【尚武の】武士道&神風特攻隊【文化】
戦時中には、死への衝動は100パーセント解放されるが、反抗の衝動と自由の衝動と生の衝動は、完全に
抑圧されてゐる。それとちやうど反対の現象が起きてゐるのが戦後で、反抗の衝動と自由の衝動と生の衝動は、
100パーセント満足されながら、服従の衝動と死の衝動は、何ら満たされることがない。十年ほど前に、
わたしはある保守系の政治家と話したときに、日本の戦後政治は経済的繁栄によつて、すくなくとも青年の
生の衝動を満足させたかもしれないが、死の衝動についてはつひにふれることなく終はつた。しかし、青年の中に
抑圧された死の衝動は、何かの形で暴発する危険にいつもさらされてゐると語つたことがある。
(中略)
トインビーが言つてゐることであるが、キリスト教がローマで急に勢ひを得たについては、ある目標のために
死ぬといふ衝動が、渇望されてゐたからであつた。パックス・ロマーナの時代に、全ヨーロッパ、アジアにまで
及んだローマの版図は、永遠の太平を享楽してゐた。
三島由紀夫「葉隠入門」より 現代社会では、死はどういふ意味を持つてゐるかは、いつも忘れられてゐる。いや、忘れられてゐるのではなく、
直面することを避けられてゐる。ライナ・マリア・リルケは、人間の死が小さくなつたといふことを言つた。
人間の死は、たかだか病室の堅いベッドの上の個々の、すぐ処分されるべき小さな死にすぎなくなつてしまつた。
そしてわれわれの周辺には、日清戦争の死者をうはまはるといはれる交通戦争がたえず起こつてをり、人間の
生命のはかないことは、いまも昔も少しも変はりはない。ただ、われわれは死を考へることがいやなのである。
死から何か有効な成分を引き出して、それを自分に役立てようとすることがいやなのである。われわれは、
明るい目標、前向きの目標、生の目標に対して、いつも目を向けてゐようとする。そして、死がわれわれの生活を
じよじよにむしばんでいく力に対しては、なるたけふれないでゐたいと思つてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より このことは、合理主義的人文主義的思想が、ひたすら明るい自由と進歩へ人間の目を向けさせるといふ機能を
営みながら、かへつて人間の死の問題を意識の表面から拭ひ去り、ますます深く潜在意識の闇へ押し込めて、
それによる抑圧から、死の衝動をいよいよ危険な、いよいよ爆発力を内攻させたものに化してゆく過程を示してゐる。
死を意識の表へ連れ出すといふことこそ、精神衛生の大切な要素だといふことが閑却されてゐるのである。
しかし、死だけは、「葉隠」の時代も現代も少しも変はりなく存在し、われわれを規制してゐるのである。
その観点に立つてみれば、「葉隠」の言つてゐる死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、
毎日生を心に当てることと、いはば同じことだといふことを「葉隠」は主張してゐる。われわれはけふ死ぬと
思つて仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。
三島由紀夫「葉隠入門」より 西欧ではギリシャ時代にすでにエロース(愛)とアガペー(神の愛)が分けられ、エロースは肉欲的観念から発して、
じよじよに肉欲を脱してイデアの世界に参入するところの、プラトンの哲学に完成を見いだした。一方アガペーは、
まつたく肉欲と断絶したところの精神的な愛であつて、これは後にキリスト教の愛として採用されたものである。
(中略)
日本人本来の精神構造の中においては、エロースとアガペーは一直線につながつてゐる。もし女あるひは若衆に
対する愛が、純一無垢なものになるときは、それは主君に対する忠と何ら変はりない。このやうなエロースと
アガペーを峻別しないところの恋愛観念は、幕末には「恋闕の情」といふ名で呼ばれて、天皇崇拝の感情的基盤を
なした。いまや、戦前的天皇制は崩壊したが、日本人の精神構造の中にある恋愛観念は、かならずしも崩壊して
ゐるとはいへない。それは、もつとも官能的な誠実さから発したものが、自分の命を捨ててもつくすべき理想に
一直線につながるといふ確信である。
三島由紀夫「葉隠入門」より 一方では、死ぬか生きるかのときに、すぐ死ぬはうを選ぶべきだといふ決断をすすめながら、一方ではいつも
十五年先を考へなくてはならない。十五年過ぎてやつとご用に立つのであつて、十五年などは夢の間だといふことが書かれてゐる。
これも一見矛盾するやうであるが、常朝の頭の中には、時といふものへの蔑視があつたのであらう。時は人間を変へ、
人間を変節させ、堕落させ、あるひは向上させる。しかし、この人生がいつも死に直面し、一瞬一瞬にしか
真実がないとすれば、時の経過といふものは、重んずるに足りないのである。重んずるに足りないからこそ、
その夢のやうな十五年間を毎日毎日これが最後と思つて生きていくうちには、何ものかが蓄積されて、一瞬一瞬、
一日一日の過去の蓄積が、もののご用に立つときがくるのである。これが「葉隠」の説いてゐる生の哲学の
根本理念である。
三島由紀夫「葉隠入門」より 「葉隠」は、一面謙譲の美徳をほめそやしながら、一面人間のエネルギーが、エネルギー自体の原理に従つて、
大きな行動を成就するところに着目した。(中略)
もし、謙譲の美徳のみをもつて日常をしばれば、その日々の修行のうちから、その修行をのり越えるやうな
激しい行動の理念は出てこない。それが大高慢にてなければならぬといひ、わが身一身で家を背負はねばならぬと
いふことの裏づけである。彼はギリシャ人のやうにヒュブリス(傲慢)といふものの、魅惑と光輝とその
おそろしさをよく知つてゐた。
男の世界は思ひやりの世界である。男の社会的な能力とは思ひやりの能力である。武士道の世界は、一見
荒々しい世界のやうに見えながら、現代よりももつと緻密な人間同士の思ひやりのうへに、精密に運営されてゐた。
忠告は無料である。われわれは人に百円の金を貸すのも惜しむかはりに、無料の忠告なら湯水のごとくそそいで
惜しまない。しかも忠告が社会生活の潤滑油となることはめつたになく、人の面目をつぶし、人の気力を阻喪させ、
恨みをかふことに終はるのが十中八、九である。
三島由紀夫「葉隠入門」より 思想は覚悟である。覚悟は長年にわたつて日々確かめられなければならない。
長い準備があればこそ決断は早い。そして決断の行為そのものは自分で選べるが、時期はかならずしも選ぶことが
できない。それは向かうからふりかかり、おそつてくるのである。そして生きるといふことは向かうから、あるひは
運命から、自分が選ばれてある瞬間のために準備することではあるまいか。
戦士は敵の目から恥づかしく思はれないか、敵の目から卑しく思はれないかといふところに、自分の対面と
モラルのすべてをかけるほかはない。自己の良心は敵の中にこそあるのである。
いつたん行動原理としてエネルギーの正当性を認めれば、エネルギーの原理に従ふほかはない。獅子は荒野の
かたなにまで突つ走つていくほかはない。それのみが獅子が獅子であることを証明するのである。
三島由紀夫「葉隠入門」より
特攻隊も南京虐殺も全て目的は別のところに
http://s1.shard.jp/deer/0202/3/119_2.html
日本の戦争遂行は本当に巧妙だ。
常に、小さな費用で、大きな成果を得ようとする。
その大きな成果の中心は「心理的効果」だった。
世界支配の最大の武器は「マインドコントロール」であることを、
日本はよく知っている。
( http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p002.html ) 合理的に考へれば死は損であり、生は得であるから、だれも喜んで死へおもむくものはゐない。合理主義的な
観念の上に打ち立てられたヒューマニズムは、それが一つの思想の鎧となることによつて、あたかも普遍性を
獲得したやうな錯覚におちいり、その内面の主体の弱みと主観の脆弱さを隠してしまふ。常朝がたえず非難して
ゐるのは、主体と思想との間の乖離である。
「強み」とは何か。知恵に流されぬことである。分別に溺れないことである。
いまの恋愛はピグミーの恋になつてしまつた。恋はみな背が低くなり、忍ぶことが少なければ少ないほど恋愛は
イメージの広がりを失ひ、障害を乗り越える勇気を失ひ、社会の道徳を変革する革命的情熱を失ひ、その内包する
象徴的意味を失ひ、また同時に獲得の喜びを失ひ、獲得できぬことの悲しみを失ひ、人間の感情の広い振幅を失ひ、
対象の美化を失ひ、対象をも無限に低めてしまつた。恋は相対的なものであるから、相手の背丈が低まれば、
こちらの背丈も低まる。かくて東京の町の隅々には、ピグミーたちの恋愛が氾濫してゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より エゴティズムはエゴイズムとは違ふ。自尊の心が内にあつて、もしみづから持すること高ければ、人の言行などは
もはや問題ではない。人の悪口をいふにも及ばず、またとりたてて人をほめて歩くこともない。そんな始末に
おへぬ人間の姿は、同時に「葉隠」の理想とする姿であつた。
いまの時代は“男はあいけう、女はどきよう”といふ時代である。われわれの周辺にはあいけうのいい男に
こと欠かない。そして時代は、ものやはらかな、だれにでも愛される、けつして角だたない、協調精神の旺盛な、
そして心の底は冷たい利己主義に満たされた、さういふ人間のステレオタイプを輩出してゐる。「葉隠」は
これを女風といふのである。「葉隠」のいふ美は愛されるための美ではない。体面のための、恥づかしめられぬ
ための強い美である。愛される美を求めるときに、そこに女風が始まる。それは精神の化粧である。「葉隠」は、
このやうな精神の化粧をはなはだにくんだ。現代は苦い薬も甘い糖衣に包み、すべてのものが口当たりよく、
歯ごたへのないものがもつとも人に受け入れられるものになつてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より 常朝は、この人生を夢の間の人生と観じながら、同時に人間がいやおうなしに成熟していくことも知つてゐた。
時間は自然に人々に浸み入つて、そこに何ものかを培つていく。もし人がけふ死ぬ時に際会しなければ、そして
けふ死の結果を得なければ、容赦なくあしたへ生き延びていくのである。
(中略)一面から見れば、二十歳で死ぬも、六十歳で死ぬも同じかげろふの世であるが、また一面から見れば
二十歳で死んだ人間の知らない冷徹な人生知を、人々に与へずにはおかぬ時間の恵みであつた。それを彼は
「御用」と呼んでゐる。(中略)
彼にとつて身養生とは、いつでも死ねる覚悟を心に秘めながら、いつでも最上の状態で戦へるやうに健康を大切にし、
生きる力をみなぎり、100パーセントのエネルギーを保有することであつた。
ここにいたつて彼の死の哲学は、生の哲学に転化しながら、同時になほ深いニヒリズムを露呈していくのである。
三島由紀夫「葉隠入門」より 陸軍沖縄戦特別攻撃隊
出身地別戦没者数一覧
北海道:35 青森:9 岩手:18
宮城:27 秋田:9 山形:10
福島:22 茨城:25 栃木:28
群馬:24 埼玉:22 千葉:27
東京:86 神奈川:31 新潟:17
富山:13 石川:17 福井:8
山梨:6 長野:30 岐阜:21
静岡:22 愛知:43 三重:18
滋賀:10 京都:26 大阪:35
兵庫:28 奈良:8 和歌山:14
鳥取:9 島根:8 岡山:26
広島:28 山口:20 徳島:13
香川:17 愛媛:13 高知:6
福岡:43 佐賀:22 長崎:18
熊本:20 大分:25 宮崎:20
鹿児島:40 沖縄:6 樺太:2
朝鮮:11
「葉隠」の死は、何か雲間の青空のやうなふしぎな、すみやかな明るさを持つてゐる。それは現代化された形では、
戦争中のもつとも悲惨な攻撃方法と呼ばれた、あの神風特攻隊のイメージと、ふしぎにも結合するものである。
神風特攻隊は、もつとも非人間的な攻撃方法といはれ、戦後、それによつて死んだ青年たちは、長らく犬死の汚名を
かうむつてゐた。しかし、国のために確実な死へ向かつて身を投げかけたその青年たちの精神は、それぞれの
心の中に分け入れば、いろいろな悩みや苦しみがあつたに相違ないが、日本の一つながりの伝統の中に置くときに、
「葉隠」の明快な行動と死の理想に、もつとも完全に近づいてゐる。人はあへていふだらう。特攻隊は、いかなる
美名におほはれてゐるとはいへ、強ひられた死であつた。(中略)志願とはいひながら、ほとんど強制と同様な
方法で、確実な死のきまつてゐる攻撃へかりたてられて行つたのだと……。それはたしかにさうである。
では、「葉隠」が暗示してゐるやうな死は、それとはまつたく違つた、選ばれた死であらうか。わたしには
さうは思はれない。
三島由紀夫「葉隠入門」より 「葉隠」は一応、選びうる行為としての死へ向かつて、われわれの決断を促してゐるのであるが、同時に、
その裏には、殉死を禁じられて生きのびた一人の男の、死から見放された深いニヒリズムの水たまりが横たはつてゐる。
人間は死を完全に選ぶこともできなければ、また死を完全に強ひられることもできない。たとへ、強ひられた死として
極端な死刑の場合でも、精神をもつてそれに抵抗しようとするときには、それは単なる強ひられた死ではなくなる
のである。また、原子爆弾の死でさへも、あのやうな圧倒的な強ひられた死も、一個人一個人にとつては
運命としての死であつた。われわれは、運命と自分の選択との間に、ぎりぎりに追ひつめられた形でしか、
死に直面することができないのである。そして死の形態には、その人間的選択と超人間的運命との暗々裏の相剋が、
永久にまつはりついてゐる。ある場合には完全に自分の選んだ死とも見えるであらう。自殺がさうである。
ある場合には完全に強ひられた死とも見えるであらう。たとへば空襲の爆死がさうである。
三島由紀夫「葉隠入門」より しかし、自由意思の極致のあらはれと見られる自殺にも、その死へいたる不可避性には、つひに自分で選んで
選び得なかつた宿命の因子が働いてゐる。また、たんなる自然死のやうに見える病死ですら、そこの病死に
運んでいく経過には、自殺に似た、みづから選んだ死であるかのやうに思はれる場合が、けつして少なくない。
「葉隠」の暗示する死の決断は、いつもわれわれに明快な形で与へられてゐるわけではない。(中略)
「葉隠」にしろ、特攻隊にしろ、一方が選んだ死であり、一方が強ひられた死だと、厳密にいふ権利はだれにも
ないわけなのである。問題は一個人が死に直面するといふときの冷厳な事実であり、死にいかに対処するかといふ
人間の精神の最高の緊張の姿は、どうあるべきかといふ問題である。
そこで、われわれは死についての、もつともむづかしい問題にぶつからざるをえない。われわれにとつて、
もつとも正しい死、われわれにとつてみづから選びうる、正しい目的にそうた死といふものは、はたしてあるので
あらうか。
三島由紀夫「葉隠入門」より 人間が国家の中で生を営む以上、そのやうな正しい目的だけに向かつて自分を限定することができるであらうか。
またよし国家を前提にしなくても、まつたく国家を超越した個人として生きるときに、自分一人の力で人類の
完全に正しい目的のための死といふものが、選び取れる機会があるであらうか。そこでは死といふ絶対の観念と、
正義といふ地上の現実の観念との齟齬が、いつも生ぜざるをえない。そして死を規定するその目的の正しさは、
また歴史によつて十年後、数十年後、あるひは百年後、二百年後には、逆転し訂正されるかもしれないのである。
「葉隠」は、このやうな煩瑣な、そしてさかしらな人間の判断を、死とは別々に置いていくといふことを考へてゐる。
なぜなら、われわれは死を最終的に選ぶことはできないからである。だからこそ「葉隠」は、生きるか死ぬかと
いふときに、死ぬことをすすめてゐるのである。それはけつして死を選ぶことだとは言つてゐない。なぜならば、
われわれにはその死を選ぶ基準がないからである。
三島由紀夫「葉隠入門」より われわれが生きてゐるといふことは、すでに何ものかに選ばれてゐたことかもしれないし、生がみづから
選んだものでない以上、死もみづから最終的に選ぶことができないのかもしれない。
では、生きてゐるものが死と直面するとは何であらうか。「葉隠」はこの場合に、ただ行動の純粋性を提示して、
情熱の高さとその力を肯定して、それによつて生じた死はすべて肯定している。それを「犬死などといふ事は、
上方風の打ち上りたる武道」だと呼んでゐる。死について「葉隠」のもつとも重要な一節である。「武士道といふは、
死ぬ事と見付けたり」といふ文句は、このやうな生と死のふしぎな敵対関係、永久に解けない矛盾の結び目を、
一刀をもつて切断したものである。「図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。
二つ二つの場にて、図に当ることのわかることは、及ばざることなり」
図に当たるとは、現代のことばでいへば、正しい目的のために正しく死ぬといふことである。その正しい
目的といふことは、死ぬ場合にはけつしてわからないといふことを「葉隠」は言つてゐる。
三島由紀夫「葉隠入門」より 「我人、生くる方がすきなり。多分すきの方に理が付くべし」、生きてゐる人間にいつも理屈がつくのである。
そして生きてゐる人間は、自分が生きてゐるといふことのために、何らかの理論を発明しなければならないのである。
したがつて「葉隠」は、図にはづれて生きて腰ぬけになるよりも、図にはづれて死んだはうがまだいいといふ、
相対的な考へ方をしか示してゐない。「葉隠」は、けつして死ぬことがかならず図にはづれないとは言つてゐない
のである。ここに「葉隠」のニヒリズムがあり、また、そのニヒリズムから生まれたぎりぎりの理想主義がある。
われわれは、一つの思想や理論のために死ねるといふ錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示してゐるのは、
もつと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さへも、人間の死としての尊厳を持つてゐるといふことを
主張してゐるのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじない
わけにいくだらうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。
三島由紀夫「葉隠入門」より
苟も一廉の武士でありたいならば、衆道の嗜みを身につけられよ。
剣道は柔道とともに、体力が必要であることはむろんであるが、柔道は一見強さうな人は実際に強いけれど、
剣道は見ただけでは分らず、合せてみてはじめて非常に強かつたりする“技のおもしろさ”がある。それに
スピードと鋭さがあるので僕の性にあつてゐる。また剣道は、男性的なスポーツで、そのなかには日本人の闘争本能を
うまく洗練させた一見美的なかたちがある。
西洋にもフェンシングといふ闘争本能を美化した格技があるが、本来、人間はこの闘争本能を抑圧したりすると
ねちつこくいぢわるになるが、闘争本能は闘争本能、美的なものに対する感受性はさういふものと、それぞれ
二つながら自己のなかで伸したいといふ気持があるものです。
さらに剣道には伝統といふものがある。稽古着にしたつて、いまわれわれが着てるものは、幕末の頃からすこしも
変つてゐない。また独特の礼儀作法があつて、スポーツといふよりか、何か祖先の記憶につながる――たとへば
相手の面をポーンと打つとき、その瞬間にさういふ記憶がよみがへるやうな感じがする。
三島由紀夫「文武両道」より これがテニスなんかだと、自分の祖先のスポーツといふ気はしない。だから剣道ほど精神的に外来思想とうまく
合はない格技はないでせう。たとへば、共産主義とか、あるひはほかの思想でもいいが、西洋思想と剣道をうまく
くつつけようとしてもうまくくつつかない。共産党員で剣道をやつてゐる者があるかも知れないが、その人は
自分の中ですごい“ギャップ”を感じることでせう。僕は自分なりに小さい頃から日本の古典文学が非常に
好きでしたし、さういふ意味で、剣道をやつてゐても自分の思想との矛盾は感じない。
戦後、インテリ層の中で、「これで新らしい時代がきたんだ、これからはなんでも頭の勝負でやるんだ……」
といふ時代があつた。その頃僕は、僕を可愛がつてくれた故岸田国士先生に「これから文武両道の時代だ……」
といつてまはりの人に笑はれたことがある。当時、先生のまはりにゐた人達にしてみれば、新らしい時代が
きたといふのに、なんで古めかしいことをいふと思つたのでせう。
三島由紀夫「文武両道」より 元来、男は女よりバランスのくづれやすいものだと僕は思つてゐる。女は身体の真中に子宮があつて、そのまはりに
いろんな内蔵が安定してゐて、そのバランスは大地にしつかりと結びついてゐる。男は、いつもバランスを
とつてゐないと壊れやすく極めて危険な動物です。したがつてバランスをとるといふ考へからいけば、いつも
自分と反対のものを自分の中にとり入れなければいけない。(私はさういふ意味で文武両道といふ言葉をもち出した)。
さうすると、軍人は文学を知らなければならないし、文士は武道も、といふやうになる。実はそれが全人間的といふ
姿の一つの理想である。その点、むかしの軍人は漢学の教養もあり、語学などのレベルも高かつた。私はいま
二・二六事件の将校のことを研究してゐますが、当時の将校は実に高い教養の持主が多かつたと思ふ。末松太平と
いふ方の「私の昭和史」(みすず書房刊)なんかみると、実にすばらしい文章で、いまどきのかけ出しの作家などは
ちよつと足元にも及ばない。ああいふ立派な文章を書くには、よほどの教養が身につかなければ書けないものです。
三島由紀夫「文武両道」より また、文士も、漢学を学び武道に励むといつた工合で、全人間的ないろいろな教養を身につけてゐた。ところが
大正に入り昭和になつてくると、この傾向はだんだんやせ細つてきてバランスが崩れ片輪になつてきた。そして
大東亜戦争の頃の日本人の人間像といふものは、一見非常に立派なやうですが、実際はバラバラであつた。
近代社会の毒を受けたかたちの人間が多かつた時代です。つまり先にいつた文武両道的な――自分に欠けたものを
いつも補ひたい気持、さういふ気持がなくなつてゐたのです。
最近はさらにかういふ考へ方がなくなつてゐる。また余裕もないだらう。環境も変り、いまの生活では、静かな部屋で
読者するといふこと自体何かぜいたくになつてゐる。子供がゐたり、テレビがうるさかつたり、なかなかわれわれの
生活環境はゆつくりと落ちつかせてくれない。
しかし、僕は思ふのだが本を読むにしても本当に読む気があれば必ず読めるものだ。とかくいまは無理をするといふ
ことを一般に避けるやうになつてきてゐる。
三島由紀夫「文武両道」より そこで、またバランスのことにもどるが、一般に美といふ観点からも“バランス”は大事である。古いギリシャ人の
考へは、人間といふものは、神様がその言動や価値といふものをハカリでちやんと計つてゐて、一人一人の人間の中の
特性が、あまりきはだちすぎてゐると、神の領域にせまつてくる、として神様はピシャつと押へる。すべての面で、
このやうに一人一人の人間を神様はじつとみてゐるといふのですね。人間のこの行為をがう慢といつてゐた。
人間が神に対してあまりがう慢すぎるといふわけです。
このやうな考へ方は、当時ポリス(都市国家)といふ小さな社会で均衡を保つた政治生活をおくる必要から
生れたものと思ふが、なかなかおもしろい考へ方です。人間が知育偏重になれば知識だけが上がり、体育偏重になれば
体力だけがぐつと上がる。――これはバランスがくづれるもとで、神様はこのことを、蔭でみてゐて罰する。
だから理想的に美しい人間像といふのは、あくまで精神と肉体のバランスのとれた、文武両道にひいでたもので
なければないといふわけです。
三島由紀夫「文武両道」より
仏敵ぶっ倒せ!【ぶってきぶったおせ!】
創価学会に敵対する人物を、読経により学会員全員で呪い殺す為のスローガン。
学会員には年初にマス目を塗りつぶせるポスターが配られる。
読経の度にマス目を塗りつぶし、1千万遍唱え全部塗りつぶせると、仏敵は死ぬと信じられている。
まさに世界が危険認定済みのカルト集団。
国は創価学会を早く解体させるべき。公明党と分離させるべき。政教一致は憲法20条違反だ。
「日露戦争と浪花節〜桃中軒雲右衛門事件」
http://hogakukyoushitu.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-5afa.html
解説)日露戦争後、それまでは薩摩琵琶や唱歌を聴いていた人々が、一気に浪曲に
惹かれていった。浪曲というのはいわゆる「浪花節」であり、すべての作品が背景に
武士道をもっている。この武士道鼓舞が日露戦争後の大衆にウケたのだ。
特に、桃中軒雲右衛門は、その抑揚の効いた声が人々を魅了した。
本郷座での公演も大成功し、レコード化した時に権利をめぐって裁判が起きたのだ。
大審院は「浪花節なる低級音楽」と切って捨てた。のちのこの「権利」概念は改められている。
そういう話をまとめておきました。
Q――現代のビジネスマンに要望することは?
三島:私はね、商人といふのはきらひなんですよ。ですからね、万国博にも行つてゐないですよ。あれは商人の
お祭だから、武士は行かないんだといつてぐわんばつてゐるんです。
とはいひながらね、デパートだつて商人だしね、武士といへども、商人とつきあはざるを得ない、つらいところ
ですよね(笑)。武士だけやつてゐると、お米も食へなくなつちやふ。
かういふ世の中だから商人様全盛の世の中でしよ。ですけど、ぼく本人の中にはやつぱり武士の魂はあると思つてね。
商人の中にも銭屋五兵衛みたいな男もゐますしね。明治の政商でも、政治とかんでゐて、そこでやつぱり自分の
意気地を投げ打つといふ気持があつたと思ふんですよ。商人がきらひといふ意味は、商人を尊敬しないわけぢやない。
ただ一般に、商人には自己犠牲の精神がないからきらひなんです。
日本人といふのは、自己犠牲の精神がなくなつたら日本人ぢやないですよ。今の商人といふのはさういふ気持が
ないから本当のユダヤ人になつちやふだらうと思ふんです。
三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より 資本といふのは、本質的にインターナショナルなものですよ。どんな国の、いかにも民族資本でもね、
インターナショナルな性質をもつてゐるのが資本だと思ふんですよ。ところがそつちの面ばかりが出てくるとね、
日本人の魂が商人道によつてをかされてきてゐると思ふ。そのお金本位、金権主義にをかされてゐるのがこはい。
私は、青年が金権主義といふものに反抗する気持がいちばんよくわかる。自分らが企業体の中で活躍するとき、
いかに武士の魂をもつてても、結局、金権主義、ご都合主義、さういふものによつてをかされていくといふのは、
青年として耐へがたいだらうと思ふ。それでボクは武士は武士として一人でぐわんばつてゐる。ところがボクもね、
扶持をくれないから浪人なんですよ。
三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より やつぱり日本人は身を殺して仁をなすといふ気持がなければだめなんだけど、これがね元禄時代と同じでね、
今、税法がモラルを崩壊させてゐるでしよ。あのころの侍がみんな藩のお金を平気で使つて飲み食ひする、
何をする、さういふことをしない人もゐますがね、当時から日本人はさういふ悪いところがあるんですよね、
公私混同みたいなところが。
とくにね戦後は税法のおかげで会社の交際費が自由に使へるとね、社長にいたるまで家族つれてすし屋に行くとか。
戦前は少なくともポケットマネーがありましたからね、重役クラスになりますと、金の使ひ方が公私混同して
ゐなかつたですよね。これは自分のこづかひといふけぢめがあつたでしよ。今何でも会社の伝票を切る、
かういふことがいちばん日本人全体のモラルを崩壊させてゐると思ふんです。
三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より Q――先生の小説、たとへば「奔馬」なんかにも自己犠牲といふことが強く出されてゐますね。
三島:さうですね。「奔馬」は自己犠牲を非常に強く出してゐる。このごろ外人記者なんかに会ひますとね、
日本に軍国主義が復活してゐることを懸念してゐる。これは実はまちがひだつていふんです。(中略)
といふのは武士道といふのを、日本人がわからなくなつてゐるからだ。武士道といふのは何かといふことを
外人に説明するとき、三つあるといふんです。
それはSelf-respect 自尊心ですね。次はSelf-responsibility 自己責任ですね。自己において責任が終了するといふ。
第三がSelf-sacrifice 自己犠牲ですね。この三つのうちどれをとつても武士ぢやないといふんですよ。そしてね、
軍国主義といふのは外国からきたものでね、このSelf-respect と、Self-responsibility はあるかもしれない。
Self-sacrifice は欠けてゐると。
三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より かうなつたらアウシュビッツの収容所長だつてさうなんで、自尊心はもつてゐた、責任観念はもつてゐた、ただね
Self-sacrifice といふものは外国にはないから、だからさういふことになるといふふうに説明するんですよ。
ですから本当に日本人が武士道にめざめれば、あなたがたが心配することは何もない。身を殺して仁をなすことが
武士道の極意だと説明するんです。その場合、欠けてゐるものは武士道のみならず、ことに商人に欠けてゐる。
そして、とにかく口では国家の再建をとなへ、日本精神をとなへ、自分の金は一文も出すのはいやだ。十円の
金も惜しい、全部会社の伝票、そんな精神ぢやだめなんだといふことですね。(中略)
常に自主防衛といふと核装備なんだかんだといふけれども、自主防衛といふのは自分が苦しい思ひをするといふ
ことがだれもわかつてない、まづ自分が犠牲をはらふといふことがまづない。
それは私の「楯の会」の根本理念である、まづ自分が苦しい思ひをしないで何で自主防衛ができるかといふことを
青年にわからせたいですね。
三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より Q――「楯の会」も誤解されてゐる?
三島:ええ、「楯の会」を誤解するやつに限つて自分の金が惜しい人ですよ。つまり自分の身を犠牲にするのが
惜しい人なんだ。そんな連中に限つてつらいことをひとつもしたくないんですね。
Q――行動の美学といふことが先生の基本テーマだと思ひますが、その本質は?
三島:やつぱり、行動の美学の本質といふのは、日本に武士道といふのがあるんだから、武士として生きる
といふ以外にないですね、男としてはね。女にはまた別のがあるでせうけど。どうやつて生きるかといふのは
むづかしいことです。
女性といふのは生き方なんか教へる必要ないんです。女性はね、戦後の体制といふものを女性が代表してゐるんです。
この戦後のあらゆる困つたことは、みんな婦人参政権のせゐです。憲法改正ができないのも婦人参政権のおかげが
一つある。
そしてこの平和ムードの奥底にあるのもこの女性的なものです。どんなに会社でバリバリした男でもうちに帰ると
女房にガッチリおさへられてゐると、その女房はですね、すでに解放された女で、男の理念にしたがはず、女の
独特の理念をもつてゐるわけでせう。
三島由紀夫「武士道に欠ける現代のビジネス」より 剣を失へば詩は詩ではなくなり、詩を失へば剣は剣でなくなる……こんな簡単なことに、明治以降の日本人は、
その文明開化病のおかげで、久しく気づかなかつた。大正以降の西欧的教養主義がこの病気に拍車をかけ、さらに
戦後の偽善的な平和主義は、文化のもつとも本質的なものを暗示するこの考へ方を、異端の思想として抹殺するに
いたつたのである。(中略)
以前から、終戦時における大東塾の集団自決が、一体何を意味するかといふことは、私の念頭を離れなかつた。
神風連は攻撃であり、大東塾は身をつつしんだ自決である。しかしこの二つの事件の背景の相違を考へると、
いづれも同じ重さを持ち、同じ思想の根から生れ、日本人の心性にもつとも深く根ざし、同じ文化の本質的な問題に
触れた行動であることが理解されたのであつた。
影山氏の「日本民族派の運動」を読む人は、かういふ氏の思想の根を知ることによつて、さらに興趣を増すことと
思はれる。
三島由紀夫「一貫不惑」より 氏はおそろしいほど実証的であり、歴史を正す一念において、博引旁証、及ばざるところがない。忘れつぽい
日本人から見ると、その点、却つて日本人離れがしてゐる。実に皮肉なことだが、神風連の事件そのものが、
純潔に自分の思想を守つて抵抗するといふ徹底性の点で、却つて西欧人に理解されやすい要素を含んでゐると
思はれるのと、このことは照応してゐる。西欧化した日本人が、西欧から学ばなかつた唯一のものこそ、
思想に対するこのやうな西欧人の態度なのである。(中略)
又、思想的立場を異にする花田清輝氏などに対しても、本書は公正な態度で、さはやかな記述をしてをり、その点、
思想上の敵に対して卑劣な悪罵の限りをつくす一部の左翼人の著書とは対蹠的である。(中略)
昭和の文学史は、あまりに多くのイデオロギッシュな歪曲や、眼界のせまい文壇人の文壇意識などによつて
毒されてきた。今後昭和の戦前戦中の文学について語る者は、必ず本書に目をとほすことなしには、公正な目を
養ふことができないであらう、と私は信ずる。
三島由紀夫「一貫不惑」より 申し訳ないけど大和特攻は犬死
せめて本土艦砲射撃に来る連合国艦隊に突っ込むべきだった アメリカ国籍の日本人も第二次世界大戦では、特攻した!
■442連隊とは、アメリカ最強の部隊
日系人442連隊があげた戦果が凄まじいものであると分かると、状況は一変した。
「個人勲章獲得総数18000個・全米軍部隊中 1位」
「累積死傷率320%・全米軍部隊中 1位」
「名誉負傷勲章獲得者6700名・全米軍部隊中(一人あたり平均2個) 1位」
という前代未聞の大記録であった。
この記録は大々的に公表され、アメリカ全土で広く報じられた。
同時に日系人が置かれた状況も広く報道され人々はアメリカの暗部を知る事となったのだ。
終戦後の混乱が一段落すると、時の大統領トルーマンは国民に向けてある演説を行った。
その内容は
「戦中、我々は日系人に対して不当な差別を与えてしまった。
これはアメリカ史における最大の汚点であり反省しなければならない過去だ。
それに気付かせてくれたのは442連隊の勇敢な日系兵士達であり、
彼等には特別の感謝の気持ちを伝えたいと思う」
といったものだった。
そして現在、
442連隊の戦史を学ぶ事は米国陸軍の必修課程となり、
多くの軍人が彼等の活躍を知る事になったのである。 ikipedia より抜粋
大西 瀧治郎(おおにし たきじろう、1891年6月2日 - 1945年8月16日)は旧日本海軍の軍人。
最終階級は海軍中将。兵庫県氷上郡芦田村(青垣町を経て現在は丹波市)出身。
海軍兵学校第40期生。「特攻生みの親」として有名ではあるが、
これが事実であるかは議論の余地がある(後述)。
日本の敗戦を見とどけると、8月16日、「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書を遺して
割腹自決。遺書には特攻で散華した兵士達への謝罪と共に、
生き残った若者に対して軽挙妄動を慎み日本の復興、発展に尽くすよう諭している。
自決に際しては敢えて介錯を付けず、また「生き残るようにしてくれるな」と
医者の手当てを受ける事すら拒み、特攻隊員に詫びるために
夜半から未明にかけて半日以上苦しんで死んだという。享年54歳。
ある特攻隊員の談話としてこんな話を
何処かで読んだ。
特攻隊員(甲)おいこの特攻で勝てると思うか?
特攻隊員(乙)いいや、勝つ事は出来ないだろう。
特攻隊員(乙)そう言うお前はどうなんだ?
特攻隊員(甲)勝てるとは思わん。ただ、、、
特攻隊員(乙)「ただ」なんだ?
特攻隊員(甲)勝てなくとも、
「向う百年、どの国も日本に手出しできない」
と思わす事は出来る。
特攻隊員(乙)おう、そうだな。それだけでも意味があるな。 真珠湾攻撃に参加した飯田大尉は、
「もし不測の事態で帰還不能となったら、米軍施設に突っ込む」
と公言していた。
不幸にもそれが事実となり、彼の機は燃料が漏れを起こした。
飯田大尉は躊躇することなく、米軍の格納庫に突っ込んだ。
米軍は後に、「敵ながら天晴れ」と感銘しハワイの格納庫後に飯田大尉の記念碑を建てた。
特攻隊が設立される前から、
日本人は死ぬ時(人生)を見つけたのであった。 世界中の人々が
時として神風という
軍神になる日本人を恐れている
YOUTUBE“KAMIKAZE” の検索結果 約 5,310
http://www.youtube.com/results?search_query=KAMIKAZE&suggested_categories=10%2C27%2C1%2C22%2C25&page=1
Google KAMIKAZE の検索結果 約 9,830,000
http://www.google.co.jp/search?q=KAMIKAZE&rlz=1I7DAJP_ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&sourceid=ie7&redir_esc=&ei=jNbFS_6kFtCGkAWLxNWPDg
神風をいくら貶めようとも
世界中で神風と書いた鉢巻きや
音楽のジャケットに描かれたり
一部の卑怯な自爆テロを神風に例えたり
世界各地にその記念碑があったり
映画で日本人の死を持って高潔さを保つことの例えとされたり
畏怖畏敬され、驚きや驚異として
語り継がれているのは
それだけ、特別なことだったんだろう
良くも悪くも
世界から日本人の資質として認識され
称賛と賛辞として
世界から「神風」は語られる。 ラフカディオ・ハーンは言っていた
日本は死の国であると
日本人は簡単に死という言葉を使う
死んでもやる
必死になる
死ぬ気でやる
決死の覚悟
死して名を建てる
桜は刹那の命を比喩している
ぱっと咲いて、数日で一斉に、はらはらと散っていく
そこに日本人は「もののあはれ」と「潔さ高潔さ」を見出した
屈するより、死して抗うこと
せめて一矢報いることを
良しとしたのである。 昭和二十年八月一五日正午、その日は天文台によると三十三度で特に暑かった。
突然「第二種軍装(夏用麻製仕立)ノ正装ニテ至急整列スベシ」との館内モールス信号で校庭に集合し直立不動で
汗を流しながら待つ我々帝国海軍機関学校最後の海機五十八期生(昭和二十年に海軍兵学校と合併)は、最後の
帝国海軍将校生徒として整列しラジオから流れる玉音放送を聞いた。
海軍機関学校の入学試験の体格検査で七十五センチだった胸囲が入校後の猛訓練と猛鍛錬で僅か三ケ月で
百四センチになった巨大な胸が歴史上初めての玉音放送に大きく高鳴った。
しかしラジオの雑音が多く、よく聞き取れない。
「本土決戦が近いので頑張るようにとの天皇陛下御自らの激励のお言葉」と全員が受け取った。当時の日本人は
全国民が「歴史上敗れたことがない神国日本は最後には必ず勝つ」と信じており、全国民誰一人として日本が
負けるなどと考える者はいなかった。特に軍は全軍士気旺盛だった。
〜続く〜 現に私のいた舞鶴軍港は二十四時間軍艦を造るリベット音が絶えず、食糧、武器、弾薬が豊富で、いつでも敵を
迎え撃つ準備が連日連夜進められていた。
会原爆研究については陸軍が東京帝大の仁科博士と理研に開発を依頼した「二号研究」 (海軍は京都帝大と
「F研究」)として行い濃縮ウランは海軍が潜水艦でドイツから運ぶ手配がされ、出来た原爆の第一弾を
ハワイに落とす作戦を杉山参謀総長は陛下に上奏したが、陛下は「原爆という非道なものは使うべきでない。
特にハワイには日本人が多いので却下する。」となり杉山参謀総長は解任され、東條首相が参謀総長を
兼務することになった経過がある。
この様に非人道的爆弾と陛下が認識されていたものを日本に落とされたのだから陛下の衝撃は大きく終戦する一つの
きっかけになったと思われる。
〜続く〜 しかし杉山参謀総長は、原爆開発を継続したのだ。軍人は戦争に勝つために打てる手を全て打とうとする。
しかしそれは陛下の御意向に反しているので原爆を造って勝っても、原爆を造らずに敵に原爆を使われて負けても、
いずれの場合にも杉山参謀総長の責任なので切腹すると誓い終戦直後に切腹した。元来日本は武士道を基に
戦争を行ってきたのである。
陛下は米の原爆に対し非道だと禁じた原爆で応じたのなら「人類の文明が滅亡する」と終戦を御聖断された。
米が原爆を落とせば日本もこれに応じて米に原爆を落とす。このことによって日米の多数の人が死に、この原爆戦争が
世界に及び世界中の人が死ぬ。これを防ぐために米が日本に原爆を落とした時点で終戦にされたのであって、
日本が原爆を落とされたから、または負けたので終戦にしたのではない。日本は負けていないのに終戦したのである。
中松義郎博士 特攻機というのは途中で艦載機に発見されたら空中戦をせずに
やられっぱなしですか? 戦後、文化の問題の偏頗な扱ひは、久しく私の疑惑を培つて来た。戦争について書かれた作品で、文学作品として
後世に伝へられる資格を得たものは、悉く文学者の作品である。餅は餅屋であるから、もちろん文章は巧い。
文学的な深みもあり、普遍的な説得力もある。しかし、いかんせん、その個人的な戦争体験は限られてをり、
戦闘に参加する前から文筆の人であつた者の目に映じた戦争は、どんなに公平を期しても、そこに自ら視点の
限定がある。いかなる大戦争といへども、個々人にとつては個人的体験であることは当然だが、同時に、そこには、
純戦闘員による戦争の真髄が逸せられてゐたことは否めない。
誤解のないやうに願ひたいが、私は、文学者の書いた戦記が、体験のひろがりと切実さを欠いてゐる、と非難して
ゐるのではない。ただ、あの戦争に関する記録乃至創作を、純文学的評価だけで品隲することは、実は、もつと
大きな見地からは、非文学的、ひいては非文化的行為ではないか、といふ疑問を呈したのである。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より その好例がこの「戦塵録」である。これがいはゆる文学作品を狙つた記録でもなければ、文学的素養ゆたかな人の
作物でもないことは、一読すでに明らかである。しかしここに描かれてゐるのは、大きな一つの文化及び文化様式の
終末の悲劇なのである。
わけても貴重なのは、筆者が戦闘機乗りとしての純戦闘員であり、戦争の最先端の感情と行為を体験し、又、
一人の若者であつて、純情な恋愛とその愛別離苦を身にしみて味はひ、且つ、戦争の終末とその終末に殉じた人たちの
最期に立会つたといふことである。行為者にして記録者であること、青春の人にして終末の立会人であつたこと、
……このやうな相矛盾する使命をこの人に課したのは、おそらく歴史のもつとも生粋のものを後世に伝へようと
はかられた神意であるにちがひない。
今にして思へば、私は、戦後文化の復興者であらうと自負した人たちの近くにゐすぎた。そこにゐたのは、必ずしも
私の責任ではないが、そこにゐて感じた反撥の数々は、却つて私をして文化と歴史の本質について目をひらかせて
くれたとも考へられる。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より すなはち、昭和二十年八月、身を以て、日本文化の伝統的様式を発揚し、日本の純にして純なる文化の終末を体現し、
そこに後世に伝へるべき真の創造を行つたのは、いはゆる文化人ではなくて、「戦塵録」に登場する、若い
戦士だつたのであり、自刃して行つた矜り高い武人たちだつたのである。戦後の文化人は、そこにもつとも重要な
文化の問題がひそむことを理解せずに、浅墓な新生へ向つて雀躍したのである。残念ながら、私もその一人で
あつたと云はねばならない。「戦塵録」の著者ならびにその戦友たちは、若き日を、戦ひ、死に直面し、
絶対的なものについて思惟し、しかも活々と談笑し、冗談を飛ばし、喧嘩をし、異国の美女に心を惹かれ、
明日をも知れぬ恋を体験し、……そのやうに十分に生きた上で、ひとりひとり、いさぎよく散つてゆく。冒頭の
人名の上に引かれた赤線は、かれらの名を抹消するのではなく、かれらの名を不朽のものにするのである。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より そして、選局逼迫の只中にも句会を催ほし、死に臨んでは辞世を作る。日々日本刀の手入は怠りなく、そこには、
日本人に対する日本文化の「型」が与へた最後の完璧な強制とその達成があつた。もちろんかれらは、強制されて
句を作り辞世を詠んだわけではない。しかし文化の本質とは、その文化内の成員に対して、水や空気のやうに、
生存の必須の条件として作用して、それが絶たれたときは死ぬときであるから、無意識のうちに、不断に強制力を
及ぼす処のものである。それこそは文化であり、このやうな文化を理解しなくなつたところに、戦後の似而非文化は
出発したのである。戦士たちの死の作法そのものが文化であるやうな文化の、最高度の発揚とその終末を、
「戦塵録」ほど、みごとに活々と語つてゐる本はなく、その点でいはゆる文学作品をはるかに凌駕してゐる。
では果して、日本文化は滅びたのか? 私は、ここには、反時代的なその「型」の復活の衝撃によつてのみ、
蘇生の可能性をのこしてゐる、とだけ言つて置かう。
三島由紀夫「『戦塵録』について」より 「戦塵録」は、もとより意図して、文化の発揚と終末を語つたものではない。それは伝来の規律正しい簡潔な
「軍隊の文体」で語られた記録であり、すべてが「型」の文体であるから、そこには人間心理の発見などといふ
ものではない。戦闘状況は巨細に述べられるが、強ひて迫力を加へようとした抒述はない。(中略)
平凡な抒述であるだけに却つて深い真実に迫つてゐる。戦闘の場面と、これら恋愛の場面と、最後の自決の場面が、
「戦塵録」の三つのクライマックスであることは明らかである。
私はその上に、ただ一行、いつまでも心に残る個所をあげておきたい。それは私がそのやうな青空を同じ時期に
日本でも見てゐるからであり、又、今を去る数年前、同じ青空を、現地カンボジアで見てゐるからでもある。
昭和二十年六月二十五日、死を決した著者は、スコールのあくる日の大空、「手を伸せば指の先が藍色に染って
しまひそうな」ほど鮮やかに澄んだ熱帯の空を眺めて、次のやうな一行の感想を心に抱くのである。
「此の大空、果てしない碧空にこそ凡ての真理を包蔵して居るのではなからうか」
三島由紀夫「『戦塵録』について」より 自主独立の問題一つとつても、戦前の「自主独立」の日本が、軍縮会議以来、いや三国干渉以来、絶えず列強の
干渉によつて軍縮に対するチェックを受け、それによつて国内世論が、沸騰してきたことを考へると、日本のやうな
地理的要衡の、一定の経済力と一定の軍事力しか持ちえない小国が、条約下にあらうがあるまいが、国際同盟の
参加国であらうがあるまいが、外力の影響によつて左右されるのは宿命的だと思はなければならない。
(中略)
抵抗とは遊戯ではない。完全無防備の抵抗といふものがもしありうるならば、その最有力な例をとり上げて
指摘するならともかく、それが成功するかしないかの時点で、それを無防備的抵抗の良きお手本とすることは、
それ自体が国家を否定し、民族の自立を否定する思想であると言はなければならない。
三島由紀夫「自由と権力の状況」より (中略)
無益な武力的抵抗によつて、国家主権を奪はれるくらゐなら、流血の惨を避け、秩序を保つて表面的に妥協を
受け入れ、国家の存立をはかつたはうがよい、といふならば、非武装抵抗の利点は、一つは血を流さないですんだ、
といふことと、一つは国家の主権が曲りなりにも保たれたといふことでなければならない。
しかし、それはあくまで「非武装抵抗」の利点であつて、「非武装」の利点ではない。非武装(チェコは事実上
非武装国家ではなかつたが)それ自体は、強大な武力に対して何らの利点を持ちえないことは明らかである。
武力抵抗の反対概念は、非武装そのものではなく、非武装抵抗といふことであらう。
三島由紀夫「自由と権力の状況」より そして非武装抵抗の存立条件は、国民の結集した否(ノン)にしかなく、又、陰に陽にサボタージュその他で
抵抗する他はないが、次に来る段階は、非武装抵抗ですら血を流さずには有効性は発揮しえぬ、といふ段階であり、
又、国家の主権が曲りなりにも保たれても、その国家権力の実質的な主導権を奪はれるといふ状況をすでに
容認するならば、そのあとで、実質的な主導権を奪ひ返さうといふ抵抗は、抵抗の最初の論理的根拠を欠くことになる。
なぜなら、われわれが抵抗の手段の選択を迫られたとき、その一方(すなわち非武装)によつて、論理的に
一貫するならば、敵をすでに受け入れた己れの状況に対する抵抗とは、われわれ自身に対する抵抗に他ならなく
なつてしまひ、抵抗の論理は自らの身を喰ふものになるからであり、つひには抵抗それ自体が成立たなくなる
からである。そのとき、われわれは、非武装抵抗の利点が一つもない地点に立つてをり、「非武装抵抗」と
「非武装」とは同義語になり、つひには敗北主義の同義語になるのである。
三島由紀夫「自由と権力の状況」より 私は、ごく簡単に言つて、青年に求められるものは「高い道義性」の一語に尽きると思ふ。さう言ふと、バカに
古めかしいやうだが、道義といふのは、青年の愚直な盲目的な純粋性なしにば、この世に姿を現はすことはないのである。
老人の道義性などといふのは大抵真っ赤なニセモノである。
私がいつも思ひ出すのは、二・二六事件で処刑された青年将校の一人、栗原中尉のことである。(中略)
中尉の部下だつた人から直接きいた話であるが、あるとき演習があつて、小休止の際、中尉の部下の一上等兵が、
一種のアルコール中毒で、耐へられずに酒屋へとび込んでコップ酒をあふつてゐた。そこへ通りかかつた大隊長に
詰問され、所属と姓名を名乗らされたが、その晩帰営すると、大隊長は一言も講評を言はず、全員の前で、
その兵の名をあげて、いきなり重営倉三日を宣告した。
中尉は部下に、その兵の演習の汗に濡れたシャツを取り換へさせるやう、営倉は寒いから暖かい衣類を持つて
行かせるやうに命じた。それからなほ三日つづいた演習のあひだ、部下たちは中尉の顔色の悪いのを気づかつた。
存分の働きはしてゐたが、いかにも顔色がすぐれなかつた。
三島由紀夫「現代青年論」より あとで従兵の口から真相がわかつたが、上等兵の重営倉の三晩のあひだ、中尉は一睡もせず、軍服のまま、
香を焚いて、板の間に端座して、夜を徹してゐたのださうである。
釈放後この話をきいた兵は、涙を流して、栗原中尉のためなら命をささげようと誓ひ、事実、この兵は二・二六事件に
欣然と参加したさうだ。
青年のみが実現できる高い道義性とは、かういふことを言ふのである。第一、老人では、いくらその気があつても、
三日も完全徹夜をした上で走り回つてゐたら、引つくりかへつてしまふであらう。
二・二六事件が右寄りの話で面白くないといふのなら、左翼の革命運動も、青年がこれに携はる以上、高い道義性の
実現なしには、本当に人心を把握できないと私は信ずる。チェ・ゲバラは革命家の禁欲主義を唱へ、強姦の罪を
犯した愛する部下を涙をのんで射殺したが、これはゲバラが革命の道義性をいかに重んじたかの証左であつて、
毛沢東の「軍事六篇」もこの点をやかましく言つてゐる。
三島由紀夫「現代青年論」より …一学生の万引き事件、日大紛争における暴力団はだしの残虐なリンチ事件、……これらは学生による政治活動から、
道義性が崩壊してゆくいちじるしい事例である。あとには目的のためには手段をえらばない革命戦術が残つてゐる
だけである。一見、平和戦術をとつてゐる一派も、それ自体が戦術であることが見えすいてゐて、何ら高い道義性を
感じさせることはない。
ここまで青年を荒廃させたのは、大人の罪、大人の責任だ、といふのが、今通りのいい議論だが、私はさう考へない。
青年の荒廃は青年自身の責任であつて、それを自らの責任として引き受ける青年の態度だけが、道義性の源泉に
なるのである。
私の知つてゐる青年たちの中には、たしかに立派な青年もゐる。信ずるに足る青年もゐる。私の知つてゐる
非青年五十人と、青年五十人と公平に比べると、大した差はみとめられない。日本人が全部堕落してゆくとは
とても信じられない。しかし、私は、青年をおだて上げておいて、自分は左ウチハで暮さうといふ気はみぢんも
ないから、無理を承知で自分も青年と一緒にかけまはつてゐるのである。
三島由紀夫「現代青年論」より >>223
爆弾積んでるから夢中な旋回はできない。
簡単に表現すれば
木で作った構造体の下に鉄アレイをぶら下げた場合と
S45Cで作った構造体の下に鉄アレイをぶら下げた場合
大きく振り回せばどっちが壊れるかは想像し易い。 講談も時代劇も衰退しきった上に改悪されまくってかろうじて生き残ってて
それさえ見ないのが若い世代で普通になってる、そんな環境で
武士や武士道を語るのは果てしなくめんどくせえw 渡邉恒雄 そして、それよりも何よりも、特攻攻撃がどんどん始まるわけです。
特攻に行くのは、最初は長男は許された。長男はいい、次男はいけ、
というわけだ。それがそのうちに長男も次男もなくて、志願するも
のは一歩前へ出ろ。一歩前へ出ると、それはもう明日には死ぬわけ
だ。出ないやつは助かるが、あとでボコボコにやられるわけです。
それで、そんなにやられるならおれも一歩前だ、と出る。当時ニ
ュース映画で特攻隊出撃の場面を見た。勇んで行くどころか、皆
首を垂れ、うなだれたような悲哀を感じさせる姿としか思えなかった。
田原 そういうことですか。
渡邉 だから、強制ですよ。暴力による強制。
田原 お国のためとか、天皇のために、特攻に出たんじゃない。
渡邉 とんでもない。ほとんど暴力による強制です。この間、僕は政治家た
ちに話したけど、NHKラジオで特攻隊の番組をやった。これがよく
やったと思う番組でね。兵士は明日、行くぞと。その前の晩に録音し
たもので、みんな号泣ですよ。うわーっと泣いて。死にたくないって。
戦時中、よくこんな録音を放送できたと思う。
田原 あ、そんな録音がとってあった。
渡邉 特攻隊の死ぬ前の晩の声。勇んでいって、靖国で会いましょうなんか信
じられているけど、ほとんどウソです。
田原総一朗責任編集『オフレコ!』(アスコム)2005年 Vol.1 リアル武士道「煩悩シュレッダー(Shredder House)」Suicide control program (後半グロ注意)
http://www.youtube.com/watch?v=fUWWvuynfYI
そもそも武士の家系じゃない奴が武士道とかちゃんちゃらおかしい。 ★アンドレ・マルロー(フランス 元文化相)
「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわりに何ものにも替え難いものを得た。
それは、世界のどんな国も真似のできない特別攻撃隊である。スターリン主義者たちにせよ、
ナチ党員にせよ、結局は権力を手に入れるための行動だった。
日本の特別攻撃隊たちは、ファナチックだっただろうか。断じて違う。彼らには、
権勢欲とか名誉欲など、かけらもなかった。祖国を憂える尊い情熱があるだけだった。
代償を求めない純粋な行為、そこには真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは
根本的に異質である。人間は、いつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ」
★アーノルド・J・トインビー(イギリス 歴史学者)
「第2次大戦において日本人は日本の為というよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々の為に
偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった
大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前においてアジアとアフリカを
支配してきた西洋人が過去200年の間に考えられていたような不敗の半神でないことを
明らかに示した点にある」
(1956年10月28日/英紙「オブザーバー」)
日本とは何か、といふ最終的な答へは、左右の疑似ナショナリズムが完全に剥離したあとでなければ出ないだらう。
安保賛成も反共も、それ自体では、日本精神と何のかかはりもないことは、沖縄即時奪還も米軍基地反対も、
それ自体では、日本精神とかかはりのない点で同じである。そしてまたそのすべてが、どこかで日本的心情と馴れ合ひ、
ナショナリズムを錦の御旗にしてゐる点でも同格である。「反共」の一語をとつても、私はニューヨークで、
トロツキスト転向者の、祖国喪失者の反共屋をたくさん見たのである。私は自民党の生きる道は、真の
リベラリズムと国際連合中心の国際協調主義への復帰であり、先進工業国における共産党の生きる道は、
すつきりしたインターナショナリズムへの復帰しかないと考へる。真にナショナルなものは、そのいづれにも
本質的に欠けてゐるのである。
真にナショナルなものとは何か。それは現状維持の秩序派にも、現状破壊の変革派にも、どちらにも与(くみ)しない
ものだと思はれる。
三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より 現状維持といふのは、つねに醜悪な思想であり、また、現状破壊といふのは、つねに飢ゑ渇いた貧しい思想である。
自己の権力ないし体制を維持しようとするのも、破壊してこれに取つて代らうとするのも、同じ権力意志の
ちがつたあらはれにすぎぬ。権力意志を止揚した地点で、秩序と変革の双方にかかはり、文化にとつてもつとも
大切な秩序と、政治にとつてもつとも緊要な変革とを、つねに内包し保証したナショナルな歴史的表象として、
われわれは「天皇」を持つてゐる。実は「天皇」しか持つてゐないのである。中共の「文化」大革命に決定的に
欠けてゐる要因はこれであり、かれらは高度な文化の母胎として必要な秩序を、強引な権力主義的な政治的秩序で
代行するといふ、方法上の誤りを犯した。文化に積極的にかかはらうとしない自由主義諸国は、この誤りを
犯す心配はない代りに、文化の衰弱と死に直面し、共産主義諸国は、正に文化と政治を接着し、文化に積極的に
かかはらうとする姿勢において、すでに文化を殺してゐる。
三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より (中略)
最近私は一人の学生にこんな質問をした。
「君がもし、米軍基地闘争で日本人学生が米兵に殺される現場に居合はせたらどうするか?」
青年はしばらく考へたのち答へたが、それは透徹した答へであつた。
「ただちに米兵を殺し、自分はその場で自決します」
これはきはめて比喩的な問答であるから、そのつもりできいてもらひたい。
この簡潔な答へは、複雑な論理の組合せから成立つてゐる。すなはち、第一に、彼が米兵を殺すのは、日本人としての
ナショナルな衝動からである。第二に、しかし、彼は、いかにナショナルな衝動による殺人といへども、殺人の責任は
直ちに自ら引受けて、自刃すべきだ、と考へる。これは法と秩序を重んずる人間的倫理による決断である。
第三に、この自刃は、拒否による自己証明の意味を持つてゐる。
三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より なぜなら、基地反対闘争に参加してゐる群衆は、まづ彼の殺人に喝采し、かれらのイデオロギーの勝利を叫び、
彼の殺人行為をかれらのイデオロギーに包みこまうとするであらう。しかし彼はただちに自刃することによつて、
自分は全学連学生の思想に共鳴して米兵を殺したのではなく、日本人としてさうしたのだ、といふことを、
かれら群衆の保護を拒否しつつ、自己証明するのである。第四に、この自刃は、包括的な命名判断
(ベネンヌンクスウルタイル)を成立させる。すなはちその場のデモの群衆すべてを、ただの日本人として包括し、
かれらを日本人と名付ける他はないものへと転換させるであらうからである。
いかに比喩とはいひながら、私は過激な比喩を使ひすぎたであらうか。しかし私が、精神の戦ひにのみ剣を使ふとは
さういふ意味である。
三島由紀夫「『国を守る』とは何か」より いま蘇る特攻の精神
このままでは日本は亡国の道を歩むしか手段はない
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大野俊康『特攻魂のままに』(展転社)
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著者の大野氏は元靖国神社宮司。学徒出陣し特攻で多くの戦友を失った。祖国の再建のためには英霊を顕彰し、その志を継いで靖国のこころを回復させ、
本物の日本人にわれわれは回帰する必要がある。そうしなければ祖国は再建できないという信念で全国を講演して歩いた。
『靖国之宮』という歌がある。
正気凜たり靖国の宮
祠前に拝跪して思い窮りなし
偉勲千載何ぞ鎖滅せん
新日本は生きる偉烈の中
現在日本は凜としなくなって外国からさげずまれ、若者に怯懦がはびこり、国体は顧みられず、政治は腐敗して「政権ごっこ」の子供らと宇宙人と
「小さな小さなファシスト」に壟断された。正気が失せた。
大野宮司は三島由紀夫の『行動学入門』のなかに次の記述を見つけ出した。
「オーストラリアで特殊潜水艇が敵艦に衝突寸前に浮上し、敵の一斉射撃を浴びようとしたときに、月の明るい夜のことであったが、
ハッチの扉をあけて日本刀を持った将校がそこから現れ、日本刀を振りかざしたまま身に数弾をあびて戦死したという話が語り伝えられているが、
このような場合にその行動の形の美しさ、月の光、ロマンティックな情景、悲壮感、それと行動様式自体の内面的な美しさとが完全に一致する。
しかしこのような一致した美は人の一生に一度であることはおろか、歴史の上にもそう何度となくあらわれるものではない」(『行動学入門』)
この文章を前提に大野宮司は論を進めた。
「この海軍将校こそ殉忠・菊地一族の流れをくむ熊本県山鹿市出身の軍神・松尾敬宇中佐」であることを確かめた氏は、その後の逸話を披露する。
豪海軍は、この大胆不敵なる日本軍人に「深く感銘し」、沈んだ潜水艇を引き上げた豪州海軍は「廷内から収用した四勇士を海軍葬の礼をもって弔った」
敵の軍人を葬る必要なしという豪世論を前に、往時の豪海軍シドニー港司令官グールドは、かく反論したという。
「勇気は一特定国民の所有物でも伝統でもない。これら海軍軍人によって示された勇気は、誰によっても認められ、かつ一様に推奨せらるべきものである。
これら鉄の棺桶に入って死地に赴くことは、最高度の勇気がいる。これらの勇士が行った犠牲の千分の一の犠牲を捧ぐる準備のある豪州人が幾人いるのであろうか」。
そして戦死から二十六年を閲し、豪海軍は勇士をたたえる記念碑を建立した。松尾の母は八十三歳の老婆となっていたが、けなげにも
慰霊をかねて豪を訪問した。そこで豪の新聞は書いたのだ。
「勇士の母、きたる」
「勇士の母は詩人」
豪は十日間の老婆の訪問を歓迎した。
最初から最後まで涙なくしては読み通せない。
必ず死ぬ作戦立て過ぎな参謀共を擁護する奴の多いこと多いこと
だったらお前が行け!芙蓉部隊美濃部少佐 珍風特攻隊をマンセーする低学歴底辺wwwwwwwwwwwwwwwww 武士道なんて存在しなかったのになw
あんなパクリを日本の文化なんて恥もいいとこ >>3
>神風特攻隊のメンバーは、ほとんど例外なくその先祖が武士だったのだよ。
つまり、大東亜戦争敗戦によって日本人は遺伝子改造を受けた。
現代人と敗戦前の日本人は異なった遺伝子プールを持つ。
すなわち、武士・侍は大東亜戦争で滅びた。 >>4
フランス、ドイツ、イタリア、日本は手を結べる。
>>10
藤岡弘を笑い飛ばせるのは本物の古流武術家だけですよ?
全国に百人もいないでしょう。 山本五十六は言ってるじゃないですか、一年ぐらいはもつって。
勝った勝ったでいくだろうと、だけど後はもう知らんて。
そしたら天皇はそれでもいいからやれちゅーわけですよ、やらないと自分の身が危ないと。
スキャンダルをみなばらされて全部失うと、スイスに貯めた金も失うと。
なぜ石油があったか考えてみたことありますか。
これはですね戦争のときに、アメリカは日本には石油を売らないと。
ところがパナマ国籍の船ならば、石油を積んでいって日本に売っても自分達は攻撃できない。
というような理屈で日本に石油を間接的に売るわけです、本当の話です。
でこれに三菱が作った昭和通商という会社がそれを引き受けるわけです。
で昭和通商と三菱は同じですけど、そこでまずいので日本水産という会社が代行するわけです。
魚を運ぶということではなくて、魚の代わりに石油をパナマ国籍からもらって持って帰るので、
戦争は長引くわけです、太平洋でいっぱい戦争しました。
あれはアメリカの石油をもらって、
アメリカの石油を使った軍隊と戦争ゴッコをやったっちゅーことですよ。
そしてある時になってもう石油をやらないという時に、天皇は気がつく。
ああ遂に終わりがきたかと、これが真相なんですよ。
http://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes
中曽根が自分の『天地有情』の中にも『回顧録』の中にも書いてます。
俺はCIAのテストを受けた、英語もあった、論文も書いた、パスした。
自分から進んでCIAのテストを受けたちゅーことですね。
それで彼はアメリカに派遣されます、で中曽根は自分で自慢げに書いてますけど、
色んな原子力発電所の法律は俺がみんな作ったってね、野党改進党です。
自民党、自由党時代で、その野党の若造が作れるはずがない。
そこの背後にCIAがみんな絡んでます。http://www.youtube.com/watch?v=TuVjmXdufS4
日本の電気料金は世界の電気料金の三倍なんです、三倍ですよ、でまだこれから上がります。
彼らはみんな太ったわけです、だから自民党の政治家も民主党の政治家も、
ほとんど反対しないじゃないですか、今でさえ反対の声上げないじゃないですか。
ここまで福島の人が苦しんでいるのに何をやってるんだと。
http://www.youtube.com/watch?v=3glGABd52fk 安楽死党
生きるも死ぬも自分で決める
日本でも安楽死制度の創設により将来の不安を軽減する
安楽死って言う制度はどんな保険よりも安心感が持てると思いませんか?
http://www.youtube.com/watch?v=8nU2UaSlGx0 >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない後遺症になるなあ 取材に応じた元特攻隊員は11人。
重爆撃機や戦闘機のほか、潜水服を着ての「人間機雷」まで、
担当した兵器は様々だが、いずれも目標に達する前に撃ち落とされたり、不時着したり、
搭乗するはずの航空機がなくなったりと、偶然の積み重ねで生き延びた人達の真実の証言集。
http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20140122-OYT8T00325.htm
「せっかく生まれたからには、明るく楽しく、
他人の命も自分の命も同じように大切に生きる、
それが一番幸せなことだと思います。
人間独りじゃ生きられない、
周囲の大勢の人のお陰で楽しく生かされて生きているんです。
それを忘れてはなりません。
お互いに助け合って生きていることを、
今の人たちは理解していないのではないでしょうか。
自分の命を本当に生かしたいのなら、
他人の命を生かす努力をすることです。
自分を支える周囲の人々への感謝の気持を、
どうか忘れないでいて欲しいですね」
…………前村 弘[陸軍第三〇戦闘飛行集団・飛行第六二戦隊・陸軍特幹1期候補生] 気風は良くなるが打者出身の監督はなかなか大成しない 朝日住宅は日曜日以外毎日8時から18時過ぎまで長期間に渡って周囲に騒音をまき散らさないように
配慮して工事する金儲けより公共の利益を重視するすばらしい会社です 祖父は特攻隊の生還者なのですが、高齢で92になります。体も頭も健康なのですが何時他界してもおかしくありません。質疑応答で戦争時の記録を何とか残したいと思ってるのですが、どんな質問を投げかければいいでしょうか
よろしくお願いします