>>747
いわゆる神社の本殿(高床式古代建築)に神を祀る形は、

神魂神社が最古かもしれません(元王宮殿)

出雲王国が物部勢に攻め滅ぼされたさいに
東王家は大庭の王宮(現、神魂神社)を辞して
王宮は総司令の物部十千根将軍が入城して進駐軍総司令本部となり戦後処理と統治に当たりました。
物部十千根将軍の子孫は秋上家となり
時世の変遷(大和を平定して大王家となった物部王朝(垂仁(神話の神武東征(数人を一人とした)の本体)、景行、成務)が僅か三代で滅亡)から
秋上家は出雲での立場が危うくなる中
元王宮を元王家に返還を申し入れますが、固辞された事から
元王宮殿をそのまま神社にして神魂神社を創建。
元王家は秋上家が王宮を良く保ってくれた(西の王家の王宮殿は侵攻時に破壊された)事に感謝して
和解、融和した(姻戚関係を結ぶ)由。此れにより出雲での秋上家の立場が安泰となったという。

因みに、今見る神魂神社の本殿は二千年前の出雲王家の王宮殿を(幾度の造替の度々に)ほぼそのままの姿でよく伝え保存されています。