【尚武の】武士道&神風特攻隊【文化】
人民戦争理論でなくて核でなくて、日本が闘へる、しかし一歩も日本によせつけないといふものを考へますと、
これは、私は英語を使つたコンベンショナル・ウェポンでなくて、日本には日本刀といふものがあるではないか、
日本刀で充分だと云ふ考へに到達せざるを得ない。私は、かういふのは単に比喩としていつてゐるのであつて、
日本は、日本刀だけで守れるとは限りませんから、五十歩百歩と云ふことを考へれば、たとへ非核ミサイルを
持つても、地対地ミサイルを持つても、地対空ミサイルを持つても、核でないから日本刀と同じことなのです。
全く同じことなのです。それならば日本刀の原理といふものを復活しなければ、どうしたつて防衛問題の根本的な
ものは出てこないんです。(中略)使へる武器だけを持つてゐるのは日本の利点だと考へなければいけない。
(中略)そしてここにつまり武士と武器といふものを、武士と魂とを結びつけることができなければ、日本の
防衛体制は全く空虚なものになつてしまふ、といふところが私の考へてゐる最終的のところです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より さて、武士といふものはどういふものか。私は、中曾根長官が就任されたとき、又聞きですから、軽率な判断は
慎みますが、自衛隊は一種の技術者集団である、そしていはゆる武士ではない、などと仰せられた様に仄聞して
をります。私の間違ひだつたら訂正致しますが、とんでもない話である。もし自衛隊が武士道精神を忘れて、
いたづらにコンピューターに頼り、いたづらに新しい武器の開発や、新しい兵器体系といふ玩具に飛びつくことに
よつてしか日本の防衛が考へられないやうになつたら、その体質において自衛隊には超近代軍隊といふものが持つ
非常な欠点が表はれる。それは軍の官僚化といふこと、次は軍の宣伝機関化だといふことだ。そしてかういふことは、
各国の軍隊で非常に困つてゐることでありますが、さらにもう一つ、軍の技術者化。この三つが問題です。(中略)
そのテクノクラットは、このテクノクラシーの社会でなんら軍人といふ意味をもたないのです。大会社の実験を
やつてゐる技術者と軍隊で一番新しい兵器を開拓した技術者と、スピリットとしてちつとも変わらないものになる。
そこに産軍合同の理念があるわけです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より もう一つは、軍のパブリシティといふもの、軍の秘密主義からなるたけ国民にパブリサイズすることとなれば、
軍の主張は必然的に大衆社会に追随することになりますから、いつまでたつても、軍といふものは、男性理念を
復活することができなくて、益々、おふくろ原理に追随しなければならない。もう一つ軍の官僚化といふことは、
軍が戦争しないうちに、あくまで、軍の秩序維持といふことに、頭を労してゐるうちに、シビリアンコントロールが
いきすぎて、軍の体質といふものが、野戦の部隊長といふものを生まなくなる。あくまでも、この静かな奇麗な
官僚機構の中の一環になつて、これは、政府には、非常に喜ばしい傾向かもしれませんが、武士としては、野性の
欠如した、非常に上官にペコペコするやうな、全く下らない人間が出来上る。そして、単なる戦争技術者になつて
一切スピリットが無くなる。このスピリットが無くなる空隙を狙つて、先に申し上げた共産勢力といふものは
自由自在に入つてくるんです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より (中略)
よく外国人の記者からいはれますが、私は、小さな会などをやつてゐますから、お前は日本に軍国主義が
復活するのを鼓吹してゐるのではないか、軍国主義を鼓吹するために、さういふ事をやつてゐるのではないか、
といろいろいはれるんです。私はいつも、それについて申しますのは、武士道と軍国主義といふものを、一緒に
扱つたのがアメリカの占領政策の一番悪い処である。アメリカ人は、日本が負けた時に、武士道精神をもつて、
日本の武士道に対する敬意だけを残すといふことを遂にしなかつたではないか。彼等は、日本の武士道と日本の
末期的な軍国主義とを全く同一視した。そのために、剣道もやらせなくなつた。そして、まあ一時は歌舞伎ですら、
非常にこの復讐劇や、侍の精神を鼓吹したやうな歌舞伎はやらせなくなつた。
彼等は、外国人だから、仕方がないけれども、日本の武士道といふものは、軍国主義と如何に背反して悲劇的な
結末にいたつたかといふことを、歴史的に無視したからだといふ風にいつも説明するのです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より 私が外人に説明しますことは、乃木大将をもつて、日本の軍における、武士道といふものは、一応終つたんだ、
といふ風に説明するんです。(中略)私は、外人に極く概略的に説明しますことは、武士道と云ふものは、
セルフ・リスペクトと、セルフ・サクリファイスといふことが、そして、もう一つ、セルフ・レスポンシビリティー、
この三つが結びついたものが武士道である。そして、この一つが欠けても、武士道ではないのだ。もしセルフ・
リスペクトと、セルフ・レスポンシビリティーだけが結合すれば、下手すると、ナチスに使はれたアウシュビッツの
収容所長の様になるかもしれない。何故なら彼としても、自分自身に対する尊敬の念を持つてゐただらう。自分の
職務に対する責任を持つてゐただらう。しかしながら上層部の命令するとほりに四十万のユダヤ人を焚殺したでは
ないか。日本の武士道の尊いところは、それにセルフ・サクリファイスといふものがつくことである。この
セルフ・サクリファイスといふものがあるからこそ武士道なので、身を殺して仁をなすといふのが、武士道の
特長である。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より そしてこの三つが、相俟つた時に、武士道といふものが、成り立つのだ、といふことを、外人に説明するんです。
ですから侵略主義とか軍国主義といふものは、武士道とは始めから無縁のものだ。武士道は、セルフ・リスペクトを
もつた人間が、自分の行動について最終的な責任を持ち、そして、しかもその責任を持つ場合には、自己を犠牲に
すること、一命を鴻毛の軽きに比するといふ気持が、武士道の権化で、これがないときには、武士道といふものはない。
ところが戦後の自衛隊にはこのセルフ・リスペクトといふものが常になかつた。また、セルフ・レスポンシビリティーは
あるかもしれないが、これも官僚的セルフ・レスポンシビリティーに堕してしまつたかたむきがある。第三に、
セルフ・サクリファイスについては、遂に教へられることがなかつた。といふのは、あくまでも人命尊重理念が、
先に立つてきたからであります。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より 香川県の某接骨院に勤務する指圧師です。(勤務先は申し上げられません)
仕事以外に興味を持ち我流ですが回春・性感マッサージを致しております。
当然、院内ではできませんので、個人的に細々とやっており、
ご夫婦の方からも好評を頂いております。
内容はカウンセリング、体のコリ、緊張を解すマッサ、整体からはじめ
その後アロマオイル、ローションを用いた
女性には性感マッサージ(ご希望によりソフトからハードまで)、
男性には回春マッサージ(ご希望により前立腺マッサージも)を施術し、
その後ご希望でしたらお二人のSEXのギャラリーとして待機、
事後のクールダウンマッサージも致します。
衛生面にも留意しており、性感、回春は専用のデスポ手袋を着用、
ご希望で玩具を用いる場合は使い捨てに致しますし、
ご希望で生物(ペニス)をご希望の際にはスキンを装着します。
また施術前後はアルコール剤にて滅菌消毒いたしております。
趣味と実益(アルバイト)を兼ねておりますので
夜間や土日の休診日のみの対応になりますが、
その分、廉価でサービスをさせて頂きます。
ご興味のあるご夫婦、カップル様はぜひ、お問い合わせください。
香川がベースですが近隣、また遠方でも交通費ご負担いただければ
参ります。
よろしくおねがいします。
(中略)
一旦終焉した武士道は、どういふ形で生き永らへたか。私は、軍閥といふものは、一朝一夕で成つたとは思ひません。
これは、やはり山県有朋以来の権道主義の政治家と軍人とが徐々に徐々に作りあげていつたものだと思ふのです。
その中では、セルフ・サクリファイスといふ理念は完全に失はれてしまつた。そして勿論、天皇の軍隊であり
ましたから、セルフ・リスペクトの点については欠ける処がなかつた。あるひは、セルフ・レスポンシビリティーの
点についても立派だつたでありませう。しかし、軍の主流は徐々に徐々に、その権力主義と、ファシズムを
受け入れる体制になりつつあつた。そして、全くこの頑固なセルフ・サクリファイスに生きようとする武士は、
段々辺境へ追ひやられてしまつた、まあ、いい例が、ノモンハン事件ですけれども、ノモンハン事件で、
参謀本部がとつた態度は、完全に責任逃れで、現地部隊長を皆自決させて、自分達だけが、一切責任を逃れて、
出世しようとしか考へなかつた。セルフ・サクリファイスの最後の花は、いふまでもなく特攻隊でありました。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より 軍のこれに対して、私に言はせれば、二・二六事件その他の皇道派が、根本的に改革しようとして、失敗したもので
ありますが、結局勝ちをしめた統制派といふものが、一部いはゆる革新官僚と結びつき、しかもこの革新官僚は、
左翼の前歴がある人が沢山あつた。かういふものと軍のいはゆる統制派的なものと、そこに西欧派の理念としての
ファシズムが結びついて、まあ、昭和の軍国主義といふものが、昭和十二年以降に始めて出てきたんだと外人に
説明するんです。私は、日本の軍国主義といふものは、日本の近代化、日本の工業化、すべてと同じ次元のものだ、
全部外国から学んだものだ、と外国人にいふんです。純粋な日本では、さういふものはなかつた。日本の武士とは
さういふものではなかつた。君等がそれを教へたんではないか、(中略)あくまで君等、ヨーロッパ文明の中にある
過酷さが、我々日本を毒したのではないか、我々日本の純粋の武士の魂の中にさういふものはなかつたんだと
いふことを口を極めて説くのであります。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より 軍国主義といふものが、実に、日本の明治以降、動いてきた歴史の中で、非常に、皮肉なものがある。といふのは、
我々は外国からいい影響だけ受けてゐたと思つたのは、非常な間違ひであつた。明治以降の日本が今日まで
やつてきた西欧化の努力によつて、近代国家になつたのであるけれども、その全く同じ理念が、軍国主義を
もたらしたのである。ここをよく考へないと日本の近代感覚といふものの一番大きな問題点は掴めない。日本は、
西洋から、善と悪の二つ、なにもかも全部採り入れた。その結果、こんどの敗戦が招来されたと私はみるのであります。
そして、軍国主義のいはゆる進展と同時に、日本の戦略、戦術の上にアジア的な特質が失はれていつたのは大きい。
といふのは、今のベトナム戦争でも判るやうに、アジア的風土の中で、非常にアジア的な非合理な方法によつて、
ゲリラ戦を展開して、敵を悩ましてゐる。日本は、かういふことを一切しないで、正に外国から得た武器によつて、
西洋の武器をもつて、西洋と闘はうとした。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より これがまづ戦略的に大きな問題だつたのではないか。これは、私は大東亜戦争の敗因の一つではないかとさへ
思つてゐるわけです。参謀本部の頭の中に近代化された頭脳の中にその悪が潜んでゐた。 我々は、もう一つ、
ここで民族精神に振り返つてみて、日本とはなんぞや、武器と魂といふものを日本人は如何に結びつけたか、
そこに立ち返らなければ、日本といふものの防衛の基本的なものは出てこない。そのために、私は、終始一貫した
憲法改正論者で、それが、物理的に可能であるのか、不可能であるのか、そんなことは、おかまひなしに、
一介の人間としてそれのみをいつてゐるのは、決してそれによつて、日本を軍国支配しようとするつもりはないのだ。
あくまでそれによつて日本の魂を正して、そこに日本の防衛問題にとつて最も基本的な問題、もつと大きくいへば、
日本と西洋社会との問題、日本のカルチャーと、西洋のシビライゼーションとの対決の問題、これが、底にひそんで
ゐることをいひたいんだといふことです。
三島由紀夫「武士道と軍国主義」より 乃木大将の死とともに終つた陽明学的知的環境は、大正教養主義と大正ヒューマニズムの敵に他ならなかつた。
過去の敵であるばかりではなく、未来の敵にもなつた。といふのは、大正知識人が徐々に指導者となる時代、
昭和初年にいたつて、このやうに否定され忌避され抑圧された陽明学的潮流は、地下に潜流して、過激な右翼思潮の
温床となつたために、ますます大正知識人に嫌はれる対象となり、被害者意識から大正知識人が、後輩へあへて
伝へまいとした有害な「黒い秘教」になつたのである。
一方マルクシズムは、知識層の革命的関心の、ほとんど九十パーセントを奪ひ去つた。北一輝のやうな日本的
革命思想の追究者は、孤立した星であつた。マルクシズムが陽明学にとつて代り、大正教養主義・ヒューマニズムが
朱子学にとつて代つたといふこともできるであらう。朱子学の、なかんづく、荻生徂徠のやうな外来思想の心酔者は、
大正知識人にとつてもむしろ親しみやすかつた。しかし国学と陽明学はやりきれぬ代物だつた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より 国学は右翼学者の、陽明学は一部の軍人や右翼政治家の専用品になつた。インテリは触れるべからざるものに
なつたのである。
今日でも、インテリが触れてはならぬと自戒してゐるいくつかの思想的タブーがあり、武士道では「葉隠」、
国学では平田(篤胤)神学、その後の正統右翼思想、したがつて天皇崇拝等々は、それに触れたが最後、
インテリ社会から村八分にされる危険があるものとされてゐる。さういふものを何か「いまはしい」ものと
考へるインテリの感覚の底には、明治の開明主義が影を落としてゐる。西欧的合理主義の移入者であり代弁者で
あるところに、自己のプライドの根拠を置いてきた明治初期の留学生の気質は、今なほ日本知識層の気質の底に
ひそんでゐる。決して西欧化に馴染まぬものは、未開なもの、アジア的なもの、蒙昧なもの、いまはしいもの、
醜いもの、卑しむべきもの、外人に見せたくないもの、として押入の奥へ片付けておく。陽明学もその一つで
あつたのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より 現代日本知識人は、かくて無意識のうちに朱子学的伝統を引いてゐる。すなはち、西欧化近代化の文明開化主義の
明治政府と、その劇画化としての第二次大戦後の政府との、基本方針を逸脱せぬところで、同じ次元で、これを
批判し、あるひは「教育」する立場に矜りを見つける。マルクシストさへ、近代化の方策の差といふのみで、
近代主義者には変りがないから、近代主義の先駆としての立場から、「保守的」政府を批判し、それ以上には
出ないのである。大内兵衛氏が、自民党内閣と社会党と双方に関係するのは、双方が近代主義の異腹の児で
あるといふ点で、矛盾はない。
現代日本知識人の身を置く立場や思想は、マルクシズムの神話の崩壊につれ、ますます朱子学の各分派といふ様相を
呈するであらう。私見によれば陽明学は、決してその分派に属さない。むしろ今こそそれは嘗てあつたよりも
激しい形で、提起され直さねばならない。あらゆる政治学が劇薬でありえなくなつた現在、菌にも耐性ができて、
大ていの薬では利かなくなつたのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より さて今まではといへば、たとへば(中略)氏(丸山真男)はそのかなり大部の著書の中でわづかに一頁の
コメンタリーを陽明学に当ててゐるに過ぎない。氏は、陽明学をあくまで朱子学に依存する一セクトとして見、
これを簡略に説明して、朱子の「知先行後」に対して「知行合一」を主張するところの主観的、個人的哲学で
あるとなし、陽明学は朱子学の理の内包してゐた物理性をことごとく道理性のうちに解消せしめたが故に、
朱子学ほどの包括性をもたず、朱子学ほどの社会性を失つた、と説いてゐる。
しかしながら陽明学は、明治維新のやうな革命状況を準備した精神史的な諸事実の上に、強大な力を刻印してゐた。
陽明学を無視して明治維新を語ることはできない。
大体、革命を準備する哲学及びその哲学を裏づける心情は、私には、いつの場合もニヒリズムとミスティシズムの
二本の柱にあると思はれる。(中略)二十世紀のナチスの革命においては、ニイチェやハイデッカーの準備した
能動的ニヒリズムの背景のもとに、ゲルマン神話の復活を策するローゼンベルクの「二十世紀の神話」が、
ナチスのミスティシズムを形成した。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より 革命は行動である。行動は死と隣り合はせになることが多いから、ひとたび書斎の思索を離れて行動の世界に
入るときに、人が死を前にしたニヒリズムと偶然の僥倖を頼むミスティシズムとの虜にならざるを得ないのは
人間性の自然である。
明治維新は、私見によれば、ミスティシズムとしての国学と、能動的ニヒリズムとしての陽明学によつて準備された。
本居宣長のアポロン的な国学は、時代を経るにしたがつて平田篤胤、さらには林桜園のやうなミスティックな
神がかりの行動哲学に集約され、平田篤胤の神学は明治維新の志士達の直接の激情を培つた。
また、これと並行して、中江藤樹以来の陽明学は明治維新的思想行動のはるか先駆といはれる大塩平八郎の乱の
背景をなし、大塩の著書「洗心洞箚記」は明治維新後の最後のナショナルな反乱ともいふべき西南戦争の首領
西郷隆盛が、死に至るまで愛読した本であつた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より また、吉田松陰の行動哲学の裏にも陽明学の思想は脈々と波打つてをり、一度アカデミックなくびきをはづされた
朱子学は、もとの朱子学が体制擁護の体系を完成するとともに、一方は異端のなまなましい血のざわめきの中へ
おりていき、まさに維新の志士の心情そのものの思想的形成にあづかるのである。
主観哲学であり、且つ道理を明らかにすることによつて善悪を超越する哲学であるこの陽明学といふ危険な思想は、
丸山氏のいふところの、まさに逆を行つて、権力擁護の朱子学、徂徠学の一分派といふ仮面に隠れながら、その実、
もつとも極端なラディカリズムと能動的ニヒリズムの極限へ向かつて進んでいつた。その「良知」とは、単に
認識の良知を意味するものではなく、「太虚」に入つて創造と行動の原動力をなすものであり、また一見、
武士的な行動原理と思はれる知行合一は、認識と行動の関係にひそむもつとも危険な消息を伝へるものであつた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より (中略)
私はさつき、死に直面する行動がニヒリズムを養成するといふことを言つた。陽明学の時代にはニヒリズムと
いふ言葉はなかつたから、それは大塩平八郎(中斎)の中斎学派がとりわけ強調した「帰太虚」の説の中に
表はれてゐる。
「帰太虚」とは太虚に帰するの意であるが、大塩は太虚といふものこそ万物創造の源であり、また善と悪とを
良知によつて弁別し得る最後のものであり、ここに至つて人々の行動は生死を超越した正義そのものに帰着すると
主張した。彼は一つの譬喩を持ち出して、たとへば壷が毀(こは)されると壷を満たしてゐた空虚はそのまま
太虚に帰するやうなものである、といつた。壷を人間の肉体とすれば、壷の中の空虚、すなはち肉体に包まれた
思想がもし良知に至つて真の太虚に達してゐるならば、その壷すなはち肉体が毀されようと、瞬間にして永遠に
偏在する太虚に帰することができるのである。
その太虚はさつきも言つたやうに良知の極致と考へられてゐるが、現代風にいへば能動的ニヒリズムの根元と
考へてよいだらう。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より ただ、この太虚が仏教の空観に、ともすると似てきてしまふことは、森鴎外も小説「大塩平八郎」の中でそれとなく
皮肉に指摘してゐる。仏教の空観と陽明学の太虚を比べると、万物が涅槃の中に溶け込む空と、その万物の
創造の母体であり行動の源泉である空虚とは、一見反対のやうであるが、いつたん悟達に達してまた現世へ
戻つてきて衆生済度の行動に出なければならぬと教へる大乗仏教の教へにはこの仏教の空観と陽明学の太虚を
つなぐものがおぼろげに暗示されてゐる。ベトナムにおける抗議僧の焼身自殺は大乗仏教から説明されるが、
また陽明学的な行動ともいふことができるのである。
陽明学をごく簡単に説明したものとしては、井上哲次郎博士の「王陽明の哲学の心髄骨子」といふ古い論文がある。
(中略)明代の哲学者王陽明は朱子哲学の反動としておこつた人であるが、朱子哲学が二元論であつたので、
これに対して一元論の哲学を唱導し、陸象山の思想を受けてこれに自由主義的あるひは平等主義的な傾向を与へて
陽明学を体系づけた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より (中略)
そもそも陽明学には、アポロン的な理性の持ち主には理解しがたいデモーニッシュな要素がある。ラショナリズムに
立てこもらうとする人は、この狂熱を避けて通る。
もちろん、認識と行動との一致といふことを離れて考へてみても、われわれが認識ならぬ知に達する方法としては
古人がすでに二つの道を用意してゐた。一つは、認識それ自体の機能を極限までおし進めるアポロン的な方法であり、
一つは、理性のくびきを脱して狂奔する行動に身をまかせ、そこに生ずるハイデッガーのいはゆる脱自、陶酔、
恍惚、の一種の宗教的見神的体験を通じて知に到達するといふ方法である。これは哲学の中の二つの潮流を
形づくると同時に、人間の行動様式、行動様式の表はれとしての倫理や文化などの、すべての分岐点として現はれた。
陽明学を革命の哲学だといふのは、それが革命に必要な行動性の極致をある狂熱的認識を通して把握しようとした
ものだからである。私がかう言ふのは、学問によつてではなく行動によつて今日までもつとも有名になつてゐる
大塩平八郎のことをいま思ひうかべるからだ。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より (中略)
大塩が思ふには、われわれは天といへば青空のことだと思つてゐるが、こればかりが天ではなくて、石の間に
ひそむ空虚、あるひは生えてゐる竹の中にひそんでゐる空虚もまつたく同じ天であり、太虚の一つである。
この太虚は植物、無機物ばかりではなく、人間の肉体の中にも口や耳を通じてひそんでゐる。われわれが持つて
ゐる小さな虚も、聖人の持つてゐる虚と異なるところはない。もし、誰であつても心から欲を打ち払つて太虚に
帰すれば、天がすでにその心に宿つてゐるのである。誰でも聖人の地位に達しようと欲して達し得ないことはない。
「聖人は即ち言あるの太虚にして、太虚は即ち言はざるの聖人なり」
太虚に帰すべき方法としては、真心をつくし誠をつくして情欲を一掃し、そこへ入つていくほかはない。形の
あるものはすべて滅び、すべて動揺する。大きな山でさへ地震によつてゆすぶられる。何故なら形があるからである。
しかし、地震は太虚を動かすことはできない。これでわかるやうに心が太虚に帰するときに、初めて真の「不動」を
語ることができるのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より すなはち、太虚は永遠不滅であり不動である。心がすでに太虚に帰するときは、いかなる行動も善悪を超脱して
真の良知に達し、天の正義と一致するのである。
その太虚とは何であるか。人の心は太虚と同じであり、心と太虚とは二つのものではない。また、心の外にある虚は、
すなはちわが心の本体である。かくて、その太虚は世界の実在である。この説は世界の実在はすなはちわれであると
いふ点で、ウパニシャッドのアートマンとはなはだ相近づいてくる。
大塩平八郎はその「洗心洞剳記」にもいふやうに、「身の死するを恨みずして心の死するを恨む」といふことを
つねに主張してゐた。この主張から大塩の過激な行動が一直線に出てきたと思はれるのである。心がすでに太虚に
帰すれば、肉体は死んでも滅びないものがある。だから、肉体の死ぬのを恐れず心の死ぬのを恐れるのである。
心が本当に死なないことを知つてゐるならば、この世に恐ろしいものは何一つない。決心が動揺することは絶対ない。
そのときわれわれは天命を知るのだ、と大塩は言つた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より New!!
↓
熊本/大学生・女児殺害事件「ここ1年くらいはパチンコ店に入り浸っていた」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/720
↑
ギャンブル依存 発達障害がある場合も
「ギャンブルにのめり込んでいる人の中には、発達障害の人がかなりいる」。
こんな見方が、ギャンブル依存者の回復を支援する専門家の間で認識され始めた。
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2011021002000055.html
http://megalodon.jp/2011-0210-0913-45/www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2011021002000055.html
2011年2月1日
兵庫・加古川の母娘殺害:夫に懲役25年
「勤務先を解雇されてパチンコなどのために借金を重ね、家族の生活費などを使い込んだ…
このため妻しのぶさんから離婚を求められ絶望的な気持ちになり」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/718
東池袋 出会い系カフェ殺人事件・女子大生と男「1万円の攻防」
借金200万円→パチンコで負けてから深夜11時出会い系カフェ入店→ラブホテルで殺害
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/714-719
北関東・5人幼女連続レイプ殺害犯を警察が捕まえない理由は、飯塚事件で無罪の人を死刑にしたから
北関東・5人幼女連続レイプ殺害犯を警察が捕まえない理由は、飯塚事件で無罪の人を死刑にしたから
警察は犯人を知っています。
警察は犯人を知っています。
犯人は今も週末にパチンコを打っています。
犯人は今も週末にパチンコを打っています。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1289258255/669-671
●マスゴミは大学生がパチンコに入り浸っていたことは総スルーするぞ(笑)●
(中略)
われわれは心の死にやすい時代に生きてゐる。しかも平均年齢は年々延びていき、ともすると日本には、平八郎とは
反対に、「心の死するを恐れず、ただただ身の死するを恐れる」といふ人が無数にふえていくことが想像される。
肉体の延命は精神の延命と同一に論じられないのである。われわれの戦後民主主義が立脚してゐる人命尊重の
ヒューマニズムは、ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問はないのである。
社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全を保障しはしない。心の死ぬことを恐れず、肉体の死ぬことばかり
恐れてゐる人で日本中が占められてゐるならば、無事安泰であり平和である。しかし、そこに肉体の生死を
ものともせず、ただ心の死んでいくことを恐れる人があるからこそ、この社会には緊張が生じ、革新の意欲が
底流することになるのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より (中略)
大塩平八郎の死は、前にも言つたやうに天保八年三月のことであつたが、それから四十年を経た、西郷南洲の
西南の役における死に思ひ及びと、西郷の生涯が再び陽明学の不思議な反知性主義と行動主義によつて貫かれて
ゐることにわれわれは気づく。西郷の「手抄言志録」によれば、その第二十一には、死を恐れるのは生まれてから
のちに生ずる情であつて、肉体があればこそ死を恐れるの心が生じる。そして死を恐れないのは生まれる前の
性質であつて、肉体を離れるとき初めてこの死の性質をみることができる。したがつて、人は死を恐れるといふ
気持のうちに死を恐れないといふ真理を発見しなければならない。それは人間がその生前の本性に帰ることである、
といふ意味のことをいつてゐる。
現にま西郷は幕吏に追はれた親友の僧月照と共に薩摩の海に舟を浮かべ、月照が示した和歌に同感して直ちに
彼と共に相擁して海に身を投じたことがある。そのときに死んだのは月照だけで、西郷は蘇ることになるのであるが、
彼はその後一生、月照と共に死ねなかつたことを憾みに思つてゐたやうである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より (中略)
この(「南洲遺訓」)文章などは、われわれの中で一人の人間の理想像が組み立てられるときに、その理想像に
同一化できるかできないかといふところに能力の有無を見てゐる点で、あたかも大塩平八郎の行動を想起させる
のである。聖人がわれわれの胸奥に住むならば、その聖人とわれわれとは同格でなければならない。甚だ傲慢な
哲学であるが、それはあたかも「葉隠」の、「われは日本一なりとの増上慢なくてはお役に立ち難し」といふやうな
自我哲学の絶頂と照応してゐる。
このやうな同一化の可能性が生じないで、ただおとなしくこれを学び、ひたすら聖人に及ばざることのみを考へて
ゐるところからは、決して行動のエネルギーは湧いてはこない。同一化とは、自分の中の空虚を巨人の中の空虚と
同一視することであり、自分の得たニヒリズムをもつと巨大なニヒリズムと同一化することである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より そのやうな行動の、次元を絶した境地は、吉田松陰が獄中から品川弥二郎に送つた書簡の中にもうかがはれる。
松陰は一つの空虚を巨大な空虚に結びつけ、一つの小さな政治的考慮を最高の理想に結びつけて、小さな行動を
最終の理念に直結させるための跳躍の姿勢をさまざまにためした。そのとき狭い獄舎の中で松陰が試みた精神的
ジャンプは、たちまち日常生活の次元を超えて、空間と時間とを新しい次元へ飛躍させたのである。
松陰が入つていつたこのやうな心境を証明するもつとも恐ろしく、私の忘れがたい一句は、「天地の悠久に比せば
松柏も一時蠅なり」といふものだ。(中略)
そのとき松陰は、人生の短さと天地の悠久との間に何等差別をつけてゐなかつた。われわれの生存がもつてゐる
種々の困難、われわれの日々の生が担つてゐるもろもろの条件を脱却して、直ちに最小のものから最大のものに、
もつとも短いものからもつとも長いものへ一ぺんに跳躍し、同一視する観点を把握してゐた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より (中略)
この陽明学はおそらく、乃木大将の死に至つて、日本の現代史の表面から消えていつたやうに思はれる。その後、
陽明学的な行動原理は学究を通じてではなくて、むしろ日本人の行動様式のメンタリティーの基本を形づくることに
なつて、ひそかに潜流し始めたものであらう。昭和の動乱の時代から今日に至るまで、日本人が企てた行動には、
西欧人が企及し得ぬ、また想像し得ぬさまざまな不思議な要素がふくまれてゐる。そしてその日本人の政治行動
自体には、完全な理性主義や主知主義に反するところの不思議な暴発状況や、無効を承知でやつた行動のいくつかの
めざましい事例がみられるのである。
何故日本人はムダを承知の政治行動をやるのであるか。しかし、もし真にニヒリズムを経過した行動ならば、
その行動の効果がムダであつてももはや驚くに足りない。陽明学的な行動原理が日本人の心の中に潜む限り、
これから先も、西欧人にはまつたくうかがひ知られぬやうな不思議な政治的事象が、日本に次々と起ることは
予言してもよい。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より 日本における革命運動は、日本的革命とは何ぞやといふ問題をひさしく閑却してきた。革命はすべて外来思想であり、
マルクシズムも亦西欧の近代化の一翼に乗つて日本に入つてきた一思想であつた。そして、日本といふアジアの
後進国家が物質文明による近代化に乗り出したときに、その近代化に随伴する一つのアンチテーゼの思想が
移入されたのは必然的であつた。そして、マルクシズムの思想の日本化のためには、苦しい血のにじむやうな
努力が要つた。
転向の問題は、一度、外来思想を人間の肉体と心情を通して濾過し、その心情の根底において思想とは何ものかを
問ふといふことによつて、日本の知識人に重要な歴史的転機を与へた。もし、あの転向の思想的体験が戦後の
革命思想に正当に貫かれてゐたならば、私は「日本的革命とは何ぞや」といふ問題が、真に展開されてゐたで
あらうと思ふ。
しかしながら、戦後のアメリカ民主主義による突如の解放によつて、革命思想の日本化肉体化といふ問題は一時
置きざりにされた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より 即ち、それは再び啓蒙思想に復帰し、近代主義に立ち戻り、すべてを振り出しから始めるといふ新しい楽天的な、
再度の近代化西欧化の代表をつとめるやうになつたのだ。戦後、このやうな近代主義がたちまち破綻したのは
当然のなりゆきである。
その後の新左翼の勃興は、かうした混迷、矛盾を経て老朽化していつた共産党的革命思想に対するアンチテーゼで
あつたが、その後被ら自身が自分の思想の肉体化といふことについて、風土性の問題から離れざるを得ぬといふ
時代的環境に置かれていつた。すでに農地改革以後、ブルジョア革命が成就した日本で、極度の急激な工業化と共に
大衆社会化状況が生まれ、工業化、都市化の進展は農村人ロの減少をもたらし、その思想の風土性は、帰るべき
故郷を失つた状態にあつた。主に学生運動は都市から発生し、その都市化の極点における空白においてのみ、
一般の大衆の精神的空白と相わたつた。そのとき、もはや革命思想は日本的、風土的なものに還元されるべき
手がかりを失つてゐた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より (中略)
七〇年は予想されたやうな波瀾も見せずに、再び占領体制下と同じやうな論理が復活するのに役立つた。いまや
自民党も共産党も同じやうな次元の議会主義政党に堕し、共に政治目標実現の最終的な不可能を知りながら、
目前の事態の処理によつて大衆社会をどちらがより多く味方に引きつけるか、といふ術策に憂き身をやつすやうに
なつた。このやうな政治行動は、すみずみまでソロバンづくの有効性によつて計量され、有効性の判断が政治行動の
メリットの唯一の基準になつた。すでに自民党がさうである如く、共産党も政権獲得のための票数の増加と、
日常活動による市民生活への浸透に目安をおいて、一刻一刻、一日一日の政治行動を、すべてこのプラクティカルな
目的に対する有効性によつて判断してゐる。
それをジャーナリズムはまた、理想主義の終焉、あるひは脱イデオロギーの時代が来たとよんでゐる。そして
工業化社会の果てに、ポスト・インダストリアル・ジェネレーション、脱工業化社会が来るといふことは、つとに
予見されたことであつたが、その予見は半ば当り半ば当らなかつた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より 工業化の果てにおける精神的空白は再びまた工業化によつて埋められ、精神の飢ゑが再び飽満した食欲によつて
満たされることになつた。そして先にも言つたやうに、人は心の死、魂の死を恐れないやうになつたのである。
陽明学が示唆するものは、このやうな政治の有効性に対する精神の最終的な無効性にしか、精神の尊厳を認めまいと
するかたくなな哲学である。いつたんニヒリズムを経過した尊厳性が精神の最終的な価値であるとするならば、
もはやそこにあるのは政治的有効性にコミットすることではなく、今後の精神と政治との対立状況のもつとも
きびしい地点に身をおくことでなければならない。そのときわれわれは、新しい功利的な革命思想の反対側に
ゐるのである。陽明学はもともと支那に発した哲学であるが、以上にも述べたやうに日本の行動家の魂の中で
いつたん完全に濾過され日本化されて風土化を完成した哲学である。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より もし革命思想がよみがへるとすれば、このやうな日本人のメンタリティの奥底に重りをおろした思想から
出発するより他はない。一方、国学のファナティックなミスティシズムが現代に蘇ることがはなはだむづかしいと
するならば、陽明学がその中にもつてゐる論理性と思想的骨格は、これから先の革新思想の一つの新しい芽生えを
用意するかもしれない。
われわれの近代史は、その近代化の厖大な波の陰に、多くの挫折と悲劇的な意欲を葬つてきた。われわれは西洋に
対して戦ふといふときに何をもとにして戦ふかを、つひに知らなかつた。そして西欧化に最終的に順応したもの
だけが、日本の近代における覇者となつたのである。明治政府自体が西欧化による西欧に対する勝利といふ理念を
掲げたときに、その実力による最終証明となつたものは日露戦争であつたから、その後の日本は西欧的な戦争を
戦ふことによつて西欧に打ち勝つといふ固定観念に向かつて進んで、第二次大戦の破局に際会した。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より 一方目ざめたアジアは、アジア独特の思考によりベトナムや中共で西欧化に対するしたたかな抵抗の作戦を展開した。
それらはもちろん、地理的な条件やさまざまな風土的な条件の恵みによることはもちろんであるが、日本が
貿易立国によつて進まねばならない島国といふ特性を有しながらも、アジアの一環に属することによつて西欧化に
対する最後の抵抗を試みるならば、それは精神による抵抗でなければならないはずである。
精神の抵抗は反体制運動であると否とを問はず、日本の中に浸潤してゐる西欧化の弊害を革正することによつてしか、
最終的に成就されない道である。そのとき革新思想がどのやうな形で西欧化に妥協するかによつて、無限にその
政治的有効性の方向に引きずられていくことは、戦後の歴史が無惨に証明した如くである。われわれはこの
陽明学といふ忘れられた行動哲学にかへることによつて、もう一度、精神と政治の対立状況における精神の
闘ひの方法を、深く探究しなほす必要があるのではあるまいか。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より Q――石原(慎太郎)氏に向かつて「自民党にはひつたら党を批判するな」といふあなたの論法。これをおし
進めると、抵抗を否定することになる。従属といふか、非常に暗いものを要求する、抵抗を押へるのではないか、
と思ふのだが……。
三島:抵抗は死に身になれ。抵抗はやれ。ただし遊び半分にやるな、といふことだ。たとへば抵抗は楽しいもの
であるといふベ平連などの考へですね。あれが一番きらひなんです。ベ平連式の“抵抗”は、大衆にアピールする。
抵抗とは楽しい、抵抗とは手をつないでフランス・デモをやることだ、フォーク・ダンスをやることだ、これが
非常にいやなんです。抵抗はナマやさしいもんぢやない。血みどろで、死に身にならなきやできないのが本当である。
内部批判をする連中が、手柄顔で歩いてゐる。石原君のことぢやなく、世間一般ですよ。共産党を内部批判すると
英雄になる。公明党を内部批判すると英雄になる。自分の属してゐるものの内部批判した男が英雄視される。
こんな間違つたことはない。抵抗をもう少し暗いものにしなきやいかん。
三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より (中略)藩のきびしさは、いまの会社などとは、なるほど、くらべものにならないかもしれない。しかし、
そこに仕へるものの内面的なモラルといふものは同じだ。つまり、お前はこんな批判をしたから切腹ものだ、
首をはねる、なんて規則は外面的な規則でしよ。だけど自分は賊名を着せられてもあへてやるんだとか、あるひは
自分の中では内面的にそれを許さない、といふ場合に、人間はどういふ態度をとるべきか。その態度決定は
文化や伝統が規定すると思ふんです。(中略)
Q――「個人的なフラストレーションと公的な憤りを混同するな」といふことを書いてをられる。
三島:それは抵抗側の政治組織の問題です。つまり個人的な怨恨を巻きこまなければ、大きな抵抗は組織できない。
さういふ組織がいけないといふのではない。(中略)
いまの日本は「公」と「私」の別がないやうな国、私益優先の国ですね。人命尊重以上の高い価値を持つたものは
なくなつた。それがいまの日本です。ですから「よど号」事件なんかでも、日本の政府は人命尊重以外には何も
いへない。日本には、それ以上の国是がないんだから。
三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より 韓国でも北朝鮮でも国家意志といふものがあつたでせう。いまの日本には、国家意志などといふものはない。
石原君なんか、国家意志を持たうとするために政治家になつたのぢやないか。さういふ日本から脱却して――。
ぼくは、そのために彼を応援したのぢやないのか。だから石原君が私益優先みたいな社会の中で「私」と「公」を
混同するやうなものの考へ方だつたら、初めから矛盾ぢやないのか。あくまで公的なものだけを大切にするのが
彼の政治行為ではないのかと思ふのです。ぼくはむりやりにでも「公」と「私」を分けなきや政治行為なんて
できるものではないと思つてゐる。いまの若いもの、若い政治家が持つてゐる満たされないもやもやしたものを、
公的なものにすりかへてゐる。これは卑怯です。石原君だけでなく、日本人の多くが、いまさうですね。会社の
帰りに、いつぱい飲みながらやる上役の悪口が、いま日本中の世論といふものの原型になつちやつた。昔は、
あんなもの私的なもので、上役とのいさかひはその場で終はつた。翌日はケロッとしてゐたものだ。
三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より Q――士道とは何か。
三島:山鹿素行の士道とか、吉田松陰のそれとか、士道にもいろいろあつてね。さう堅いことばかりいつてゐる
わけぢやない。「柔よく剛を制するの理(ことわり)をわきまふべし。しゐてつよからんと思へば、かへつて
よはきことあり。われつよければ、かれも又つよし」なんてのもある。こりや、ぼくのこといつてるのかも
わからんが……。
ぼくは、魂の問題といふことで「士道」といふ言葉を使つた。内面的なモラルといつてもいい。内面的なモラル
といふものは、自分が決めて自分がしばるものだ。それがなければ、精神なんてグニャグニャになつちやふ。
今日では、自分で自分をしばるといつたストイックな精神的態度を、だれも要求しなくなつた。ストイックなのは
損だと、だれもが考へてゐる。
三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より Q――「士道」といふもの、そもそもアナクロニズムではないのか。みんなが「士道」を実践してゐないのに、
一人だけサムラヒになつても効果がないんぢやないか。
三島:ぼくは「士道」を、みんなに向かつて鼓舞するつもりはない。ストイックなものだから、一人がさうで
あればいい。あるひは十人がなるかもしれないが、この巨大な社会の歯車の中で、一人がストイックになれば、
それがしだいに波及して順々に歯車が動いていくんぢやないか。さういふ気違ひみたいなヤツがゐないと、
日本、面白くないと思ひますね。
アナクロ? さうかもしれない。しかし、人間、どんな新しい身なりをしてゐても、一つだけ古いものを
持つてるのがダンディーぢやないのですか。精神的態度として。士道ていふのはダンディズムですよ。男の
“見伊達”といふか、さういふものですね。精神的な伊達ものですね。最新流行の服を着て、口に何十年か前の
古いパイプをくはへてゐるやうに、精神的にも一点、アナクロニズムが残つてゐるてのがダンディーなんですよ。
三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より Q――「士道」の復活は、現代において可能ですか。
三島:ぼくはさういふふうに問題を考へてゐない。「士道」といふ言葉をいふのは、その言葉が、まるで一滴の
しづくのやうにその人の心にしたたつたら、自分で考へてごらんなさい――といふだけなんです。「士道」といふ
ものは、マスコミを通じて広まるやうな性質のものではない。われわれの心の中を探つてみると、心のなかに
持つてゐる自己規律に照らして、どこかやましいものがあるはずだ。やましいものがあれば、士道に反してゐるのだ
と考へるべきだ。それが日本人だと思ふんです。なぜやましさを感じるか。それは士道にもとつてるからなんです。
士道つてそんなものではないか。一言でいへば、「士道」とは男の道ですよ。
三島由紀夫「『精神的ダンディズムですよ』――現代人のルール『士道』」より 日本人は世界から見ればすごい人種だと思われているんだよ
原発作業の50人は世界から英雄だと評価されている
戦後、日本を復興させてきたおじいちゃん、おばんちゃん世代の人たちは本当にすごい人たちなんだよ
日本の戦後復興は世界から奇跡と言われていたんだよ
うちのおばちゃんが今回の地震で戦後の日本を思い出すって言ってた。
日本人は本当にすごい人種なんだよ。 本当に
そして日本は色々な国に援助をしてきた アフガニスタンにしろ中国にしろ復興金など援助金など払っていた
ベトナムにも援助をしていた
だから色々な国から逆に援助金など寄付などしてくれるんだよ
それは今ままで日本はいろいろな国に援助なり寄付なりしてたからだよ
それに比べて韓国人は戦後、日本に密入国をして大暴れをして強奪やレイプや殺人などをして
日本人から金を奪っていた。これは真実。
地震後の復興でマスコミは韓国を押して韓国アイドルのニュースを日本国民に押し付けたりする
気づいてほしい。 いい加減マスコミに騙されないほしい。 韓国人という人種は嘘や犯罪を犯すそういう人種なんだよ
>>144
日本人が中国や韓国にしたひどいことは?
そして日本は殺人ないの? >>144
今回の震災で被災地の方々の忍耐や助け合う姿勢は日本人は立派だと思うし、
各国の支援援助関係は日本は世界から愛されていると思うけど、日本国内の
政治家や一部企業のトップなどの対応はクズだと思ったので、手放しに
日本および日本人は凄いとは思えないな。
戦争に関しては、日本国内の歴史を見れば、戦国時代では当時の国同士
で戦乱で虐殺したり、戦時のレイプや略奪は日常茶飯事だったので、
韓国中国日本関係なく、戦争とはそういう物だと思う。
近代に近い戊辰戦争でも、たいして変わらない状況だったと言う。 タバコ出荷停止!
皆さん大丈夫ですか?
近所のコンビニにもタバコがありません
でも、ご安心を!
タバコは個人輸入すれば問題なし
なんせ海外のタバコは激安
送料込みで1箱60円とかもアリ
コンビニで買うのがバカらしく思える
日本語の個人輸入代行業者は沢山あります
「タバコ 個人輸入」とかで検索して
良さそうな業者を選べばOK 三島の武士道は単なる武士道ではなく、しいてゆえば
軍士道(ぐしどう)であり帝国軍人の道を説いている。
ゆえにいわゆる武士ではなくて帝国
軍人としての武士であるが、ようするに
伝統ある歴史的軍隊の延長としての近代的
西洋軍隊、軍人という軍士の精神理論。 そもそも「さむらい」の淵源は
俘囚軍にあると思う。
喜田貞吉も言ってたはずだ。
つまり縄文系の戦士を朝廷で
使役するにあたって、武士道と言う
生命軽視の価値観が生まれた。
>>146
政府の対応に不満がっていうけど、贅沢いったらキリないのでは?
海上自衛隊の軍艦旗はモンゴルの旗
http://s1.shard.jp/deer/0204/46/305.html
モンゴル帝国を記念した旗だったとは。
そこには、「神風」の秘密がある。 >>152
こいつの病気は年々酷くなるな・・・・
まあ、いまさら社会には適応できんだろうし
親も諦めてるんだろうな。 >>151
じゃぁ日本においても殺人犯を野放しにしてね >>155
殺人暴力強姦放火窃盗で有名なミンジョクが
野放しになってるだろw 私は進歩主義者ではないから、次のやうに考へてゐる。
精神をきたへることも、肉体をきたへることも、人間の古い伝統の中の神へ近づくことであり、失はれた完全な
理想的な人間を目ざすことであり、それをうながすものは、人間の心の中にある「古代の完全性」への郷愁である、と。
精神的にも高く、肉体的にも美しかつた、古典期の調和的人間像から、われわれはあまりにもかけはなれてしまひ、
社会にはめこまれた、小さな卑しい、バラバラの歯車になつてしまつた。ここから人間を取りもどすには、ただ
はふつておいて、心に念じてゐるだけでできるものではない。
三島由紀夫「きたへる――その意義」より 苦しい思ひをしなければならぬ。人間の精神も肉体も、ただ、温泉につかつて、ぼんやりしてゐるやうには
できてゐない。鉄砲でも、刀でも、しよつちゆう手入れをしてゐなければ、さびて使ひものにならなくなる。
精神も肉体も、たえず練磨して、たえずみがき上げてゐなければならぬ。
これは当り前のことなのだが、この当り前のことが忘れられてゐる。若いうちに、つらいことに耐へた経験を
持つことほど、人生にとつて宝はないと思ふ。軍隊のやうな強制のない現在、一人一人の自発的な意志が、
一人一人の未来を決定するにちがひない。
三島由紀夫「きたへる――その意義」より 何代も百姓やって来た家系の子孫は喜んで息子を戦争にやった
何百年も待ち望んだ念願のサムライ(もどき)が家から出るのは名誉だと思ってた
虚弱体質で「オマエイラネ」と言われて兵士になれなかったのが三島由紀夫
そういった人間が非国民扱いされた時代に生き、心に大きな傷を抱える
勉強は出来たので東大には入れた、文章の才能があって人気作家にもなれた
しかし、どれだけ精神を病んでいたのだろう 元パリ・マッチ特派員アルフレッド・スムラー著「日本は誤解されている」より抜粋。
「別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりはないが、占領地域で最も嫌われたのは、
このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない」 南シナ海で支那とベトナム&フィリピンの間で緊張が高まり、ベトナムもフィリピンも支那の侵略に備えているのに、
日本は尖閣や艦隊通過と、やられたい放題。支那に対峙するベトナム人の気概のルーツを解説。
西村幸祐氏のfacebookより http://t.co/aI5KGZj
インドを含めた東南アジア諸国の独立は間違いなく日本。ベトナムと日本軍に関してはここで知りました。http://t.co/DmknPc2
英霊が命を賭して護り、遺して下さった国土が穢されてるんだぜ?
女子高校生を強姦し下着奪う 朝鮮籍で住所不定の会社員呉紘希容疑者(27)を逮捕
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1308928312/
八百長戦争の特攻隊とは何だったのか。
http://s1.shard.jp/deer/0202/3/119_2.html
特攻隊とは、「ほめ殺し」の典型事例だった。
今でもそうだが、当時の大本営には、地域町内会の会長から、
「死んで欲しい」家族・若者のリストが軍部に送られた。
そして、特別に召集令状が送られた。
特攻機には、二機の監督機が伴走した。
特攻機には片道の燃料、他の二機はもちろん往復の燃料だ。
どう見ても「人殺し」でしかなかった。
このインチキは、「八百長戦争」の論理で初めて説明がついた。 l;;llllll||lll从从WWWl||ll,,ツ从ツツノlイノ'彡ヽ
イ从、从从从从从ll|| |リ从////ノノ彡;j
jl从从从从;;;;;;;;;;;;从;;;;;/;;;;;;;;;、、、;;-ー、イ彡:}
(ミミ;;ッ''"゙ ̄ '、::::゙`゙''ー、/"´::: :::: |;;;;;彡|
}ミミ;;;} ::: {:: ゙:::::、::: :::ィ ,,:::: };;;;イ;;l
jミミ;;;;} ::: ヽ::::ミヽ:: | ノ W:: |;;;;彡:|
}ミ;;;;;;} ::: ヾ {:::::ミ ヽ j イ|从 ":::: };;;;;;彡{
iミ゙;;;ノ:::::: \'、 }}: l||イ /,ィ;;、、-ーーヾ'ァ;;イ、
{;;;;リ:レ彡"三三ミヽ,,リ{{,,ノ;;;;ィ≦==ミ'" |;;〉l.|
l"';;;l ゙'''<<~(::) >>::)-ら::ィ'ー゙-゙,,彡゙ .:|;l"lリ
|l ';;', ::: ー` ̄:::::::ミ}゙'~}彡ィ""´ .:::lリノ/
l'、〈;', ::: :::::::t、,j iノ:::、::.. ..::::lー'/
,、,,,/| ヽヽ,,', ::.、 :::::(゙゙( ),、)、ヽ::. イ ::::l_ノ
)ヽ"´ ''''"レl_ヽ,,,', ヾ'ー、:::;r'"`' ゙'';;"" ゙l| ::j ::: |: l,,,,
゙''(,l ', l| リ {"ィr''''' ーー''ijツヽ l| :" l |',`ヽ,
す そ (,l :'、 `',. 'l| |;;゙゙゙゙"""´ー、;;| ノ: / /リヽ \
ご . う Z::::ヽ '、 ゙'t;ヽ ` ´ ノ;;リ ,r' // |
い な >,; :::ヽ ::ヽミニニニ彡'" , ':::::// |
ね ん フヽ :::\ : ミー―― "ノ , ':::: //: |
┃ だ }ヽヽ :::::\::( ̄ ̄ ̄ /:::://: |
┃ / }| ヽヽ :::::`'-、竺;;ニィ':::// | l
// ・ ( | ヽ ヽ :::: ::::::... ::// | |
) ・・. ( | ヽ ヽ:: ::::::... // リ. |
つ、 r、{ | ヽ ヽ // / |
ヽ '´ | ヽ ヽ // / この叫び(剣道のかけ声)には近代日本が自ら恥ぢ、必死に押し隠さうとしてゐるものが、あけすけに露呈されてゐる。
それはもつとも暗い記憶と結びつき、流された鮮血と結びつき、日本の過去のもつとも正直な記憶に源してゐる。
それは皮相な近代化の底にもひそんで流れてゐるところの、民族の深層意識の叫びである。このやうな怪物的日本は、
鎖につながれ、久しく餌を与へられず、衰へ呻吟してゐるが、今なほ剣道の道場においてだけ、われわれの口を
借りて叫ぶのである。それが彼の唯一の解放の機会なのだ。私は今ではこの叫びを切に愛する。このやうな叫びに
目をつぶつた日本の近代思想は、すべて浅薄なものだといふ感じがする。それが私の口から出、人の口から出るのを
きくとき、私は渋谷警察署の古ぼけた道場の窓から、空を横切る新しい高速道路を仰ぎ見ながら、あちらには
「現象」が飛びすぎ、こちらには「本質」が叫んでゐる、といふ喜び、……その叫びと一体化することのもつとも
危険な喜びを感じずにゐられない。
三島由紀夫「実感的スポーツ論」より そしてこれこそ、人々がなほ「剣道」といふ名をきくときに、胡散くさい目を向けるところの、あの悪名高い
「精神主義」の風味なのだ。私もこれから先も、剣道が、柔道みたいに愛想のよい国際的スポーツにならず、
あくまでその反時代性を失はないことを望む。
(中略)
スポーツは行ふことにつきる。身を起し、動き、汗をかき、力をつくすことにつきる。そのあとのシャワーの
快さについて、かつてマンボ族が流行してゐたころ、
「このシャワーの味はマンボ族も知らねえだろ」
と誇らしげに言つてゐた拳闘選手の言葉を私は思ひ出す。この誇りは正当なもので、何の思想的な臭味もない。
運動のあとのシャワーの味には、人生で一等必要なものが含まれてゐる。どんな権力を握つても、どんな放蕩を
重ねても、このシャワーの味を知らない人は、人間の生きるよろこびを本当に知つたとはいへないであらう。
三島由紀夫「実感的スポーツ論」より 「葉隠」の恋愛は忍恋(しのぶこひ)の一語に尽き、打ちあけた恋はすでに恋のたけが低く、もしほんたうの
恋であるならば、一生打ちあけない恋が、もつともたけの高い恋であると断言してゐる。
アメリカふうな恋愛技術では、恋は打ちあけ、要求し、獲得するものである。恋愛のエネルギーはけつして内に
たわめられることがなく、外へ外へと向かつて発散する。しかし、恋愛のボルテージは、発散したとたんに
滅殺されるといふ逆説的な構造をもつてゐる。現代の若い人たちは、恋愛の機会も、性愛の機会も、かつての
時代とは比べものにならぬほど豊富に恵まれてゐる。しかし、同時に現代の若い人たちの心の中にひそむのは
恋愛といふものの死である。もし、心の中に生まれた恋愛が一直線に進み、獲得され、その瞬間に死ぬといふ経過を
何度もくり返してゐると、現代独特の恋愛不感症と情熱の死が起こることは目にみえてゐる。若い人たちが
いちばん恋愛の問題について矛盾に苦しんでゐるのは、この点であるといつていい。
三島由紀夫「葉隠入門」より かつて、戦前の青年たちは器用に恋愛と肉欲を分けて暮らしてゐた。大学にはいると先輩が女郎屋へ連れて行つて
肉欲の満足を教へ、一方では自分の愛する女性には、手さへふれることをはばかつた。
そのやうな形で近代日本の恋愛は、一方では売淫行為の犠牲のうへに成り立ちながら、一方では古いピューリタニカルな
恋愛伝統を保持してゐたのである。しかし、いつたん恋愛の見地に立つと、男性にとつては別の場所に肉欲の満足の
犠牲の対象がなければならない。それなしには真の恋愛はつくり出せないといふのが、男の悲劇的な生理構造である。
「葉隠」が考へてゐる恋愛は、そのやうななかば近代化された、使ひ分けのきく、要領のいい、融通のきく恋愛の
保全策ではなかつた。そこにはいつも死が裏づけとなつてゐた。恋のためには死ななければならず、死が恋の
緊張と純粋度を高めるといふ考へが「葉隠」の説いてゐる理想的な恋愛である。
三島由紀夫「葉隠入門」より おそるべき人生知にあふれたこの著者(山本常朝)は、人間が生だけによつて生きるものではないことを知つてゐた。
彼は、人間にとつて自由といふものが、いかに逆説的なものであるかも知つてゐた。そして人間が自由を
与へられるとたんに自由に飽き、生を与へられるとたんに生に耐へがたくなることも知つてゐた。
現代は、生き延びることにすべての前提がかかつてゐる時代である。平均寿命は史上かつてないほどに延び、
われわれの前には単調な人生のプランが描かれてゐる。青年がいはゆるマイホーム主義によつて、自分の小さな巣を
見つけることに努力してゐるうちはまだしも、いつたん巣が見つかると、その先には何もない。あるのはそろばんで
はじかれた退職金の金額と、労働ができなくなつたときの、静かな退職後の、老後の生活だけである。(中略)
戦後一定の理想的水準に達したイギリスでは、労働意欲が失はれ、それがさらには産業の荒廃にまで結びついてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より しかし、現代社会の方向には、社会主義国家の理想か、福祉国家の理想か、二つに一つしかないのである。
自由のはてには福祉国家の倦怠があり、社会主義国家のはてには自由の抑圧があることはいふまでもない。
人間は大きな社会的なヴィジョンを一方の心で持ちながら、そして、その理想へ向かつて歩一歩を進めながら、
同時に理想が達せられさうになると、とたんに退屈してしまふ。他方では、一人一人が潜在意識の中に、深い
盲目的な衝動をかくしてゐる。それは未来にかかはる社会的理想とは本質的にかかはりのない、現在の一瞬一瞬の
生の矛盾にみちたダイナミックな発現である。青年においては、とくにこれが端的な、先鋭な形であらはれる。
また、その盲目的な衝動が劇的に対立し、相争ふ形であらはれる。青年期は反抗の衝動と服従の衝動とを同じやうに
持つてゐる。これは自由への衝動と死への衝動といひかへてもよい。その衝動のあらはれが、いかに政治的な形を
とつても、その実それは、人間存在の基本的な矛盾の電位差によつて起こる電流のごときものと考へてよい。
三島由紀夫「葉隠入門」より 戦時中には、死への衝動は100パーセント解放されるが、反抗の衝動と自由の衝動と生の衝動は、完全に
抑圧されてゐる。それとちやうど反対の現象が起きてゐるのが戦後で、反抗の衝動と自由の衝動と生の衝動は、
100パーセント満足されながら、服従の衝動と死の衝動は、何ら満たされることがない。十年ほど前に、
わたしはある保守系の政治家と話したときに、日本の戦後政治は経済的繁栄によつて、すくなくとも青年の
生の衝動を満足させたかもしれないが、死の衝動についてはつひにふれることなく終はつた。しかし、青年の中に
抑圧された死の衝動は、何かの形で暴発する危険にいつもさらされてゐると語つたことがある。
(中略)
トインビーが言つてゐることであるが、キリスト教がローマで急に勢ひを得たについては、ある目標のために
死ぬといふ衝動が、渇望されてゐたからであつた。パックス・ロマーナの時代に、全ヨーロッパ、アジアにまで
及んだローマの版図は、永遠の太平を享楽してゐた。
三島由紀夫「葉隠入門」より 現代社会では、死はどういふ意味を持つてゐるかは、いつも忘れられてゐる。いや、忘れられてゐるのではなく、
直面することを避けられてゐる。ライナ・マリア・リルケは、人間の死が小さくなつたといふことを言つた。
人間の死は、たかだか病室の堅いベッドの上の個々の、すぐ処分されるべき小さな死にすぎなくなつてしまつた。
そしてわれわれの周辺には、日清戦争の死者をうはまはるといはれる交通戦争がたえず起こつてをり、人間の
生命のはかないことは、いまも昔も少しも変はりはない。ただ、われわれは死を考へることがいやなのである。
死から何か有効な成分を引き出して、それを自分に役立てようとすることがいやなのである。われわれは、
明るい目標、前向きの目標、生の目標に対して、いつも目を向けてゐようとする。そして、死がわれわれの生活を
じよじよにむしばんでいく力に対しては、なるたけふれないでゐたいと思つてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より このことは、合理主義的人文主義的思想が、ひたすら明るい自由と進歩へ人間の目を向けさせるといふ機能を
営みながら、かへつて人間の死の問題を意識の表面から拭ひ去り、ますます深く潜在意識の闇へ押し込めて、
それによる抑圧から、死の衝動をいよいよ危険な、いよいよ爆発力を内攻させたものに化してゆく過程を示してゐる。
死を意識の表へ連れ出すといふことこそ、精神衛生の大切な要素だといふことが閑却されてゐるのである。
しかし、死だけは、「葉隠」の時代も現代も少しも変はりなく存在し、われわれを規制してゐるのである。
その観点に立つてみれば、「葉隠」の言つてゐる死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、
毎日生を心に当てることと、いはば同じことだといふことを「葉隠」は主張してゐる。われわれはけふ死ぬと
思つて仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。
三島由紀夫「葉隠入門」より 西欧ではギリシャ時代にすでにエロース(愛)とアガペー(神の愛)が分けられ、エロースは肉欲的観念から発して、
じよじよに肉欲を脱してイデアの世界に参入するところの、プラトンの哲学に完成を見いだした。一方アガペーは、
まつたく肉欲と断絶したところの精神的な愛であつて、これは後にキリスト教の愛として採用されたものである。
(中略)
日本人本来の精神構造の中においては、エロースとアガペーは一直線につながつてゐる。もし女あるひは若衆に
対する愛が、純一無垢なものになるときは、それは主君に対する忠と何ら変はりない。このやうなエロースと
アガペーを峻別しないところの恋愛観念は、幕末には「恋闕の情」といふ名で呼ばれて、天皇崇拝の感情的基盤を
なした。いまや、戦前的天皇制は崩壊したが、日本人の精神構造の中にある恋愛観念は、かならずしも崩壊して
ゐるとはいへない。それは、もつとも官能的な誠実さから発したものが、自分の命を捨ててもつくすべき理想に
一直線につながるといふ確信である。
三島由紀夫「葉隠入門」より 一方では、死ぬか生きるかのときに、すぐ死ぬはうを選ぶべきだといふ決断をすすめながら、一方ではいつも
十五年先を考へなくてはならない。十五年過ぎてやつとご用に立つのであつて、十五年などは夢の間だといふことが書かれてゐる。
これも一見矛盾するやうであるが、常朝の頭の中には、時といふものへの蔑視があつたのであらう。時は人間を変へ、
人間を変節させ、堕落させ、あるひは向上させる。しかし、この人生がいつも死に直面し、一瞬一瞬にしか
真実がないとすれば、時の経過といふものは、重んずるに足りないのである。重んずるに足りないからこそ、
その夢のやうな十五年間を毎日毎日これが最後と思つて生きていくうちには、何ものかが蓄積されて、一瞬一瞬、
一日一日の過去の蓄積が、もののご用に立つときがくるのである。これが「葉隠」の説いてゐる生の哲学の
根本理念である。
三島由紀夫「葉隠入門」より 「葉隠」は、一面謙譲の美徳をほめそやしながら、一面人間のエネルギーが、エネルギー自体の原理に従つて、
大きな行動を成就するところに着目した。(中略)
もし、謙譲の美徳のみをもつて日常をしばれば、その日々の修行のうちから、その修行をのり越えるやうな
激しい行動の理念は出てこない。それが大高慢にてなければならぬといひ、わが身一身で家を背負はねばならぬと
いふことの裏づけである。彼はギリシャ人のやうにヒュブリス(傲慢)といふものの、魅惑と光輝とその
おそろしさをよく知つてゐた。
男の世界は思ひやりの世界である。男の社会的な能力とは思ひやりの能力である。武士道の世界は、一見
荒々しい世界のやうに見えながら、現代よりももつと緻密な人間同士の思ひやりのうへに、精密に運営されてゐた。
忠告は無料である。われわれは人に百円の金を貸すのも惜しむかはりに、無料の忠告なら湯水のごとくそそいで
惜しまない。しかも忠告が社会生活の潤滑油となることはめつたになく、人の面目をつぶし、人の気力を阻喪させ、
恨みをかふことに終はるのが十中八、九である。
三島由紀夫「葉隠入門」より 思想は覚悟である。覚悟は長年にわたつて日々確かめられなければならない。
長い準備があればこそ決断は早い。そして決断の行為そのものは自分で選べるが、時期はかならずしも選ぶことが
できない。それは向かうからふりかかり、おそつてくるのである。そして生きるといふことは向かうから、あるひは
運命から、自分が選ばれてある瞬間のために準備することではあるまいか。
戦士は敵の目から恥づかしく思はれないか、敵の目から卑しく思はれないかといふところに、自分の対面と
モラルのすべてをかけるほかはない。自己の良心は敵の中にこそあるのである。
いつたん行動原理としてエネルギーの正当性を認めれば、エネルギーの原理に従ふほかはない。獅子は荒野の
かたなにまで突つ走つていくほかはない。それのみが獅子が獅子であることを証明するのである。
三島由紀夫「葉隠入門」より
特攻隊も南京虐殺も全て目的は別のところに
http://s1.shard.jp/deer/0202/3/119_2.html
日本の戦争遂行は本当に巧妙だ。
常に、小さな費用で、大きな成果を得ようとする。
その大きな成果の中心は「心理的効果」だった。
世界支配の最大の武器は「マインドコントロール」であることを、
日本はよく知っている。
( http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p002.html ) 合理的に考へれば死は損であり、生は得であるから、だれも喜んで死へおもむくものはゐない。合理主義的な
観念の上に打ち立てられたヒューマニズムは、それが一つの思想の鎧となることによつて、あたかも普遍性を
獲得したやうな錯覚におちいり、その内面の主体の弱みと主観の脆弱さを隠してしまふ。常朝がたえず非難して
ゐるのは、主体と思想との間の乖離である。
「強み」とは何か。知恵に流されぬことである。分別に溺れないことである。
いまの恋愛はピグミーの恋になつてしまつた。恋はみな背が低くなり、忍ぶことが少なければ少ないほど恋愛は
イメージの広がりを失ひ、障害を乗り越える勇気を失ひ、社会の道徳を変革する革命的情熱を失ひ、その内包する
象徴的意味を失ひ、また同時に獲得の喜びを失ひ、獲得できぬことの悲しみを失ひ、人間の感情の広い振幅を失ひ、
対象の美化を失ひ、対象をも無限に低めてしまつた。恋は相対的なものであるから、相手の背丈が低まれば、
こちらの背丈も低まる。かくて東京の町の隅々には、ピグミーたちの恋愛が氾濫してゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より エゴティズムはエゴイズムとは違ふ。自尊の心が内にあつて、もしみづから持すること高ければ、人の言行などは
もはや問題ではない。人の悪口をいふにも及ばず、またとりたてて人をほめて歩くこともない。そんな始末に
おへぬ人間の姿は、同時に「葉隠」の理想とする姿であつた。
いまの時代は“男はあいけう、女はどきよう”といふ時代である。われわれの周辺にはあいけうのいい男に
こと欠かない。そして時代は、ものやはらかな、だれにでも愛される、けつして角だたない、協調精神の旺盛な、
そして心の底は冷たい利己主義に満たされた、さういふ人間のステレオタイプを輩出してゐる。「葉隠」は
これを女風といふのである。「葉隠」のいふ美は愛されるための美ではない。体面のための、恥づかしめられぬ
ための強い美である。愛される美を求めるときに、そこに女風が始まる。それは精神の化粧である。「葉隠」は、
このやうな精神の化粧をはなはだにくんだ。現代は苦い薬も甘い糖衣に包み、すべてのものが口当たりよく、
歯ごたへのないものがもつとも人に受け入れられるものになつてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より 常朝は、この人生を夢の間の人生と観じながら、同時に人間がいやおうなしに成熟していくことも知つてゐた。
時間は自然に人々に浸み入つて、そこに何ものかを培つていく。もし人がけふ死ぬ時に際会しなければ、そして
けふ死の結果を得なければ、容赦なくあしたへ生き延びていくのである。
(中略)一面から見れば、二十歳で死ぬも、六十歳で死ぬも同じかげろふの世であるが、また一面から見れば
二十歳で死んだ人間の知らない冷徹な人生知を、人々に与へずにはおかぬ時間の恵みであつた。それを彼は
「御用」と呼んでゐる。(中略)
彼にとつて身養生とは、いつでも死ねる覚悟を心に秘めながら、いつでも最上の状態で戦へるやうに健康を大切にし、
生きる力をみなぎり、100パーセントのエネルギーを保有することであつた。
ここにいたつて彼の死の哲学は、生の哲学に転化しながら、同時になほ深いニヒリズムを露呈していくのである。
三島由紀夫「葉隠入門」より 陸軍沖縄戦特別攻撃隊
出身地別戦没者数一覧
北海道:35 青森:9 岩手:18
宮城:27 秋田:9 山形:10
福島:22 茨城:25 栃木:28
群馬:24 埼玉:22 千葉:27
東京:86 神奈川:31 新潟:17
富山:13 石川:17 福井:8
山梨:6 長野:30 岐阜:21
静岡:22 愛知:43 三重:18
滋賀:10 京都:26 大阪:35
兵庫:28 奈良:8 和歌山:14
鳥取:9 島根:8 岡山:26
広島:28 山口:20 徳島:13
香川:17 愛媛:13 高知:6
福岡:43 佐賀:22 長崎:18
熊本:20 大分:25 宮崎:20
鹿児島:40 沖縄:6 樺太:2
朝鮮:11
「葉隠」の死は、何か雲間の青空のやうなふしぎな、すみやかな明るさを持つてゐる。それは現代化された形では、
戦争中のもつとも悲惨な攻撃方法と呼ばれた、あの神風特攻隊のイメージと、ふしぎにも結合するものである。
神風特攻隊は、もつとも非人間的な攻撃方法といはれ、戦後、それによつて死んだ青年たちは、長らく犬死の汚名を
かうむつてゐた。しかし、国のために確実な死へ向かつて身を投げかけたその青年たちの精神は、それぞれの
心の中に分け入れば、いろいろな悩みや苦しみがあつたに相違ないが、日本の一つながりの伝統の中に置くときに、
「葉隠」の明快な行動と死の理想に、もつとも完全に近づいてゐる。人はあへていふだらう。特攻隊は、いかなる
美名におほはれてゐるとはいへ、強ひられた死であつた。(中略)志願とはいひながら、ほとんど強制と同様な
方法で、確実な死のきまつてゐる攻撃へかりたてられて行つたのだと……。それはたしかにさうである。
では、「葉隠」が暗示してゐるやうな死は、それとはまつたく違つた、選ばれた死であらうか。わたしには
さうは思はれない。
三島由紀夫「葉隠入門」より 「葉隠」は一応、選びうる行為としての死へ向かつて、われわれの決断を促してゐるのであるが、同時に、
その裏には、殉死を禁じられて生きのびた一人の男の、死から見放された深いニヒリズムの水たまりが横たはつてゐる。
人間は死を完全に選ぶこともできなければ、また死を完全に強ひられることもできない。たとへ、強ひられた死として
極端な死刑の場合でも、精神をもつてそれに抵抗しようとするときには、それは単なる強ひられた死ではなくなる
のである。また、原子爆弾の死でさへも、あのやうな圧倒的な強ひられた死も、一個人一個人にとつては
運命としての死であつた。われわれは、運命と自分の選択との間に、ぎりぎりに追ひつめられた形でしか、
死に直面することができないのである。そして死の形態には、その人間的選択と超人間的運命との暗々裏の相剋が、
永久にまつはりついてゐる。ある場合には完全に自分の選んだ死とも見えるであらう。自殺がさうである。
ある場合には完全に強ひられた死とも見えるであらう。たとへば空襲の爆死がさうである。
三島由紀夫「葉隠入門」より しかし、自由意思の極致のあらはれと見られる自殺にも、その死へいたる不可避性には、つひに自分で選んで
選び得なかつた宿命の因子が働いてゐる。また、たんなる自然死のやうに見える病死ですら、そこの病死に
運んでいく経過には、自殺に似た、みづから選んだ死であるかのやうに思はれる場合が、けつして少なくない。
「葉隠」の暗示する死の決断は、いつもわれわれに明快な形で与へられてゐるわけではない。(中略)
「葉隠」にしろ、特攻隊にしろ、一方が選んだ死であり、一方が強ひられた死だと、厳密にいふ権利はだれにも
ないわけなのである。問題は一個人が死に直面するといふときの冷厳な事実であり、死にいかに対処するかといふ
人間の精神の最高の緊張の姿は、どうあるべきかといふ問題である。
そこで、われわれは死についての、もつともむづかしい問題にぶつからざるをえない。われわれにとつて、
もつとも正しい死、われわれにとつてみづから選びうる、正しい目的にそうた死といふものは、はたしてあるので
あらうか。
三島由紀夫「葉隠入門」より 人間が国家の中で生を営む以上、そのやうな正しい目的だけに向かつて自分を限定することができるであらうか。
またよし国家を前提にしなくても、まつたく国家を超越した個人として生きるときに、自分一人の力で人類の
完全に正しい目的のための死といふものが、選び取れる機会があるであらうか。そこでは死といふ絶対の観念と、
正義といふ地上の現実の観念との齟齬が、いつも生ぜざるをえない。そして死を規定するその目的の正しさは、
また歴史によつて十年後、数十年後、あるひは百年後、二百年後には、逆転し訂正されるかもしれないのである。
「葉隠」は、このやうな煩瑣な、そしてさかしらな人間の判断を、死とは別々に置いていくといふことを考へてゐる。
なぜなら、われわれは死を最終的に選ぶことはできないからである。だからこそ「葉隠」は、生きるか死ぬかと
いふときに、死ぬことをすすめてゐるのである。それはけつして死を選ぶことだとは言つてゐない。なぜならば、
われわれにはその死を選ぶ基準がないからである。
三島由紀夫「葉隠入門」より われわれが生きてゐるといふことは、すでに何ものかに選ばれてゐたことかもしれないし、生がみづから
選んだものでない以上、死もみづから最終的に選ぶことができないのかもしれない。
では、生きてゐるものが死と直面するとは何であらうか。「葉隠」はこの場合に、ただ行動の純粋性を提示して、
情熱の高さとその力を肯定して、それによつて生じた死はすべて肯定している。それを「犬死などといふ事は、
上方風の打ち上りたる武道」だと呼んでゐる。死について「葉隠」のもつとも重要な一節である。「武士道といふは、
死ぬ事と見付けたり」といふ文句は、このやうな生と死のふしぎな敵対関係、永久に解けない矛盾の結び目を、
一刀をもつて切断したものである。「図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。
二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり」
図に当たるとは、現代のことばでいへば、正しい目的のために正しく死ぬといふことである。その正しい
目的といふことは、死ぬ場合にはけつしてわからないといふことを「葉隠」は言つてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より 「我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし」、生きてゐる人間にいつも理屈がつくのである。
そして生きてゐる人間は、自分が生きてゐるといふことのために、何らかの理論を発明しなければならないのである。
したがつて「葉隠」は、図にはづれて生きて腰ぬけになるよりも、図にはづれて死んだはうがまだいいといふ、
相対的な考へ方をしか示してゐない。「葉隠」は、けつして死ぬことがかならず図にはづれないとは言つてゐない
のである。ここに「葉隠」のニヒリズムがあり、また、そのニヒリズムから生まれたぎりぎりの理想主義がある。
われわれは、一つの思想や理論のために死ねるといふ錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示してゐるのは、
もつと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さへも、人間の死としての尊厳を持つてゐるといふことを
主張してゐるのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじない
わけにいくだらうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。
三島由紀夫「葉隠入門」より
苟も一廉の武士でありたいならば、衆道の嗜みを身につけられよ。
剣道は柔道とともに、体力が必要であることはむろんであるが、柔道は一見強さうな人は実際に強いけれど、
剣道は見ただけでは分らず、合せてみてはじめて非常に強かつたりする“技のおもしろさ”がある。それに
スピードと鋭さがあるので僕の性にあつてゐる。また剣道は、男性的なスポーツで、そのなかには日本人の闘争本能を
うまく洗練させた一見美的なかたちがある。
西洋にもフェンシングといふ闘争本能を美化した格技があるが、本来、人間はこの闘争本能を抑圧したりすると
ねちつこくいぢわるになるが、闘争本能は闘争本能、美的なものに対する感受性はさういふものと、それぞれ
二つながら自己のなかで伸したいといふ気持があるものです。
さらに剣道には伝統といふものがある。稽古着にしたつて、いまわれわれが着てるものは、幕末の頃からすこしも
変つてゐない。また独特の礼儀作法があつて、スポーツといふよりか、何か祖先の記憶につながる――たとへば
相手の面をポーンと打つとき、その瞬間にさういふ記憶がよみがへるやうな感じがする。
三島由紀夫「文武両道」より これがテニスなんかだと、自分の祖先のスポーツといふ気はしない。だから剣道ほど精神的に外来思想とうまく
合はない格技はないでせう。たとへば、共産主義とか、あるひはほかの思想でもいいが、西洋思想と剣道をうまく
くつつけようとしてもうまくくつつかない。共産党員で剣道をやつてゐる者があるかも知れないが、その人は
自分の中ですごい“ギャップ”を感じることでせう。僕は自分なりに小さい頃から日本の古典文学が非常に
好きでしたし、さういふ意味で、剣道をやつてゐても自分の思想との矛盾は感じない。
戦後、インテリ層の中で、「これで新らしい時代がきたんだ、これからはなんでも頭の勝負でやるんだ……」
といふ時代があつた。その頃僕は、僕を可愛がつてくれた故岸田国士先生に「これから文武両道の時代だ……」
といつてまはりの人に笑はれたことがある。当時、先生のまはりにゐた人達にしてみれば、新らしい時代が
きたといふのに、なんで古めかしいことをいふと思つたのでせう。
三島由紀夫「文武両道」より 元来、男は女よりバランスのくづれやすいものだと僕は思つてゐる。女は身体の真中に子宮があつて、そのまはりに
いろんな内蔵が安定してゐて、そのバランスは大地にしつかりと結びついてゐる。男は、いつもバランスを
とつてゐないと壊れやすく極めて危険な動物です。したがつてバランスをとるといふ考へからいけば、いつも
自分と反対のものを自分の中にとり入れなければいけない。(私はさういふ意味で文武両道といふ言葉をもち出した)。
さうすると、軍人は文学を知らなければならないし、文士は武道も、といふやうになる。実はそれが全人間的といふ
姿の一つの理想である。その点、むかしの軍人は漢学の教養もあり、語学などのレベルも高かつた。私はいま
二・二六事件の将校のことを研究してゐますが、当時の将校は実に高い教養の持主が多かつたと思ふ。末松太平と
いふ方の「私の昭和史」(みすず書房刊)なんかみると、実にすばらしい文章で、いまどきのかけ出しの作家などは
ちよつと足元にも及ばない。ああいふ立派な文章を書くには、よほどの教養が身につかなければ書けないものです。
三島由紀夫「文武両道」より また、文士も、漢学を学び武道に励むといつた工合で、全人間的ないろいろな教養を身につけてゐた。ところが
大正に入り昭和になつてくると、この傾向はだんだんやせ細つてきてバランスが崩れ片輪になつてきた。そして
大東亜戦争の頃の日本人の人間像といふものは、一見非常に立派なやうですが、実際はバラバラであつた。
近代社会の毒を受けたかたちの人間が多かつた時代です。つまり先にいつた文武両道的な――自分に欠けたものを
いつも補ひたい気持、さういふ気持がなくなつてゐたのです。
最近はさらにかういふ考へ方がなくなつてゐる。また余裕もないだらう。環境も変り、いまの生活では、静かな部屋で
読者するといふこと自体何かぜいたくになつてゐる。子供がゐたり、テレビがうるさかつたり、なかなかわれわれの
生活環境はゆつくりと落ちつかせてくれない。
しかし、僕は思ふのだが本を読むにしても本当に読む気があれば必ず読めるものだ。とかくいまは無理をするといふ
ことを一般に避けるやうになつてきてゐる。
三島由紀夫「文武両道」より そこで、またバランスのことにもどるが、一般に美といふ観点からも“バランス”は大事である。古いギリシャ人の
考へは、人間といふものは、神様がその言動や価値といふものをハカリでちやんと計つてゐて、一人一人の人間の中の
特性が、あまりきはだちすぎてゐると、神の領域にせまつてくる、として神様はピシャつと押へる。すべての面で、
このやうに一人一人の人間を神様はじつとみてゐるといふのですね。人間のこの行為をがう慢といつてゐた。
人間が神に対してあまりがう慢すぎるといふわけです。
このやうな考へ方は、当時ポリス(都市国家)といふ小さな社会で均衡を保つた政治生活をおくる必要から
生れたものと思ふが、なかなかおもしろい考へ方です。人間が知育偏重になれば知識だけが上がり、体育偏重になれば
体力だけがぐつと上がる。――これはバランスがくづれるもとで、神様はこのことを、蔭でみてゐて罰する。
だから理想的に美しい人間像といふのは、あくまで精神と肉体のバランスのとれた、文武両道にひいでたもので
なければないといふわけです。
三島由紀夫「文武両道」より
仏敵ぶっ倒せ!【ぶってきぶったおせ!】
創価学会に敵対する人物を、読経により学会員全員で呪い殺す為のスローガン。
学会員には年初にマス目を塗りつぶせるポスターが配られる。
読経の度にマス目を塗りつぶし、1千万遍唱え全部塗りつぶせると、仏敵は死ぬと信じられている。
まさに世界が危険認定済みのカルト集団。
国は創価学会を早く解体させるべき。公明党と分離させるべき。政教一致は憲法20条違反だ。
「日露戦争と浪花節〜桃中軒雲右衛門事件」
http://hogakukyoushitu.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-5afa.html
解説)日露戦争後、それまでは薩摩琵琶や唱歌を聴いていた人々が、一気に浪曲に
惹かれていった。浪曲というのはいわゆる「浪花節」であり、すべての作品が背景に
武士道をもっている。この武士道鼓舞が日露戦争後の大衆にウケたのだ。
特に、桃中軒雲右衛門は、その抑揚の効いた声が人々を魅了した。
本郷座での公演も大成功し、レコード化した時に権利をめぐって裁判が起きたのだ。
大審院は「浪花節なる低級音楽」と切って捨てた。のちのこの「権利」概念は改められている。
そういう話をまとめておきました。
Q――現代のビジネスマンに要望することは?
三島:私はね、商人といふのはきらひなんですよ。ですからね、万国博にも行つてゐないですよ。あれは商人の
お祭だから、武士は行かないんだといつてぐわんばつてゐるんです。
とはいひながらね、デパートだつて商人だしね、武士といへども、商人とつきあはざるを得ない、つらいところ
ですよね(笑)。武士だけやつてゐると、お米も食へなくなつちやふ。
かういふ世の中だから商人様全盛の世の中でしよ。ですけど、ぼく本人の中にはやつぱり武士の魂はあると思つてね。
商人の中にも銭屋五兵衛みたいな男もゐますしね。明治の政商でも、政治とかんでゐて、そこでやつぱり自分の
意気地を投げ打つといふ気持があつたと思ふんですよ。商人がきらひといふ意味は、商人を尊敬しないわけぢやない。
ただ一般に、商人には自己犠牲の精神がないからきらひなんです。
日本人といふのは、自己犠牲の精神がなくなつたら日本人ぢやないですよ。今の商人といふのはさういふ気持が
ないから本当のユダヤ人になつちやふだらうと思ふんです。
三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より 資本といふのは、本質的にインターナショナルなものですよ。どんな国の、いかにも民族資本でもね、
インターナショナルな性質をもつてゐるのが資本だと思ふんですよ。ところがそつちの面ばかりが出てくるとね、
日本人の魂が商人道によつてをかされてきてゐると思ふ。そのお金本位、金権主義にをかされてゐるのがこはい。
私は、青年が金権主義といふものに反抗する気持がいちばんよくわかる。自分らが企業体の中で活躍するとき、
いかに武士の魂をもつてても、結局、金権主義、ご都合主義、さういふものによつてをかされていくといふのは、
青年として耐へがたいだらうと思ふ。それでボクは武士は武士として一人でぐわんばつてゐる。ところがボクもね、
扶持をくれないから浪人なんですよ。
三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より やつぱり日本人は身を殺して仁をなすといふ気持がなければだめなんだけど、これがね元禄時代と同じでね、
今、税法がモラルを崩壊させてゐるでしよ。あのころの侍がみんな藩のお金を平気で使つて飲み食ひする、
何をする、さういふことをしない人もゐますがね、当時から日本人はさういふ悪いところがあるんですよね、
公私混同みたいなところが。
とくにね戦後は税法のおかげで会社の交際費が自由に使へるとね、社長にいたるまで家族つれてすし屋に行くとか。
戦前は少なくともポケットマネーがありましたからね、重役クラスになりますと、金の使ひ方が公私混同して
ゐなかつたですよね。これは自分のこづかひといふけぢめがあつたでしよ。今何でも会社の伝票を切る、
かういふことがいちばん日本人全体のモラルを崩壊させてゐると思ふんです。
三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より Q――先生の小説、たとへば「奔馬」なんかにも自己犠牲といふことが強く出されてゐますね。
三島:さうですね。「奔馬」は自己犠牲を非常に強く出してゐる。このごろ外人記者なんかに会ひますとね、
日本に軍国主義が復活してゐることを懸念してゐる。これは実はまちがひだつていふんです。(中略)
といふのは武士道といふのを、日本人がわからなくなつてゐるからだ。武士道といふのは何かといふことを
外人に説明するとき、三つあるといふんです。
それはSelf-respect 自尊心ですね。次はSelf-responsibility 自己責任ですね。自己において責任が終了するといふ。
第三がSelf-sacrifice 自己犠牲ですね。この三つのうちどれをとつても武士ぢやないといふんですよ。そしてね、
軍国主義といふのは外国からきたものでね、このSelf-respect と、Self-responsibility はあるかもしれない。
Self-sacrifice は欠けてゐると。
三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より かうなつたらアウシュビッツの収容所長だつてさうなんで、自尊心はもつてゐた、責任観念はもつてゐた、ただね
Self-sacrifice といふものは外国にはないから、だからさういふことになるといふふうに説明するんですよ。
ですから本当に日本人が武士道にめざめれば、あなたがたが心配することは何もない。身を殺して仁をなすことが
武士道の極意だと説明するんです。その場合、欠けてゐるものは武士道のみならず、ことに商人に欠けてゐる。
そして、とにかく口では国家の再建をとなへ、日本精神をとなへ、自分の金は一文も出すのはいやだ。十円の
金も惜しい、全部会社の伝票、そんな精神ぢやだめなんだといふことですね。(中略)
常に自主防衛といふと核装備なんだかんだといふけれども、自主防衛といふのは自分が苦しい思ひをするといふ
ことがだれもわかつてない、まづ自分が犠牲をはらふといふことがまづない。
それは私の「楯の会」の根本理念である、まづ自分が苦しい思ひをしないで何で自主防衛ができるかといふことを
青年にわからせたいですね。
三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より Q――「楯の会」も誤解されてゐる?
三島:ええ、「楯の会」を誤解するやつに限つて自分の金が惜しい人ですよ。つまり自分の身を犠牲にするのが
惜しい人なんだ。そんな連中に限つてつらいことをひとつもしたくないんですね。
Q――行動の美学といふことが先生の基本テーマだと思ひますが、その本質は?
三島:やつぱり、行動の美学の本質といふのは、日本に武士道といふのがあるんだから、武士として生きる
といふ以外にないですね、男としてはね。女にはまた別のがあるでせうけど。どうやつて生きるかといふのは
むづかしいことです。
女性といふのは生き方なんか教へる必要ないんです。女性はね、戦後の体制といふものを女性が代表してゐるんです。
この戦後のあらゆる困つたことは、みんな婦人参政権のせゐです。憲法改正ができないのも婦人参政権のおかげが
一つある。
そしてこの平和ムードの奥底にあるのもこの女性的なものです。どんなに会社でバリバリした男でもうちに帰ると
女房にガッチリおさへられてゐると、その女房はですね、すでに解放された女で、男の理念にしたがはず、女の
独特の理念をもつてゐるわけでせう。
三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より