りさせて「外国神様」のご利益ほかの成り行きを試させたのが公式な端緒。
当然ながら、神道と言う呼称と認識はありません
この後、欽明、敏達、用明と
度々起こる飢饉や天然痘の大流行(数年毎)が絡んで
物部氏と蘇我氏の論争から権力闘争。
・・・物部氏による寺院の焼き討ち、仏像の廃棄、僧侶や尼僧の強制的還俗などの事件も有ります)
更には蘇我氏は物部氏の包囲網を形成して内乱〜物部宗家の滅亡へと流れていきます
この時期、数多の神社が創建されています。
また、寺院も本格的に建立されだします。
天皇ご自身も物部と蘇我のハザマで困惑し揺れ動いています。
>>189
シャーマンの祷りの場という意味ではそうだろうね。 >>194
山の中の祠は修験者が祀った物が多いからほとんどはそこまでさかのぼれないんじゃないかな。
不動とか秋葉権現みたいなのが多いよね。 石は、子宝に恵まれますようにという願いが多い。
古くは縄文までさかのぼり、新しいのは、江戸時代にもある。
ちゃんと調べないとわからないよ。 高山祖霊信仰〜神奈備山に磐座を組んで、麓に拝礼所を営む。
・・・出雲熊野大社や大神神社など。
そんなに都合良く神奈備山の要件に該当する物件と数は有りませんから、
コンモリ人工の墳丘を造り祭祀?
二上山の祭祀のごとくに、高い方に神を祀り、低い峰から祭祀。・・・前方後円墳の興り?
古社には、古墳を御神体にしているモノも結構有ります。
日本は火(原油)を求めて…中東は水を求めて…さぁ踊ろう〜マイムマイムマイムマイム〜♪ 「神社(かみのやしろ)」の起源の定義は、ヤマト王権を基準にするしかないだろうよ
ヤマト王権以前の土着祭祀を範疇に入れると、平気で縄文まで行くからなw
三輪にせよ宇佐にせよ阿蘇にせよ、そのへん考慮しないと線引きが不可能になる 1933の年をよく調べて見ろよ。日本が国連から脱退伊勢神宮に報告。ルーズベルト、ヒットラー…天皇もお生まれになっている年だ。灯籠のカゴメ紋は終戦からだ。天竜川のフモトにある諏訪湖では毎年8月15日(終戦日)に花火が打ち上げられている。それが現実だ… 2001年は巳年であった。2033年は丑年である。…宿命なのか運命なのか…チャック・ベリーがROll Over Beethovenなら…おいらはロールオーバーアマテラスだ! スレ違いだけど
>>205
生涯学習的なことも含めて、聴講がもっとオープンになると嬉しいんだけどなー。
土日、夜間の社会人講座の枠って、広げられないものかな。
何度か市民講座的なものを聞きに行ってるんだけど、神社のことについて話すの
は3回、4回じゃ終わらないし。 無格社とか「これ神社?祠?」ってのまで含めると
すんごい数 そういえば実家にも祠みたいなものがあったな
一家に一祠 起源とか言い出したら
しめ縄巻いた巨石とかになるんじゃね? 神社って、稲荷信仰ではないのに、ひっそりと端っこに稲荷があるのは
どうしてですか? >>214
そういう境内にある小さな祠って稲荷とは限らない気がするけど
>>214
農産の神だから。
なにはなくともそれがなくては生きていけないから。
同じくらい切実なものとして、
疫病避けの津島とか火伏せの秋葉とかもどこにでもあるよ。 >>213
神社という施設に限定すれば、そのイワクラと祭祀の場所が起源か
建築物としてはその後の御屋、家代になるのかな
あとミアレ所とか 古代イスラエルの三種の神器を置いておく場所
日本の神道はユダヤ教の末裔だ。 東宝映画の予告篇、昭和34年。何と53年前に、
三船敏郎と司葉子が演じる、チャラ男と眞子さまの恋物語が・・・。大津波の場面もあり。
http://www.dailymotion.com/video/xdnneg_yy-yyyy-yy-yyyyyyyyyy_shortfilms 4分間弱の動画。DVD3839円。
大嘗祭抗議に続き、第二波攻撃も成功。でかした国際基督教大学。
皇后(聖心女子とイエズス会)、ローマカトリック教会、大喜び。
キリスト教の大勝利は近い。
天皇家は宮中祭祀の放棄へ。 古代の神は、木や石を祭ってたからね。 高木神>高御産巣日神:高皇産霊神 たかみむすびのみこと
うちの地方では大きな石が二つ重なったのを祭っている。
古代の神社(7世紀頃)は大抵は先祖の神を祭ってる。 それにより自分の氏族を明らかにする。
中世になると中央政権が地方の民を手なづける為に神社をたてて行った。
多くの神社は、土地に祭られていた小さな神社を移転して祭るようになってきた。
また村民の気持ちを掴むには稲荷信仰を無視する事が出来なかったからお稲荷様も祭っている。 >>223
枝葉だけど、ちょいと修正。
地方を治めるため意識的に神社を使う手法は、奈良末期には始まってるんじゃないかと。
少なくとも平安初期から盛大にやってる。 >>225
確かに御神体が武器だという例は一般的だけど、
石上以外で具体的社会的にそういう記録がはっきりしている例ってある?
ツッコミじゃなくて教えてほしいという気持ちですが >>227
大変申し訳ない、石上神宮のみを見据えた発言でした。
他の諸賢に託します。 社殿とうい事であれば意外と遅かったように思う
三ノ宮レベルであれば平安初期にはあったように思うが、
それ以下は江戸期まで祠程度のものが多かったのでないかな?
稲荷や若宮などもそのころ氏神や屋敷神だったものが勧請され
置き換わったものがほとんどだと思うが 確かに、自分たちの神社を立派にしようという動きが本格化するのは
国学以降でしょうね
でも、社殿がないのがより古い形、というのが神社定義の定説だからw 一番古い神社というか拝む対象は
毎日東から登って来る 神社ではなく鳥居の話だけれども、
中国韓国の「社稷」の門?が日本の鳥居にそっくりと言うのは、今まで知らんかった。 そういえば活断層の上に神社が立つことが多いのは
風水が関係あるのかな 落石や山崩れの跡、危険な巨石の下などには
土地を鎮めるために不動さまを祀ったり神明社を建てたりすることが多いから
断層跡も同じなんじゃね? そういう時はよい地形でなく、所有者がいない放棄地なので
作りやすかったということはないのかな 近代じゃあるまいし、まさか放棄地だから作るなんて発想は無いだろ。 伊勢“夫婦岩”に異変!根元まで露出の不気味…巨大地震の前兆か
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120425/dms1204251119006-n1.htm
伊勢「夫婦岩」の古文書記録は相当古い。 古代神道の重要なご神体。
この岩の間の海底に、半島出身の大王の墓があるという。
冬至に巫女が太陽神に祈りをささげていた >>233
「紅箭門」だな。
関連性は指摘されているけれど「紅箭門」が鳥居の原型というのは否定的な見解が多いように思う すく「風水」とか「陰陽師」とか言い出すのは
アニヲタの悪い癖 諏訪神社も、本殿はなく拝殿のみ。
ご神体は背後の山。
オオミワ神社を同じ 神社について質問させて下さい。
今仕事で神社の移転について検討しているのですが、
そもそも神社を建築するにあたっての『定義』みたいなものはあるのですか?
鳥居がないと神社として成り立たないなど・・・
法律などといった確かなる証拠が欲しいのですが、どなたか教えてください。
よろしくお願い致します。 >>245
より古いということですね
沖縄の御嶽もそうだ
後で隣に社殿を建てたものもあるだろうから最古とは言えないかも知れないが 神社の移転は可能だろうけど,そもそも神社を移転することは神様的にはどうなの?
場所が移ったのでミタマはおりません.モノだけありますってな感じ? >>249
取り敢えず御神体があれば大丈夫なんじゃない?
相応しい場所、望ましい場所ってのはあるだろうけど 極端な話、封じるってのは、力が発揮されない場所に移すって事だしな
力が発揮されるぎるとか、歪んで発揮されるとか、周りの別物と干渉するとか、
取り扱い次第で災いを伴うのが祭神だと思うけど 奈良の三輪明神の本家だという神社について紹介されている方がいるのですが、
他に情報が見つかりません。事実なのでしょうか。
「三輪神社 分家 宝来」でぐぐるとそのサイトが出てきます。 事実など確認のしようはありません。
いくらでも真実を疑えますし、いくらでも嘘をねつ造できます。
ただ一つ言えることは、
本当に由緒ある所で、何かの主張をする際に必死になる姿は
あまり見かけません。 古代日本正史(原田常治)で
確認取れるものなのかな どこから出た話なのかが知りたくて。
その神社が本家だと言ってるのかな。
だとしても一般に知られてないのは変な気がします。
近ければ行ってみるのだけど。 神というのはシャーマニズムが進化したものだろう。
恐れを基本とする「オカルト」の類を計り名づけ人の力で解決してきた。
その術が占いとなり非知を知とする為の予言を授かる為に形而下の事象を
形而上の類として知的に扱うと全ての現象は分からない何かではなく
科学的に捉えられるものと捉えられない何かに分類され、その中間が
無数の神として恐れ避けるべき術となって祭りという行為として進化して
きたのではないだろうか?
神社があるのは磁気的に特別なエリアだとおもう。
例えば原生林を歩いていても磁気異常地帯があってそこだけ植生に異常が見られたり
精神状態に変化が生じたりする。そういう場所。感覚の鋭い人ならすぐわかるはず。 ある一族が神(この場合は純然とした祖神、氏神)を地域に祀る
=その地域を支配した事の象徴。
別系統の一族に支配権が移ると前の神は破棄(神殺し、神隠し)されてその一族の信奉する神様に総入替、塗り替え。
これが世界中に普遍的な人の営み。
神社の立地の一つには断層帯の上や近傍にある事が多いこと。
これは、前レスの方が言う電磁波が断層境界面で発生(ピエゾ、圧電現象による)放出する事が観念的、経験上合致した結果かと。
また、大きなシステムとして神霊結界を形成しているのも周知の事実。
レイラインはその一端。
カゴメ神霊結界で囲め!
そのために古代には国家による測量専門部門が置かれ活動。
宮居が変動するごとに結界も再編成(重要な神祇の神社を移動)を繰り返していた模様。
近畿は古代から近代までの天皇、大王の宮居を守護し結界。
東京は徳川期の江戸城、明治以降は皇居を守護し結界。 いわゆる沖縄の御嶽のような所は別として
本来、神社は「暦」として作られている。
古い大社の相互の位置が冬至・夏至と関連し
その神社そのものが、付近の目立つ山や島などを目印に、
冬至の日にその山の山頂から太陽が昇る位置に建てられている。
そのため、鳥居の建てられる角度も厳密に決められている。
これは死と再生の思想であって汎世界的な物だよ。
ストーンヘンジ、モヘンジョダロ、インカのエジプトのピラミッドなど基本思想は同じ。 これは、いわゆる国家規模の造営であって、
その建設場所を確保するためには大きな権力が働いた事は言うまでもない。
では、普通に聖地に作られている神社はどうか。
これははっきり言って、その土地のどこに建てても良いようで大きな意味は無いようだ。
幕末の写真などを見ていても、神社の位置が大きく変わっているのは極普通で、
また、そういう記録も多い。
神社の総大本とも言うべき秦氏の天照御魂神社ですら、大きく位置を変えている。
これは、後代に出来た他の大社との位置関係を修正したからのようだが、
つまりは、神社の「もと」が地磁気であるとか、御神木の生えていた場所であると言う根拠は何も無い。
特に、沿岸地帯の神社はその前身が明らかなる「砦」だった痕跡が強く、
また、高地にある古い神社の場合、かなりの確率で高地性住居の縄文遺跡があり
荒神信仰があることから、荒神、つまり元始信仰の塚であった可能性も高く、
その上に「抑え」として築かれたと考えられる。
現に、三輪山、諏訪や宮崎の諸県山などは、古くから荒神の塚があるという言い伝えや記述があるが、
現在においても塚は発見されていない。 >>180
ははは・・
渡来の神、天津神の渡来経緯が韓・新羅渡来だと言うのに・・
百済渡来の神とは、どの神だ・・?
精々氏神レベルだろうに・・つつつ 日本最古の百済渡来と言うと・・桃太郎伝説の鬼・・温羅一族 後、百済渡来なら、多々良場豪族の多々良氏・・大内氏も古いね。 一説に藤原(ふじわら)はホゼ・ワラで縄文(沖縄やアイヌ語に残る)古語の転訛で、
その意味は、、ホゼが百済。ワラが倭国(どちらも国とか領地の意)。
「百済倭国」、「百済の国」??!
後の奈良(なら)もハングル由来の国の意味、
天皇から賜った一氏族の氏が一国の都の名前(藤原京)に冠せられる不自然さ。 >>277
wikipedia「藤原京」
>藤原京の名称は近代に作られた学術用語であり、『日本書紀』には登場しない。
>藤原京の名称は近代に作られた学術用語であり、『日本書紀』には登場しない。
>藤原京の名称は近代に作られた学術用語であり、『日本書紀』には登場しない。 藤原氏が渡来氏族ならなんだって縄文語に由来する名を名乗るのよ 藤原って皇族のお姫様が住んでた地に一族が移り住んで藤原を名乗り始めたと言うだけだぞ。 鎌足が高市郡藤原の出身だったから藤原朝臣の姓を天智天皇からもらったの。
だいたいもともと中臣だろうが 神社・仏閣でやたらに列を作る行為は本来必要ないことでマナー違反です!!
参考
【パワースポット(笑)】列作って参拝する馬鹿ども
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1357645142/l50 >>282
百済系蘇我氏を遣った藤原氏も百済渡来と何処かの日本史板スレか検索サイトで記載されてるのだが・・ そもそも、各地の古代豪族の総称だったよね・・中臣藤原氏って・・
確か、鎌足の時代辺りだったな、総称日本姓たまわり期って・・
何処かのサイトでは、一例で百済渡来が日本姓たまわり、在原氏となって、一代で出家し、
歌人の平民化したとかなんとかと言ってたサイトあったけど・・
百済渡来の一例的に高野氏とか以前に中臣藤原氏がそうだとすると、百済渡来のクグツ師と同族だとすると
同和に藤原姓多い理由が、東北の藤原南家の藤原仲麻呂=恵美押氏ゆえだけでの同和の藤原氏と言うわけだけでも無さそうだな・・。 完全なデタラメだな
どこかのサイトじゃ話しにならない
藤原の始祖は中臣、中臣の始祖は大鹿島
大鹿島とは鹿島神で鹿島神宮の宮司の家系だろう
さらに遡るとニニギ天孫降臨に同行したアマノコヤネだと言う 多氏と宇佐氏が気になるんですよね。中臣氏のルーツを考える上で。