神社の起源
>>353追記。
その御名代として記されたのが、武部氏。 神道が伝える日本武の蝦夷征伐に代表される等の逸話は、童話の桃太郎伝説の吉備津彦等の史実、四道将軍のエピソード。 >>355
その、四道将軍の1人、大彦の子の武渟川別が崇神帝の命令で、西出雲を襲撃し、打ち取られたのが、西出雲・旧出雲大社(杵築大社)司祭だった神門(出雲)振根。 その、神門臣家の神門(出雲)振根の祖が、八千矛(大穴持・大国主)で、八千矛は、クナト(国常立)大神=イザナギから8代目とされている。 建築様式から見てインドから東南アジアを通って来ましたね
数家族から成る一部族が住む大屋根家屋がその起源です
当に社に集う社中ですねw
何かの際に新しい大屋根家屋に移住すると先祖の住んで居た旧来の大屋根家屋が神社となりました >>362
語られぬ 湯殿に濡らす 袂かな by松尾芭蕉
お前は禁を破った。祟りを受けるがいいさ。 でも、あれって、ご神体を踏むという行為を咎めれるといけないので内緒にしてた気がしますね >>365
語る無かれ、聞く無かれ。
御湯は水より怖い。俺はこの禁を破って神に警告された。
ギリギリ助かった。祟りの凄まじさを見せ付けられた。
近年でも頻繁に起きている。本当だ。
貴方はどうなるかな。 >>363
言っちゃいけないの?知らなかった
温かくてよかった
あんなご神体なら歓迎されるのになぜ各地にできなかったのだろう
温泉地ならたくさんあるのに >>362
そこだけじゃなく、木や岩をご神体にしてる縄文時代から続くアニミズムが元である神社は山ほどある
神殿に関しては、米を保管する高床式倉庫が元になってることが多い http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1459634998/
日本人の起源を考えてみる(呉起源説)
血相変えて喧嘩しても仕方が無いよ・・・原因の99%は下らん事やん
―――y――――――――――――
Δ Δ
ロ●ノノハ●ロ
ロ ノパ ー゚ノゞロ
口 (__~|||~) 口
□ /∧龍|| □
|:じ'|___|| 旧石器から縄文時代に流行した地母神信仰が
起源。
全ての生命は地母神の胎内で循環再生する。
特殊な地場をもつ山などは地母神の胎内への
入口とされる。
鳥居は母神の股を現す。
朱色は出産。参道は産道。宮は母神の子宮。
巨大な男根を祭る神社は今も多いが
母神への子孫繁栄を願った名残り。 >>372
呉国は中国古代の江南の呉国ではなく、
高句麗国(とその一帯の地域性)を指している可能性が高いと思う。
何故ならは、大和言葉では呉をクレと読み、今に伝わり、
クレは、句麗。(高は尊称)
(高句麗は現在のハングルでは、コ・クリョ)
また、クリ(栗、久里、久利、、、)やクル(久留、来、、、) に語彙変化。 神奈備山(いわゆる御神体山)には、
磐座と2本ないしは三本の大木(松、檜、杉、楠など。いずれの語彙も神を表している)が基本三点セット。
これは、実は順序が逆で、いにしえのお上(貴人、王)が亡くなると網籠に貴人を納めて
高山の頂上の高木に三年吊るして殯(風葬)をし、
三年後には一度網籠にを下ろして遺体(すっかり白骨化)を洗い清め(洗骨)て、
磐座を組んでその地下に御遺体(御神体)を埋葬。
後には件の高山が神奈備山、御遺体を殯した高木が御神木に、磐座は絶対神聖な御神体。
山全体が絶対神聖な立ち入り禁止の禁足地。
そんな絶好の物件は直ぐにいっぱいとなってしまい、さぁ大変。(貴人の死人は続々と出ますから)
ヒラメイタ!。人工的に山を築き上げ其処に埋葬しましょう!、、、これが墳邱を伴う巨大な古墳の始まりでは?
高い山と低い山(高い頂上と低い頂上の山(瓢箪形))でワンセット。、、、二上山
高い方に埋葬して低い方から仰ぎ見て祭祀をしたとも。
これを人工的に築造したのが前方後円墳等か?
古い神社形式の一つに古墳を御神体として墳邱の前に社殿を構える形が結構あります。
墳邱の元来の形が神奈備山であったならば神奈備山(貴人のご陵墓)の前に社殿が営まれる形は更に古い形式と考えられます > いいえ。高麗の文字をあてることからそうした説が根強くあるようですが、
> 1)「狛」は本来、中華思想(中国が世界の中心だとする思想)では
> 「周辺の野蛮な地」を指していた。従って、
> 狛犬は「中国の外(野蛮な異国の地)に棲む正体不明の怪しい犬」という意味で、想像上の霊獣。
狛→高麗 八幡神社の起源は応神天皇こと倭王讃が各地を支配するために設置した役所なのではないか?
我々日本人は神社のことを何か漠然とした信仰の場だと思っているようだが
もともとはきっと実務的な目的を以て作られたのだろう 天理教信者の処世術
・人並みの幸せは諦める
・天理教を信仰していることは人前では一切口にしない
・どちらに進んでも悪い方向にしか行かないのだから、悪い中でもマシなほうの選択肢を選ぶしかない
・親しげに近づいてくる奴は見下して優越感を感じようとする自己愛性人格障害者か、いいように利用したり搾取しようと企む性悪定型のどちらかしかいないと心得るべし
・沈黙は金以上なり
・飲み会や宴席にはなるべく参加しない。参加しても一切喋らない
・冗談やジョークを言わない
・口に出すのは挨拶と感謝と謝罪だけにすべし
・人前で趣味や遊びの話は絶対に口にしないこと
・雑学的な知識を人前では見せないこと
・自分の得意分野の話題になっても一切口を開かないこと
・はしゃがない。笑わない。
・「心を開け」「自分を出せ」「言いたい事があるなら言おうよ」といった言葉に騙されるな
・信者の言う事には必ず裏があると心得るべし
・信者=嘘つき、二枚舌ということを心得るべし
・職探しは給料の額面よりも休日の多さ、残業の少なさ、を基準に選ぶ=天理教の行事に参加するため
・なるべく大規模な職場を選ぶこと
・人間関係はトラブルしか生まない
・人付き合いやコミュニケーション、ビジネスのハウツー本は天理教信者にとっては何の参考にもならない
・教会長が「馬鹿になれ」を真に受けて実行すると怒りや恨みを買うか、さらにバカにされるかしかないことを心得るべし
・絶対に自分を出さないこと
・孤立や孤独は天理教信者の運命だと思って諦めること
・他人と会話がしたいならネットの掲示板だけに留めておくこと >>379
神功皇后が置いたとされる瀬戸内海沿岸の神社群はやにやら等間隔に鎮座しているよう(特に加古川(高砂、尾上)以東。御厨、海、長田、生田、敏馬(外国施設の迎賓館)/)、弓弦羽(熊野権現/住吉大社の夏至の日没方向)、廣田(西宮皇大神宮)なので、
どうも軍事的な意味合い(西から攻勢する勢力を哨戒、撃滅) を含んでいたのではないか?
長田、生田、廣田の三つの田のつく神社は兵が屯田していた故の意味合いか?
また三重の絶対防衛ラインを意味し、
その大本営(行宮)は住之江の岬の端っこ(隅っこ、、、隅の江)に西向きに鎮座する住吉大社かと思う。 魏志倭人伝か後漢書かに偉い人にあいさつするときは手を叩いて礼をすると書かれているから今の神社参拝のもとは昔の偉い人への礼儀だったようだ。 >>386
魏史倭人伝。
また、日本書記だったかには
中華の律令制を導入して拝礼作法も中華風の立礼に改革されて長らくなるのに
旧来(先祖累代)の風習、拝礼作法である膝ま付き拍手する事の禁令が度々出されていたらしい事も。
、、、今般、勃海(ぼっかい。パレ)国使節(高句麗滅亡の後、その遺民が建国した高句麗の別種(後継)。東海の盛国と称えられた。日本とは盛んに国交と交易が有った)
が、来朝していますからくれぐれも拝礼作法は注意するように。特に拍手は取り止め拝礼は中華風の立礼にて行う事。
等の通達が有った事が記されています。 >>386
もう1つは、古の天皇陛下の即位の大礼では
大極殿に於いて高御座(タカミクラ。天皇玉座。因みに天皇の御座には狛犬が両脇に控えています。)に出御坐す天皇の奉り皇太子以下皇族並び居並ぶ文武百官より
皇太子の音頭で天八開手(正式かつ最も重儀。八拍手を四度。三十二拍)を奉る。 旧約聖書に出てくる幕屋
聖書の建築の仕方が記してあるしそっくり 三輪山って山全部がご神体で社殿ないよね
そのままご接待のお家作りそうなのにね
日本の神様って降りてきても日帰りだったのかなぁ
中華のジョカさんってどういう風に拝まれてるの? >>376
>古い神社形式の一つに古墳を御神体として墳邱の前に社殿を構える・・・・・・・・・・・・
古墳を御神体?例えば、何某府県の何某神社ですか? >>318
神魂神社。
元来は出雲帝国の大王宮殿。
物部軍らの出雲進攻、平定の結果
当代(最後)のオオナムチ(所謂、大国主命)が大王宮殿を明け渡し、城下の誓い(無条件降伏)をして退去。
進駐軍の本部(戦後のGHQ本部みたいなもの)が入って戦後処理(駐屯、入植)を行った後に、
出雲の元大王家に返還を申し出たが(一度族らに汚されたのをよしとはせず)拒否されて、、、
仕方なくモニュメントととして神社を創建。
その進駐軍のトップの末裔が神主家だとか? 神社って役所みたいなものだったんじゃないの?
祀ってる神様は、お上さまだった
天神は国家官僚で、地祇は地方官僚だった 官社は建前上その通りだけど、それ以前にも以外にも神社的なものはあった
さらにいうと、天神地祇を祀るとされていた官社でさえ大抵は地域の土俗的な神を祀っていたのが実情
例えば出雲風土記によると神社399所のうち神祇官は184所だと記されているし、
延喜式神名帳に見える多くの人格神と風土記に見える人格神はほとんど関係がない
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/33230/1/4_P77-94.pdf
要するに、いつの時代もお上の発表が事実そのままではないんだよ >>388
>天皇の御座には狛犬が両脇に控えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
玉座脇の狛犬の役目って、何なの? 縄文時代は自然崇拝だけど神殿風の巨大建造物の痕跡も発見されてるから神社の原型は既にあったのだろう
現在の様な神社の最初は卑弥呼の住居と考えられているものかな
弥生時代としては格段に広大な高床式の建造物
卑弥呼は女王に就任してからは引きこもって出てこなかったから人々は卑弥呼の住居を神聖視していたと思う
崇拝の対象が自然から人物や人工物に変わったんだね かつて祓い川といわれた和歌山県古座川流域にいくつかの無社殿神社がのこっていますね。 >>405
有益な情報をありがとうございます。
「祓い川」という字面が気になって色々ググっていたら、「月野瀬」というところに「祓いの宮」という無社殿神社があることが分かり、そこが気になって調べたら、主祭神は案の定、私の氏神様と同じ神様でした。 男根、女陰信仰が先
男根は高木に、女陰は岩の裂け目に信仰が移る
山の神として岩を祭るがこれは全て女の神
巨木を祭るのは男神 >>50
福岡 糸島地域には古い神社が割と多いんだけど、古墳も多い、巨石信仰もあったかな 最古の神社と言われている宇佐神宮は卑弥呼の墓の上に建っているという説
まあ卑弥呼かどうかは分からんけど古墳だろうな ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 修士論文を書いていた時に『日本記略』に御霊信仰の創生期頃に民衆が山に宮を建てたという記述があったのだけれども、何だったんだろう?
教えて偉い人。 地鎮祭の時にどちらの神社の方にやって貰いますか?
この県で一番位が高いのはあそこ、この地域で一番位が高いのはあそこ、
地元ならここって住宅メーカーの人に薦められて地域で一番のとこに頼んだけど、
そういった祭事って縄張り的なのが無いのかね?現代だから?
そういった階位っていつ頃決まったのかな? >>417
明治政府が勝手に決めたんだよw
しかもそれまで祀ってた古い神様を禁止してアマテラスの系譜に置き換えるよう強制した
だから今の神社の大半が明治からの信仰
どんなに歴史が古い神社でも祭神が替わっちゃったら意味ない罠w >>417
ちなみに神社てのは基本的に「土地神様」だから地鎮祭はその土地の神社に頼むもの
と言っても明治以降にアマテラスの系譜に置き換えられてるから「土地神様」はドコに行っちゃったの?状態だけどw
そんな地鎮祭で意味あるのかと小一時間 >>419-420
土地の神社は元々はかなり古いものだと思うのだけど、
自分が子供の頃には無かった後付け設定が何か多くてね…。
棟梁の人が棟上げで祀ったりするのも明治期にそういった変化があったのだろうか?
ググってもよくわからないんよね…。 うちの地域だと明治時代に新しく建てられた神社は多いけど
古い神社のすり替えは無いなあ 地鎮祭って土地の支配者である神様に家を建てる許可を貰うんだろ?
それなら遠く離れた神社に頼んでも意味ないよな
だからと言って最寄りの神社が海神神社だったらどうするんだろうな
海神「いや、俺に言われても知らんがなww陸のことは陸の神に頼んでくれwww」 まぁ、ウチの近所の神社は自分の住んでる住宅地が出来た時に
古い家の氏子さん達に気を使ったのか、新しい住宅地の住民は氏子にしないと言って
その新しい地域の祭りも学校行事も全スルーだったのに、
少子高齢化で氏子さんが少なくなってきたら、新しく氏子になってと自治会の会合に出て来て
頭下げるぐらいアホだから(実際既に少し離れたところの神社にお世話になっていた)
単純に後付け設定2つぐらい加えたら氏子が増えるかもと思ってやってるのかもしんない。 聖書でしょ
神体が山
拝殿と神殿が分かれてる
手水舎がある
移動式の神殿がある
男系継承
など 日本が元、聖書がパクリ
聖書=スサノオ教団メソポタミア支部 40000年前、世界最古の磨製石器は日本、新人として日本列島に初到達(Y-D1b系皇祖)
磨製石器は最古の石工
23000年前、世界最古の釣り針は日本
16500年前、世界最古の土器は日本
日本縄文文明が世界最古の文明
土器無くして貯蓄無し
貯蓄無くして文明無し
氷河期においてまともに生活できるのは火山帯のみ
15000年前の世界最古の調理の痕跡を残す日本の土器
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2306988/Hunter-gatherers-developed-ceramic-pots-cook-fish-according-new-study.html …
7500年前、世界最古の遠洋航海船は日本
7300年前、鬼界カルデラ大噴火によって九州などの日本人が離散し世界中に文明の種を撒いた
6000年前、メソポタミアに辿りついた日本人が文明を伝授(スメル人)
5000年前、世界最古の硬玉翡翠加工は日本、硬玉翡翠加工は最高の石工技術
シュメール(スメル)を元にする聖書の創世記では
洪水後シナル(シュメール地方)に住み着いたのは「東からやってきた人々」とされている
これが後に聖書における神となる
故に、ユダヤ創世紀元は5777年を数える
文明の種を授けた神々は日本から離散した日本人
エジプトでは太陽神ラーの船が東からやってきた、と伝わっている
エジプトに船でやってきた太陽神ラーも同様に日本人である 日本が朝鮮に文明を齎したことが
日本神話と朝鮮神話で整合している
日本神話=スサノオが朝鮮に渡った
朝鮮神話=桓因が朝鮮の祖
檀君の祖父である桓因はインドラ
スサノオは牛頭天王
牛頭天王はインドラの別名
檀君は紀元前2333年に檀君朝鮮を作ったとされている
すなわち、紀元前2333年より前にスサノオが日本から朝鮮に渡って文明を齎したということになる
これは7300年前の大噴火によって、日本から離散した日本人が世界中に文明の種を授けたことを示している
中国では伏羲・女カを紀元前3350年〜紀元前3040年の人物とし、縄の発明者であるともしている
世界最古の縄は、16500年前の日本の縄文土器作成時の縄
縄の発祥が日本なのだから、中国で縄の発明者とされている伏羲・女カは日本から渡ったイザナギ・イザナミとなる
これも同様に、7300年前の大噴火によって、日本から離散した日本人が世界中に文明の種を授けたことを示している 先史時代とは無文字時代
縄文文明は縄文字文明
無文字時代の日本が縄文字を使用していたことは随書倭国伝で明らか
日本から西だけでなく東にも文明の種を撒いたので
アメリカ大陸にも縄文字と縄文土器が伝播している
コテカ文化が東南アジア〜オセアニア〜南米アマゾンに広がっていることから分かるように
このルートを船で行き来した集団が存在する
ラピタ人のルーツは、約6000年前に東アジアから南下してオセアニアに向かって遠洋航海を行った集団とされている
これも、7500年前に世界最古の遠洋航海船を作って、7300年前の大噴火で離散した日本人集団を示している
ラピタ人の移動する太平洋海上帝国(ラピュタの元ネタ)
この末裔が、トンガ大首長国、首都ムーァ(ムーの元ネタ)
都合が悪いので創作で上書きしたイギリス軍(ムー大陸)
ラピュタのロムスカ・パロ・[ウル]・ラピュタ
文明の発祥地はシュメール・ウルではない
無文字時代である先史時代の真実を捏造し、シュメール発祥に書き換えた文字
それを元にする聖書創世記は真実を隠す地球史の栞に過ぎない 石工集団フリーメイソンが隠匿している真実とは、日本が文明の元であるということ
氷河期は今より海面が130m低かった
氷河期が終わって氷山が溶けて海面上昇
これが世界中の洪水神話の原型
これによって氷河期の石器時代の文明が海に沈んだ
氷河期の石器時代最高文明は最初の石工(磨製石器)である日本
日本近海の海底にあるいくつもの海底遺跡はこれに由来する オーストラリア原住民(アボリジニ)がオーストラリア大陸に到達したのは5万年前(一説には6万年前)である
つまり既に船と航海術を持っていた事になる たしかにそうだな。
でもアボリジニは土器を知らないんだよな。
だから食事はすべて網焼き。
土器料理を知らない、つまりは鍋物を知らない民族に、ふだん自分たちが焼いて食している同じ食材を、土器で煮て提供すると彼らは驚愕する
という話を何かで読んだことがある。
そしてさらに、彼ら土器を知らない民族は異口同音に同じ台詞を口にするんだそうだ。
曰わく「初めて文明というものに接した気分がする」
と。 >>434
オーストラリア大陸に6万年前に到達したホモサピエンスなのに日本に到達したのは4万年前という説の妥当性は如何か?
もっと前に日本まで到達していたと考えても矛盾は無いだろう
遺物に頼るしかない考古学では4万年前の磨製石器を論拠とするのは当然だが妥当性の見地からは論の拡大の余地はある
シュメールの文献ではシュメール人は東方からシュメールに移住したと書かれているから想像を掻き立てられるよな >>433
中東からスンダランドまでは陸続き、スンダランドからオーストラリアまではいかだで行ける距離
航海術という程のものではない
航海術が発展するのはスンダが沈んでからだよ >>436
おまえ海を舐めすぎだろw
つうか「航海術」の意味も知らずに書いてるんじゃね?
九州から沖縄まで最新のカヌーで行く事すら困難なのにスンダからサフルまで筏で行けたと思ってるならアホだぞ ホモサピエンスがサフルに渡ったのが5万年前か6万年前かは分からんが最終氷期の中では比較的温暖だろ
つまり海水面はそれほど低下していない時期だし海は最寒期より大幅に広かったと思うけどな 日本列島に最初に到達した新人の祖(Y-D1b系)は4万年前で
神話と遺伝学が新人と旧人の混血を示している
最終氷期は7万年前〜1万年前
13万年前〜7万年前は、現在と同じ間氷期なので
金取遺跡(岩手県遠野市、8-9万年前)
砂原遺跡(島根県出雲市、12万年前)
などの遺跡が現在の標高に存在し
7万年前〜1万年前の遺跡は海底に沈んでいる
氷期と間氷期の海面差異130mを軸とした
氷期の人類生息域と間氷期の人類生息域が
高天原と葦原中国に繋がる 前間氷期(13万年前〜7万年前)現在の海面 ←高天原(高海原)
ヴュルム氷期(7万年前〜1万5千年前)130m低い海面 ←葦原中国
現間氷期(1万5千年前〜現在)現在の海面 ←高天原(高海原)
海面低下により海岸面が沼地になり葦原が出現
国譲りは前間氷期生存域からヴュルム氷期生存域への変移
先に葦原中国に下ったスサノオは旧人(7万年前〜4万年前)
アマテラスから皇祖アメノオシホミミ(D1b系)が生まれたことを以て、ここより新人が参入
先に130m下がった海面近くの葦原の中の国に移住した旧人集団に対して高天原(高海原)から国譲りを迫る
国譲りが完了し、天孫降臨する皇祖ニニギ(D1b系の日本到達4万年前)
ニニギの子、海幸彦と山幸彦で海面上昇の洪水神話(ヴュルム氷期→現間氷期1万5千年前)
最古の縄文土器が16500年前で現間氷期の到来とほぼ一致しているのはこのため 山幸彦と、その子ウガヤフキアエズは、海神の娘を嫁にしている
海神の娘は八尋鰐(龍)に化ける
海神は龍神
海神の宮は海底にある竜宮城
それが示すは、現間氷期到来によって海底に沈んだヴュルム氷期時代の遺跡
琉球の海底にある遺跡が竜宮
沖縄には海底遺跡と海底信仰が存在する
ニライカナイ(海の深淵)に宮をもつ琉球神道の神キンマモン
信仰発生の要因は、ヴュルム氷期から現間氷期への移行による海面上昇に伴う生存域の沈没
海底遺跡と海底信仰の共存は琉球だけじゃなく、伊勢沖および出雲沖、福岡沖などにも存在する
海底遺跡自体は探せばもっとあるだろう
「自分の子が葦原中国を治めるべき」とアマテラスが言って国譲りを開始しているので
7万年前〜4万年前の間にヴュルム氷期の海面(130m下)に移住した、すなわち先に葦原中国に下った旧人集団(スサノオ)に対して
4万年前に日本に到達した最初の新人Y-D1b系皇祖を産んだアマテラスが国譲り
国譲りを迫られた旧人と、天孫降臨した皇祖(新人Y-D1b系)が混血したと神話は語り
実際に我々が旧人と混血していることは、既に遺伝学で明らかになっている >>442
D1bは約38,000年前
C1a1は約12,000年前
だからDが先だね 最も古いのがEでEから派生した近縁種がD
EとDが古いと覚えておけばいい 発生順の話じゃなくてアジアに到達した順序の話なのだが >>436
分布境界線といって途中に流れの速い場所があり手こぎで渡れない
鳥、機械船ならOK >>448
でも実際にアボリジニは渡ってるわけだからねえ 2000年をさかのぼらない神話や神社の話題で数万年オーダーの話が出てくること自体がおかしい >>451
言いたい事は分かるけど2000年という数字が思い込みの可能性もあるわけでね