神社の起源
神社はもともと墓です
墓の上に立てられたモニュメントです >>503
その通りです
そしてエロい人のお墓の上にモニュメントとして飾りました
シンボライズですね 全ての神社の起源が同じわけがないじゃない
偉い人の墓のケースもあれば
山に祈るのにちょうどよい場所だったケースもあるだろうし
特殊な土地を神聖視したのかもしれない
軍事上の砦だったケースもあるだろう >>260
俺もそう思う
その磁気的異常によって発生する異常植生に神性を見出して祠になり神社の原型になった
磁気的異常は後に鉱脈発見に繋がる
犬が磁気を感知して方角を理解していることが最近の研究で明らかになったけど
ここほれわんわん、犬養氏、鉱脈探索 >>506
おれ登山が趣味なんだが山道歩いててなんか「ん?!ん?ん!?!?」とか何かを感じて脇を見るとちょっとした祠があったんsんてこと50回くらいあるよ。 >>507
犬が感知できるんだから、人間もできるだろう
異常植生という目に見える現象だけでなく、磁気異常そのものに反応して祠などを作ってたんだろう
自然の中で生活してた古代人の方が磁気異常に敏感に反応してたんだろう
現代人は人工電磁波塗れで常に磁気異常に晒されてるようなもんだし
火山大国で鉱脈もたくさんある日本における原初の神性は、磁気異常から発生したという見方は十分あり得るだろう 磁器異常の原因は磁鉄鉱だから
八幡神社や稲荷神社のような製鉄民の神社はその可能性がある >>511
全てが全てそうではないけど、そういうものが元になってる神社はあるだろうね >>512
自作自演じゃないと分かってるのは、お前以外の書き込み者
自作自演だと思い込んでるのは、お前だけ
病院に行くべきキチガイなのは、お前自身 こんな分かりやすい自作自演で・・・
やはり真性キチガイはレベルが違うなw >>508
電磁波が放出される場所。
いわゆる、龍穴や龍脈等と呼ばれる類い。
メカニズムは、活断層の圧着面が月や太陽等等の潮汐力の影響を受けて微弱な圧着面の崩壊(極小な擦れ)を起こす際に電磁波(電気)を放出する圧電/ピエゾ効果。
火打石やライターの火花も同じ原理。
阪神淡路大震災の例では、淡路島の野島断層が震源地ですが、それをきっかけに約60キロメートル以上の断層が動きました。
南端はイザナギ神宮辺り、断層に絡み会うように神社仏閣、祠(荒神ほか)が鎮座整列する様は
正に鎮守神(仏)さま。
神戸側も海神社、長田神社、生田神社、弓弦波神社、敏馬神社、廣田神社(龍脈の頭に相当)等名だたる古社が居並びます。 >>521
伊勢神宮は日本構造線(日本列島最大最長の活断層。富士山辺り〜熊本(熊本の震災は日本構造線が少し動いた?)、更に西へ)の真上にある事は広く知られています。
吉野山、高野山、吉野川/紀ノ川〜日前宮。淡路島と沼島の間を抜けて徳島の(四国三郎)吉野川流域、、、松山(道後温泉は断層の賜物?)(原発が極近隣。福島どころの話では無くなるのは必定)
海を渡って大分。別府温泉郷も断層の賜物?
阿蘇山(九州の半分以上は阿蘇山(世界最大クラスの巨大カルデラ火山)と言って過言では無い)の地下を抜け、熊本、有明海、、、 歴史的な出来事由来の地点、権力や実績ある人物の住居、埋葬地等が起源
古代人が磁場や何かを感得してそこにシンボルを設置した地点
…そこで古の人が敬意を以て柏手を打っていたとしても、本質的には霊力や神性の宿る所というものではない >>521
電磁波じゃなくて、火山性ガスね
イオウガスみたいな、恐山と同じ もともとムラ境のごみ捨て場というケガレをハラヘやってカミとなる >>504
出雲の神魂神社は正に出雲の王家の宮殿跡。例えて言えば京都の御所か現皇居のようなもの。
神殿と宮殿が有ったのでしょう?
現、本殿の形態、様式が(規模は違うが)そのままいにしえの王(富(向)王家)宮殿。
まさしくそこに有ったといいます。 >>529
出雲大社は大和朝廷(天皇家)が(大国主を慰霊するために)造営したかのようにされています(キキ神話)が、
本当のところは、フルボッコした後も未だ油断成らない旧出雲王国の勢力と財力を削ぐために
旧出雲の西の王家、神門臣家(所謂、神話の大国主は概ね、神門臣家の八千戈命(第8代オオナモチ)を指す)を
(、、、先祖の慰霊、祭祀するためにとか何とか、、、)を唆して
巨万の私財を投じさせて造営したものと伝承されています。
出雲の東の王家で有った富(向)家(所謂、事代主/スクナヒコ/粟島/大物主/、、、は、富家の八重波津身命(出雲の第8代スクナヒコ(副王)のこと。)大和朝廷らにフルボッコにされて最後の当主(17代オオナモチ?)が
神魂神社に有った宮殿を(占領軍に明け渡し)辞した後、熊野大社に遷る(熊野大社の創始))等は
杵築大社(出雲大社)は神門臣家さんのもの。という立場を取っていたといいます。 関西地方は十日エビス祭りでにぎわっています。
所謂、事代主神(エビス神)の総本宮を号する三保神社ですが、
元々、こちらには先ほどの出雲の東王家、富家の別邸が営まれていて、
渡来人(天津神)らの謀略により第8代オオナモチ(大王/主王)の八千戈命が拉致〜弑逆(行方不明)されて
三保の別邸に古志の沼名川媛命や御子の建御名方富命、媛御子の三保須須美命らと居られたところに
オオナモチの八千戈が行方不明の急報を聞いた第8代スクナヒコ(副王)の八重波津身命が捜索に出向いたところに
件の渡来人らと鉢合わせ?
賊らは言葉巧みにたぶらかし誘引、、、拉致して弑逆(中海の粟島の志都の窟に幽閉殺害)。
三保の別邸にいらした沼名川媛は御子の建御名方富命と共に実家の古志の国に避難。
しかし、媛御子の三保須須美命は三保の御殿に残り亡き父親の御霊をまつり慰霊、祭祀したのが三保神社の起源。
殺害された八重波津身命を後に(出雲の副王、スクナヒコで有った事から)事代主神と大和朝廷(天津神らの子孫)が改ざん。
最も早い時期に八重波津身命を祭祀した由縁から事代主神の総本宮と号しているようです。 面白いじゃないの。庶民の実態まで浮き上がると意義深い。 お偉いお人は、とかく神格化されたものなのよ
その人の居た所や埋葬された所が有り難がられたり禁足の場とされたりしたのが起源 神話のようにネットで金が入ってくるらしい方法
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
VN8NW シュメール神話が起源じゃないの?
シュメール→ユダヤ→日本
じゃないの? 世界中の多くの神話の起源がシュメール神話なのは学術的にも認められてるのにアホなのか? 世界中の多くの起源がウリナラなのにチョッパリはアホニダネ >>543
まさかとは思うが日本が起源だと思ってるのか? >>544
縄文時代に神社は無いしな
信仰はあっただろうけど >>540
認められてないよ
100年前の学術なら別だが 聖書を筆頭にアジアヨーロッパのほとんどの神話のルーツはシュメール神話
日本神話もルーツを遡ればシュメール神話に行き着く ちょっと観点の違う話だけど、自分の友達によると
シュメールって、本当の読みは「スメール」だっていうんだよね。
戦前に「シュメール」文明のことを研究していた学者が、日本語に翻訳する時に、
「スメール」と書くと絶対に
「すわ!スメラミコト(=天皇)のルーツはこの『スメール』に違いない!」
などと大騒ぎされてしまうことが分かりきっていたので、その学者はそのような大騒ぎになってしまうのが嫌で、少しでもそうした事態になるのを抑えるために、
「スメール」ではなく、あえて「シュメール」と表記したんだと。
戦前は、今からは想像もつかないほど「日ユ同祖論」とかが喧しく唱えられていたというからこの話を聞いた時は、なるほど!
とも思ったんだけどね。
で、その学者は「スメール」を「シュメール」と書くことにした以上のいきさつをちゃんと文面にもしたためているんだと。
誰か、この話、詳しく知っている人いない? 日ユ同祖論は江戸時代にドイツ人医師が言い出した
当時の日本人の頭骨形状がユダヤ人と同じだったのが理由らしい >>550
残念ながら本来の読みがシュメールでローマ字読みがスメルです 発音なんて分かるわけないんだけどね
中国語ですら古代の発音は想像にすぎないのに >>556
おおありがとう!
「三笠宮 シュメール」
でググったらいっぱい出てきた。
「我が国におけるシュメル学の先達であった中原与茂九郎先生(京都大学名誉 教授)が混同されないように音引きを入れて、「シュメール」と表記された」
とあった。
友人はちょっと色々と大袈裟に言う癖があるんで、この話も正直、半信半疑だったんだが、
やっぱり連れの言ってたこと本当だったんだあ!
とちょっと友人を見直したわw ググればいくらでも出てくるのにわざわざこんなスレで質問するのはアレな感じだな >>236
オカルト好きなのはわかるけど、逆に活断層以外にいくつ神社あると思う? 地震が多い所に神社が多いのは理に適っているし
そこを調べて活断層があってもおかしくはない 形の上で落ち着いても納得は無理だろうね
一種の詭弁だからねw 神社の起源なんて多ルーツだろうから、その中の定型の一つ
っていうことで
全然詭弁とは思わないわ。 http://renoir.dreamlog.jp/archives/51320367.html 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:c70c250dd91bb29f505857436e0bc8bd) マルチスレチうざ過ぎだな
神社の起源は住んでいた偉人の住居跡・墓等のメモリアルモニュメント
また古代人のアニミズムモニュメントだったり
時代を経るにつれ有力権力のシンボル支社だったり スレ違いの人は相応しい板・スレに行けば良いのに…
ヤッパリわざと嫌がらせしてんのかね ピラミッドだろ
北海道から九州までピラミッドが実在してる >>537
千葉の小滝涼源寺祭祀遺跡も、
土地の酋長の住処や墓所なのかな? 社殿なんて後世に楽に参拝出来るように作ったもんだからそんな物どうでもいいわ
神社の起源は山頂の祠 宇佐神宮が日本最古の神社です
古墳(つまり墓)の上に建ってます
今で言う墓標のようなものですね
鳥居は境界を示すモニュメントで魔除け的な意味もあります
これはトーテムポールと同じですね そもそも古墳がそんなに古くはないんじゃないかい?
また、仏教が入ってくる前までは山頂を穢したという記録はないんだよ 神道の精神はそんな差別をしない
外来渡来であってもみんな神様なんだよ 話としてまとめると、誰でも飲み込めそうな話なんだよね。
あの世で起きた神の相談。
エバは、イナンナだった女性でモーゼに旧約聖書の作者になってもらうことをお願いして
自分はイシュタルとして身を潜める。
イシュタルは、マリアとイエスが親子だという話を広める為に
イエスにメシアの役を務めるようお願いする。
イシュタルは、マリアや中国の妲己や天照大御神とグループを形成し、
お稲荷さんを始める。※お稲荷さんには重要な仕事があり、悟りを開く前の人間に対し、
誘惑を仕掛ける。また、人間の秘儀参入時の霊界の審査もお稲荷さん中心で開催される。
それが、稲穂を実らせる前の荷物という意味。
此処重要。重要なのに日本人は誰も字の意味を解いてない。
お稲荷さんとは悟りそうな人をそのまま進ませるかどうかを
判定してくれる存在。
現在の課題。
イエスが中心の世界だけれども、イエスはお稲荷さんに呼ばれてメシアになった人で
メシアはお稲荷さんが引き連れている地縛霊に憑依を依頼し、輪廻を終えるカルマが
無くならないように働きかけ、霊界からの支配が継続するように見張っている。← この点を言及してほしい。
王路(引き寄せの法則) おまえらの力が必要だ!
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/atopi/1512118999/ どう考えても仏教は利用されてる側だろ
日本風に変質させられて原形を留めてないし >>570
>神社の起源は住んでいた偉人の住居跡・墓等のメモリアルモニュメント・・・・・・・・・・・・・
乃木神社とか明治神宮のことを言っているのか?
スレタイの起源は、そういう例外的な神社の起源ではない。
大神神社とか石上神宮とか宗像大社などの起源だぞ。
貴方も、スレチですぞ。 神社の祭祀は、アジア南方の亜熱帯系照葉樹林文化習俗?
神社、神社信仰の起源について
ttp://www2.odn.ne.jp/had26900/topics_&_items2/on_jinja.htm 神社でする、手をたたく(かしわ手)、おじぎするは
神社と同じくらい古いのか、後から加わったか、どっちなのだろう
お賽銭はあきらかに最近だが、供え物をするのは古そう
中国って手を打つ、おじぎをするのだろうか 始まりはイザナギさん
イザナギさんは居眠りするから手をたたいて起こしてお辞儀してお願い 古墳時代辺り前後は貴人に対しお辞儀の代わりに柏手を打つとかの風習があったようだからね
神社の起源の中に高貴なる人の住居、モニュメントというのもあるかもな 【王様きどり、財界″】 マイトLーヤ『人々はもう特定の主義を認めない、政治的教化は通用しない』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1529634259/l50
共産でも、資本でもない、分ち合い経済が、登場します! いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
役に立つかもしれません
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
LDF バアルだとかエジプトとかの他の色んな神を弾圧したりパクったりして唯一神ヤハウェという神を創造した遊牧民が
シルクロードを渡って日本では秦氏と名乗りながら仏教や土着の信仰から色々パクって出来たのが神社的な神
時代時代によって色んな宗教や信仰に取り入ったり
用済みになれば切り離したりしながら生き残って来た元々は遊牧民の神 日本の神社の起源は偉い有力者に因縁するものが
特に大社となっているものには 非業の死を遂げた人が祟らないように祭ったのが最初だろうからねえ >>609 それは後代に始まったバリエーションでは >>607
国を譲るその代わりに俺にデカイ立派な屋敷を建てれっ
出雲大社とか? 『古事記』や『日本書紀』の伝承によると出雲大社は国譲りの前には無かったことになる
大国主大神が国造りした日本の国土を皇室の祖先神の天照大神に国譲りした
大国主がその交換条件として国造りと国譲りの功績を称えた壮大な神殿を要求し、天照側が応えて出雲大社を創建した 出雲族の恭順とそれにより得た報償がお手本となりその他の部族も恭順し比較的スムースに国譲りが運んだとの説もあるし。 >>626
当事者ではないから知らんなw
しかし恭順報償説も交換条件説も、出雲一部地域限定自治説も、武力鎮圧説も存在するから好きなだけググると良いww 大国主の壮大な邸が出雲大社の元だとすれば、神社の起源の1つであると考えることはできる。
この様な型に当たる神社は他にもあるのかもしれない。 三内丸山遺跡の六本柱は高床で復元されたけど
あれも「神社の起源」っていってもいいのか? >>630
アレは6個の穴から想像したいくつかの案から選ばれただけだからな あの形でない何かしらの建造物だとしても神社の起源と全くの無関係とは言えないかもな >>632
もしかしたら大きな鳥居3つ並んでたのかもね
実際3つが合体してる鳥居もあるからね(真上から見ると△の形) 真脇遺跡の環状木柱列もその類かな
同じ場所に何度も建て替えられているし
宗像出雲との交流もありうる 伊邪那岐(女,1,ふたなり,子が3人。)=伊邪那岐(男,2,ふたなり,泥泥系??沼??から養子,神道の創設者と主張。)
伊邪那岐(男,5)=伊邪那美(女,6,神道の創設者)
天照大神(女,治77年位,97歳位で、いそらに毒殺される。)
天照大神が神道(読み方不明。古代文字の発音なので、判別できず。表記も古代文字らしい。)と名付けたらしい。 最近、神社本庁の田中恒清氏(事務方・総長、石清水八幡宮宮司)の周りで非常に残念な情報がよく見受けられます。
(詳細は「神社本庁の自浄を願う会」のFacebookページをご覧ください
https://ja-jp.facebook.com/jinjahonchojijyo/ )
この情報に見られる田中恆清氏の態度は
一、自分の発言に責任を持たない、前言を謝罪もなく翻す
一、奉戴すべき皇統に連なる統理に対し失礼な言動がある
一、職員宿舎転売問題や宇佐八幡宮社家追放、富岡八幡宮殺人事件などに関与していた疑いがもたれている
これらは神道人のとるべき態度ではないと思います。 有史以前から宗教の能力や場所、はあったと思われる。 動物や鳥や虫や魚類甲殻類の世界でもね。植物もそうだろうな。 692 可愛い奥様 sage 2019/01/16(水) 19:54:45.11 ID:abpH71MD0
https://i.imgur.com/OdfSmQl.png
A「神明鳥居(Shinmei torii)」
B「鹿島鳥居(Kashima torii)」
C「明神鳥居(Myōjin torii)」
D「八幡鳥居(Hachiman torii)」
E「春日鳥居(Kasuga torii)」
F「中山鳥居(Nakayama torii)」
G「外宮鳥居(Gekū torii)」
H「三柱鳥居(Mihashira torii)」
I「三輪鳥居(Miwa torii)」
J「両部鳥居(Ryōbu torii)」 >>644
普通になんかに書く場合は圧倒的にB
立ち小便対策に壁とかでよく見るのもB >>644
AとGはほとんど一緒だな
最初見分けがつかんかった 一人の神様を信仰して皆に功徳があることは不思議だが効率的な信仰システムだとは思えない面も。 関連ネタ無いなら無理してスレチ書き込む必要ないぜよ >>635
宗像出雲との交流?能登半島の真脇遺跡やチカモリ遺跡の環状木柱列に類似
する柱列が、北部九州・出雲地方の何処に遺存されているのですか?
派生スレ
神道って、ホンマに日本の習俗かあ?
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1539979817/ ★☆ あなたの知らない神道と仏教、日本人にルーツの事実 ☆ ★
聖文と科学的物証からの専門研究者のおどろきの情報です。
http://blog.livedoor.jp/hideki4612/archives/1025769358.html
紀元前の日本には、イスラエルから古代アメリカに移住しマヤ文明などを築いていたニーファイ人とレーマン人が渡来して移住しました。
そののち、紀元前に秦からユダヤ教徒の徐福たちが集団で西日本に渡来して、日本に旧約神道が広がりました。
邪馬台国の字は、当時の中国人があてた字で発音でいえば「ヤマト国」です。
「ヤ」はヘブル語の「ヤハウェ」の短縮形で、「マト(מטה)」は「分家、枝」の意味があります。
紀元3世紀末、原始キリスト教会の会員たちは、邪馬台国にいたユダヤ教徒だったニーファイ人たちと徐福集団の子孫たちのヤマトに伝道して邪馬台国を併合し、旧約神道は新約神道に移行しました。
釈迦は、ヤハウェ(イエス・キリスト)の預言者です。
聖徳太子も空海は、神道や仏教のルーツが、ユダヤ教、キリスト教であると知っていました。 神道は元からあった土着の原始宗教にどんどん新しい信仰や神話や伝説が
かぶせられて出来たものだからね スサノオのヤマタノオロチ退治に始まり、その後の武将豪傑の退治物語は土着宗教排除の転化 それだって資料によって退治した人が違うんだから
もともとあった伝説にかぶせているって事だしね 文字文化が形成される前に伝承を伝える場所として発生。
当時の記録文化は南米のケープ状の物それが注連縄。 住居よりは共同大規模葬儀跡の方がいいかも
葬儀するとしばらくは特別の場所になる 古代の海岸線を見ると支配者の屋敷をつくりそうには思えないんだよね 昔観た世界不思議発見!という番組では、地方豪族の懐柔というか交渉に
水飴プレゼント作戦も使ったと言っていた イスラエルの失われた十支族、それが日本人支配層の起源。
神社の起源は、ヘブライの移動式幕屋。 >>695
イスラエルの流民が吹きだまったのが古代中国の斎国/蘇州。山東半島周辺。
中国の道教は、教義がユダヤ教と酷似しているそうです。
一説に秦帝国に亡ぼされた斉国の旧王族ともいわれる道教のマスター(方士)の、
徐福(徐市/彦福)が秦帝国の始皇帝を舌先三寸で騙して巨万の富、財貨をせしめた上、
二度に渡り古代日本に渡来。(日本の王となる野望を持っていたらしい)
その際、引率した
合計五千人の秦国人=元斉国(徐氏)の若者(イスラエルの子孫)やあらゆる職業の工人、熟練者、身内親族、御一族郎党、、、
初回、山陰地域(出雲王国)に二千人。、、、所謂、海部/秦族に(出雲王国の正副二人の王を殺害して乗っ取りを謀るも失敗して逃げ帰った)
二回目、九州佐賀に至り、三千人、、、後に所謂、筑紫国(←筑秦国)、物部。
また、秦帝国もイスラエルの民ではないかとの説もあります。 渡来人の中にイスラエル系も幾分いたかもしれないという程度の事じゃないの そういうスタンスで考えれば面白い説なのに
何が何でも全員ユダヤ人でなければ気が済まない人のせいで台無しになってる 伝播説的に考えても
文化が伝播して日本に伝わってるだけって考えた方が
遺伝学的にも整合する
仏教伝来してるとこは全員インド人が渡来して根付いたのかって話
常識的に考えてそんなことはない
シルクロードを西アジアから東アジアへ
聖書の文化や信仰が形を変えながら伝来しただけで
ユダヤ人が渡来したわけではないだろ シルクロード・大陸経由のユダヤなどは数人いたかもしれないね 離散したユダヤ人は、宋の時代(960年-1279年)に中国大陸の河南省(カナン)まで来てたのは事実
当時は、遣唐使廃止以来の貿易、日宋貿易が行われていた
入ってくるとしたらこの時期だろう 日本の神話 古事記
www15.plala.or.jp/kojiki/ >>709
道教はユダヤ教と良く似た(瓜二つ)だとか。
道教のマスター。徐福さまは前後二度に渡り併せて五千人余の童男童女を日本列島に連れて来ました。
一度目は山陰地域(出雲王国)にいたり二千人を連れて来ました。
彼らの子孫が後に、海部/尾張氏(徐福の子孫)、秦族等と呼ばれる大集団になります。
二度目は先ず伊万里に入り直ぐに有明海に回航して佐賀県の吉野ヶ里を本拠(都)としました。
この際に連れて来られた三千人余の海童(秦国人の少年少女)らが物部族になります。
同所を本拠として栄えて国を建てて
秦国人が築いた国だ!として筑秦国を号したのが後に筑紫国に変化したようです。
筑紫国はまた、物部王国と言って差し支えありません。 >>18
この谷川健一氏の御嶽観ですね?
”沖縄のウタキは神の依代と見られるクバやアザカなどの樹木にかこまれた空地に、
聖域を示す小石が並べてある程度にすぎない・・・古くはモリという言葉を使用
したと推定・・・・・・”
日本の神々(岩波新書)p15 谷川健一著 1999年 1章 神社の原型
ttp://kazuno.in.coocan.jp/86kioku/18K-05/Kamigami/15.htm あんな津波のリスクの高い位置に偉い人の屋敷なんか作らないよ そうでもない。津波ひがいの無い期間が長くあれば特に。 確かに神社の歴史から言うと、出雲大社などは歴史は浅い方だとする説はあるな 出雲大社は歴史が浅く、たまたま津波が無い時期に、偉い人の屋敷が海沿いにあったという説?
本気で言ってるのか? 当時の出雲のエリアの検討も必要性だろ 出雲大社の歴史は浅い方だというのも新鮮。 半島でなく島だったんでしょ
国外との交易で栄えた地域 >>746
杵築大社(出雲大社)は西暦716年に竣工落成しました。
それまでソコに神社らしきモノはなかったです。
何故、あの場合になったかは、本殿の裏手の竜王山に八千戈王(いわゆる大国主神)が埋葬されていた為(のちに別所に改葬された)
創建、造作に当たっては元出雲王国の旧二つの王家が共同して当たりました。
国(大和朝廷/皇室)や今の出雲国造家は全く関わって居ません、(出雲国造は一管理人として雇用されていた。)
のちに出雲国造や国は策謀を巡らせ元出雲王家から搾取横領した。 >>747
いわゆる神社の本殿(高床式古代建築)に神を祀る形は、
神魂神社が最古かもしれません(元王宮殿)
出雲王国が物部勢に攻め滅ぼされたさいに
東王家は大庭の王宮(現、神魂神社)を辞して
王宮は総司令の物部十千根将軍が入城して進駐軍総司令本部となり戦後処理と統治に当たりました。
物部十千根将軍の子孫は秋上家となり
時世の変遷(大和を平定して大王家となった物部王朝(垂仁(神話の神武東征(数人を一人とした)の本体)、景行、成務)が僅か三代で滅亡)から
秋上家は出雲での立場が危うくなる中
元王宮を元王家に返還を申し入れますが、固辞された事から
元王宮殿をそのまま神社にして神魂神社を創建。
元王家は秋上家が王宮を良く保ってくれた(西の王家の王宮殿は侵攻時に破壊された)事に感謝して
和解、融和した(姻戚関係を結ぶ)由。此れにより出雲での秋上家の立場が安泰となったという。
因みに、今見る神魂神社の本殿は二千年前の出雲王家の王宮殿を(幾度の造替の度々に)ほぼそのままの姿でよく伝え保存されています。 そやけん、神社の起源は偉か御仁の邸と言われるっとたい 農耕神、太陽神、海洋神、蛇神、先祖供養、病気災害除け、英雄神 くらいか ここでのパターンて、神社の起源から成り立ち方の種類の事だろ 否定する必要は無かろう。それのみではないとしても。 >>362
残念 湯殿山が神社になったのは明治以降でその前1000年は寺でした 昔は明治政府がはっきり申請させるまでは寺と神社の区別があいまいだったんだよ
特に修験道は尚更
当時は寺にご神体があっても何もおかしくはないからな 見えない存在は確かにいるけど できる事には限界はある
ポンポンで叩けば 何かしらできるし 透明な存在はすべて
ブロックチェーンの短い晩のようにおいかさなってるイメージ
長いほど長く扇風機をあてないといけない感じ。 患部におもちゃの扇風機でずっとすってけば
半年くらいでカルピスのように薄くなってく。あててく感じ。ここからロボット反応大
宇宙に存在すうすべての透明はすべて物理的に壊れる。
透明を相手にしてる人と話すと ホログラムって思う。 透明でもなにかしら
採取はできる。十分人の手の届く範囲。神はブロックの長いだけのイメージのロボット
水まけば 何かしら反応あるから 怪しい場所には砂をまけばいいと思う。
透明を相手にするときはお金を絶対にかけない事ってさ 家にあるもので十分こわれる 出雲地方で一番格式の高い神社を知っているか?
「彌久賀神社」だ。
※別名”美久我神社”
時間と空間を作ったとされる、アメノミナカヌシ様が祀られている
知る人ぞ知る、小さな古社だ。
個人的には日本最高レベル。
神紋は、「二重亀甲 違い鷹の羽」
この場所には、一般人が立ち入ってはいけない
なぜなら、カゴメの唄の元ネタとなった場所だからな 古代ギリシャで神として崇められていた完全数、6,28,496
最初の数字が”6”であることから、
古代から幾何学図形として六角形が神秘的な数学的構造だと考えられてきた。
亀甲紋やフラワーオブライフ、六芒星なんかがそうだな。
カゴメというのは、籠を編んだときの模様。
つまり、籠目である。
ご存知の通り、それは六角形だ。 かーごめ かごめ →籠目(六角形)
籠の中の鳥は →六角形の中にある鳥に関係するもの
濔久賀神社の神紋を見てほしい。
六角形である亀甲紋の中に、なんと鷹の羽が互い違いになっているではないか。
「亀甲紋の中に鳥」
というと、「二重亀甲違鷹羽」「二重亀甲立ち鶴」「二重亀甲鶴の丸」
ぐらいしか無い 日本人の起源は
中国雲南省だよ
漢の皇帝が日本の奴国に金印を贈ったんだが
それは蛇(ヘビ)の持ち手がついてた
西域の王にはラクダ
漢民族の王には亀
など動物がその民族性を表してるんだ
ヘビモチーフの印を贈ったのは、雲南省の王と、日本の王だけ
雲南省少数民族と日本人の共通点
稲作(棚田、水田)
漬物
豆腐
納豆
味噌
イナゴ、ハチノコ
らっきょう
こんにゃく
鮨
顔が似てる
高床式
茅葺き屋根
鳥居
銅鐸
歌垣
下戸(酒に弱い)
DNA >>751
タケミナカタが上陸した地、新潟県
最終的には長野県の諏訪の地に定住 神社の起源は、縄文時代や弥生時代にまで遡ると考えられています。当時は自然崇拝が盛んで、人々は山、川、岩、巨木などに神々が宿ると信仰していました。これらの自然物に感謝したり、祈りを捧げたりするために、人々は自然物そのものを「神社」と捉えていたのです。
その後、古墳時代になると、豪族たちの権力の象徴として、より立派な「神社」が造られるようになりました。これらの神社には、神様を祀るための祭殿が建てられ、神職と呼ばれる人々が祭祀を行いました。
奈良時代になると、律令制が整備され、朝廷によって全国の神社が管理されるようになりました。この頃には、伊勢神宮や出雲大社など、国家レベルで重要な神社も定められました。
平安時代以降になると、神仏習合の影響を受け、神社には仏像が祀られたり、仏教の儀式が行われたりすることもありました。しかし、江戸時代に入ると、神仏分離政策によって、神社と仏教は再び分離されました。
明治時代になると、神道が国家神道として奨励され、多くの神社が新たに造られました。戦後は神道国家体制が解体されましたが、神社は現在でも日本の文化や伝統の中で重要な役割を果たしています。
このように、神社は長い歴史の中で様々な変化を遂げてきました。単一の起源ではなく、自然崇拝、権力闘争、国家統治、宗教間の交流など、様々な要素が複雑に絡み合って現在の神社の形が形成されてきたのです。 >>753
杵築大社(出雲大社)の創建に関する記述には、いくつかの誤りや不正確な点があります。最新の研究に基づくと、杵築大社の創建年代は7世紀後半から8世紀前半と考えられ、創建以前からその場所には何かしら宗教的な施設が存在していた可能性が高いです。
また、創建の主体は元出雲王国の旧二つの王家のみではなく、朝廷や出雲国造家も関わっていたと考えられています。さらに、出雲国造家が杵築大社を奪い取って搾取・横領したという記述も根拠のない推測です。
杵築大社は日本の古代史の中でも重要な位置を占める神社であり、その創建には様々な人々が関わっており、長い歴史の中で様々な変遷を遂げてきました。今回紹介した情報は、杵築大社に対する理解を深めるための第一歩となるものです。 民俗学で唱えられている定説によれば、琉球の御嶽は日本の神社の原型であると考えられています。
御嶽の特徴として、社殿や鳥居、ご神体が存在しない点が挙げられます。現在見られる鳥居は、戦前の同化政策の一環として設置されたものです。御嶽信仰では、森や泉などの自然空間そのものが神聖なものと考えられ、そこに神々が降臨すると考えられてきました。
御嶽によっては、御嶽の中心に「イビ石」と呼ばれる石が置かれている場合がありますが、これは本来、神々が降臨する場所を示すための指標と考えられています。
興味深いことに、御嶽の構造は、本土の古い神社の構造と類似していることが指摘されています。
これらの共通点は、琉球と日本の宗教的な繋がりを示唆するものと言えるでしょう。 鬼道が朝鮮の高句麗道教の流れを汲むとする研究者について、いくつかの可能性を挙げることができます。
1. 宮崎光展氏
宮崎光展氏は、高句麗の宗教研究を専門とする日本の歴史学者です。氏は著書『高句麗の宗教と文化』(1997年)において、高句麗の宗教が中国道教の影響を受けながらも独自の発展を遂げたことを論じています。氏は、高句麗の宗教儀式や思想が鬼道に影響を与えた可能性を示唆しています。
2. 白川静氏
白川静氏は、日本の東洋学者です。氏は著書『鬼道』(1967年)において、鬼道が古代日本の宗教の一つとして成立した過程を論じています。氏は、鬼道が中国道教や朝鮮の宗教の影響を受けながらも、日本独自の信仰体系として発展したことを論じています。氏は、高句麗の宗教が鬼道の形成に一定の影響を与えた可能性を示唆しています。
3. 秦英敏氏
秦英敏氏は、中国の歴史学者です。氏は著書『中国道教史』(2001年)において、中国道教の歴史と発展を論じています。氏は、高句麗の宗教が中国道教の一派である太平道と密接な関係にあったことを論じています。氏は、太平道が鬼道の形成に影響を与えた可能性を示唆しています。